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最新話は30話ですが、2話連投しておりますのでこちらの29話からお楽しみください。
「メイクブラシは全て人工毛、お化粧品類も容器を含めて自然由来原料で、製造工程に動物実験が行われていない――大丈夫そうね、お肌に使用する物に不備はないわ」
食堂で淑女らしからぬ失態を演じたわたくしは、その後なんとか挫けそうになった心を立て直し、料理長へ歓待の翌日のメニューまで指示を出してからアルベリート王国の妃殿下にご使用いただく予定の客室へ足を運びました。
直接身に付けるものですので、こちらもヴィーガン料理と同等の気配りが必要です。
ドレッサーテーブルに準備された化粧品一式と、その原材料すべてが記された報告書を確認し終えると、次いで天蓋ベッドの足下にあるオットマンの上に畳まれた夜衣に手を伸ばしました。
――あら、これは……
「これはシルク?」
確認の視線を向けます。「はい」と首肯したのは、部屋を整えていたメイドの一人でした。
「アルベリートの妃殿下がお召しになる物であるとお聞きしておりましたので、最高級のものをご用意しました」
「そう。これは一般的な製造過程で作られたものかしら?」
「え? 製造過程、でございますか?」
思いもよらないことを聞かれたとばかりにメイドがパチパチと瞬きを繰り返します。
「ええ。ピースシルクやワイルドシルクならば問題ないけれど、それ以外は駄目なの」
「えっと……」
困惑気味に視線を泳がせています。製造過程やシルクそのものに種類があるとは知らなかった、ということでしょう。これは完全にこちらのミスです。
「誤解しないで。あなたを責めている訳ではないの。きちんと詳細に指示しなかったわたくしの落ち度ですわ」
「えっ、そ、そんなっっ!」
「いいえ。責任者であるわたくしの采配ミスです。エシカルヴィーガンが何たるかを、まずはあなた方に説明しておくべきだったのです。ごめんなさいね」
「エメライン様……っっ」
公爵令嬢であり、王太子ユリエル様の婚約者であるわたくしが頭を下げる訳には参りませんので、言葉のみの謝罪になりますが……それも、決して褒められたことではありません。上に立つ者は簡単に自身の誤りを認め、意見を覆してはならないからです。
故に、己の言葉の重みを知っていなければなりません。自身の発した言葉や考えが、周囲に如何程の影響を及ぼすのかを。
「まずはエシカルヴィーガンの説明から致しますわ。自然環境の保全や動物愛護を重視する、完全菜食主義者のことをそうお呼びするの。特にエシカルヴィーガンは動物の命を奪う行為や搾取を避けます。そのためお肉や魚介類、乳製品に卵、蜂蜜などの動物性食品を一切口にしないことはもちろん、衣服や日用品においても最も厳格に動物由来の製品を忌避する方々です」
「わぁ……随分と徹底されている方々なんですね……」
「そうなりますね。ではそれを踏まえて、皆様に質問です。エシカルヴィーガンであられるアルベリート王国の妃殿下の夜衣に、シルクは避けるべきか否か」
丁寧に畳まれている夜衣をひと撫でしてから、ちらりとメイドたちを見ます。うーん、とそれぞれ唸りながら一様に首を傾げる様が面白いですわ。
わたくしは初めに「ピースシルクやワイルドシルク以外は使えない」と言っているのだから、製造工程によっては使える物と使えない物がある、が正解なのですが、どうやら覚えていないようです。
「それでは、シルクの原料である生糸はどうやって作られているかご存じ?」
「は、はいっ。蚕が吐き出した、糸の塊である繭から作られていますっ」
「そうね。では索緒とは何かしら?」
「サクチョ……?」
「煮繭とも言うのだけれど」
「しゃ、シャケン???」
言われていることが何一つわからない様子で、おろおろとしています。ですが、知っておくべき教養のひとつですよ、とここで指摘するのは間違いです。
自分がたまたま知っていたからといって、相手に同等のものを知っていて当然とばかりに求めてはなりません。知識を得る環境や手段、また身につけるべき必要な素養などは、身分によって違うのです。
王宮勤めのメイドは、貴族であったとしても生家は男爵位程度。あとは裕福な商家など、平民が大半を占めます。
王宮メイドは平民にとって花形職業の一つで、花嫁修業の一環として宮仕えすることでその経験と経歴は箔付けとなり、新たな職場、例えば貴族家のメイドとして召し抱えられることも多いと聞きます。ご当主やご子息の目に留まり、愛妾に選ばれたならば、それは彼女たちにとって玉の輿に乗る好機なのだとか。
妃殿下にご使用いただく客室の担当メイドたちも、例に漏れずご実家は裕福な者も多く、より良い縁談のために箔付けになる宮仕えを決めたそうです。人事部から預かった人事考課表にそう書いてありました。努力が実ると良いですわね。
「索緒、または煮繭とは、文字通り蚕の繭を煮沸することを指します」
「煮沸……」
「繊細な繭は粘質性からそのままでは紡げません。煮ることで粘質成分の結合を解すのですが、通常の製造工程では、羽化する前の蚕が繭の中にいる状態で煮沸します。これはエシカルの観点からは意図的な殺傷となりますので、ヴィーガンの方々の倫理に反します」
「あっ」
「ですので、妃殿下にご使用いただく素材としてはタブーとなるのです」
「申し訳ありません、考えが足りませんでした」
「その指示を出すべきわたくしが失念していたのです。互いに次からはより一層気を引き締めましょう」
「はい!」
大変素晴らしいお返事です。他の方々もこくこくと何度も頷いています。あまり頭を振りますと目眩を起こしてしまいますから、程々に、皆様ほどほどに、ですよ。
「前言したピースシルクですが、こちらは羽化した蚕が繭から出てきてから紡ぎますので、生糸製造の過程で蚕を死なせてしまう心配はありません。ただ羽化するまでに十日かかり、また繭を破って出てくるため生糸を長く紡ぐことが出来ません。それらの理由からコストがかかり、量産も難しいので通常製造のシルクより割高となります」
低コストで大量生産とはいかない点が、ピースシルクの難しいところですね。
「もう一つのワイルドシルクですが、これは家蚕糸ではなく野蚕糸ですね。野蚕や蚕以外の昆虫が作った繭から採れる糸で製造された生糸を、ワイルドシルクと呼びます。家畜化された家蚕とは違うので、まず大量生産は出来ません。シルクの持つ特性より上質ですが、染色できないという性質も持っています。環境負荷も考慮するならば、妃殿下にはワイルドシルクをご用意すべきかもしれません」
妃殿下は青空のような明るい青色を好まれているそうなので、染色の点だけで選ぶのならばピースシルクなのですが……保温性や吸水性、デトックス効果など利便性の高さを考慮すると、やはりワイルドシルクの方が……
いえ、青を取り入れたいならばカーテンや絨毯、ベッドスローやデュベ、またはテーブルライトなどの傘や小物にすればいいのだわ。身に纏う物は着心地を重視すべきよ。長旅でお疲れのはずだもの。ぐっすりとお休みいただくために、夜衣はシルクの利点に特化したワイルドシルクにしましょう!
「決めました。夜衣はワイルドシルクにします」
「畏まりました。直ちに発注致します」
「ええ、お願いね。あとは――」




