表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

優しい子が偉いんだよ

作者: 鈴木美脳

 優しい子が偉いんだよ。


 もしも世界のどこかに飛び抜けて優しい子供が産まれ落ちたら。

 総理大臣も大統領もみんな揃って土下座しなけりゃならないよ。

 でも今は人間が馬鹿な時代だから土下座なんてするわけがない。

 そんな時には宣戦布告をするしかないよね。


 殴り合って殺し合って喧嘩が強い人が勝ったとするよ。

 もしそれが社会的に普遍的な価値なら、喧嘩が強い人にほど地位も権力も与えればいいよね。

 でも喧嘩が強い人にほど大きな権力を与えても幸せな社会は形成されない。

 それだけのことが分からない馬鹿しかいない。


 だって見てごらんよ。ゴキブリ共は資本主義を狂信してる。

 稼ぐお金の多寡がその人の価値だという見方が社会一般に浸透している。

 物質的に安寧な生活をしている人々がそうでない人々を見下している。

 競争と自然淘汰を言い訳に自らの利己性を肯定して、モラルよりも力で価値を測る動物へと変化しつづけている。

 愛の価値を忘れた大衆の上には、愛の情緒が希薄な権力者達が形成されて、喧嘩という部分最適を価値としたとき同様に、社会幸福は衰弱していく。

 そんな自明なことを誰も知らない。


 欧米から広まった資本主義が核攻撃を経て日本にも浸潤した頃、ソビエトやチャイナには共産主義が浸潤したよね。

 共産主義は欧米の人権概念を核にした平等主義であって、人権概念は利己主義を完成させる狂気にすぎない。

 人間とは肉体的な存在であり、幸福とは物質的で個人的な性質だとする西洋キリスト教文化がそこにはある。人間は、先天的かつ普遍的に利己的な存在だとされるけど、実際には、種の保存の本能、正確には血縁選択の本能は幾重にも内在している。

 人間は、人の心の苦楽に寄り添い、人の苦労のために涙を流し、人の心の幸せを自分の事として喜ぶ力を備えている。

 つまり、平等や人権を声高に主張する時、内心に自己愛しかなければそんな思想に普遍的な正当性があるわけもない。そして内面的なモラルの多寡こそが価値の本源だと悟っていれば、物質的で形式的な平等性を正義などと見なす過ちに陥りえない。

 つまり、共産主義の全ては利己的で偽善的で、何よりまず愚かで、利己的な経済人仮説の上に築かれている意味で資本主義と変わらない。


 殴り合って殺し合って喧嘩が強いことは価値だよ。原始社会を考えれば分かるでしょ。

 でも、愛する者達の幸せを守るために勇敢に戦って強いから価値なんだよ。

 だから、スポーツ自体には価値がないし、観戦して満足するのは愚かなことだ。

 他者の幸せを大切にできないなら、そんなサイコパスやアスペルガー、いくら喧嘩が強くても、社会的な異物として村八分でイジメ殺されるだけだよ。

 人間は有史以前から社会的な動物なんだから、純粋な部分最適性に普遍的価値はないということ。


 逆に言うと、現代の社会には、サイコパスやアスペルガーは限りなく多くはない。完全なそれはむしろ少なくて、一定の人間愛や情緒的な共感能力を備えた人がほとんどだ。

 なんでか分かる?

 産まれたサイコパスやアスペルガーを村八分でイジメ殺してきたからだよ。

 日本社会のモラルが高いとか言ったって、数千年かけたそんな自然選択のお陰だよ。

 昔の人は、優しさが価値だって知っていたんだね。

 でも、近代を迎えて、王道は覇道に覇権を譲った。


 それでね。

 サイコパスやアスペルガーの方が生きやすい世の中になった。

 学校の勉強ができるから自分は人より偉いとか、仕事でお金がたくさん稼げるから自分は人より偉いとか、そう思える知的障害者の方が横柄に安寧に暮らせる時代になった。

 なぜなら、テクノロジーの飛躍的な発展は力をもたらし、労働者を単なる道具として残忍に酷使できる上司や経営者の方が資本家さらにはテクノロジーにとって好都合だったからだよ?

 人類がテクノロジーを飼い慣らしているのか、テクノロジーが人類を飼い慣らしているのか、人類は家畜にされてなお自覚することがなかった。

 しまいに、人類にはサイコパスやアスペルガーしかいなくなって、お金や命よりも優しい心の方がずっと尊いと考える人はいなくなる。


 それが、終わりの始まり。

 これが、人類という物語。少し頭のある子には幼い内に見通せる現実。

 でも、学校や世間が事実を忘れ嘘ばかり言うようになっても真実は普遍的で変わらない。

 優しい子が偉いんだよ。


 そんな時には宣戦布告をするしかないよね。

 優れた者ほど栄えると思う、既存体制への順応主義者になってしまうのではなく、世界を変革する戦いを自らの生き様として選ぶということ。

 ただし、変革した結果が価値じゃないんだよ。

 白を白と言い黒を黒と言い価値を価値と言い馬鹿を馬鹿と言い放つことが価値。

 真理のもとに生きる一秒一秒が価値。


 優しい子が偉いって、そういう意味でだよ。

 多様性を安易に肯定する許しが価値だなんて、大衆の脳に麻薬のように染み渡るキリスト教思想は、共産主義と同様の癌だと知らなければならない。偽りの「優しさ」の尊厳に淘汰されて、自己愛ならぬ真の「優しさ」が忘れられるべきではない。

 そんな、内心の邪心を瞬時に見通せる子供達こそ尊ばれる時代になったら、終わりの終わり。


 始まりの始まり。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ