1904年、未来はバラ色シアワセ色(三十と一夜の短篇第80回)
1904年11月1日 ロンドン(プラスマイナス0日)
ストランドとエクセター・ストリートの交差点の東側の角にある〈シンプソンズ・イン・ザ・ストランド〉の大広間の真ん中にあるテーブルでウィンガム卿とアメリカ人のグラットル氏が向かい合って座っていた。ふたりの前には新鮮なレタスが一切れあり、ふたりともカットガラスに銀の蓋をかぶせた塩入れを手にしていた。
レストランはウェリントン公の名を冠するローストビーフが絶品と知られていたので、レタス一枚が皿に乗っているのは奇妙にも思えた。
ウィンガム卿とアメリカ人のグラットル氏は緊張した面持ちで塩入れを握っていて、どちらとも何も言わず、何もせず、ただじっと塩入れを握っている。
そのうち、昼間から何かおめでたいことでもあったのか、シャンパンを開ける音がした。
ウィンガム卿とアメリカ人のグラットル氏はそれを合図に、何かから解放されたように塩入れを持ち上げて、塩を三度、レタスに振りかけると、レタスをフォークで刺して、食べた。
1904年10月19日 ロンドン(マイナス13日)
「旅順で日本兵とロシア兵が殺し合ってるそうだ」
「連中は何が楽しくて、あんな世界の果てでお互いを吹っ飛ばし合ってるんだろうな」
「さあ。もっと他にすることもあるだろうに」
「それよりハットボル卿の話をきいたかね?」
「相変わらず背中の開いたドレスに弱い御人だ」
「今度の相手はブルガリア人だそうな」
「背中が開いていれば、韃靼人でも構わんのさ」
「おい、今の見たかね」
「ああ、見た。ウィンガム卿が誰かの顔に手袋を投げるのは珍しくもなんともない」
「今度の決闘の相手は誰だろう?」
「アメリカ人だ。石油成金だよ」
「アメリカ人だって? そんなやつを入れるなんて。このクラブも落ちたものだな」
「株式市場でカラ買いが流行。スペインでサッカーチームが結成。レアルマドリード。ふうん。これはなかなか興味あるニュースだ」
「アメリカ人だなんて。アメリカ人だよ?」
1904年10月25日 ロンドン(マイナス7日)
ロイヤル・カレッジ・オブ・サイエンスの病理学研究室のウィッティントン教授がサンプルを数えていると、ひとつ足りないことが分かった。教授は助手のハッサーフィールド氏を呼び出し、サンプルを探すように命じた。
「どのサンプルがないのですか?」
「ヴェネツィアのだ」
「ヴェネツィアのサンプルですか?」
「そうだ」
「間違いありませんか?」
「きみは何が言いたいのかね?」
「いえ。ヴェネツィアのサンプルということは、ちょっと厄介なことに。関係筋にも連絡をしたほうがよろしいのでは?」
「そんなことはしなくていい。身内の恥をさらすようなものだ。病理学研究室ではサンプルの管理もろくにできていないと新聞に叩かれるんだぞ。もっと考えたまえ」
「申し訳ありません。教授」
「とにかくサンプルを見つけるまで、きみは家に帰らないように」
「はあ」
「では、失礼。わたしは約束があるので帰宅する。いいかね。必ずヴェネツィアのサンプルを見つけるんだ。まったく」
1904年10月25日 中央郵便局仕分け室(マイナス7日)
(ハミルトン卿からウィンガム卿への手紙から抜粋)
……ウィリアム。きみの名誉のためにその立会人になることを否定する理由は僕にはない。ただ、決闘の方法だけは考え直してほしい。きみのいう生命の力で戦うというあの方法はあまりにもリスクが高すぎる。それは決闘者の生命が失われる以上に他者を巻き込むというリスクのことを言っているのだ。どうか方法だけは考え直してほしい。……
1904年10月1日 ヴェネツィア(マイナス31日)
ピエーレ・デル・アルバネーゼ銀行に入ると、ようやく藻のにおいから解放された。話にきき、絵を見るだけでは分からないのだが、ヴェネツィアというのはどこにいても藻のにおいがする。熱いオリーブオイルをかけた黒鯛のアクアパッツァを食べるときでも、ご婦人と音楽について気のおけない会話をするときでも、いつも藻のにおいがするのだ。こんなことならヴェネツィアを訪れず、神秘的なヴェールをまとわせたままにしておけばよかっただろう。これからはヴェネツィアについて聞いたり読んだりするたびに藻のにおいを思い出すのだ。
為替を現金化しようと思い、銀行の窓口にいる行員に話しかけた。行員は目がうつろで顔が蒼白くなったり、真っ赤になったりと忙しく、そのうち、テーブルに突っ伏してしまった。誰かが叫んだ。
「コレラだ!」
1904年10月27日 中央郵便局仕分け室(マイナス5日)
(アメリカ人のグラットル氏からウィンガム卿への手紙から抜粋)
……決闘の方法については貴殿の希望する方法で文句はありません。むしろこれ以上ふさわしいものはないでしょう。生命の力を試す。いい方法です。テキサスではこの手の揉め事を解決するとき、すぐにリボルバーに頼りますが、あなたのいう方法はなるほど真の勇者にふさわしい方法です。ただ、どちらかの塩入れにアレを入れるという点だけは好みません。これでは運が決着に対して介在します。運がいいから勝つことができた、とそしりを受けたくないのは貴殿も望むところでしょうから、本当に貴殿が生命の力を、人間存在の根本を流れる力のなかの力を運命に対して立ち向かわせたいのでしたら、わたしは貴殿に、アレを両方の塩入れに入れておくことを提案します。……
1904年11月3日 大西洋(プラス2日)
ハッサーフィールド氏はハッサーとはポーランド軽騎兵が由来になっていると思っていたが、そのことを誰かに話す機会はなかった。
友人が多いほうではなかったし、教授との関係はルイジアナの農園主と黒人奴隷のそれであった。いま、ハッサーフィールド氏は妻と四歳の娘とともにカナダへ向かっていた。モントリオールにある製薬会社の研究室からの招待が以前からあったのだが、引っ越すことに奥手でロンドンからマンチェスターに旅行するだけでも落ち着かない彼はなかなか決心がつかなかった。だが思い切って、カナダへ移住することを決めてからの彼は自分でも信じられないほどの行動力を見せた。おかげでウィンガム卿から受け取ったかなりの報酬でモントリオールでの暮らしはロンドンのものよりもずっと良いものになるだろう。
デッキ甲板を防寒着でくるまった彼の娘が自分の影を追って、小走りにしていた。ハッサーフィールド氏は娘を抱き上げて、西へと顔を向けた。
「ごらん、メリッサ。あっちに未来はある。未来が何色か、知っているかい?」
「しらなぁい」
ハッサーフィールド氏はふふと微笑んだ。
「ミライ ハ バライロ シアワセイロ サ」