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カフェテリアでの騒動は、確実にシルヴィア様とセラフィーナ様のお心を傷つけてしまいました。もう少しわたくしが上手く対処できていれば、お二人がご婚約者様方に叱責されてしまうこともなかったのにと、そればかりが悔やまれてなりません。
しかしフランクリン様もグリフィス様も、あんなに愛しておられたお二人にどうして――。
「エメライン」
王宮へ赴いたわたくしは、早速お父様とお兄様へ取り次ぎをお願いして客室でお待ちしていました。そこへいらっしゃったのはお父様でもお兄様でもなく、殿下でした。
「殿下」
カーテシーでお迎えすれば、殿下は座るようにと促されます。王宮へ来るようにとのことでしたが、陛下やお父様に話される前に、わたくしにご決意をお話ししてくださるのでしょうか。殿下はやはりとても誠実な方です。
「エメライン。今日のカフェテリアでの話を聞きたい。カトリーナ嬢が言っていたことは本当か?」
「わたくしが責め立てた、というお話でしょうか?」
「ああ。どうなんだ」
「少々誤解があったようです。カトリーナ様は大層怒っていらっしゃって、あの方が何に対してお怒りなのかきちんと把握できなかったわたくしに、更に苛立ってしまわれたようで……」
「貴女が酷く責め立てたとは?」
「そこなのですが、わたくしは声を荒げないよう一言申し上げただけなのです。けれど上手く伝えられなかったわたくしの落ち度であることは間違いありません」
「なるほど」
殿下は顎に指をかけ、何やら思案しておいでです。
いつ拝見してもすらりと伸びた長い指は繊細で、伏し目がちに落とされたアメジストの瞳に長い睫毛が濃い影を作っています。三ヶ月前に十八歳になられた殿下は、その美貌により一層の輝きを纏っておられます。
長年お側にいるわたくしなどからすれば、贅沢にも見慣れた美しさですが、婚約者がいる現在も他国の姫君から婚姻を強く熱望される麗しい殿方です。
「――エメライン」
「はい、殿下」
「これから少々騒がしくなるが、貴女は今まで通り控えているように」
「控えて……」
「問題が?」
「いえ……」
現状維持をご希望されるなんて思わなかった。何よりも大切な方を見つけられたのに、わたくしとの婚約解消はなさらないのかしら? わたくしはいつでもお応えできますのに。
そんな疑問が顔に出てしまったのか、殿下の整った眉が僅かに中央に寄りました。
「エメライン。何を考えている?」
「特には」
「エメライン」
こうなっては話すまで絶対に引かないのが殿下です。けれどわたくしから申し上げてもよろしいのかしら。
「エメライン」
「……はい。では申し上げます。本日王宮へお呼びになったのは、婚約解消されるためではないのですか?」
「……………は?」
あら。虚を衝かれたようなキョトンとしたお顔をされてますわね。なんて珍しい。けれどそんなに驚くようなことを言ったかしら? ――ああ、すでにわたくしが殿下のお心を察していたことに驚かれたのね。なるほど、納得ですわ。
「エメライン? 何を言っている?」
「え? 言葉のとおりでございますが」
「いや、ちょっと待ってくれ。何がどうなってそんな結論に――いや、心当たりはあるが、でもだからって急にそんな」
「殿下?」
何やらぶつぶつと額を押さえ俯いたまま口にされていますが、どうされたのでしょう? ――あっ、やはりわたくしから切り出すのははしたなかったですわよね!?
「申し訳ありません、殿下。お心を察して待つべきでしたのに、無作法を働いてしまいました」
「え? ああ、いや」
「しかし口にしてしまったものはなかったことに出来ませんので、このままお話を進めてしまいますわね」
「え? どういうこと?」
「ご安心を、殿下。このエメライン、殿下のお心を理解しておりましてよ」
「うん、いやちょっと待って。絶対なにか勘違いしてる」
「先程お父様とお兄様にお時間を頂きたいと取り次ぎましたの。お話はお二人が揃ってからと思っておりましたが、この際です。陛下に謁見を求めましょう」
「陛下に? ちょっと待った。貴女は何を話そうとしている?」
殿下の顔色がさっと変わりました。確かに性急過ぎたかもしれません。わたくしったら、ついラステーリアへ遊学出来るかもしれないと思ったら居ても立ってもいられず……せっかちにも程がありますわよね。だってまだお父様にお許し頂けてもいないのに。
「そうですわよね、わたくしったら……気ばかり急いてしまって、殿下ご自身からご報告すべきことでしたわ。出過ぎた真似を致しました」
「うん、貴女が盛大な誤解をしていることはわかった。釘を刺しておくけど、エメライン。貴女が思っているようなことではないから」
「え? カトリーナ様と愛し合っておられるのでしょう?」
「―――――は?」
「政略で結ばれた婚約ではありますが、真実愛しておられる女性と結ぶべきだとわたくしも思いますわ。婚約解消に同意致します」
「は?」
「心からお祝い申し上げますわ、殿下」
「は?」
何かしら。部屋の空気が急に冷え込んだ気がするわ。晩夏だというのに、おかしいわね。
ふるりと身震いを起こしたわたくしは、そっと腕を擦りました。季節外れでまだ早いけれど、ファーボレロを羽織ってくるべきだったかもしれませんわ。風邪を引いて周囲に迷惑をかけてはいけませんもの。帰宅したら風邪予防にカモミールティーを頼もうかしら。
そんなことを思っていると、殿下の常より低い呟きが聴こえました。
「私が、カトリーナ嬢を、愛している、と?」
「え? ええ、カトリーナ様からそう伺っておりますわ」
殿下の一気に下がった機嫌に首を傾げます。
怒っていらっしゃる? どうしてかしら?
「それで貴女は身を引く、と」
「はい」
「私がカトリーナ嬢と婚約するなら、貴女はそれを心から祝福すると?」
当然ですわ。わたくしとて国と王家に仕える身。それが殿下にとって幸福であるならば、わたくしが身を引かない理由などありません。そして祝福しない理由もありはしませんわ。
「ええ、勿論ですわ。国の慶事ですもの」
「ほう……?」
心からの祝辞を申し上げたつもりですが、どういうことかしら? 殿下のご機嫌が更に急降下したように感じますわ。