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パレードから結局、ユリエル様と一度もお会いできないまま晩餐会を迎えました。
淡いミントカラーのボールガウンドレスを身に纏い、同じく淡いシルバーの礼装を着用されたユリエル様にエスコートされて、交わす言葉も少なく席に着きます。やはり懸念したとおり、昼食を取る時間はなかったようです。
本日は日課の鍛錬をお休みしているとはいえ、多忙を極める上に晩餐はお肉もお魚も出ません。
せめてサンドイッチなど、軽食でお肉を食べられていれば――と、ついエネルギー不足を案じてしまいます。
ユリエル様が仰るには「一食程度抜いたところでへたばるような、軟な鍛錬はしていないから心配いらない」とのことですが、料理長に申し伝えていたとおり、お夜食にお肉を出していただきましょう。
決意を新たに、全員の着席を合図に配膳され始めたヴィーガン料理を確認します。
彩りも美しく、ヴィーガンの理念に反するものは見当たりません。
宮廷料理人たちの完璧な仕事に満足しておりますと、談笑する各人たちの注意を引くように、ホストである国王陛下がグラスの側面をフォークで軽く叩きました。
「五年ぶりとなるアルベリート王国使節団を無事迎えることができ、大変喜ばしい日となった。エクリシエス殿、ご正妃殿、よくぞ参られた」
「ご無沙汰しております。国王陛下におかれましては、益々ご健勝のこととお慶び申し上げます」
王弟殿下に倣い、妃殿下も同じく一礼されます。
フェイスアクセサリーを外されたお顔の色がすっかり戻っておられるようでほっとしました。
「今宵の晩餐は、王太子の婚約者であるエメライン・エラ・アークライトが主導した。ご正妃殿の生国に配慮したものになっていると思う。さあ、我が娘よ。正賓方に献立の説明をして差し上げなさい」
「はい、陛下」
本来は料理長にさせるべき役目ですが、国賓歓待の場ですので僭越ながらわたくしがご説明させていただきます。
「メル・デイン聖王国は、衣食に動物性のものをまったく使用なさらないと聞き及んでおります。動物愛護や環境保全の観点から、植物由来のものを好まれるのだと学びました。前菜からデザートに至るまで、お肉や魚介類、卵、乳製品、ゼラチン、白砂糖、はちみつは一切使用しておりませんので、妃殿下にも安んじて食事をお楽しみいただけたら幸甚に存じます」
「……お心遣い、痛み入ります。迎賓館のお部屋でも、わたくしが使う衣衾にまで配慮してくださったと聞きました。大変ありがたく存じます。ヴィーガン料理も材料から工程までご苦労されたことでしょう。細やかな心尽くしにお礼を申し上げます」
――と、妃殿下は微笑みと共に礼を述べられましたが、ヴィーガン料理をちらりと一瞥されたその表情は、決して明るいものではありません。
苦手な食材でもあったのかしら……。
けれど、アルベリート王家からいただいた事前情報では、今回使用している食材の中に該当するものは含まれていません。過不足はないと思っていたので、それが万全ではなかった可能性に心穏やかではいられませんわ。
心尽くしのおもてなしが妃殿下の御心を煩わせるものであったなら、それらは独り善がりな自己満足でしかありません。
まさかリサーチ不足だったのでは……。
内心で焦りを感じたまま、食事が始まりました。
「最近わたしもヴィーガン料理を食べるようになったんだけど、うん、これは美味しいね。アークライト嬢、妻のために心を砕いてくれて本当にありがとう」
「勿体なきお言葉ですわ」
賛辞を呈された王弟殿下へ微笑みを向けたわたくしは、露の間、思わず王妃様へ縋る視線を向けてしまいました。王妃様はそれとわからない程度に緩く首を左右に振られるだけです。
「おや、妃殿下。さほど食が進まないご様子ですが、苦手な物でもありましたか?」
「いえ……」
妃殿下のあまり進まない食事に対して、外務卿ルキノ侯爵の副官がちらりとわたくしを見ました。
「不手際がありましたなら、はっきりと申しつけてくださって結構ですよ。外交官として、若輩者の采配ミスを心より謝罪申し上げます」
わたくしの過失を指摘して、副官の方が頭を下げます。あちらこちらで小さく息を呑む様が聴こえました。
たとえそれが友好国であったとしても、自国の王太子の婚約者を貶めるような発言はするべきではありません。決して一枚岩ではないのだと弱みを晒すことになりますし、ヴェスタース王家を侮辱していることにもなります。
何より、先ほど王弟殿下が呈されたお褒めの言葉そのものを全否定したことになりますので、わたくし個人を攻撃したかったのだとしてもこれほどの悪手はないでしょう。
外交官、さらに副官でありながら、責任ある立場を鑑みず国賓歓待の晩餐会でこの発言は品位以前の問題ですわ。
「サヴォナ。今すぐ退席しろ」
地を這うような声でそう命じられたのは、彼の直属の上司であるルキノ侯爵です。
「――え、し、しかし」
「二度は言わぬ」
「も、申し訳ありません、でした」
さっと青褪めたまま、サヴォナ副官はそそくさと退室していきます。
「両陛下ならびに両殿下、そして王太子殿下。教育がなっておらず申し訳ございませんでした。部下の非礼を陳謝申し上げます。今後このようなことがないよう、徹底的に再教育を施します」
「先ほどの失言は、あのような者を副官に任じた外務卿の責とする」
「はっ」
陛下の厳しい声を、ルキノ侯爵は粛々と受け止めました。
王弟殿下は冷ややかな視線を副官が退室していった大扉へと向けられ、王妃様は何も仰らずグラスを傾けておいでです。渦中の妃殿下は眉を顰めるだけに留めておられます。
ユリエル様は――口角を上げほんのりと微笑んでいらっしゃいますが、黒いオーラが漏れ出てしまっておりますわ。
ユリエル様が何に対してご立腹なのかわかっているつもりですが、どうか落ち着いてください。
ルキノ侯爵は、わたくしにだけ謝罪されておりません。ユリエル様はそれを腹立たしいとお思いなのでしょう?
ですが、それは仕方のないことだと思うのです。今のわたくしの立場は王族ではありませんから。
王太子殿下の婚約者であっても、肩書きは公爵家の娘。
外務卿であり当主でもあるルキノ侯爵が敬意を払わなければならない身分ではありませんもの。
「興がそがれてしまった。エクリシエス殿、ご正妃殿、申し訳ない」
「食事を楽しんでおりますので、どうかお気になさらず。ニア、君もそうだろう?」
「はい」
「ユスティニアの食が細いのは今日に限ってのことではないから、アークライト嬢も気に病まないでほしい」
「お心遣い、ありがとう存じます」
「あなたの落ち度などではないと、アルベリート王国を代表してきっぱりと断言しておこう。あなたの細やかな心尽くしにわたしもユスティニアもとても満足している」
ルキノ侯爵に釘を刺すように一瞥したあと、にこりと笑ってそう仰ってくださいました。
この騒動をわたくしの瑕疵にだけはさせないと、そう言外に言われたような気がして、ふるりと震える心そのままに肩が揺れてしまいます。なんとありがたいことでしょうか。
しかし、献身する側であるわたくしが逆に助け舟を出されるという事態は、本来ならば褒められたものではありません。公式の場で「頑張ったけど駄目でした」は通らないのです。
けれど、準備期間を含め頑張りを褒めていただけたことは、とても、とても心を満たすものでした。
ユリエル様の、そっと添えられた手を握り返して、より一層真心を込めて礼遇せねばと改めて心に誓いました。




