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では主人の許しを得ることができたので別の仕事に取りかかることにしよう。
「では、自分は次の仕事があるので。お着替えがお済みになりましたら、下のリビングにお越しください。朝食を用意してまっていますので」
「いつものことだからわかってる。ほんと毎日毎日、同じように言わなくてもいいでしょ。いちいちうるさいわね」
「それでは、失礼します」
「あっ、ちょ、まだ、終わってないんだけど!」
「何かございましたか?」
「え…、い、いやー、そのー…」
「なにもないご様子ですので私はこれで。次の仕事がございますので」
「は、はぁ!?私より仕事が大事だっていうの?」
「いえ、そういうつもりではないのですが」
「じゃあ、少し付き合いなさいよ」
いつものように沙羅が話し始める。俺はこのたわいない話に花咲かせるこの時間が何気に好きだ。沙羅の方も同じように思ってくれているらしく、ときおり笑顔を見せてくれる。
そうこうしているうちに朝食の時間が近づいてきた。
「楽しそうなところ申し訳ございませんが、そろそろ朝食の時間が近づいてまいりました。私は支度などがございますので」
「もうそんな時間なのね。あなたも仕事があるのよね。そっちの方に早く行きなさい」
「ありがとうございます。では、失礼します」
扉を閉める直前にちらりと見えた、沙羅の名残惜しそうな表情が印象的だった。
こうして解放された俺は廊下を歩いていた。いかんせんと手も長い廊下だったので端から端まで行くのに少しばかり時間がかかる。
廊下をわたっている間、沙羅のあの表情が頭の中によぎる。薄幸の美少女なんて言うけど、あれがまさにそうなのか、などと考えていると廊下の向こう側から足音が聞こえる。
「あっ、兄さん!」
と、声がする。こちら側に向かってくる足音は途端に速くなる。
「お、彩乃か。おはよう」
「うん!おはよー!」
声をかけてきたのは俺の妹である三澤彩乃。14歳の中学三年生。
クリクリっとしたアーモンドのような目。スッキリとした目鼻立ち。サイドテールに結ばれた艶やかな茶髪。145センチくらいの小柄な見た目。そのどれもが可愛い彼女を見事に演出して見せている。
また、仕事中ということで現在彼女はメイド服を着ている。シックなデザインであるメイド服は彼女のあどけない印象とも相まって、一層彼女を愛くるしく感じさせる。
「今日も元気だな。朝イチから仕事で大変だろうに」
「そんなことないってばー。ところで兄さんは沙羅さん起こすの、終わったの?」
「ああ、一応。沙羅お嬢様を起こしてきて、これから料理の配膳とか、何か仕事があるなら手伝おうと思ってたところなんだけどl
「配膳とか一通りの仕事は終わったから大丈夫だよ。じゃなくて!えっと…。沙羅さんとなんかあったりした?」
「何かとは?もう少し具体的に言ってくれないとなんとも…」
「えっと…ね。ほら、しゅ、主人と従者の過ちみたいな?なんか、こう恋は障害があった方が熱く燃えるっていうし…」
「な、ないないない!俺と沙羅お嬢様だぞ!絶対ない!ありえないって!」
「ほんと?ならよかった」
彩乃はホッと安心した様子だった。彼女を不安にさせるようなことなどなにもなかったと思うのだが。不思議に思った俺は彩乃に尋ねてみる。
「なにがよかったんだ?」
「それはもちろん兄さんが沙羅さんと付き合…って、い、今のなし!なんでもない!なんでもないの!はい、この話はこれで終わりね!はい、終わり!」
「ちぇー。ま、いいけどね。じゃあ、食堂まで行くか。もうそろそろ朝食の時間だろ」
「そうだね。いっしょにいこ!」
俺たちは廊下を進み、階段を降りる。
階段はシックでシンプルなつくりながら、ところどころに優美な装飾が施されており、この家によく似合っている。手すりはよく磨かれており、光を反射して俺の顔を映している。まるで鏡のようだ。
1階に着き、右に曲がる。もう何度も歩き慣れた順路だ。進んでいくと沙羅の部屋のものよりも一段と大きい扉に行き着く。少し力を入れて引く。
「お待たせしました。少し遅れましたか?」
「遅いじゃない!どこで道草食ってたのよ、和樹!」
「申し訳ございません。少し彩乃とはなしていたもので」
「主人に待たせるんじゃないわよ!まったく…!」
今回は俺が完全に悪いので素直に非を認める。主人を待たせるなどもってのほかだ。
「失礼いたしました。少し妹と話し込んでしまったようです。以後、善処します」
「わかってくれればいいのよ、わかってくれれば」
なぜだろうか。彩乃が奥歯を噛んでいる。とても悔しそうだ。一方で沙羅は満足げに鼻を鳴らしている。とても愉快だ、と言わんばかりだ。主人の機嫌がなおってくれたので俺としてはいいが。
というようなやり取りをしていると パン! という大きなな音が聞こえた。どうやらもういらっしゃっていたようだ。
その人物はテーブルの奥に座っていた。独特のオーラを感じる。存在感が強いなんてよく言われているが、これはそんな比ではないだろう。
「全員揃ったようだね。食事にしようか」
皆川グループ社長兼俺の雇い主である皆川沙羅の父、皆川幸宏は言った。