魔道具工房に到着した回
海辺の町っていいよね
ルビーの靴の、かかとを三回。
そんな魔法があると信じていた幼少期。
そんな魔法があったらなあと思った思春期。
それから数十年。
実際に魔法使いのいでたちをした美少女が現れて「君に用事があってここに来た」なんて言われて警戒心も疑問もなく素直に信じて喜べるほど、湾田はもう夢見る少年じゃなかった。
「私はアルメリア・ワンダ。君に用事があってここに来た」
「は?」
声が裏返った。
「俺に?」
「そう。だから一緒に来て」
「どこへ? っていうか用事って何?」
「詳しいことは向こうで話すから。いいから来て」
そう言いながら魔法少女は――アルメリアは扉を開けたままの書棚の中に歩いていった。
一歩踏み出すごとに、整然とした棚の中にアルメリアの姿が影のように消えていく。
「は!? 嘘じゃん!」
「ほら、君も早く」
「いや、え!? 何! 何ですかこれ!?」
もう物わかりのいい素振りは出来なかった。
駄目だ、何も分からない。
そんな湾田にアルメリアの気楽そうな声が飛ぶ。
「怖いの?」
「は!? べ、別に怖か……いや怖いわ! 物理法則を平然と無視するなよ!」
「あー、私あんまり法律とか分からないからさー。怖かったら目をつぶって突進するといいよ」
法律の話は誰もしていない、と突っ込むだけの余裕はもうなかった。
アルメリアはその間にもずんずん進んでいってしまったようで、「何モタモタしてんのー?」という声が随分遠くから響いてくる。まるで書棚の向こうに洞窟でもあるかのようだ。
目の前にはいつもの書棚だけが残された。
どうかしている、と思いながら湾田は意を決して目を閉じた。
それから床を強く踏み込んで、大股二歩で書棚に肩から突っ込んでいった。
思っていた衝撃はいつまでたっても来なかった。
湾田が目を開けると、どこまでも暗闇だった。自分の目先一歩だけは何故か見えるものの、手を伸ばすとその手は黒い靄のなかに消えていく。
まるで溶けていくかのようだった。
「ついてきてるー?」
小さい子どもが無邪気に親を探すような声が聞こえた。姿は確認できないが、アルメリアが前のほうにいるようだ。
「いるよ。何も見えない」
「私が案内するから大丈夫、って言ってもこのまままっすぐだけどね」
「そう言われたって、こんな暗闇でまっすぐ進むほうが難しいぞ」
「えーとね、足が進むほうへそのまま、って意味。それでたどり着けるから」
湾田はアルメリアの言うことがイマイチ信用できなかったが、それでも言われた通り足を前に進めた。入ってきたはずの書棚やその向こうにあるはずの自分の部屋はもうとうに見えなくなっていた。
どれくらい進んだだろうか。暗闇では時間の流れも曖昧に感じた。
「そろそろのはずなんだけどな」
前方でアルメリアがぼそぼそと呟いている。先ほどより声が近くなった気がする、ということはアルメリアはそこで立ち止まっているということだ。
「なんだ、迷子か?」
湾田は冗談で言ったが、アルメリアが迷子だとしたら二人してこの暗闇に取り残されているわけで、冗談では済まない。
「いや、迷子じゃないんだけど……」
「だけど? だけどなんだよ」
「私も世界間移動は初めてだったからなあ……あ、これか? これだな」
湾田がまたも聞きなれない単語を問い質そうとしたとき、コツコツという音がした。
アルメリアが何か壁のようなものを靴先で蹴っているようだった。
「開けっ」
脳裏に小さな六個入りのアイスがよぎったそのとき、湾田の眼前に光が差し込んだ。
「眩しっ」
「うん、これで正解だ。さあおいで、着いたよ!」
アルメリアは言いながら光に向かって進んでいき、そして光の向こうに消えた。
一筋差し込んだだけだった光はいつの間にか大きくなって、人が屈んで通れるくらいの大きさになっていた。湾田はおそるおそる身を屈めて、その光を潜り抜けた。
そこは古びたアトリエの一角だった。天井は高く、時代を感じさせる太い木の梁がむき出しになっている。きっと三角屋根の建物なのがよくわかる。
少し曇った窓からはオレンジ色の温かい光が差し込んで、板張りの床を照らしている。
部屋には大きな作業机。こちらも使い込まれていて、ところどころ傷がついていた。
ミシンや万力によく似た機械が隅に並んでいる。
湾田が振り返って壁際を見ると、天井まで届かんばかりの大きな棚があった。
その棚の下のほう、扉付きの保存棚からアルメリアと湾田はここへ出てきたようだった。
さっきまで光っていたその保存棚は、湾田の部屋の書棚と同じように、ただの空き瓶が転がる棚に戻っていた。
「満足した?」
いつまでもあたりを不思議そうに眺めたままの湾田に、アルメリアが声をかけた。
「つい感心して周りを眺めてしまうでしょ?」
「ああ」
「さっき、君の部屋に着いた私もそう」
湾田は、自分の部屋に飛び出してきたアルメリアが何故か微笑みながら部屋中を見回していたのを思い出した。
「……ここは?」
湾田は真剣な顔をして、アルメリアに訊いた。
アルメリアは自慢げに答える。
「ようこそ、魔法連合王国ナイクラバスは南東部、レンバル州の魔道具工房『白鳩』へ」
明るく言ったアルメリアのうしろにある窓からは、なだらかな白い街並みの遠くに海が見えていた。
異世界に到着してしまいました。
さあ、どうなるどうする湾田くん。
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