Bloody Queen
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流血シーンがあります。
苦手な方はお気をつけください。
流血レベル:鼻血ブー
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すでに日は暮れてとっくのむかしに辺りには夜の世界が展開されていた。夕方には帰るつもりだったのに、しょーがねぇな、まったく。
だいたい、今日があの日だということに気づいたのが昼を過ぎてからだったのがいけなかった。それというのも、オサ島で脱出が少々おくれたために、貴重な休暇のうちの一週間を病院で過ごし、あとは自宅のベッドで療養していたため、日にちの感覚がボケちまっていたせいだ。身体のほうも、いまはもう何ともないが、かなり怠けさせたせいか、いきなり遠出したせいか、足がなんとなくダルい。
こうなりゃ、遅くなりついでだ。一杯ひっかけて帰ろう、ってなことであたしは手近なバーに足を向けた。
パト、という変な名前の店にした。
何気なく足を踏み入れてしまってから、あたしは息をのんだ。
何なんだ、この店はっっ。
至るところ全部、地球連合軍の制服ばかりじゃないか!
察するにあたしは、奴らのたまり場に入り込んでしまったようだ。
予期せぬことに、ついその場に立ちつくしてしまった。中にいた奴らが静まり返ってあたしを注視しているのは気のせいだろうか? いや、ヤバいっ、と思った。
上層部の腹芸の達者な年寄り連中はいざ知らず、佐官クラス以下の地球連合軍と地球連合宇宙軍は仲が悪い。それはまだ共に両軍あわせて地球連合附属の治安維持軍だった時代からのことである。
長年にわたって堆積して凝り固まったライバル意識なんざ、傍で見てるぶんには問題ないが、傍でないときは大問題。いまはまちがいなく大問題だ。
しかも、軍人と一口に言ってもここにいるのはほとんどが下士官。上で中尉、大尉くらいか? この手の輩は(よそばかりを偉そうに言えんが)ガラが悪い。
同じ軍人同士、慣れていればべつにどうということはないが、どんな集団にも酔うとしつこく、絡んでくる奴がいるものだ。
四面楚歌ってこんな感じか?
古代の人は状況を正しく伝える言葉をうまく考えたものだ。あたしの背に、冷や汗が流れる。
ここは、ともかく弱みを見せてはいけない。あんたらなんぞ、気になんかしてませんことよという顔をしつつ、最悪、退却戦に持ち込むしかないかと覚悟を決めたときに、ヒュウと誰かが口笛を吹いた。
へ……?
奴らが色めき立った理由を悟って、あたしは周囲を睨めつけた。同時にため息。
あたしは、あたしが宇宙軍だから奴らが臨戦態勢に入ったのだと思ったのだが、そんなはずはなかったのだ。
今日はあたしの旧友の命日で、墓参のためにあたしは黒いスーツを着ていた。服装から職業はわからない。おまけに夜だというのにサングラスしたままだったのでメンがわれるはずもない。
自慢じゃないがあたしは背が百七十八センチ、ある。髪は黒髪で腰まで。こんな女が黒い服きてグラサンかけてみろ。
粋な着こなしをしたスラリとした美人? だとアホな野郎どもは思ったにちがいない。フン、かばとっとめが。
ぶしつけなやーらしい視線を黙殺してカウンターの前の席に腰を下ろした。
「ブラッディ・クイーン」
短く注文してあとはそっぽを向く。
ブラッディ・クイーンというのはウオッカを純度百パーセントの火星ソーダで割ったカクテルである。名前こそ殺伐としてて物騒だが、うす紅のソーダ水みたいなスイートなカクテルだ。火星ソーダの炭酸がクセモノだが、それもご愛嬌、おしめりにゃあこれくらいがいい。
うやうやしくバーテンがカウンターに置いたカクテルをあたしが口に運んだとき、なんともキザったらしい声が頭上から降ってきた。
「お嬢さん、同席してかまいませんか」
「どうぞ」
相手を見もせず、無愛想にあたしは言ったのだが、隣に座ったそいつを何気なく見て、手にしたブラッディ・クイーンをひっかけてやりたくなった。
顔は、まずくない。なんといっても、こんだけの人数の中から声をかけてきた男である。身長もヒールを履いたあたしよりは高いだろう。いうなれば世間一般的なハンサムなのだが、本人がそれを充分意識しているらしいのが鼻につく。
階級章は中尉だ。横に広がった楕円の記章は地上部隊のものか、うーん。
内心あたしはうなったのであるが、奴のおかげで不遜な野郎どもの視線があんまりこなくなった。いくら張り合っても、こいつが相手ではかなうまいと思ったらしい。そういう点からいうと、感謝すべきなのかもだが、こいつの金髪とエメラルドの瞳を見るとヤな奴を思い出しちまうんだよな。
一息にブラッディ・クイーンをあおる。
強烈な炭酸ソーダが喉を灼いた。
いきおい、グラスを叩きつけるようにカウンターに置く。くすくす笑いながら男はあたしの指先から空のグラスを抜き取って向こうへ押しやった。
「いけないひとだ」
とか何とかほざきながら、人の指にてめぇのを絡めるんじゃねえっ。このボケ。気色の悪い!
怒鳴りつけようとしたらゲップが出そうになったので黙ってたんだが、手だけはしっかり振り切ってやった。
それでも奴はまだ余裕たっぷりに笑いやがった。
「このひとに次を」
さらりと追加を頼みやがる。あたしを酔いつぶそうってのか。
「てめえにンなことされるいわれはないわいこのタコ!」
厳しく言ってやったが、何であれ言葉をかけたことが相手をつけ上がらす原因となってしまった。
「あなただなんて他人行儀な。エディと呼んでください。あなたの名は? 美しいひと」
いい加減、キザ野郎には慣れていたつもりだったが、どうもいかん。一発で怖気が立ってしまった。
と、そのとき──。
新たに店に二人連れが入ってきて、他の奴らとのあいだに緊張が走った。なんとなれば、そのふたりは、連合宇宙軍の制服を着ていたからである。
あたしはエディの野郎のことなんざ忘れて、事のなりゆきを見守った。
不用意にこの店に飛び込んで、あたしと同じく四面楚歌してるこのふたりを、あたしは知っている。
マイケル・ドナマとヤン・オブシジアン。
双方共に地球連合宇宙軍中尉で、かつてあたしの部下だった奴らだ。いまは金星基地へ行っているはずだが……?
ともかく、はっきりしていることはこのふたり、酒とケンカには目がないのである。一対二どころか、一対百だろうと平気でやっちまう。
止める間もあらばこそ、そのへんの有象無象を相手に乱闘を始めた。しょうがねぇ奴らだ。
「……止めなくていいの、中尉どの?」
ふたりが悦び勇んでかかってくる下士官どもを殴り、また殴られている様を見ながらあたしは訊いた。むろん、いざとなったら助っ人するつもりではある。
エディはただおもしろそうにあたしを見ていた。
「あんな宇宙イモに情けをかけるんですか?」
宇宙イモ──地球連合宇宙軍を対象に用いられる悪口の常套句だ。
それをのほほんとほざきやがった男に、あたしはブラッディ・クイーンをぶちまけてやった。
「なっ……!」
はん、ざまをみ。
いたくプライドを傷つけられたようにうち震える奴を尻目に、立ち上がってドナマとオブシジアンの様子を見る。大丈夫、まだまだ元気だ。
「いくら女性といえど」
一言もの申そうと立ち上がったエディを牽制するため、グラサンはずしてガンをとばしてやった。ガンをとばしてやったらば……奴めはびっくりしたようにつぶやいた。
「うっ……美しい……」
そう思ったからナンパしてたんじゃないのか? わけのわからん奴め。あたしは少し脱力する。
そこへ、ドナマに殴られた奴がよろよろとカウンターに倒れかかってきた。健気にもそいつは、そこにあったボトルをひっつかんでまた乱闘に加わろうとする。
次の瞬間、あたし自身、知らずしらずのうちにそいつの足をひっかけていた。
派手な音をたてて、まだ余裕ありげに見物していた奴らのテーブルが惨劇に見舞われ、怒ったひとりが突っ込んだ男の胸ぐらをつかんで立たせる。
「ちっちがう。あの女が俺の足をっっ」
鼻血をたらしながら懸命にそいつはあたしの方を指し示した。
「っのアマっ」
凄みをきかせて同じテーブルについていた三人が詰め寄ってくる。あたしは静かにジャケットのボタンを外した。無言でかばおうとした(!)エディに渡す。
「悪いけど、しばらく預かってて?」
にっこりと笑って交渉しているところへ、でっけぇ手でパンチを繰り出された。あたしが的確によけると、パンチは見事エディにヒット。あわれ色男はカウンターの向こうへぶっ倒れた。
「あーあ、かあいそーに」
次をかわしながらよろけたフリをして膝の裏に軽く膝打ちを入れる。前にガクンとのめったところへ顎にトゥヒールの直撃をかます。
これでひとり始末できたのはいいが、いまの蹴り上げでスカートのボタンがすっ飛んで左側が足のつけ根までのスリットデザインになってしまった。その開放感ときたらハンパない。
すかさず体勢を立て直して残るふたりに対して身構えると、殴られてもいないのに鼻血を噴いている。
あ? 脚か? スカートの中が見えたのか?
なんて奴らだ、まったく(パンツは穿いているが)。
害はなさそうなのでこんなのは放っておくことにして、あたしは宇宙軍の凸凹コンビを目で追った。
うん、わりあい、オブシジアンのほうは善戦しているようだった。が、ドナマは羽交い締めされて、いまにも数人で袋叩きにされそうになっている。
「ドナマ!」
あたしが叫ぶと、奴はこっちを見た。その目が驚きに見開かれる。
「気をつけーっ」
右腕を振りまわしながらあたしは号令を下した。ドナマばかりか、その周囲も身体を固くして直立不動になる。条件反射というやつだ。
「十度の礼っっ」
叫びながらドナマの方へ突っ走る。
すでに奴にはあたしがやろうとしていることがわかったらしい。つられて十度の礼をした連中はあたしの足音を聞きつけて顔を上げたのに、奴はうつむいたままだった。ホント、他のことはさておいてケンカのこととなると頭の冴える男だ。
ドナマを押さえこんでいた野郎は、あたしのラリアートを受けてひっくり返った。
「しょおさどのっ♪」
「あほたれ、いまは中佐だ!」
返す刀でひとりのどてっ腹にストレートをくらわせて振り返って周りを見ると、どうも情勢が悪くなってきている。もともと、苦戦中のところへ加勢に入ったんだから文句は言えないが。
とりあえずドナマと背中合わせで次の獲物を物色しているところへ、あたしの声を聞きつけたオブシジアンが能天気にも声をかけてくる。
「中佐どの、こんばんわっす」
あぐっ、緊張感のねえ野郎だ。ぶんぶん手を振りながら手近な奴に地獄突きをかましてやがる。器用なやっちゃ。
「中佐どの!」
ドナマがあたしの注意を促した。背後に回り込まれていた。
「こンのチカンめがあっ!」
こちらから距離をつめ、相手の肩をつかまえて鳩尾に膝蹴り、うずくまった首筋に手刀を落とす。すかさず次がくる。体勢を立て直すいとまはない。前に深くかがんだ姿勢のまま左脚を強く後ろへ跳ね上げた。
狙いはあやまたず、あたしのヒールは相手の顔面を正面から打ち砕いた。
うす汚れたフロアに鹿の子まだらにばたばたと真新しい血のりが散る。
それから、あたしに鼻を折られた男はゆっくりと後ろに倒れ、辺りには静寂が訪れた。
もはや立っている敵は十人そこそこだ。
そいつらがみんなあっけにとられてあたしを見ていた。
「──おっ女、貴様、何者だ!」
ややあってひとりが乾いた声で尋ねた。その訊き方が気にくわないのであたしは無視してやった。ドナマとオブシジアンはニタニタ笑いながらそれを見ている。
「さっき中佐だとか言っていたが、おまえ、連合宇宙軍なのかっ?」
「「「─────っ!」」」
仲間の言葉であたしが誰なのかわかったらしい奴らが、陸に揚げられた魚のように口を開けてパクパクさせている。
「いかにも」
そこまで言わせて黙っているのもなんなので、短くあたしは応えた。片頬で笑いながら低く切り出す。
「そんなに知りたいんなら教えてやるよ。あたしの名前はエテルナ・ラバウル、地球連合宇宙軍の」
言い終わらないうちにどよめきが起こり、あたしは遠慮のない無数の視線に曝れた。
「エテ、ルナ……ラバウル……?」
誰かがつぶやき、次の瞬間にはあたしはひとりだけで完全に取り囲まれていた。
距離が近いっ!
「あっ中佐どの!」
「中佐どのぉ、生きていますかぁ?」
あわてて二人組が人ごみを割って入ってきたが、すでにあたしは押し寄せてきた肉壁にもみくちゃにされていた!
そこを、何とか突破してカウンターの向こう側へたてこもる。
なっ、何なんだ、いったいっ。
「なんか様子が変ですよ、中佐どの」
ドナマが口早に話しかけてきた。無言でうなずく。
「まさか、俺たちが金星へ行ってるあいだに連合軍とやりあって恨みを買っているとか」
「うん、それはありえる」
「ありえるわけなかろうが、バカ!」
ずっと任務で外洋航路にいて、帰還してすぐ入院して自宅療養してたんだ、連合軍なんかと関わる接点なんぞ、ない。
「あたしにだって、わけわかんないんだからなっ」
キレてもいい状況なんではないか、という気持ちで宣言すると、
「それはあなたがエテルナ・ラバウル中佐だからですよ」
親切に教えてくれる人がいた。見れば先刻、あたしの代わりにパンチをくらってカウンター裏でのびていたエディではないか。
「どーゆう意味よ、それ」
「軍人ならば誰だってすばらしい軍功のある勇者を崇敬するでしょう」
「あ、そうか」
「納得、納得」
ふたりはそれだけでさもわかったようにうなずいたが、それにしてもとあたしは思う。すると、エディはいい笑顔で付け加えた。
「あなたは確か、女性で初めて宇宙功労賞を取った人だし、その後の活躍だって相当なものだ。ましてや若くて美人、それもとびきりの。ゆえに、犬猿の仲の連合軍人にだって崇拝者がいたっておかしくはない」
「う、嘘だろ?」
頼むから嘘だと言ってくれ。
だがあたしの願いもむなしく、すっかり意気投合したように三人は楽しげにほざきやがる。
「中佐どのは美人だからな〰〰」
「グラマーだからな〰〰」
「足も長いし〰〰」
「でかいし〰〰」
無遠慮にもあたしの足がでかいと言いくさったドナマにゲンコツを落とす。
「ざけんじゃねえっ。あたしは軍人だぞ。そのへんのパープー歌手やらアイドルやらと一緒くたにされんのはごめんだっっ」
やってらんないので帰ろうと、立ち上がった。そしたら、とたんに待ち受けていたのはカウンターを注視する連合軍人どもの、ひたむきなまなざし……!
あたしは言葉もなくそれを受けてしまった。
「中佐どのっ」
そこへエディがブラッディ・クイーンのグラスを差し出す。その意図するところを悟るより早く、あたしは口を切っていた。
「地球連合軍の諸君──」
その一言で、完璧にすべての意識があたしに集まった。
「わたしは地球連合宇宙軍のエテルナ・ラバウル中佐である。諸君も知ってのとーり、我々の属する両軍は長年にわたって同じ地球連合の附属機関として発足しながらも、不幸にして相反する残念な道のりを歩んできた。しかし、わたしは今夜ここに、偶然にも諸君らとめぐり会い、スキンシップ(どこが!)をはかるに至って、より一層、諸君らの真髄をきわめたように思う」
あたし自身、何を言ってんのかわからんのだから、聴いてるほうもちんぷん、かんぷんだろう。だが、それでも止めようがないからあたしは思いつくがままに言葉を継ぎ、連中も陶酔したようにそれに耳を傾けている。
スピーチは、勢いだ!
すでにこの時点で全員がいつの間にか酒盃を持たされていた。あのふたりの仕業である。
あたしはエディからグラスを受け取り、高々と掲げて先を続けた。
「わたしはここに諸君らとの邂逅を祝す。同時に、両軍の輝かしい未来を祈って──乾杯!」
言うなり一気にグラスを干した。
ここは成り行きに任せて、うやむやのうちに丸く収めるべきとみた。わけのわからん演説もそのためのものだ。
そして、あたしの思惑どおり、事態はそのまま酒宴へとなだれこんだ。
ここまでは、いい。
これが縁で連合軍にツテができたのもいい。
ただ、問題なのは……翌日あたしがしっかり、二日酔いになっていたことである。う〰〰。
複数の酒をチャンポンで飲むと悪酔いするというセオリーを守って、あたしは一晩中、ブラッディ・クイーンを飲んでいたのだ。けっ!
あたしゃ当分、ウオッカを火星ソーダで割ったカクテルなんぞ、飲むもんかと思った。
『Bloody Queen』
ぶらっでぃ・くいーん
── 了 ──
『RETURN』の後日譚となっております。
これを書いていた当時、赤い色のフルーツ味の炭酸飲料が新発売されて話題になっていたから火星ソーダが書きたかった、と記憶しています。
ちなみに私は下戸です。
お酒は大人になってから。
大人になっても、無理して飲まなくても、世の中には美味しい飲みものがたくさんありますよ♪
今回もおつきあいくださり、ありがとうございます。