二話 ひみつの木
俺は今、息を少し切らしながら自分の部屋のドアとにらめっこをしている。
ここを開ければ、きっとまた小言の嵐だ。そう思うとどうしてもドアに手をかけることができない。
良い言い訳があればよいのだが、それはないと先程アンが証明した。
――くそ!
俺の心は色々と悔しい気持ちで満杯だ。
俺の頭からはつたない考えしか浮かんでこない。どうすればこの局面をのりきれるのか……。
そして俺は、ある一つの結論を導いた。
――そうだ。とりあえず逃げればいいのだ。
何も今、蜂の巣をつつく必要はない。むしろしないほうがいい。少し時間が経って母さんの溜飲が下がった頃にいけば、いくらかはマシになるはず!
そう、思うことにした。
そして、俺は自分の部屋の前から忍びのごとく気配を悟られぬよう静かに歩を進めた。
焦ってはならない。が、なるべく早くここを去らなければ……。自分の考えを頭の中で復唱し、確実にバレないように歩きを続けて進めた。
「サナ……どこに行くの? 畑に行くには少し遅いんじゃない?」
穏やかな声だが少し怒気の混じる、そんな聞き覚えのある声に、俺の体は鋭く反応し床の音がギシッと鳴る。
「か、母さん。私は……そう! スペアの帽子を取りに来ただけだよ? それでいつもより少し遅めに家を出る所なの」
今、後ろは振り向けない……いや、振り向けたくない!
こんなにも振り返ることを躊躇したくなることは久しぶりな気がする。
「はぁ……あなた、今帽子をかぶってるじゃない?」
「今日はこの帽子の気分じゃないっていうか……ね? そういうときもあるでしょ?」
俺のつたない言い訳に、母さんは呆れたようなため息を一つついた。
「そんな怠け者だと、嫁の貰い手に困るわよ? あなたももうあと少しで14歳。相手を見つける時期なのにこんなのじゃ父さんも困るわよ」
そう、この異世界では ――忌まわしいことに―― 十四の歳で許嫁を作るのが習慣となっているのだ。
たしか……神話の話がその習慣の元で、十四歳までに互いに導かれ、惹かれ合う相手をみつける。さもなければその地に病の元が舞い降りて、みなを不幸へと導く。
そんな話だった気がする。
「そんなの言われなくてもわかってるわよ、母さん」
「わかってないようだから言ってるんだけどねぇ……まったく」
俺のやり投げな返しが引っかかるのか、母さんはまた一つ大きなため息を再びついた。
「サナ。今から畑仕事を手伝うのはもういいから、代わりに森で血止めの薬草を採っきてちょうだい」
血止めの薬草は、町の少し外れた森の中にたくさん生えている。木の陰に自生する植物で、森で傷ついた獣はその葉をよく好んで食べるという。
特にその新芽は血止めの効能が普通の葉より強く、よく町の子供たちが夏の小遣い稼ぎのとして、格好の獲物としている。
「でも母さん、この間見に行ったら結構な数が採られちゃって、今はまだそんなに生えてないと思うけど……」
「うーん、でも家にある在庫も丁度なくなってしまったことだし……大、変、だとは思うけど少しでもあれば採って来てほしいわ」
『大変』の二文字に様々な気持ちが凝縮されてることを肌にひしひしと感じる。
母さんのこの威圧感、まさに納屋でのアンそのものだ。
「サナ、返事は?」
「はい、行ってきます……」俺は自分でもびっくりするほどの棒読みの声でそう答えた。
俺は少し重い足取りで二階を降りた。
気分はとくだん落ち込んでいるということはない。
ただ、なんか気がのらない。
森の中で子供のお使いをさせられる、というのが気持ちをそうさせるのだろう。
母さんの言った通り、私は近日中に大人への階段を一つ登るわけだし、こんなことをする自分がなんだかみじめになってくる。
いやまあ、体が女でも心は男なんだから、正直そういったお見合いみたいな話も嫌な訳なんだけれども……。
俺がそんな文句をブツブツ心の中で唱えているうちに、森のそばにもうついてしまった。
森に入る前に木々のざわめきや鳥たちの鳴き声を聞いていると、ふと心の中に思いつきがよぎった。
――『ひみつの木』を見に行こう。
まだ俺小さい頃、それこそ血止めの薬草をみんなでむしって小遣い稼ぎにせいをだしてるとき、ふと何気なく目に止まった木があった。
それはなんの変哲のない木だったのだが、周りとは違う、なにかのオーラをその木に俺は感じた。
横にはアンもいたが、とくだん何も感じていない様子だった気がする、それよりかは早く家に帰りたそうなそうな顔をしていたな……。
――あの頃はまだ可愛い妹だった、ほんとに。
大体、頼まれた薬草自体は畑仕事とは違い子供のお使いみたいなもので、別にはりきってやることでもない。
久しぶり気楽に探索でもするのもいいかもしれない。
「あの木、まだあるといいな」
時刻はわからないが、太陽はちょうど頭上の真上に登りかかって森の姿をキラキラと輝かせている。