6 ユリエル side
「アークライト嬢の、理由を知らされない何かがあっても一切揺るがない殿下への愛には感嘆させられます。それ程までに愛されていて、正直羨ましいです」
「感情に振り回されない姿は、まさしくご正妃に相応しいご気性だ」
「……………」
「殿下? どうされましたか?」
小首を傾げたサディアスの、アイボリーブラックの髪がさらりと揺れる。
ああ、外からはそう見えるのだな。ある意味エメラインの王妃教育は正しく機能しているということだろう。エメラインの、これまでの努力の賜物だな。だが、その内実は。
「……エメラインのあれはな、愛は愛でも恋い焦がれる愛ではないからだ」
「「はい?」」
うん、意味がわからないだろう? 私も理解したくないんだ。
「ええと……つまり?」
「アークライト嬢は、殿下に恋心を抱いては……いない?」
「おいエゼキエル。不敬にも程があるぞ。そんなわけあるか」
「そのとおりだ」
サディアスはぎょっとした信じがたいと言わんばかりの視線を寄越し、エゼキエルは不憫な、痛ましげな視線を向けてくる。同情はやめてくれないか。
「非常に困ったことに、エメラインはダニング嬢の言葉を信じてしまっていて、私がダニング嬢に真実の愛を見出だしたと思い込んでいる。更に厄介なことに婚約破棄に備えているというのだから、私はどこからどう正せばいいのか途方に暮れているんだ。しかもありもしない私とダニング嬢の仲を、全力で応援するつもりでいるんだぞ?」
「うわぁ……」
「殿下が一番不憫だった」
エゼキエルがお気の毒に、と頭を振った。なんて腹立たしい。サンドベージュの髪が揺れる様子でさえ苛立ちを煽ってくるが、取り敢えず落ち着け、私。ここで腹を立てても意味はない。
「そう思うなら迅速に頼む。教会の件を暴けなければ、ダニング嬢の暴挙を見過ごさねばならない日々も続くんだからな」
「「御意」」
ダニング嬢の、百歩譲って良く言えば天真爛漫な振る舞いにはいつも辟易しているのだ。
ファーストネームを勝手に呼び、王太子である私に許しもなく触れる。いつまでも見過ごせることではない。
お忍びで街へ視察に出た際、何度かダニング嬢と遭遇している。最初は彼女の言う通り、たまたま偶然出会ったのだと思っていた。しかし、偶然も回数を重ねれば訝しく感じるものだ。日にちも時間帯もバラバラなのに、悉く遭遇するのだから。
それは学園でも同じで、まるで待ち構えているかのように異常な遭遇率で出会す。もし本当にダニング嬢にこちらの行動が筒抜けになっているのなら、それは由々しき問題だ。王太子の予定や移動ルートを把握されている事態など、決してあってはならないからだ。
誰かが漏らした? いや、そうだとしても辻褄が合わない。急遽予定を変更した時でさえ、ダニング嬢は見計らったかの如く現れるのだ。未来を予知しているとしか思えない、不可解な言動も多い。
なんだったかな。スチル回収? イベント攻略とか、好感度とか、意味不明なことを喜色満面にぶつぶつと呟いていたな。薬物でも摂取しているのか、心底気味の悪い女だと思う。
私やサディアス、エゼキエルの好みを知っていたり、エメラインでさえ知らないような幼少期のエピソードを語られた時は、未知の恐ろしさに鳥肌が立った。嬉々として語る姿に寒気がし、まるで心の中を無遠慮に覗かれているような嫌悪感を抱いた。それはサディアスやエゼキエルも同様だったらしく、彼らは「ハーレム回ゲット!」と小躍りしている姿を目撃したそうだ。やはりまともな頭をしていないようだな。
エメラインはダニング嬢の何を見て王太子妃にと思ったんだ? 彼女自身は天然鈍感娘でも、人を見る目は確かだと思っていたんだが……。
しかし、ダニング嬢の言ったとおりに事が起きることもあり、不思議な力を持っていることは確かなのだろう。人格が破綻していようとも、その点だけは認めるしかない。
そういった理由からも、聖女とされるダニング嬢を庇護していると教会や一部の貴族に匂わせておく必要があったため、今まで数々の問題行動を看過せざるを得なかった。しかし、日に日に大胆になっていくダニング嬢が手に余る存在であることは変わらない。
腕に抱きつくなど過度な接触が日常化してしまっている。好きでもない、寧ろ嫌悪の対象である女性に頻繁に密着されるなど、拷問以外の何物でもない。あまつさえそれを顔に出すこともできないのだ。本当ならば振り払ってしまいたいのに、選りにも選ってエメラインの前で仕出かすとは。
私はエメラインにこそ抱きついて欲しいのに。それも人前で堂々と、私だけの愛しい人だと見せつけるように。この腕の中に閉じ込めてしまえたらどんなに幸福だろうか。はぁ、人生とは上手くいかないものだな……。
そんな訳で、エメラインに割くべき時間のほとんどを、不本意ながらダニング嬢に使っているのが現状だ。サディアスやエゼキエルが言うように、焦る気持ちはよくわかる。私とて誤解をひとつも解けていないのだ。
何をどう説明しても、エメラインの中で不可思議な解釈がなされ、彼女の認識を改めることができない。どうやってもエメラインは私の愛を理解してくれないのだ。今はまだ決定的な言葉を捧げることが出来ないから、余計に拗らせている自覚はある。冷静さを欠き、急いては事を仕損じるとわかってはいるが、エメラインの様子に焦るなと言う方が無理がある。
だってあの天然鈍感娘が相手だぞ? このままでは本当に陛下を言いくるめて婚約解消されかねない。
まぁ、幼い頃から可愛がっているエメラインを、両陛下が容易く手離すなど決してなさらないだろうとは思うが、あのエメラインだからなぁ。どんな変化球を投げてくるか分からないから油断ならない。
悶々と悩んでいると、サディアスとエゼキエルがひっそりと同情している声が聴こえた。
「ああ、殿下が末期だ」
「お労しい。婚約者から他の女性との仲を全力で応援されたら、俺なら軽く三日は寝込むぞ」
「完璧王子で通っている殿下をここまで振り回せるのは、後にも先にもアークライト嬢しかおられないな」
「恋心をまったく抱いていないだなんて、アークライト嬢の心は鋼で出来ているのだろうか」
うるさい。これ以上私のプライドを抉る発言は控えてくれないか。発狂するぞ。
はぁ……本当に、どうしてくれよう。
事が解決したら、嫌というほど啼かせてやるから覚悟していろ。エメライン。