湾田、新たな就職先が決まる回
魔道具の術式や機構については「そういうもん」で飲み込んでください。
アルメリアに「直してほしい」と言われた小瓶型音声レコーダー(仮)を手に、湾田が作業部屋にこもって半日経過した。
夜更けになっていた。
「まだやってたの?」
「ノックくらいしてくれよ、心臓に悪い」
湾田が恨めしげにそう言うと、アルメリアは丸い目をぱちぱちさせながら壁を素早くコココンと叩いた。
そうじゃないし、今じゃない。
「多少浄化魔法はかけたけど、のめり込みすぎは身体によくないと思うよ」
「いやこれは魔法関係ないよ。もともとそういう性分なんだ」
「それで身体を壊したんじゃないの?」
「どうだろう、そんな風に原因が分かっていればまだよかったかもしれない」
湾田は自嘲気味に笑った。
湾田の感覚では、自分の体調が悪くなったのは本当にある日突然だったのだ。
アルメリアは首を傾げて何か言いたそうにしていたが、「ま、いっか」とひとり呟いた。
「ちなみになんだけど」
湾田が切り出した。
「期限はいつまで?」
「特にないよ。できないなと思ったら匙投げていいし」
「いや、できそうな気がするから訊いたんだけど」
「できそうな気がする」
「ああ、何が起きているかと、どうしたらいいかは分かった……と思う」
「……詳しく聞こう」
戸口に立ったままだったアルメリアは手近な椅子を引きずりながら湾田とキャンバスのほうへ寄ってきた。
「このキャンバスに書かれてるものが音声入力と出力の呪文なんだとしたら」
湾田はキャンバスを指さしながら説明する。
「おそらく、この冒頭から何度も出てくるサインが入力値」
「入力値」
「つまり、吹き込んだ声……の信号か何かなんだけどな、本来は」
後半部分はアルメリアには分からなくてもいいやと言わんばかりに湾田はぼそぼそと呟いた。
「で、こいつをもう一度この瓶の外に戻してやらなきゃいけないんだけど、どうやら出力に関わっているであろう構文のところがね、」
「そんなこまかく説明されたってわかんないよ」
そういえば、そうか。
「つまり、この下から三行目にあるこのサインを、この部分にコピーする……まあアナログだから手書きだな」
湾田はそう言いながら、作業机に転がっていた適当な鉛筆で追記する。
キャンバスに書かれた呪文の最下行のうち、不自然な空白が存在していた箇所をサインで埋めた。
「貸してもらった技術書を読んだ感じ、多分こうなんだよな。問題はこいつをどうやってあの小瓶に配置するのかってことで、」
「それならできるよ!」
アルメリアが深夜のボリュームなりの元気な声でそう言った。
立ち上がって、キャンバスに杖を向ける。
「離れて」
アルメリアにそう言われて、湾田は椅子ごとキャンバスから遠ざかり、作業部屋の壁際まで避けた。
「順応せよ」
アルメリアの呪文とともに、キャンバスが強い光に包まれる。書かれているはずの文字は、眩しくて見えない。光は小瓶を突っ込んだままのガラス鉢に向かって直線に伸びる。
今度はガラス鉢が強い光を集めるようにチカチカと輝き、最後に一瞬青白くなったかと思うと光は消えた。
あとには透明な液体に満たされたガラス鉢とその中の小瓶、そして何も書かれていないバカデカキャンバスが残った。
「……戻した?」
湾田がおそるおそる訊いた。
「そんなとこ。さあて、と」
アルメリアはガラス鉢に手を突っ込んで小瓶を取り出す。ぞんざいに二、三回振って水滴を落とすと小瓶は自然に乾いた。
捻って蓋を開けると、瓶の口を自分のほうに向けてアルメリアは言った。
「赤ん坊を泣き止ませるより百人の魔法使いを火刑に処すほうが簡単だ」
だからそれはなんなんだよ、と湾田が言おうとしたそのとき――
『赤ん坊を泣き止ませるより百人の魔法使いを火刑に処すほうが簡単だ』
それは瓶を揺らすようにして聞こえた音だった。少しくぐもってはいるが、間違いなくアルメリアの声が小瓶の中を震わせて再び響いたのだ。
アルメリアは大きく目を開いて、顔を輝かせた。驚きと喜びが混ざっていた。
「直ったよ、ねえ!」
「……え、本当に」
湾田だって自信はなかったのだ。
だって初めてきた世界、初めて見る魔法、初めて見る呪文。
「君ならできるんじゃないかと思っていたけど、まさか本当に、それもこんなに容易く」
「容易くはないぞ。相当頭使った」
「それは失礼」
「まあ、いいよ……その、なんだ、直ってよかったな」
「本当だよ、ねえ君これからもここでこの仕事しない?」
「えっ?」
アルメリアがあまりにも自然な流れでそう言うので、うっかり湾田は聞き逃すところだった。
「仕事?」
「君が気にしていた対価だよ。君はここにいていい。元気なときに、今日みたいに調子の悪い魔道具を直してくれない?」
「……えーと、それは」
「これなら君をタダでここに置くことにはならないだろ? どうかな」
湾田はどう返事をしたらいいものか考えあぐねた。
今夜、たまたま上手くいっただけかもしれない。安請け合いしていいものなのだろうか。
「自信がない?」
アルメリアは短い言葉で痛いところを突いた。湾田は自嘲するように笑いながら答える。
「正直なところ、仰るとおりだ」
「でも君はこれが読めるんでしょう?」
アルメリアが指さしたのは技術書もとい魔術教本だった。
そうだ、湾田は今夜初めて見たはずのこれが何故か“読めて”しまったのだ。
「君一人じゃないよ。魔術教本もあるし、オーナーも魔道具には詳しいはず。私もいるし」
アルメリアは胸を張った。魔道具修繕はできないんじゃなかったか、と湾田は思ったが言わなかった。
「ね、だから私たちの仕事――魔道具工房『白鳩』の仕事を手伝ってくれないかな」
湾田はしばらく俯いて考え込んでいたが、やがて意を決して顔を上げた。
「やるよ」
アルメリアと視線がかち合う。アルメリアは声を出さずに唇で弧を描いて笑った。
『やるよ』
小瓶が震えて湾田の声が再生された。いつの間にかアルメリアが蓋を開けて湾田の声を取り込んでいたのだ。
「ふふ、言ったね?」
アルメリアの笑みは、してやったり、というそれだった。
湾田は苦笑しながら返答する。
「言ったよ。言質とらなくたってやるよ」
「わかってるよ。じゃあ、あらためて――」
アルメリアはすっと手を差し出した。
「私はアルメリア・ワンダ。アルって呼んで」
湾田はそういうことか、と理解してアルメリアの手を取る。
二人は握手を交わした。
「俺は湾田古太郎。湾田でも古太郎でも好きに呼んでいい」
「よろしく、フルタロー」
「……よろしく、アル」
それは、窓の向こうで海の上に三日月の輝く、異世界生活一日目の出来事であった。
しばらく留守にしておりましたが、その間もアクセスしていただいていたようで本当にありがとうございます。
これからも人生にゆとりがあるときに執筆するスタイルのまったり更新ですが、よろしくお願いいたします。