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晩餐会は午後七時から開かれますので、両殿下にはそれまでお泊りになる迎賓館でお寛ぎいただいております。
わたくしも王太子宮の自室で着替えを済ませ、遅くなった昼食を軽めに終えたところです。
わたくしなどよりよほど多忙を極めるユリエル様は、今も多方面から報告を受け采配されていることでしょう。
先に小休憩を取らせていただいていることが心苦しくはありますが、適材適所だと言われてしまえば頷かざるを得ません。
休める時に休むのもまた、大切なお務めです。
わたくしが臥せってしまっては奥向きに支障をきたします。そうなれば代わりに采配されるのは王妃様。
せっかく信頼してお任せいただけたというのに、本番で大切なお役目をお返しするなど言語道断です。
ユリエル様はお昼を召し上がる時間があるのかしらと一抹の不安がよぎりつつ、疲労回復効果のあるハーブティーで喉を潤します。
ふと、難しい顔をしているキティが気になりました。
「キティ?」
わたくしが呼称すると、はっとした様子でこちらを見ます。
「どうしたの? 何か気になることでも?」
「気になるっていうか……いえ、はい。気になっていることがいくつかありまして」
「わたくしでわかることならばある程度は答えられますけれど……一度話してみてください」
「ありがとうございます。あの、一つ目の疑問なんですけど、今回のご訪問でアルベリート王国の両殿下は渡海されてきたんですよね?」
「ええ」
「転移門は使えなかったんでしょうか?」
なるほど。当然の疑問ですわね。
きちんと学んでいるようで嬉しいですわ。
「そうですね。以前は航路を使って各国を訪問することが主流でしたが、転移門が設置されてからは、国賓や公賓であれば使用できることになっています。今回のご訪問も五年に一度のことですので、当然転移門の使用が両国共に適用されるのですが、転移門の仕組みと妃殿下のご体質が合わなくて、従来の方法でご訪問されることになったようです」
天地がひっくり返るような激しい目眩と頭痛、悪心に襲われ立つこともままならないのだとか。
「飛行機とかジェットコースターが駄目とか、そういう系ってことか。波の程度にもよりますけど、船も結構揺れますよね。船酔いは大丈夫なんですか?」
「船は揺れる方向やリズムが予測しやすいから何とかなるそうですよ。それでも揺れに体が馴染むまでは嘔気などお辛いそうですが……」
「三半規管の問題じゃない……? 予測できる揺れは慣れれば大丈夫ってちょっと意味がわかんないです。根性論というか、脳筋っぽい思考があの妖艶なお姿からは想像できませんね」
また聞き慣れない単語がいろいろと出てきましたね。
根性論に関しては少し頷ける部分もあります。お聞きした時は思わず「え?」とユリエル様に聞き返してしまったくらいですもの。
王女殿下ですのに。
妃殿下ですのに。
「まったくあなたという子は。その明け透けな物言いをどうにかしなさいと注意しているでしょう。腹芸のひとつもできないようでは要らぬ敵をつくるだけですよ」
「うっ。き、気をつけます」
直せるかな、と自信なさげに呟くキティのおでこを、ジュリアがコツンと優しく小突きます。
母のような、或いは年の離れた姉のような小言に、わたくしはつい微笑んでしまいました。
春の陽気にも似た穏やかであたたかい空間。ささやかな幸せに頬を緩め、心がほっこりとします。
ジュリアの懸念は貴族社会では至極当然のことなのですが、秘かにわたくしは、素直で裏表のないキティの性情を失わせたくないと思っているのです。
微笑みの仮面の下に本心を隠す――小さな頃から徹底的に躾けられてきたわたくしたち高位の貴族令嬢にとって当たり前の習慣は、とても窮屈で息苦しいもの。
わたくしなどは慣れ親しんだ窮屈さですが、キティは違います。
自由奔放で純粋な彼女の性情はとても好ましく、わたくしにとっては得難いもの。
肩の力をふっと抜ける、癒やしの時間を与えてくれる存在なのです。
ジュリアの教育方針も理解できますので口を挟むことはしませんが、どうかそのまま変わらないでと心から願ってもいます。矛盾していますわね。
「あの。お迎えした時の妃殿下のご様子、なんか気になりませんでしたか?」
「お疲れのようだとは思いましたが、特には。ジュリアの迅速な対応で、お部屋にお戻りの際にすぐさま冷たい飲み物や喉越しの良いデザートなどをご提供できたのはよかったですわ。ジュリア、ご苦労様でした」
「勿体なきお言葉。エメライン様のご采配あってのことです」
まあ。謙遜など必要ありませんわ。
阿吽の呼吸で応えてくれるジュリアが優秀であることは、わたくしのみならず王太子宮に勤める者ならば誰もが知る事実です。
ジュリアの補佐無くしてわたくしの生活は立ち行きませんもの。
妃殿下の件も、目配せひとつで正しく拾ってくれるのはジュリアくらいです。
妃殿下といえば、とても強い眼差しでこちらを見ていらしたけれど、何か失礼があったのではと今更ながらに思います。
学んだ聖王国の作法に準じておりましたから、失態などしていないはずなのですが――。
「キティは何か引っ掛かりでも?」
考えてもわからないので、キティに話の続きを促します。
「うーん……ちょっと気になったというだけなので、具体的に何がとは言えないんですけど……ただ、エメライン様に含むものがあるのかな、と。あと、王太子殿下のお顔がどストライクなんだなぁというのは感じました」
「まあ……」
今も変わらずたくさんの秋波を送られているユリエル様のことですから、その麗しいご尊顔に見惚れてしまうのは理解の範疇です。
昔からユリエル様に相応しくないと言われてきましたし、婚約を辞退するよう脅されたことも一つや二つではありません。
妃殿下はご成婚されているのですから、そういった類いの視線ではなかったと思います。そうでなければ国際問題になります。
ユリエル様と王弟殿下の仲違いなど決して起こしてはなりません。
それは妃殿下とて重々承知のことと思います。
そもそも御夫君を差し置いて、親善のために訪問した友好国の王太子殿下へ横恋慕したのでは、などと疑うことこそ失礼に当たります。それこそ不敬になりますわ。
「でもイケメン揃いの騎士様たちを見て興奮してたみたいですし、美男子好きの単なるミーハーなのかな~とは思いましたけど」
確かに。
控え目ではいらしたけれど、隠し果せていない喜色が窺えましたわ。
ずいぶんとお気に召されたご様子で、わたくしはついユリエル様と前方を歩かれている王弟殿下へハラハラと視線を向けてしまいました。
それほどに妃殿下のご興味は隠せていなかったのです。
「メル・デイン聖王国って厳粛な宗教国家でしたよね? なんか、餓えた雌豹って感じのギラギラ感でめちゃくちゃ引きました。抑圧されてきた反動でしょうか、あれって」
「カトリーナ」
「はい、ジュリア様。余計なことを口走りました」
言い得て妙だとは心の中だけにしておきます。
正直申しますと、わたくしがハラハラしましたのはまさにその熱烈な視線だったのです。
「気になるので、もう少し観察したいです。邪魔にならないよう隅っこに控えていますので、晩餐会に参加することってできませんか?」
「駄目よ」
きっぱりと却下したのはジュリアです。眇めた視線が慄くキティに注がれます。
「国賓歓待は接客担当であるパーラーメイドの仕事です。あなたは見習いメイドである上に職種も担当も違うでしょう。そもそもね、採用条件である容姿以外はすべて落第点であることを自覚なさい。品位を問われ兼ねない場になんて、恥ずかしくて出せるわけがないでしょう。エメライン様の瑕疵にでもなったらどうするのですか」
「正論すぎてぐうの音も出ないけど、もう少しオブラートに包んでほしかったです」
酷いです、ジュリア様――と、容赦ない指摘にがっくりと肩を落とし、潸然として涙を……流してはいませんね。
ふふっ。じゃれ合いのようで心地好いです。




