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「書面で構いませんので、急ぐ理由を説明してほしいと言伝をお願い致します」
「えっ。あ、あの……」
「聞こえませんでしたか? エメライン様は時期を考えない早急な予定確認と、調査していない理由をお尋ねです。あなたはそのまま一言一句違えることなく伝えればいいのです。それとも、王家に侍従するはずのあなたにとって、命令系統の上位は次期王太子妃で有らせられるエメライン様ではなく、教育省の幹部もしくは儀典長ですか」
「ちっ、違います! 滅相もない!」
「では下がりなさい。ご多忙でいらっしゃるエメライン様を不必要に煩わせるなど許しませんよ」
「……! 失礼致しました!」
蜘蛛の子を散らすようにとは、このことを言うのでしょうか。ジュリアの少々辛辣な物言いに青褪めて、脱兎のごとく退室して行きました。あんなに慌てて、転んで怪我などしなければよいのですが……。少しばかり心配です。
「まったく。幾らで買収されたのかしらね」
「あの手合はどこにでもいるし、除却してもまた増えるものだろう。いちいち相手にしていたらキリがないぞ」
「そうだけど、分かっていても腹立たしいわ」
珍しく塩を大量にまきそうな勢いで立腹しているジュリアを、ご亭主であるアテマ伯爵がやんわり窘めつつ宥めています。そんな微笑ましい一幕に気持ちが和んだと伝えたら、ジュリアは気を悪くしてしまうかしら。
「あ、やっぱりあれってそうだったんですね。挙動不審っていうか、エメライン様から言質取りたがってるっていうか、殊勝な態度見せてましたけど魂胆が見え見えでしたもんね」
「あら。気づいていたの? 案外洞察力はあるのかしらね、カトリーナ?」
「案外はひどいです。でも褒められましたよ、アーミテイジ様! 聞きました? そして惚れ直しました?」
「聞いてはいたが、直すも何も実在していないものを捏造するのはやめてくれ」
「じゃあ惚れました?」
「〝じゃあ〟の意味がわからないし、王太子妃殿下付きの宮廷メイドがあの程度見抜けなくてどうする」
んもう、とキティが可愛らしく頬を膨らませて抗議していますが、アーミテイジ卿は取り合う気はない様子です。
やはりそうだったのですね。侍従やメイドの中には袖の下をもらう者も少なくはないと聞いていましたが、実際目の当たりにしますと何とも言えない複雑な心地が致します。
得られる金銭によっては王宮で見聞きしたことを外部に漏らすということですから、外廷も内廷も至る所に目や耳があると、わたくしたちは常に意識していなければなりません。
立ち居振る舞いはもちろん、発言にも細心の注意を払うようにと長年の妃教育で叩き込まれました。決して心の内を読まれてはならない、言質を取られてはならないと。
教育を修了したとて、学びと実践はこれからも続きます。
より立場を理解し、リスクを把握し、損害あれば最小限に抑える策を何手も講じていなければなりません。
王族とは一見とても華やかに見えますが、一挙手一投足が自身の進退を決めてしまう、非常に危うく繊細な立場です。
きちんと学ばなければ、首に絡んだ無数の細い糸で自らを絞め殺しかねません。それこそあちらこちらにあるのです、数多の目や耳が。
まずは己を律すること。
王族の子供たちはそこから学ぶのだとユリエル様が仰っていました。そこがなかなかに難しい、とも仰っていましたが、外廷や学園に通っておられた頃のユリエル様は完璧に研磨された水晶玉のように、どこにも綻びや隙のない立ち居振る舞いでいらっしゃいました。
わたくしも、そのようにありたいものです。
「ご安心ください、エメライン様。先程の侍従は影が追っておりますので、そうお待ちいただくことなくご報告できますわ」
「ありがとう。優秀な皆様が助けてくださるから、わたくしも心を乱すことなく準備に専念できます」
「身に余るお言葉、大変恐縮にございます」
恭しく頭を下げる皆様に鷹揚に頷いたわたくしは、確認途中だった儀典長からの復命書に目を落としました。
王弟殿下ご夫妻が滞在される五日間のうち、初日の晩餐会と四日目に開かれる夜会について記されています。
宮廷楽団が演奏する予定の曲目は、晩餐会と舞踏会では趣旨が違いますので曲調もその場に相応しいものを選ばなくてはなりません。
晩餐会は会談を目的としておりますから、談話の邪魔をしない、和やかな雰囲気を演出できる曲が好ましいです。と、そのように宮廷楽団と儀典課へ希望を出していたのですが、選曲も可能な限りわたくしの希望に沿ってくださっています。
儀典長の復命書は理路整然とした文章と箇条書きできちんとまとめられていて、大変読みやすい、お手本のような書き方です。
押印欄に捺印しながら、これを基準にしたらユリエル様も気苦労が減るのではないかしら、などと思いを馳せてしまいました。
「あの、エメライン様。少しだけいいですか?」
そっと近寄り耳打ちしてきたのはキティです。問う視線を返しますと、許可されたと理解した様子でさらに声を潜めます。
「例の手記を読み返したんですけど、ちょっと気になる文字を見つけちゃいまして」
訝るジュリアたちに問題ないと手で制しながら、続きを促します。
「エメライン様。リア・ファルってご存じですか? 運命の石とも言うらしいんですけど」
「記憶にありませんわね。説明は記されていなかったのですか?」
「ヴェスタース王家に関与するものらしいんですが、それが何を意味するのか書かれていないんです」
タリスマンでもないし、とキティが呟きます。
「公開された事前情報と、設定とかいろいろ整合性取れてないんですよね。一致する部分もあるのに、細かいところが別物というか。ifの世界だって言われた方がしっくりくる感じですかね」
「イフ?」
「パラレルワールドって意味です」
ごめんなさい。その説明でもわかりませんわ。
キティはわたくしの知らないことをたくさん知っていて、彼女にしか見えていない世界が確かにそこに存在しているのだと、情けないですがそれだけは理解できます。
さすがは聖女様ということなのでしょう。共感してあげたいと思いますのに、歯がゆいものです。
そんなことを思っていた、露の間。
ジュリアとアーミテイジ卿が、同時に視線を一点に滑らせました。
僅かに遅れてアテマ伯爵が続き、もう二方の近衛騎士、ガルシア卿とペレス卿も続きます。
桃花心木の執務机に飾られた、芍薬の花びらが風のない室内でかすかに揺れ、他の侍女たちやキティ、そしてわたくしは一番最後に気づきました。
ジュリアたちが視線を寄越した先に、先ほどまでいなかったはずの騎士が膝をついています。
初めてお目にかかる方ですが、近衛騎士の誰一人警戒していないようなので問題はないと判断致します。
おそらくですが、わたくしを心配したユリエル様が付けてくださっている影のお一人なのでしょう。
「エメライン様。ご報告に参りました」
「影の方ですね? 直答を許します」
「ありがとうございます。アルバ・エーデルフェルトと申します。表向きは守衛ですが、王太子殿下の影として忠誠を誓っております」
「エーデルフェルト卿は隠密に特化しております。先程の侍従とその背後を調べるには彼の能力が適任かと」
ジュリアの補足説明に首肯を返します。
潜入捜査に秀でているならば、確かにエーデルフェルト卿にお任せするのが一番安全で確実でしょう。ユリエル様が重用なさるのも頷けます。
「ご報告します。侍従が向かったのは教育省ではなく、外務省でした」
「儀典長、もしくは儀典官に会いましたか?」
否と聞き、覚えずほっと詰めていた息を吐きました。
歯に着せぬ物言いで大変厳しい方ですが、不正を良しとされる方ではないとも思っておりました。儀典長が王家を裏切っていないと知れただけでも大収穫です。
「侍従が面会したのは外務卿です」
「外務卿……というと、ルキノ侯爵ですね」
ルキノ侯爵家。
思い浮かべますのは、新緑の若葉のような鮮やかな瞳をされた――
「エメライン様」
発した声に硬質さを滲ませたのはアーミテイジ卿でした。
ずっと見守ってくださっていた彼だからこそ、その強張った声と表情から、わたくしと同じ人物を思い出しているのだと察せられます。
――マルグリット・ルキノ侯爵令嬢。
わたくしがユリエル様の婚約者に選ばれるまで、彼女こそが筆頭候補として名が挙がっていたと聞いております。
同年代のご令嬢の中で最も魔力が高く、身分、能力、才覚、美貌――どれをとってもマルグリット様以上のご令嬢はいなかったそうです。
彼女でほぼ確定だろうと皆が思っていたところ、横槍よろしく急遽婚約者の座に収まったのがわたくしでした。
当然、マルグリット様にとってわたくしの存在は面白いものではありません。
当時王家は彼女を筆頭候補としていたわけでも、ほぼ確定だと認めたわけでもありませんでしたが、否定もされていませんでした。
周囲の好奇と期待と思惑から、マルグリット様もご自身が選ばれることに一片の疑いも持っておられなかった。
御本人がそう仰っていたのですから、彼女にとってそれこそが真実だったのでしょう。
あの方にとってわたくしは、約束されていた地位を奪った略奪者なのです。
長らくお待たせ致しました!
申し訳ないですっっ(_ _;)
醜く言い訳しますと、6月頭からとある問題に悩まされていまして、それが解決することなく現在も対処できていないという、そんな事態に途方に暮れています……。
行政はノータッチ。
こちらからも手出しは法に触れる。
つまり野放し。
出費と被害は個人でお願いします。
そんな理不尽な状況。
曖昧な言い回しで意味不明だと思います。ごめんなさいっっ
ああ、今年中に解消されるといいなぁ……(TT)




