42 ユリエル side
「国や人物、世界情勢など符合する部分もあるだろうが、現実的ではないな」
「え? どういう意味ですか?」
カトリーナ嬢は年代記と言ったが、舞台とキャストだけ実在するものを使った創作物に思えてならない。所々に予見が示唆されているのかもしれないが、それは回避可能な、寧ろ安全性を確約してくれる道しるべのようなものではないだろうか。要は分岐する未来の情報も使いようということだ。恐れるものではない。
それに、創作物だと断言できる根拠だが――
「そもそも論になるが、王侯貴族には幼少期に縁を結んだ婚約者がいるものだ。王族や貴族にとって婚姻とは契約であり、個人の事情で勝手ができるなどそう単純な話ではない。婚約は家と家を繋ぐものであって、両家に益をもたらす良縁が選ばれる。それは常識として幼い頃から叩き込まれることであり、そういった素地を持つ令息たちが、婚約者を蔑ろにしていとも簡単に色恋に溺れるなど普通ならばあり得ない。それも婚約の段階で婚姻すらしておらず、家を継ぐ跡取りも生まれていない状況で契約不履行など無能も甚だしい。そのような者は当然信用されず、貴族社会では致命的すぎて生きてはいけない。家の存続に関わることだ。当主も早々に見切りをつけ、放逐することだろう。それほどに愚かなことだとわかっていてヒロインとやらに傾倒するならば、その王太子は国のために淘汰されるべきだ」
「えっ。そ、そこまで大事なんですかっ?」
心底驚いたとばかりに瞠目するカトリーナ嬢に、私も心底呆れたと隠すことなく渋面を向けた。
何を言っている。当たり前だろう。
「悪役令嬢の悪行は確かに看過できるものではないが、それ以前に婚約者である令嬢をそこまで追い詰めた王太子こそ断罪されるべきだ。そして王子と有力貴族の跡取りたちを籠絡させたヒロインとやらは、国の監視下に置き魔力を封じたうえで幽閉すべきだろう」
「え!?」
「当然だろう? 権謀術数に長けたお歴々に、厳しい教育を施されてきた王太子や高位貴族の令息たちが、非常識な真似を正当化し愚行を冒すなどあり得ない。そのあり得ないものを覆し、自身に溺れさせるほどの強力な魅了だ。精神干渉の魔法以外考えられない。そんな危険人物を、国が対策もせず放置するとでも?」
福音のある王族に魅了が効くとは思えないが、年代記に記された王族が唯一無二の伴侶を捨て置くならば事態はより深刻だ。王家の成り立ちすら覆る。そんなもの、本来ならば成立しない。そこを崩せるなど、それこそ人間には不可能だ。ヒロインとやらは本当に人なのか?
「せ、精神干渉の魔法!? あのロマンスが、そんな物騒な話になるんですか!?」
「ならない方がおかしい。それをロマンスと呼ぶ世界はすでに破綻しているし、狂っている」
「そんなぁ……ショックすぎる……」
「だから現実的ではないと言った。注意をしていた悪役令嬢の言い分が一番まともだったじゃないか」
「は!? え!? な、なんでっっ」
おい……本気で聞いているのか? 嘘だろう?
苦り切った顔でエメラインを見れば、心得たとばかりに苦笑してカトリーナ嬢に向き直った。
「キティ。貴族社会では、婚約者を持つ男性に親しげに接してはならないのです。家同士の確執を起こしますし、婚約者である女性への侮辱にもなります」
「えっ。友人関係もダメなんですか?」
「節度が守られていれば問題視されませんが、それでもあまり親しげなのは褒められたものではありません」
「うわぁ……貴族って本当に堅っ苦しくて面倒……」
「その線引きをきっちりやるのが貴族だ。いいのか、そんな腑抜けたことを言っていて? アーミテイジ卿もその貴族のひとりだぞ」
「節度ある距離感ですね! 粗相をしないようきちんと学びたいので、今度適切な範囲を教えてください、エメライン様!」
「まあ、素晴らしい心意気だわ。ええ、わたくしでよければお教えしましょう」
「ありがとうございます!」
現金な奴だ。アーミテイジ卿のネタは今後も使えそうだな。
「大まかなことはこれでわかったか? 王太子に近づくな、節度を持てと最初に諫めた悪役令嬢は至極真っ当なことを言っている。貴族令嬢としての常識を説き、適切な距離を教えているんだ。それは破天荒なヒロインとやらを教育するという、王太子の婚約者として当然の務めを果たしたに過ぎない」
「なるほど。嫌味じゃなかったんですね」
「そういうことだ。嫌味や虐めだと判断したヒロインとやらは、王太子や貴族令息をたぶらかしておいて、貴族社会について学ぶ姿勢すら見せていない。何より王太子は筆頭貴族として務めを果たした婚約者に労いの言葉もかけていないうえに、自身はヒロインとやらの言い分を鵜吞みにして婚約者をぞんざいに扱う始末。これが現実に引き起こされたならば、その国は有力子息をごっそりと失うことになっていただろう。私には、国力を殺いだその者こそ悪役令嬢だと感じるがな」
「うぐっ」
なんだ? 急にカトリーナ嬢が胸を押さえて奇声を発したが、ついにおかしくなったか? いや、以前からおかしいか。
「為政者視点の分析がエグい……夢がない……」
「夢物語で国が治まるなら苦労はないが、誰も努力すらしない怠惰な世界に仕上がるだろうな。発展も向上もしない、閉じた世界の何がいいのか私には理解不能だが」
「正論すぎて心折れそうなのでもう勘弁してほしいです」
正鵠を射る指摘はもうお腹いっぱい、寧ろ胸やけを起こす勢いなのでやめてくれと、カトリーナ嬢は顔を覆った。胃薬くださいとエメラインに縋っている。意味が分からん。
さて、挙動不審なカトリーナ嬢は放置でいいとして、問題は、エメラインの曾祖母君がカトリーナ嬢さえ知らない年代記の全容をなぜ補完できていたのか、という点だが……。
「〝裏設定〟の話に戻るが、聞く限り曾祖母君の知識量はカトリーナ嬢を上回っている。これは、かの方の能力が貴女を凌駕していたと解釈していいのだろうか」
「能力といえば能力なんですけど、……う~ん、表現が難しい。あ、予言とかそういう意味でならエレオノーラ様と私のどちらも備わっていません。ただ決定的に違うのは、私は『読んだ』だけで、エレオノーラ様は『描いた』ってところですかね」
「描いた? それは未来を覗いたのではなく、自ら紡いだという意味か? だとしたらとんでもないことだぞ。世界の命運を一個人が左右できるということだ。それは人のなせる技ではない。神の領域だ」
「あ、いや、神様とかそんな大事じゃなくてですね。ええ、これどうやって説明すればいいの。シナリオライターって、こっちでは神様になるの? いや間違いなく人だし。そもそもシナリオが先なの? こっちが先なの? あ、でもこっちが先なら何でずっと先の未来を知ってたのかって話になるのか。え。じゃあエレオノーラ様の創造世界ってことになるの? マジで乙女ゲームの世界? いろいろ違う部分も多いのに? あ、待って待って。混乱してきた。やだどっち? 卵が先か鶏が先かって、そんな次元ですらない? いやでも手記には未来見てきた!とか一言も書いてなかったし、没ネタもったいないとかせめてスピンオフ書かせろとか愚痴も散見してたし、え、やっぱりエレオノーラ様の創造物で正解? 神? 神になっちゃうの? じゃあそれを読んだプレイヤーの私はなに? 立ち位置どこ?」
後半は小声すぎて何を口走っているのか聞き取れなかった。神業ではないということだけはわかったが、それすらいまいち要領を得ないな。つまりどういうことだ。
「カトリーナ嬢。要点だけでいい。説明は可能か?」
「可能じゃないです。私もどういうことかわからなくなってきました。手記とエレオノーラ様の正体が謎すぎて、今は混乱の極みです」
ああ、目が死んでいるな。嘘はついていないようだが、すべてを語っているわけでもなさそうだ。
カトリーナ嬢がどちらの本質も把握できていないなら、これ以上重ねて詰問しても意味はない。カトリーナ嬢の中に掘り下げる情報がないのだから無駄足だろう。謎と疑問は残るが、現時点ではこれが限界か。
「わかった。今日はここまでにしよう。思い出したり思いついたことがあれば、些細なことでもその都度報告するように。可能な限り時間を作ろう」
ほっとした表情で了承するカトリーナ嬢を一瞥してから席を立つ。
休憩らしい休憩もないまま仕事に戻らなければならない。エメラインに会えたことだけが唯一の癒しだったな。
エメラインの頬に退室の挨拶をしてから、足取りも重く執務室へと向かった。
はあ……国賓を迎える今期は無理だが、今後書類仕事の効率化を徹底させよう。二度と二度手間なんぞ許さないからな。




