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◇◇◇
キティと手を取り合って微笑んでいますと、扉の向こう側で押し問答のような人の言い争う声が聴こえます。
何やら外が騒がしいですね。何かあったのでしょうか。
「ふん。やはり来たか」
ユリエル様が不敵な笑みを浮かべておられます。どうやら心当たりがおありのようです。
「エメライン、カトリーナ嬢。貴女たちはここから動かないように。アテマ夫人」
「各部屋への侵入の形跡はありません」
「よろしい。アーミテイジ卿」
「心得ております」
「では任せた」
阿吽の呼吸ですわ。ユリエル様の、立て板に水の如く詳細を省いたご指示に、問い返すことなく応えています。
ユリエル様のお傍に上ることで、それがより顕著に感じ取れるようになりました。心から敬服致します、ユリエル様。
颯爽と扉へ向かわれたユリエル様に付き従って、従僕が開扉します。
わたくしとキティを隠すように立つアーミテイジ様とアテマ伯爵の背中から、僅かに見える開けられた扉の先へ視線を寄越しました。
「私の宮で随分と騒がしいね。我が婚約者の部屋へ不躾に何用かな、ハウリンド公爵?」
「これは王太子殿下! こちらにおられましたか!」
入り口で近衛騎士に入室を阻止されているのは、アーモンドカラーの髪と同じ色の口髭を生やした、武門に相応しいがっしりとした体格の中年層の男性です。ハウリンド公爵には初めてお目にかかりますが、貫禄のある方ですわね。
「不審者情報が入りましてな。王太子宮へ逃げ込んだと報告を受けましたもので、こうして馳せ参じたわけです」
「ほう。元帥自らとは随分熱心なことだ」
「はっ。事は王太子殿下の御住居の安全に関わります。だのに、急を要するというのに此奴らときたら! 私を通さぬとはふざけておる! 問題が起きてからでは遅いのだぞ! 貴様らが責任を取れば良いという安易な話ではないのだ!」
「なるほど。貴殿の言い分は理解した。だが彼らも職務を全うしたに過ぎない。何人たりとも通すなと、私が命じていたからね」
わたくしからはお背中しか見えませんが、お声から察するに、ユリエル様はそれはそれは麗しく微笑んでおられるのでしょう。
ハウリンド公爵の立派な口髭がピクピクと小刻みに震えているのは、ユリエル様のお言葉も微笑みも癇に障っているから、かしら。ユリエル様は煽り癖がある、とはフランクリン様のお言葉ですが、これがそうなのかしら。お声のご様子から、とても楽しそうです。
「中を改めさせていただきますぞ、王太子殿下」
「おや。それは許可できないね。王族居住区や王族警護の権限は近衛騎士にある。貴殿は確かに軍部の統括だが、この場の警備責任はエメライン専属の護衛騎士であるアテマ卿とアーミテイジ卿にある。中を改めるというなら、それは彼らの仕事だ」
「しかしですな、殿下」
「アテマ卿。夫人と各部屋を調べてくれ」
「御意」
ジュリアと夫君であるアテマ伯爵が、寝室やドレスルームなど続き部屋を一つずつ確認していきます。
「殿下。どの部屋も異常ありません。賊が侵入した形跡も見つかりませんでした。潜んでいる可能性もありません」
「貴金属なども紛失しておりません。何一つ問題は起こっておりませんわ」
「ということだそうだ、ハウリンド卿。不審者がこちらへ来たとは誤報だったか、もしくは他の部屋か宮かもしれないね。両陛下のお住まいへは既に通達されている頃だろう。あちらも担当の近衛騎士たちがしっかり職務を全うしているに違いない。私の宮は、引き続き近衛騎士に調べさせよう。元帥自らご苦労だった、ハウリンド卿」
ぐぬぬ、と聴こえてきそうな鋭い眼光です。ユリエル様、本当に楽しそうですわ。
ふと、ハウリンド公爵の視線がこちらを向きました。瞠目したのち、口角が上がったように思います。
「これは聖女様ではありませんか! ハッハッハッ! ようやくお目にかかれましたな!」
「入室は許可しないと言ったはずだ、ハウリンド卿」
「いやいや、殿下。もちろん踏み込むなど不敬は働きませんぞ!」
先程の苦り切った表情から打って変わって、とても上機嫌にキティを見つめています。
「不敬というならば、まずは王太子妃に内示されているエメラインに挨拶すべきだろう」
「おお、これは失念しておりました。念願の聖女様にお会いできた喜びでつい年甲斐もなく興奮してしまい、お恥ずかしいかぎりです。アークライト嬢、息災でいらっしゃるか」
「はい。ハウリンド公爵も、ご清祥のことと存じます」
「ははは、ありがたいことです」
定型文よろしく挨拶を済ませますと、もう用済みとばかりにわたくしから一切の興味が失せたように、キティへと再び視線を戻しました。
「聖女様。私はハウリンド公爵家の当主で、あなたの生家であるダニング男爵とは旧知の仲なのですよ。お父上から聞いておりませんかな? 我が家には娘がおらぬので、是非ともあなたを我がハウリンド公爵家へお招きしたいと相談しておりましてな」
「聞いておりません」
「おや。そうでしたか。では急な話で戸惑っておられるでしょう。どうですかな? 一度我が家へ遊びにいらしてみては。家内などは娘が出来ると大喜びでしてなぁ」
既に手は打ってある、とユリエル様は仰っていましたが、なるほど。これを警戒なさっておられたのですね。二重に対策を講じておられたとは、さすがですわ。
「残念だがハウリンド卿。それは生涯叶わないだろう」
「殿下? 何ですと?」
「カトリーナ嬢はすでにダニング男爵家の籍を抜け、後宮にその身を移した」
「は?」
「カトリーナ嬢の籍は後宮に移り、後宮の主である王妃陛下の、そして王太子妃となるエメラインの所有となっている」
「は?」
「彼女を養女にすることも、ハウリンド公爵家へ招くことも許されない。細君にはご子息へ期待してもらうべきだろうな。孫娘を抱ける日が来ることを祈っているよ」
「はあ!?」
涼やかなご様子で告げるユリエル様とは対象的に、ハウリンド公爵の目は吊り上がっていきます。
王族に声を荒げるなど以ての外ですが、そんなことさえ気が回らないほど動転しているのか、先程まで見せていた余裕は微塵もありません。
「そんな馬鹿な! そのような時間などなかったはずですぞ!」
「おや? まるでカトリーナ嬢がいつ登城したか知っている口振りだね」
「登城記録を調べればすぐにわかることです!」
「そのとおりだが、わざわざ調べたのか? 今日たまたま? それとも毎日調べているのかな?」
「軍部の元帥位を拝する身ですぞ! 城への出入りには目を光らせております!」
「勤勉だな。その熱意には感服するが、成人しているカトリーナ嬢が独り立ちを志し、暮らしを立てるため後宮に籍を置くと決めた事と、貴殿の事情はまったく関係ないだろう」
離れて座るわたくしの耳にまで届くほど、食いしばる歯の軋む鈍い音が聴こえます。
「カトリーナ嬢の人生はカトリーナ嬢のものだ。彼女がエメラインに仕えたいと望むなら、私はそれを歓迎する。カトリーナ嬢の意思を尊重出来ない理由が、無関係であるはずの貴殿にはあるのか?」
「くっ……。しかし、まだ受理されてはいないはず。聖女様。早まってはなりませぬぞ。我がハウリンド公爵家へおいでになれば、より良き縁談も望めましょう。王族に嫁ぐことも夢ではないのです。そう、例えば王太子殿下の妃の座など」
「王太子妃殿下はエメライン様です。私にその資格も能力もありません」
キティが眉根を寄せて、不快感を露にします。
「聖女であることこそ重要なのですよ! 聖女様であるあなた以上に王太子妃に相応しい者はいない」
「ああ、またそれですか。私、偽物なんで、聖女の肩書きも擬い物ですよ」
「は?」
「あと縁談とか余計なお世話です。私は自力で愛する人の心を掴みますから。王太子殿下のお相手なんて恐れ多い」
というか、腹黒粘着性溺愛とかエメライン様しか許容できないわよ――と苦虫を噛み潰したような顔でそう呟いたキティを、ユリエル様は思わず見惚れてしまうような笑みを浮かべて振り返られました。
男性に艶冶だと言ってもよいのかわかりませんが、ご尊容に浮かべられた微笑みは極上の艶があります。
ああ、いえ、それよりも。
まさかこの距離で聴こえたのかしら……? とんでもない地獄耳です。
「ああ、ハウリンド公爵。伝えるのを忘れていた。書類はすでに受理されている。つまり、現時点で権限は王妃陛下に渡った、ということだ。エメライン付きのメイドとして我が宮へ配属されることも決まっている」
「受理済み……? あり得ない。一介のメイドの採用ならば、今は女官長で止まっているはず」
「母上に昨晩話を通していてね。素性と人柄に問題がないならと、予め受理された形で書類を準備して頂いたのだ」
「そんな型破り、許されませぬぞ!」
「そうかな? 素行に問題なしと以前から報告を受けていたし、何より本人の強い希望もあったからね。聖女を保護してきた王家が、それを快諾しない訳がないだろう?」
確かに型破りで、ごり押しだったとわたくしも思います。
本来ならば絶対に取らない方法です。正規の手順を踏んで受理されていなければ、付け入る隙を与えてしまうからです。無効になる場合も当然あり得ます。
ですが、今回は真逆の手順を選ばれたユリエル様が正解だったのだと、ここへ訪れたハウリンド公爵を見てそう感じました。
ハウリンド公爵の仰るとおり、書類は女官長で止まり、決裁権者である王妃様の許可は未だ下りてはいなかったでしょう。後宮でのキティの籍は仮扱いで、如何様にも横槍は入れられたはずです。それを警戒して、事前にその芽を摘んだ。ユリエル様のご慧眼に、只々敬服するばかりですわ。
これからはわたくしがキティを守らなければなりません。
いいえ、キティだけではありませんわね。ジュリアやわたくし付きの侍女たち、専属の護衛騎士の方々もそうです。権力というあらゆる脅威から、まだまだ頼りないこの手ですが必ず守り通さなくては!
「カトリーナ嬢の件は、後宮に籍が移った時点で貴殿の伸ばされた手から逃れた。後宮の人事に貴殿は関われない。この話はこれで終いだ」
「……」
「本音が出たな、ハウリンド卿? 聖女を使って王太子妃の座を狙っていたか」
「何のことですかな? 例え話、言葉の綾ですよ、殿下」
「ほう? 王太子妃はエメラインだと決まっているのに、例え話で蹴落とせると唆すのか?」
「唆すなど、殿下は想像力が豊かでいらっしゃる」
「聖女を手駒に出来ると妄想する貴殿には敵わないが」
にっこりと微笑み合うお二人から、おどろおどろしい真っ黒い何かが漏れ出ているように錯覚してしまいそうです。
「王太子殿下。文治政治は平定された世であれば尊ばれますが、同時に国の弱体化にも繋がります。武威を以て制することも時には必要です。武断を遠ざければ、他国に付け入る隙を与えてしまいますぞ。そうなれば民草はどう思うか。教化で以て世を治める時代など理想論に過ぎぬと、民心は流露するでしょうな」
「ふむ。武断か文政かと懸隔させたつもりはないが、貴殿の諫言は尤もだ。どちらか一方が重視されるべきではない」
「時代の趨勢がございますからな。今上陛下の御代では文治政治こそ安寧秩序を保つ礎になっておりまするが、お隠れになった先王陛下の御代は戦乱の世でした。武力でもって平らげた時代――さて、殿下の治める御代には、果たしてどちらが必要ですかな」
潮流を読み違うことなどありませぬように――そう締め括ったハウリンド公爵は、ユリエル様に恭しく一礼し去って行きました。




