サンステンドから来た男②
「ヴィクターと言ったか? あんた外から来た商人ってことは、あの森を越えて来たってことか?」
ハンクが静かに問うと、ヴィクターは興味深げにハンクに視線を移した。
「ええ、そうですとも。もっとも最初は三台の馬車で街道を進んでいたのですが……」
ヴィクターは言葉を切り、かすかな嘆息を漏らした。
「途中で森の道を誤りましてね。暗い森の中、何か大きな獣に襲われたのです。運良く私が乗っている馬車は逃げ延びましたが、同行していた2台の馬車は消息不明。結局今日になっても待ち合わせの場所に現れませんでしたね」
ヴィクターは事も無げに語ったが、その端正な顔立ちに恐怖や悲しみは浮かんでいなかった。
ハンクは目を細める。
――森で襲われたというなら誘い名の主の仕業か……。
――それとも狼か。どちらにせよ、彼の言っていることがすべて正しいとは限らない。
「それはお気の毒に」
ハンクがそう、絞り出すように言うと、ヴィクターは一瞬きょとんとした表情を見せたが、すぐに曖昧な笑みを浮かべた。
「ありがとう。しかし森に怪物が棲むというのは、どうやら本当のようですねえ。噂には聞いていましたが……できれば出くわしたくはなかった」
どこか芝居がかった口調に、ハンクは内心の警戒を強めた。
「ねえ、お父さん……」
ハンクの横で黙って話を聞いていたリリーが、袂を引いて小声で囁いた。
「変な人だね、お仲間の人が消息不明だっていうのに平然として。異国の商人ってみんなそうなの……?」
「……あぁ、そのようだ」
珍しく警戒した声を出す娘に、ハンクは頷く。
ラットもまた、ヴィクターに向かって低く唸っていた。
ラットが知らない人間に敵意を示すのは滅多にないことだ。
ハンクはラットの背に手を置き、静かになだめつつも、鋭い眼差しでヴィクターを見据えた。
ジョナサンも同じく警戒を抱いたようで、「念のため、お名前と滞在先を控えさせていただきます」と言い、手帳に走り書きしている。
「さて……私はそろそろ失礼しましょう。長居は無用のようだ」
ヴィクターがシルクハットを軽く持ち上げて会釈すると、ジョナサンは渋々道を開けた。
ハンクたちの横を通り過ぎる際、ヴィクターはちらりとリリーとラットに目を留めた。
子供と獣という取り合わせが珍しいのか、興味深そうに一瞬目を細める。
その瞳には得体の知れぬ光が宿っていたが、すぐに柔和な笑みにすり替わる。
「お嬢さんも、可愛らしいペットも、病に気を付けた方が良い。何かあれば言ってくれ、サンステンドの秘薬を用意しよう」
丁寧に告げると、ヴィクターは馬車へと乗り込んだ。
御者が掛け声を上げ、馬車がゆっくりと動き出す。
雨粒が車輪を叩き、泥がはねる音がした。
ハンクたちは無言でその背中を見送る。
遠ざかっていく馬車の中、ヴィクターはなおもこちらを見ているような気がして、ハンクは不快な胸騒ぎを覚えた。
ラットも濡れそぼった体を震わせながら低く吠え、去りゆく馬車に向かって牙を剥いている。
いつもは人懐っこいラットがここまで敵意を露わにするなど、ただ事ではない。
「ハンク、どう思う?」
ジョナサンが掠れた声で問うた。
ハンクは返答に窮し、曖昧に唸るしかない。
「まだ何とも言えんよ。ただ……。あの商人から微かに獣の臭いがしたような気がした。気のせいかもしれないがな……」
その言葉は言い淀まれた。
リリーが不安げに顔を上げて父を見つめる。
ハンクは軽く頭を振り、気を取り直すように声を張った。
「いずれにせよ、今判明している手がかりを整理しよう。足音、獣の声、持ち出された肉、そして今の商人の話……ジョナサン、後で署で検討会を開こう」
「ああ、そうだな」
彼も明らかに動揺している。
無理もない、事件は謎が深まるばかりなのだから。
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