5 ユリエル side
「殿下。私はもう限界です……」
「……右に同じく」
カフェテリアでの騒動から二ヶ月が経過した頃、私の側近であるサディアスとエゼキエルがぽつりと溢した。
彼らが何に限界を感じているのかはわかっている。正直私も投げ出したい。
「シルヴィアと過ごせないだけでも耐え難いのに、彼女の視線が日に日に冷ややかなものになっていく様が本当につらい……あの目は節操なしを見る、蔑む目でした」
「セラフィーナも同じようなものだ。俺はセラフィーナの前ではっきりとダニング嬢のファーストネームを呼び捨てにしたからな。それも当然なんだが……いつ婚約破棄を申し出られるか不安で堪らない」
「お前もか、エゼキエル」
「サディアスもか」
はあ、と重々しい溜め息を吐く側近二人を、私は羨ましいと思ってしまった。情けないことに、エメラインの場合はそれ以前の問題だったのだ。
薄々は気づいていた。私と彼女の想いに明確な差があることに、気づいてはいたのだ。だがそれも婚姻して夫婦として長い月日を共にすれば、いつかは愛に変わるのではないかと期待していた。
「殿下もさぞおつらいことでしょう。報告によれば、アークライト嬢が集中的に嫌がらせを受けているようですので」
「あれで自分が被害者なのだと嘯くのだから、教会はとんでもない女を聖女と認定したものだ」
「エメラインはどう対処している?」
「どうしたって絡まれるのです。実に根気よく公正に接しておられると思いますよ。あの方こそ淑女の鑑です」
「だが何をどう言ったところでダニング嬢はすべてを曲解し、聞くに耐えない罵詈雑言の嵐だ。あれでは日々絡まれるアークライト嬢が不憫過ぎる」
「そうか」
カフェテリアの一件も調べがついている。よくもまあ私に愛されているなどと言えたものだ。更には私がエメラインを嫌っているだと? それこそあり得ない。私は初めて会ったあの日からずっと、エメラインだけを愛しているというのに。
宰相に連れられてやって来た六歳のエメラインは、ハニーストロベリーブロンドのふんわりした髪に、マーキュリーミストトパーズの瞳をした大変愛らしい女の子だった。光の加減によってブルー、グリーン、イエロー、ピンク、クリスタルの輝きが差す虹色の瞳は一際美しく神秘的で、呼吸するように、当たり前のように、私は一瞬でその虜になった。あれほどに美しい宝石を、私は他に知らない。
厳しい王妃教育に耐えかねてこっそり泣いている彼女を私の部屋に招き入れ、つらかったらやめてもいいよと抱きしめたりもした。その度に彼女は小さな頭をふるふると振り、殿下のためにも頑張ると、そう言ってくれた。そのいじらしさが堪らなくて、涙に濡れた唯一無二の輝きに見惚れた。私の前でだけ泣けばいいのにと、潤んだ煌めきを閉じ込めてしまいたくて、飢餓にも似た強烈な独占欲に苦しんだりもした。
仄暗い感情のせめてもの緩和策として、彼女が教育を受ける日は必ず部屋に招いた。彼女が私の前ではらはらと涙を溢すたびに、一時的だが私のどうしようもない渇きは満たされた。
エメラインが泣かなくなったのはいつからだろうか。
私に一線を引くようになったのは、いつからだったか。
今も私が御し難い歪な独占欲を抱いていると知ったら、エメラインはどうするだろうか。
来月十八歳の誕生日を迎えるエメラインは、誰もが振り向くほど美しく成長した。たとえ今はまだ私に恋心を抱いてくれなくても、容姿も内面も美しい彼女と生涯を共にするのは私なのだと思っていた。いずれはエメラインのすべてを頂くのだと、そう信じて飢餓感にも耐えてきた。私以上に彼女を深く愛している男はいないと自負しているからだ。
なのに、肝心のエメラインにそれがひとつも伝わっていなかったことが、二ヶ月前に浮き彫りにされてしまったのだが。
本当に、あの鈍感娘どうしてくれよう。
しかもラステーリアの皇太子と懇意にしている、だと? はとことはいえ、いつの間に。婚約者選定の夜会を開くとヴェスタース王家にも報せが届いていたが、まさか個人的にエメラインを指名して招待状を送っているのか? 婚約者である私に何の断りもなく、自身の婚約者選定の場にエメラインを招待した?
ふざけるな。今さら他国の皇太子が横から掻っ攫えると思うなよ。
「密偵からの報告ですが――」
ふつふつと沸き起こる怒りに眉をひそめていると、サディアスが早速本題に入った。わざわざ防音されている王宮の私の執務室に集ったのは、余計な邪魔が入らない場所で対策を話し合うためだ。
「どうやら教会の思惑がはっきりしそうです」
「聖女認定の件に荷担している者達も証拠が揃いつつあります」
「では慎重に急ぐとしよう。来月の卒業パーティーまでには方をつけたい」
「ええ。冷えた関係のままシルヴィアをエスコートしたくないので、大いに賛成です」
「同じく」
あんなに仲睦まじかったのに、関係が冷えているのか……それは申し訳ないことをした。彼らのためにも早々に結果を出したいものだな。
それを考えると、エメラインは何一つ態度が変わらないのが救いだな。……いや、逆か。ダニング嬢が本命だと未だに誤解しているのは大問題だ。しかも全力で応援してくるような、こちらの想像の斜め上をいくのがエメラインなのだ。嫉妬して険悪になってくれた方がまだ建設的だったと思う。全力で応援ってなんだ。愛しているのはエメラインだけだと言えない現状がもどかしい!
「はぁ……シルヴィアのエクルベージュの髪に指を絡めたい……」
「分かるぞ、サディアス。俺もセラフィーナのチェスナットブラウンの髪に顔を埋めたい……」
鬱陶しい奴らだ。私だってエメラインのハニーストロベリーブロンドの髪に何ヵ月触れていないと思っている。
いや待て。サディアスの髪に指を絡めたい発言はわかるが、エゼキエルの髪に顔を埋めたいとは? ま、まさか、すでに肌を重ねた経験があるのか!?
「? 殿下?」
「……………エゼキエル」
「はい」
「お前……フェアファクス嬢と、その……」
「セラフィーナがどうかしましたか?」
「いや、その……何でもない」
訊けるか! 肯定されたらされたで私のプライドはバッキバキにへし折られてしまう! 私はエメラインにキスのひとつも出来ていないのだからな!
あの天然鈍感娘は、こちらが甘い雰囲気を演出しようとまったく気づかないのだ。何度押し倒してやろうと思ったことか。怖がらせることが目的ではないから、ずっと自重してきた結果がこれだ。いっそのこと無理やり唇を奪ってしまえば嫌でも意識するか? いやでもそれで泣いて拒絶されたら立ち直れないぞ……。
「………」
いや、それもアリかもしれないな。
押し倒して、頭上で華奢な腕を押さえつけて、小鹿のように怯えて震えるエメラインが泣いて私を上目遣いに見上げてきたら――ああ、それは堪らなく私の嗜虐心を刺激する。大切に、真綿でくるむように守りたいと思う反面、酷く歪なサディスティックな情欲がふつふつと沸き起こる。
出来るかぎり譲歩はしてあげたいが、逃がすつもりは更々ない。