〈8〉従士とおのぼりさんと
〈8〉
「─── では本日の授業はここまで、と言う事で」
ジョゼリン先生はそう言って本を閉じます。
「先生、本日もありがとうございました」
私はそう言って軽く頭を下げます。
ジョゼリン先生の授業を受け始めて既に8年── 私、12歳になりました! 去年までは宮廷作法の授業で散々メレディス先生に絞られた暗黒期ではありましたけど………… 。
それも無事に乗り越え、いよいよ私も3日後に暫定的な社交界デビューを果たします! まぁお母様主催のお茶会なんですけれど。正式な社交界入りは15歳となっていますので、その予行練習と言う所でしょうか?
「ディナ様、今日は特に楽しげにお見受け致しますが?」
ジョゼリン先生が微笑みを湛えたまま、私に聞いて来ました。そう言えばジョゼリン先生も女性家庭教師から私専属の女性相談役となりまして、この屋敷に1つ部屋を宛てがわれ、いわゆる住み込みとなりました。
「それはもちろん、今日はジョゼリン先生と街にお出掛けするからです♡」
そしてもう一つ── 私が心躍らせるほど楽しみにしているのは、今年の初めから月イチのペースで、ジョゼリン先生と街にお忍びでお出掛けしている事なのでした。これには市井の視察を兼ねて、と言う意味合いもありますが── ハッキリ言って息抜きでございます。
まぁこれも先生が、お父様とお母様を説き伏せてくださったお陰なのでした。先生、グッジョブです!!
「では1時間後に、お部屋に御迎えにあがりますので御準備の程、よろしくお願い致します」
「わかりました。よろしくお願いします」
私はジョゼリン先生に挨拶して、教室に宛てがわれている部屋を出ました。いつもの様にエミリオ君を従えて自室に帰ろうとした所
「ディナお嬢様、奥様がお呼びでございます」
エミリオ君の父上、ダンディー家令レイエスからそう呼び止められたのです。
── はて、何でしょう?
何はともあれ、急ぎお母様の私室に向かう事に致しましょう。
* * * * *
「お母様、アルムディナです」
プライベートルームの前まで来て私は、ドアをノックして来訪を告げると中から「入って」と言うお母様の声。私は「失礼します」とドアを開けて中に入りました。
「良く来ましたね、ディナ。突然呼び出してごめんなさい」
お母様は椅子に座りながら私に軽く謝罪します。
「いえ、お気になさらず。今日の授業は終わりましたので」
私はニコリと微笑んで返事を返します。ふと見やると、お母様の後ろにはひとりの青年が直立不動で立っていました。正確には青年になりたて── と言った所でしょうか? 歳の頃15、6歳だと思います。
でも真っ先に目に飛び込んできたのは、見事な銀髪でした。アイスブルーの瞳も凛々しいです。身長はスラッと高く大体170センチぐらいかしら? 白銀色の軽鎧が良く似合う、まァひと目見たら忘れない程のイケメンさんでございます。
ひと目でそう判断した私は、瞬時にお母様へと視線を戻します。
「それでお話と言うのは、お茶会の事でしょうか?」
「いえ、そうではありません」
何やらニコニコ顔のお母様── その笑顔に少し嫌な予感がするんですが── ?
「今日は確か、街にお出掛けする日でしたね?」
「はい。ジョゼリン先生が部屋まで迎えに来てくださります」
「そう、ならば丁度良かったわ」
お母様が手をパンと打ち合わせました── はて、何が丁度良かったのでしょう?
疑問に思う私を置いて、お母様は後ろに控えている青年を傍に手招くと
「ディナ、この子はレヴィ・オルティース・アルフォンソ。アルフォンソ伯爵の三男で16歳なの。今度我がクルザート家臣団の従騎士に就いた子よ。実力では騎士に迫る物があると評判なのよ」
と私に紹介します。するとレヴィ卿は右手を胸に宛てがい軽く会釈をしながら
「レヴィ・オルティース・アルフォンソです。よろしくお願いします」
と私に向かい挨拶をしてきました。えっと、こう言う時は確か……… 。
「初めまして、レヴィ卿。アルムディナ・オコーナー・クルザートです。以後良しなに」
と私はスカートの裾を少し持ち上げ、軽く片脚を引き腰を折り返礼しました。いわゆる軽めのカーテシーです。結構この挨拶だけでも、公爵家の娘と言う立場にいるからには気が抜けません。
「私は三男ゆえ実質的な継承権はございませんので、是非「氏」とお呼びください」
なるほど……爵位継承権が無いと例え伯爵の息子でも扱いが低くなるのでしたね………… 等とつらつらと考えていたら
「ディナ。今日からこのレヴィを護衛に付けます。わかりましたか?」
はい、お母様から特大級の爆弾が投下されました! その破壊力は昔地球に居た時にニュースで見たアメリカさんのMOABとかに匹敵しそうです。まあ何方も「母」が絡んでいますが!
「お、お言葉ですがお母様、私にはすでにエミリオと言う従者がおりますが?」
私は精一杯の反抗を試みます。いくら何でも性急過ぎます!
「だからこその護衛なのです。確かにエミリオは優秀です──が、いざと言う時にはやはり武に秀でた者が、常にあなたの傍らにいるべきなのです」
しかし私の意見は、にべもなく却下されます── まぁ我がお母様に口で勝てるなどと思ってもいませんですが! でも私のチート級能力なら護衛は要らないんじゃないかと思います…… そんな事、口が裂けても言えませんが!
「それに──」
おっと、お母様の話はまだ終わってませんでした。お母様は扇をそっと口に添えると
「── あなたの秘密を守る為でもありますし、ね♡」
と言って可愛くウインクしました。でもその顔は何かを企んでいるのが見え見えですよ、お母様…… 。
* * * * *
お出掛け前にすったもんだはありましたが、何とか街に繰り出す事が出来ました! 私とジョゼリン先生に侍女のルイシアとセルフィナとエミリオ君、そしてミスター・レヴィは、いつもの通り少し裕福な商人の姉妹とお付きと言う設定で変装しています。もっとも服装だけですが…… 。
それにしてもミスター・レヴィの容姿は目立ち過ぎます!
「はぁ……」
「どうしました? ディナ」
「…… いえ、何でもありません。ジョゼ姉様」
設定では姉役であるジョゼリン先生が私の溜め息を聴きつけて心配してくれますが────溜め息のひとつも出ようものです。
だって、私達の後ろでは明らかに場違い感丸出しの美青年が、市場の様々なお店や様々な人々を物珍しげに見ているんです。まるでおのぼりさん状態です。
……… これでは正直言って落ち着きません。
「レヴィ様、もしかして……この様な市井の街中は初めてなのですか?」
私は溜まりかねて、ミスター・レヴィの側に小走りで近付き小声で問い掛けます。するとミスター・レヴィは少しはにかむ様に
「お恥ずかしながら……我がアルフォンソ伯爵領では毎日剣の鍛練に明け暮れてましたので、ろくに街中には出ませんでした」
と、カミングアウトをかましてくださりました。まだ若いのに随分と殺伐とした少年時代を送られていたみたいです…… 。ちょっと母性本能がくすぐられます── 外見は12歳の少女ですが。
私は意を決してミスター・レヴィ── いえ、レヴィ様の手を取ると
「せっかくですし一緒に見て回りませんか?私は何回か訪れているので、多少は案内出来ると思いますが……」
とお誘いしてみます。するとレヴィ様は一瞬目を瞬かせると、急に焦ったみたいに
「いけません! アルムディナ様に案内させるなどと──」
などと言い、ワタワタし始めました。流石に慌て過ぎでは無いでしょうか? 仕方ない、ここは趣向を変えて見る事にしましょう。
「── ディナ」
「は?」
私は顔を少し俯き加減にし、やや上目遣いでレヴィ様を見つめます。レヴィ様の身長170センチ、私は151センチ、こう言う時こそ身長差がものを言います。
「今の私は、ただのディナです」
ちょっと口など尖らせて拗ねた仕草をしますと、レヴィ様はハッと何事かに気付いた顔をし、そして「申し訳ありません」と、頭を下げようとしたので私は急いで彼を止めました。
そんな事をされたら、せっかく街の人達に身分を隠しているのがバレてしまいますからね── 既にバレている気がしますけど。
「なら案内させてくださいませね♡」
私はニッコリと満面の笑みを浮かべながら念押しすると、レヴィ様は穏やかな笑みを浮かべながら「よろしくお願いします」と答えます。
うん、やっぱりイケメンさんは笑顔が眩しいですね!
ふと気が付くと、ジョゼリン先生もといジョゼ姉様がこちらを見ながらニコニコしつつ
「ディナ、お話しは済みましたかしら?」
と、ひと言告げてきます。あ…… これは、やらかしてしまいましたね…… 。
よく見ると、エミリオ君とルイシアとセルフィナは近くにいるお店の人にわざと話し掛けて、気を逸らしてくれていました。
「ごめんなさい……」
私はすぐさま謝罪します。ついミスター・レヴィとの話に夢中になってしまいました…… 。
ジョゼ姉様はついと近付くと耳元で「ディナ様、お気を付けくださいませ」と小声で注意を促してくれました。
「ではディナ、先ずは大通りのお店に行きましょう」
そしていつもと変わらない嫋やかな笑顔で、何でも無かったかの様に話し掛けてくれます。まるで本当の姉妹であるかの様に振舞ってくれる、ジョゼリン先生の優しさに心の中で何度も感謝の言葉を唱えながら、私はレヴィ様に「行きましょうか?」と問い掛けます。
「はい、宜しく御願い致します」
レヴィ様が返事とともに私の小さな手を取ると、私はニッコリ微笑んで、共に姉様の後ろに付いて歩き始めます。
その後ろから何やら買い込んだエミリオ君と、同じく買い込んだルイシアとセルフィナが付いて来るのが見えました── どうやらさっき話し掛けていたお店の人に何やら買わされたみたいです。
無駄遣いさせたかしら…… と言う的外れな感想をチラッと考えながら、私達は少し混んできた人波を縫う様に歩みを進めるのでした。
はっ?! ここでこそ魔眼を使うべきでしたね! 後の祭りですが!