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本当にどうなさったのかしら。お声が地を這うようにおどろおどろしいわ。ご機嫌を損ねるようなことを言ったかしら。――あっ。ご自身の口から仰りたかったのね!? カトリーナ様を愛しているって! まあ、なんてこと!
「申し訳ありません、殿下。わたくし、勝手に殿下のお心を口にしてしまいましたわ」
「そうだね。貴女は勝手に私の心だと語っている」
「はい、申し訳ございません。カトリーナ様へ溢れる想いをわたくしが代弁するなど烏滸がましい真似を致しました」
「は?」
「では殿下。わたくしは口を噤んでおりますので、陛下やお父様、お兄様には殿下からお伝えして頂けますか?」
「私がカトリーナ嬢を愛していて、貴女と婚約解消したあと彼女と婚約し直したい、と?」
「はい」
「はぁぁぁぁぁぁ……」
まあ、どうされたのかしら。随分とお疲れのご様子。ああ、きっと穏便に解消できないかと悩まれていたのですね。お心優しい殿下ならば、破談にされたわたくしに傷がつくと心配されても不思議ではありません。
でも大丈夫です。わたくしには夢がありますもの! これは叶える絶好の機会なのですわ! 破談なんて痛くも痒くもありません!
「ご心配ありませんわ、殿下。わたくしも同意し、心から祝福しているのだと陛下やお父様に正しく申し上げます。この破談に憂いなどひとつもございませんと」
「ひとつもない?」
「はい。微塵も」
「微塵も」
あら? 殿下のアメジストの瞳からハイライトが消え去りましたわ。遠い目をされて、どうしたのかしら。
「……エメライン」
「はい、殿下」
「ひとつだけはっきりしていることがある」
「はい」
わかっておりますわ。カトリーナ様への溢れんばかりの愛、ですわね!
「違う」
「え?」
「貴女が何を勘違いしてるのか、私には手に取るようにわかる。だからはっきり断言する。貴女のそれは途方もない勘違いだ」
ええと、どれのことを仰っているのかしら?
ハッ! まさか、ラステーリアへ遊学は許されない、と!?
「うん、たぶんそれも間違ってる気がする」
「えっ? ではラステーリアへ参っても問題ないのですね? ああ、よかった」
「ラステーリア?」
「はい。あ、これからお父様にご許可頂かなくてはならないのですが、破談になりましたら、わたくし是非ともラステーリアへ」
「残念だけど、それは叶わないよ」
「えっ?」
「破談にはならないし、貴女には引き続き王妃教育に専念してもらわなければならない。ラステーリア? 許可できるはずがないだろう」
「そんな……」
ヴェスタース王国では、やはりたとえ元婚約者といえど、王太子殿下の伴侶候補だった者が魔工学を学びに遊学など外聞が悪いということなのかしら……それは困ったわ。どうしましょう……。
「………………」
あら? ちょっと待って。今、王妃教育を継続って仰らなかった?
「あの、殿下。きっとわたくしの聞き間違いだと思うのですが、王妃教育はもう必要ございませんわよね?」
「何を言っている? 貴女が受けずして誰が受けると言うんだ」
「ええ? それは勿論カトリーナ様でしょう?」
「あり得ない。王妃教育とは一朝一夕でどうにかできるものではない。それは幼少期から厳しい教育を施されてきた貴女が一番よくわかっているだろう?」
「ええ、それは、まあ」
でもカトリーナ様が王太子妃になられますのに、わたくしが継続して王妃教育を受けるのは本末転倒では?
「はっきりさせておく。私は貴女と婚約解消する気はない」
「え?」
「カトリーナ嬢を王太子妃にするつもりもない。私の妃はエメライン、貴女だけだ」
「それは……」
今から王妃教育するにも時間がないから、仕方なくわたくしを王太子妃に据えて、カトリーナ様を側妃に召し上げるということかしら……それはあまりにも切なすぎますわ。ようやく真実の愛を見つけられましたのに、まるでわたくしがお二人の仲を引き裂くようではありませんか。
――ああ、だからあの時カトリーナ様はわたくしを悪役令嬢だと仰いましたのね。わたくしにその自覚はなくとも、確かに愛されてもいないわたくしが妃の座に居座るのですから、間違ってはおりませんわ。なんてことでしょう!
それに、ラステーリア……無念ですわ……。
「確かに王妃教育は突貫作業で身に付くものではありませんが、ご婚姻されてからも継続して教育を受けていれば、いずれは身に付くものですわ。カトリーナ様を側妃にせずとも、いつかはご正妃に相応しい礼節を」
「そもそもそこから間違っているんだよ、エメライン」
「えっ?」
「私は貴女以外の妃を娶るつもりはないと言った。カトリーナ嬢を正妃にも側妃にもするつもりはない。王太子妃は貴女だ。側妃も必要ない」
ぽかんと淑女らしからぬお間抜けな顔で呆けてしまいました。
だって、わたくしやお父様に義理を通すためにカトリーナ様を諦めると仰っているのですよ!? そんな悲しい話がありますか!
「それはお受けできませんわ、殿下」
「え!?」
「わたくしやアークライト家を慮ってくださるのは有り難いのですが、それではいけません。心から愛するカトリーナ様を諦めて、愛のないわたくしとの婚姻を選ばれるなんて、そんな悲しい決断をされてはなりませんわ」
「いや、そうではなくて」
「数年間はカトリーナ様に無理を強いることになるとは思いますが、真実の愛を前に、その障害とて些末なもの。王妃様もきっと手助けしてくださるはずです。わたくしのことならばお気遣いいりませんわ。ラステーリアへ渡れば、ヴェスタースへ戻ることもないでしょう。ですので」
「駄目だと言っている。何故貴女はそんなにラステーリアへ行きたい? あちらの皇太子と密なやり取りでもあるのか」
「はい?」
ラステーリア皇太子殿下と密なやり取り? 今の会話の流れから、どうして皇太子殿下のお話にすり替わっているのでしょうか?
そういえば、今年十六歳になられた皇太子殿下は、珍しく現在まで婚約者を持っておられなかった方で、三ヶ月後の夜会でついに婚約者選定が開かれるとお父様が仰っておられましたわね。わたくしにも今朝招待状が届いていましたが、お婆様が皇太子殿下のお爺様、つまり先代皇帝の妹姫でいらっしゃるから、そのご縁でご招待頂けたようです。
皇太子殿下とお会いしたのはわたくしが五つの頃で、皇太子殿下が三つの頃でした。きっと皇太子殿下は、幼い頃に一度だけ会ったはとこのことなど覚えておられませんわ。
「そうか。密なやり取りがあるのだな」
え? 殿下? 獰猛な肉食獣のような微笑みが恐ろしいのですが、何故先程からずっと怒っていらっしゃるのです?
「だからラステーリアと。ふふふ。エメライン。貴女の願いは叶わないよ。だって貴女は王太子妃になるのだから。ラステーリアには行かせない。ヴェスタースから一歩も出さない」
「え!?」
そんな! 遊学の夢が! 魔工学を学べる機会が!
その後遅れてやって来たお父様とお兄様が、項垂れるわたくしの代わりに殿下よりご説明を受け、お二人ともわたくしの味方になってはくださらず、殿下と同じように諦めなさいと釘を刺したのでした。
ああ、ほんの一時の夢でしたわ……。