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いつもご高覧いただきありがとうございます!
◇◇◇
アルベリート王国の王弟殿下ご夫妻のご来訪まで一週間を切った頃、ようやくカポックの寝具が届きました。二組と、発注したとおり問題なく輸入出来て安堵しております。
運輸にかかる日数を、通常より期限を短く切ったことで官民、特に貨物利用運送事業者や外航海運業の皆様に多大なご迷惑をお掛けしてしまいました。
わたくしの判断が遅れたり間違っていた場合、そのしわ寄せは末端にこそ及びます。どのような形であろうと、『王太子妃』は無理を通せる立場なのだと、幾年も妃教育で学んできたはずですのに。無理を通せるからこそ細心の注意を払い、その影響を最小限に抑える必要がありました。本当に不甲斐ないです。
王弟殿下と妃殿下に快適にお過ごしいただくためにも、より一層気を引き締めなければなりません。ですが気負い過ぎて、逆に過失を犯しては意味が無いでしょう。そのバランスが難しいです。
「エメライン様、読み終わりました! 少しお時間大丈夫ですか?」
少々時間が空きましたので、後回しにしていた一人反省会をしておりましたところ、黙々と曾祖母様の手記を読んでいたキティが声を掛けます。
「ええ、構いませんよ。もう読破できたのですね。凄いわ、キティ」
「えへへ。頑張りました。ありがとうございます!」
手記を胸に抱いて、パタパタと走って近寄って来ます。
ああ、キティ。淑女たる者、優雅さを欠いてはなりません。ゆったりと穏やかにこちらへ歩いていらっしゃい。でないと―――ああほら、案の定ジュリアに注意されてしまいましたわ。
子犬が駆けてくるようで、わたくしとしましては大変好ましいのですけれど、後宮勤めのメイドとしてははしたないと言われてしまいます。ですから走ってはだめよ、キティ。
「エメライン様。解読の報告をしたいのですが、よろしいでしょうか?」
「ええ、お願い」
あって当たり前の魔力がわたくしにはないのですから、たとえ魔工学について詳細に記されていたとしても、お婆様の仰るように知識として触れる程度が関の山です。それでも未知への憧れは満たされるのではないでしょうか。
わたくしの中で一区切りがつく、そんな気がしています。
◆◆◆
エメライン様付きのメイドになってわかったこと。
エメライン様の毎日はとにかく多忙だ。公務に諸々の采配、それに付随する決裁書類の山、山、山。それを一つ一つ丁寧に確認し、不備があれば担当者を呼び、詳細を聞く。
地位の高い人って高圧的なイメージがあるけど、エメライン様は勿論そんなことはしない。常に穏やかで柔らかい物腰だから、注意を受ける人達も素直に頷くのよね。わかりみが深いわぁ〜……。
私も学園時代、何度エメライン様の土俵に引きずり込まれたかわからないわね。おっとりと微笑むエメライン様と比較させられるように、喚いている自分を客観的に見るはめになるのよ。それで毒気を抜かれるのよね。あれって高度な交渉術か何かじゃないの。
エメライン様の生来のご気性ゆえか、妃教育の賜物なのかはわからないけど、私は一生あの方には敵わない。
そうそう、妃教育! 最近まではこれに妃教育も組み込まれていたって話なんだから驚きだわ。王太子妃になるべく生まれたような方に、私を含めて誰も敵うはずがないのよ。学園時代の私って本当に馬鹿。
国外からの手紙を一度チラ見したけど、何が書いてあるのかさっぱりだった。なのにエメライン様は母国語で書かれた文章を読んでいるみたいにすらすらと読んで、外国語で返事まで書いていたのよ。さすが最上位貴族のご令嬢。最下位の男爵家なんかより、教育水準がめちゃくちゃ高いわ。
王族の伴侶に上位貴族家から選ばれる理由はちゃんとあるのね。こんな手紙のやり取りなんて私には絶対無理!
この間興味本位で何ヶ国語話せるのか聞いてみたんだけど、五ヶ国語だって言うのよ。なにそれ。超人じゃない。
地球では確か、五ヶ国語も話せる人の割合は一%だったはず。なかには五十八ヶ国語も話せるなんて強者もいたけど、もはや異次元の新たな人種だと思うわ。私とは脳の作りが違うのね。納得。
ハウリンド公爵の突撃からずっと手記を読んでいたけど、ようやく読み終えたわ。
エメライン様と王太子殿下には『考察』と『相関図』が書かれてるって話したけど、それだけじゃなかった。日本語で書かれている時点でエメライン様のひいおばあ様は転生者だったとわかるけど、これはそれ以上の代物だった。端的に言えば、私みたいな一般人じゃなかったってこと。
エメライン様のひいおばあ様、名前はエレオノーラというそうだけど、この方、なんとシナリオライターだったの!
そう、この世界を舞台に乙女ゲームのシナリオを書いた人!
私の知らないこの世界の隙間を埋めるように裏設定とか詳細に書かれていて、まるで一冊の小説を読んでいるようだった。
このエレオノーラさん。シナリオライターとして商業化される前にかなり事細かく設定を考えていたみたいで、主要キャラたちの家系もしっかり掘り下げて作り上げていたらしいの。そのおかけでこの世界での自分の立ち位置を把握したエレオノーラさんは、いつか忘れてしまう可能性も考えて、思い出せるかぎりのシナリオを書き記したんだって。仮に第三者の目に触れることになったとしても、誰にも解読できないよう日本語表記にしたとか。すごく冷静な人だったのね。凄いわ。
「エメライン様、読み終わりました! 少しお時間大丈夫ですか?」
僅かな休憩時間にも、何やら考え事をしていた様子のエメライン様に声を掛けると、ふとこちらを向いて、慈しみ深き微笑みで頷いた。最早聖母か女神様ね。
「ええ、構いませんよ。もう読破できたのですね。凄いわ、キティ」
「えへへ。頑張りました。ありがとうございます!」
エメライン様に褒められると嬉しくなっちゃう。この方の包容力って半端ないわ。やっぱり聖母様ね。
手記を胸に抱いて、パタパタと走って近寄って行くと、ジュリアさんに「カトリーナ。走るなどはしたない真似はやめなさい。淑女たる者、優雅に振る舞う努力を怠ってはなりませんよ。あなたの行動如何では、主であるエメライン様が責めを負うことにもなると心得なさい」と注意された。
私はびっくりした。ただちょっと走っただけでエメライン様が責められるの? 嘘でしょ? 何その言いがかり。
庶子だけど一応男爵令嬢としての教育はそれなりに身につけたつもりだったけど、さすがに走った程度で怒られた経験はなかった。生粋のご令嬢って、なんて窮屈なの。信じらんない。
唖然としたものの、気を取り直してエメライン様に向き直る。
「エメライン様。解読の報告をしたいのですが、よろしいでしょうか?」
「ええ、お願い」
「王太子殿下には後で報告しますか?」
「そうですね……ジュリア、ユリエル様に確認を取ってくれる?」
「畏まりました」
ジュリアさんが退出したのを見送ってから、エメライン様が対面のソファに座るよう促した。
侍女の淹れた紅茶が私にも渡される。小声で「あなたにも後々ちゃんと覚えてもらいますからね」と釘を刺され、「紅茶くらい私にだって淹れられるわよ。……たぶん」と、根拠のない自信を嘯く。口籠るのは許して。
……………うん。私が淹れたのよりめちゃくちゃ美味しいわね。
◆◆◆
「待たせてすまない。エメラインはまだ時間は平気だろうか?」
アルベリート王国王弟夫妻を歓待する劇場の最終チェックを書面で確認していた私は、訪ねて来たアテマ夫人経由で例の手記の解読が完了したと報告を受けた。随分と早いなと驚いたが、アテマ夫人にしばらく待つよう言い置いて、先に下がらせた。
エメラインの呼び出しだ。何を措いても優先させたいが、この書類を作成した担当官にいくつか確認を取らなければならない。まったく、正しく書いてこその報告書だろう。不備がないか隅々まで目を通してから上げろ。二度手間じゃないか。時間は有限なんだぞ。
アテマ夫人を帰して数十分が経過していた。私を呼んだエメラインとて決して暇な時間などない。
「はい。大丈夫ですわ、ユリエル様。王妃様に嘆願して、午後の商会面談は免除して頂きました。その後の婦人会には出席せねばなりませんけれど、ニ時間ほどの猶予がございますので」
そうか、と私は安堵した。こちらの都合でエメラインの時間を縛ってしまったことは猛省案件だが、彼女を困らせなくてよかった。
まあ、後で母上にはチクリと嫌味を言われるだろうが、いつものことなので許容範囲だ。問題ない。
護衛や侍女達を下がらせエメラインの隣に腰掛けると、愛らしい眉尻を下げながら私を見上げてきた。
「ユリエル様こそお時間は大丈夫でございましたか? ご無理を言って来て頂いたのでは……」
「いや、大丈夫だよ。上げられた報告書に不備があって、その擦り合わせに少々時間を取られただけだから。ちょうど休憩しようと思っていたところだった。午前中は一度も休めなかったからね」
ほっと安堵するその息さえも取っておけたらいいのに。宝石よりも価値のあるそれらが、ただこぼれ落ちるだけなのは非常に勿体ない。ああ、今日も私の婚約者は最高に愛らしくて美しいな。
「あの、王太子殿下。変態チックな妄想は取り敢えず仕舞ってもらって、報告してもいいですか?」
エメライン限定で己が変態だと自覚しているが、それに何の問題が? 自分の婚約者相手に全力の愛を注いで何が悪い。
ふん、と鼻を鳴らし、続けろと示す。
確かに報告の時間は限られている。
「まずは謝罪します。四、五日あれば読破できると言っておきながら、解釈とまとめに少々手間取ってしまい、想定していたより日数がかかってしまいました」
「早ければいいというわけでもない。こちらから期限を切ったつもりはないから気にするな」
「わたくしもそう思います。解読出来るだけでもありがたいですわ」
ありがとうございます、とカトリーナ嬢が頭を下げる。
「では報告しますね。結論から言いますと、これは日記であり、相関図であり、また年代記でもありました」
「初めに言っていたとおり、未来記……予言書のようなものだということか?」
「そうですね、ここまで詳細に記されているなら、予言書と称しても差し支えないと思います。ただ本来歩むはずだった未来が選択されていないので、私の予備知識もこの手記も、現在とその先の未来には当て嵌まりません」
「それは我々の選択によって未来が改変された、という意味だろうか?」
「恐らく……」
では未来は分からないままなのだな。
先が不明瞭で不確かなのは普通で当たり前のことだ。今までと変わらない。何も問題はない。
「でも一つだけ気になっていることがあります。それがこの手記の内容で確信に変わりました」
「どういうことだ?」
「完全になぞっているわけじゃありませんが、王太子殿下とラステーリア帝国皇太子の場合にかぎり、エメライン様は『ヒロインルート』を辿っています」




