35 ユリエル side
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想いを遂げる、猶予と環境、ねぇ。
ちらりとアーミテイジ卿を見遣って、私はこっそりと嘆息した。
ダニング嬢が褒美にアーミテイジ卿との面通しを願った時から薄々勘付いてはいたが、あれだけ好意を無視されてよくめげないものだ。寧ろ冷遇されるたび喜んでいるようにも見える。不屈の精神には少々驚きだ。
諦める気は一切ないのだな。まあ私もエメラインに関して〝諦める〟など選択肢にすら入っていないから、ダニング嬢はある意味私と同類なのだろう。
アーミテイジ卿。貴殿はいずれ逃げ切れなくなる。いつまでも無視できるとは思わない方がいい。
初恋を拗らせていると自覚している私が言うのもなんだが、この手の執念は長い年月を経ても一向に衰えず、じわじわと退路を断っていくものだ。ダニング嬢に想いを寄せられた時点で結末は決まってしまったのかもしれない。
きっかけは引き合わせた私のせいだが、これからのことは、嫌っているはずの彼女をエメラインの許へ導いた貴殿に責任があるぞ。腹を括れ。
さて。アーミテイジ卿がダニング嬢に入れ知恵してくれたおかげで、早々に問題が一つ解決した。
私からエメラインを取り上げようとする輩に良心や手心など不要だ。
「では横槍が入る前に、早速手続きを済ませてしまおうか」
「横槍……すでに王宮の奥へ来ているのに、阻止できるものでしょうか?」
「軍部を担うハウリンド公爵なら、無理押しすれば出来る。アーミテイジ卿を伴って貴女が王太子宮を訪れていることは、すでにかの公爵の耳に入っているだろうからね。警備の確認だの賊の侵入の疑いがあるだのと、適当な理由をつけてここへ乗り込むくらいはやるんじゃないかな」
「嘘を捏ち上げてまでですか? 王族にそんな横暴が許されるくらい、その公爵は力を持っているってことなんですか」
「正確には軍部の特権だね。王族相手にそう何度も使える手ではないが、証拠の捏造さえ可能ならば、元帥位にあるハウリンド公爵の思惑はある程度叶うだろう」
「そんな……」
今までは手早く隠蔽されて証拠を掴めなかったが、王室介入の欲を掻いてくれたおかげで尻尾を掴めそうだ。
「そちらの心配はしなくていい。一時的に王太子宮の封鎖を強行出来たとしても、元帥と言えどそれはさすがにリスクが高すぎる。それに手は打ってあるから、仮にハウリンド公爵がここへ踏み込もうとしても間に合わない」
「え?」
「さあ、手続きを終わらせよう。ダニング嬢、最後に今一度意思を確認する。男爵家の籍と姓を捨て、後宮に在籍しエメラインに仕える気はあるか」
目を白黒させていたダニング嬢だったが、はっとした様子で居住まいを正すと、強い意志を宿した目でじっとこちらを見つめ返し、力強く首肯した。
「はい。あります」
「ではここに署名を。この件は両陛下に許可されており、現在の後宮の主である王妃陛下からはすでに承諾のサインを頂いている。ダニング嬢が署名し終えたら、エメライン、最後に貴女が王太子妃として許可のサインをするように」
「畏まりました」
慎重に署名していくダニング嬢を見守りつつ、エメラインはジュリア・アテマ伯爵夫人が用意した筆記具と王太子妃の印章を受け取った。
通常ならば女官長の許可印さえあれば後宮に籍を置くこと自体は可能だ。後日まとめて決裁権者である王妃が是非を判断する。
しかし今回はより『確実性』と『不可侵』を強化し、早急に受理させなければならない。故に手間を省き、決裁権者の許可を前以て貰っておいたというわけだ。順番が前後するが、既に受理済み扱いの書類にエメラインが署名すれば、ダニング嬢はただの「カトリーナ」になる。
エメラインに差し出された書類を受け取り、ざっと確認する。
母上、エメライン、ダニング嬢の署名と、押された王妃と王太子妃の印形に不備も書き損じもない。
従僕に執務室から持ち込ませた王太子印で書類を封蝋し、女官長に、立ち入り制限されている経庫への保管を命じた。
「この時を以て、貴女はカトリーナ・ダニングではなく〝カトリーナ〟となった。おめでとう、歓迎する。エメラインによく尽くしてくれることを願う」
「ありがとうございます……!」
「配属は王太子宮で、エメラインの部屋付きとする。仕事の詳細は筆頭侍女の彼女、ジュリア・アテマ伯爵夫人に教わるように。アテマ夫人、ダニング嬢……ああ、姓ではもう呼べないか。では今後貴女のことは『カトリーナ嬢』と呼ぶことにしよう」
「わかりました。一応『キティ』って愛称もありますけど、さすがに王太子殿下にそう呼ばれるのは双方問題ありですしね」
「そういうことだな。学園時代の貴女からは想像できない識見だな」
「うぐっ」
「まあ、可愛らしい! ではわたくしはキティとお呼びしても?」
キラキラと虹色の瞳を輝かせて、エメラインが期待を滲ませた眼差しでダニング嬢――いや、カトリーナ嬢を見つめている。
エメライン。そんな可愛らしい顔は私に向けてほしい。
私もエミーと愛称呼びしてみようか。アークライト公爵家の誰一人としてそうとは呼ばないが。
未だ嘗て誰もエメラインをエミーと呼んだことがない。つまり、エメライン自身もエミーなどと呼ばれた例がない、ということだ。
……うん。きっと呼んでも振り返らないな、エメラインは。
私はほんのり切なくなりながら、エメラインに愛称呼びを承諾するカトリーナ嬢を横目に話を進めた。
「アテマ夫人、カトリーナ嬢の部屋は貴女に一任する」
「畏まりました」
「カトリーナ嬢。今日からそこで生活するように」
「はい!」
「ではそろそろこちらの話をしようか。エメラインも待ち遠しいだろう」
テーブルの上に、帝国先々帝妃であったエメラインの曾祖母君の遺した手記を置く。
途端、エメラインがはっと息を呑み、カトリーナ嬢をじっと見つめた。
うっ、とくぐもった声を出して、カトリーナ嬢が若干たじろいでいる。今更言い逃れは許さないぞ。
「〝ニホンゴ〟と、貴女は先程これを見て口走っていたな? そのような文字言語は私もエメラインも知らない。アーミテイジ卿、貴殿はどうだ?」
「寡聞にして存じません」
「うん、やはりそうだろう。貴女はこれを、何処で知り得たのだ? ――ああ、誤解のないように言っておくが、私は決して貴女の言動を責めている訳でも、信じていない訳でもない。この手記には、エメラインの夢が詰まっている。もし解読可能ならば、彼女を手助けしてあげてほしい」
逡巡しているように見えたので、解読出来ても貴女の害にはならないと仄めかす。国とエメラインの毒にさえならなければそれでいい。
口にするのは憚られる、というよりは、何から説明すればいいのか困惑している様子だな。
「ええと……はい。あの、話したくないとか、殿下方を信用していないとか、そういうことじゃないんです。ただ何をどう説明すれば上手く伝わるのか、それがちょっと自信ないというか」
握りしめた手の、人差し指の背を鼻先に当てながら、カトリーナ嬢はしばらく考え込んでいた。
眉間に僅かな皺を寄せるその仕草は初めて目にするが、これがきっと彼女の熟考する際の癖なのだろう。ちらりとアーミテイジ卿を見遣れば、「殿下方の御前で行儀が悪い。何度注意すれば理解するのだ」と小言を口にしていたので、私の洞観もはずれてはいないだろう。
「えっと、順序立てて説明してみます。というか、そもそも私に順序立てた説明が出来るのか不安しかないんですけど、取り敢えず時系列に沿って話していきますので、意味不明だったり順序不同だったりしたら、その都度止めて聞いてください」
自己申告通り、順序立てた説明は不得手のようだった。
幾度も話の腰を折り、補足説明を求める回数も少なくなかった。聴いても分からない、いや、聞けば聞くほど理解出来ない経験など初めてのことで、内心戸惑ってしまった。
俄には信じられないような、要領を得ない部分が多々あるが、要約すると、こういうことらしい。
カトリーナ嬢にはここではない異世界で生きた前世の記憶があり、その異世界こそが、エメラインの曾祖母君が遺した手記の文字、ニホンゴを扱う国だった。
前世の世界には、こちらの史実が紀伝体で書かれた年代記が存在した。
学園の前後は簡素なアナリスで記述され、学園の入学から卒業までは聖女であるカトリーナ嬢視点で詳細に描かれていた。複数の重要人物にはそれぞれ用意されている未来があり、分岐点で選択肢を誤ると破滅の道に進むらしい。
その重要人物というのが、王太子である私と側近二人のサディアスとエゼキエル、エメラインの兄ジャスパー殿と私の従弟で大公の長男であるテオドール、そしてアーミテイジ卿。
カトリーナ嬢は前世で年代記を読み、重要人物たちの分岐する複数の未来を知っていた。本来の聖女は未来視の能力を有していたが、カトリーナ嬢にはそれがない。故に、本当の聖女ではないので、年代記に書かれていた以上のことは知らないし、分からないそうだ。
ここまで聞いても、正直眉唾物だと思っている。嘘をついているとは思わないが、『異世界』と『年代記』は俄には信じられない。
しかし、かつての異常な遭遇率と、エメラインでさえ知らない過去を知っていた点は信憑性がある、と思ってしまう。予め知っていたとすると辻褄が合うのだ。
「貴女の言う破滅の道とやらが気になるが、それは回避されているのだろう?」
「出来ていると私は見ています。ただ卒業後のことは、バッドエンドやメリバでない限りは『ヴェスタース王国の平和は守られた』としか書かれていないんです」
「メリバとは?」
「メリーバッドエンドの略称です」
尚更わからんな。
私の眉がぴくりと動いたのを見て覚った様子で、カトリーナ嬢が補足説明をした。
「あー、えっと、メリーバッドエンドっていうのは、主人公にとっては幸せな結末でも、違う視点から見たら不幸な結末だった、という意味です。例えば国と愛する人を守るために人柱になるとか、世を儚んだ愛する人の手によって殺されるとか、愛した人の幸せを願って犠牲になるとか、『いつまでも幸せに暮らしました』で終わらない結末のことをメリバ、メリーバッドエンドといいます」
「それは確かに立ち位置で見解の分かれる結末だな。その主人公というのが貴女なのか」
「はい。少なくとも前世で見たものはそうでした」
聖女が主人公の、お伽噺のようなものだろうか。よくわからない。
カトリーナ嬢の知る結末になっていないのは、彼女が聖女ではないからか。
一番詳しいはずのカトリーナ嬢にも分からないならば、この場で考えを巡らせても答えは得られないだろう。
「ではニホンゴについて聞きたい。手記には何が書かれている?」




