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◇◇◇
「まずは謝罪をさせてほしい。エメライン、本当に申し訳なかった」
執務室に取って返すなり、ユリエル様が頭を下げられました。
何に対しての謝罪であるのか、鈍いわたくしは直様思い至りませんでしたが、皇太子殿下が仰っていた王太子妃候補の件だと遅れて理解しました。
「お止めください、ユリエル様。あなた様が頭を下げてはなりません」
「いや、衆目のないこの場はこれでいい。エメラインには誠心誠意真心を尽くしたい」
お顔を上げられたユリエル様の真摯な瞳に射抜かれて、わたくしはそれ以上重ねて申し上げることは出来ませんでした。
「ダニング嬢に関してそのような話が上がっていることは確かだ。そしてそれを、意図的に貴女に伏せていたのも事実だ」
「まあ……」
「だが貴女を蔑ろにしたつもりはないんだ。ましてや侮辱など、誓って一度もない」
「はい。承知しております」
弁明などされずとも伝わっておりますわ。ユリエル様はいつもわたくしに誠実であろうとしてくださいましたもの。
ですが、あの。
ほんの少しで良いのです。
お話は、ちょっとだけお待ちくださらないかしら。
「言い訳になってしまうが、ダニング嬢が妃候補だなんて現実的じゃない話は、すぐに立ち消えると思っていた」
「そうなのですか?」
「当然だろう? 素より教育水準に達していない男爵家の娘が、高い教養を求められる王太子妃になんて暴挙が罷り通るわけがない」
確かに、仰る通りです。
上位貴族と下級貴族では、そもそも課される教育が違います。王族に輿入れする可能性を見据えて、公爵家や侯爵家では幼い時分から厳しいカリキュラムが組まれているからです。
上位貴族でも最下位となる伯爵家でさえ王族に嫁ぐには身分が低いとされ、輿入れするには様々な弊害があります。その一つが、公爵家や侯爵家の教育課程より低い水準でカリキュラムが組まれていることです。
故に、妃教育を受ける前の素地が出来上がっておらず、伯爵家のご令嬢は大層ご苦労なさるのだそうです。
下位に一代限りの騎士爵がございますが、世襲制の貴族の中で最下位にあたりますのが男爵家です。国王陛下に謁見できる身分ではありませんので、王家の方々の御姿を拝見出来ますのは学園に通っている間だけになります。
そのような経緯から、男爵家の教育過程に王族へ輿入れ出来る可能性を考慮したものは当然含まれていません。
組まれるカリキュラムの違いを例に挙げますと、公爵家や侯爵家が課す水準が三ヵ国語を流暢に話せるトライリンガルであるならば、男爵家の水準は一ヵ国語の単語の書き取りが出来れば合格ラインです。
王太子妃教育にはさらに二ヵ国語が追加された、多言語話者が求められます。伯爵家のご令嬢でも苦労する妃教育とは、そのような意味になります。
「養子縁組で無理やり家格を上げた程度で素養の低さをカバー出来るほど、王太子妃の立場は安易なものではない。エメラインと、かの令嬢とでは掛けてきた年季が違う。王太子妃の立場はお飾りでは務まらないのだと、長年教育を受け母上の公務を手伝ってきたエメラインこそよく分かっているだろう?」
「ええ、重々承知しておりますわ。……ああ、いえ、その前にユリエル様」
「奴の主張を一部認める形になるのは大変癪だが、皇太子の言い分は的を射た部分もあった。一度失態を演じている身としては、貴女にきちんと謝罪すべきだと思ったんだ。要らぬ心配と不安を抱いてほしくなくて黙っていたけど、確かに情報の選別だった」
「それは、ユリエル様がお決めになることです。わたくしに全てお話になる必要はございませんわ」
「エメライン……」
ユリエル様の悔いたお顔を眺めておりましたら、つい生意気にも意見など申してしまいました。
いえそれよりも! 今すぐどうにかしなければならない案件が!
「あの、ユリエル様、少々お待ちを」
「貴女としっかり向き合える時間が持てたことはこの上なく僥倖だけれど、こちらの段取りとか思惑をすっ飛ばして勝手気ままに言いたい放題してくれやがって、あの鼻持ちならないクソガキめっっ」
「殿下。御言葉が乱れておりますよ」
すかさずフランクリン様が諫言されます。「乱してるんだよ」と、ユリエル様は怪訝なお顔で返されました。
「求婚に来ただと? 寝言ってのは起きた状態でも言えるのか?」
「それは寝言ではなく宣戦布告ですね」
「ふん、あの国の皇室は愛さえ略奪か」
「あの! ユリエル様!」
お話の腰を折るなど不敬極まりない行為ですが、まずはこの状況をどうにかしたいのです!
恥ずかしさで居たたまれないと申しますか、とにかくもう限界なのです! 割って入らせていただきます! 本当に申し訳ございません!
「うん? どうしたんだ、エメライン?」
「その……何故わたくしは、ユリエル様のお膝に抱かれているのでしょうか」
そうなのです。回廊で抱き上げられてからずっと、執務室へ入室してからもソファに腰を下ろされたユリエル様のお膝に、さも当然と言わんばかりに横抱きのまま座らされているのです。
それも、フランクリン様やグリフィス様、ジュリアに近衛騎士と揃う中で、です。
皆様、どうして何事もなかったかのように、普通にしておられますの!?
日常風景を描いた一架だと言わんばかりに触れないのはどうかと思うのです!
は、恥ずかしい……!
「ああ、私の膝上で横抱きにされたまま恥ずかしそうに視線を泳がせているエメラインが可愛い。めちゃくちゃ可愛い」
「殿下。下心しかない心の声が漏れています」
「わざとだ」
フランクリン様とグリフィス様の呆れた視線を物ともせず、赤面しているであろうわたくしの髪を、猫を愛でるようにゆっくりと指で梳いておられます。
「あの、ユリエル様……そろそろ下ろしてくださいませ……」
「それは無理」
「えっ? な、何故です??」
「それはね、エメライン。貴女を抱いていないと今すぐ皇太子を追って首を刎ねてしまいそうになるからだよ」
「え?」
「殿下。国際問題になる発言はお控えください」
再びの諫言がフランクリン様から発せられました。
何やら不穏な発言を耳にしてしまったような気が……、いえ、まさか。御心の優しいユリエル様にかぎって、そのような。
きっとわたくしの勘違いです。聞き間違いをしたのでしょう。
首を刎ねるなんて物騒な物言いを、ユリエル様がされるはずがありませんもの。
「他に聴いている者もいないんだから、ちょっとくらいいいだろ」
「駄目です」
「実行に移さなかった私を少しは褒めてもいいと思うんだが」
「よく耐えられました。ご立派です」
「やめろ。腹が立つ」
「褒めろと仰ったのは殿下ですが」
「お前から褒められてもまったく嬉しくない」
「何たる理不尽」
信じ難いものを見るように絶句したフランクリン様を、ユリエル様は視界の端に追いやったご様子です。
わたくしは、フランクリン様とグリフィス様へちらりと視線を向けました。
人前で相応しくない過度な接触であると、ユリエル様を説得してくださいまし。
わたくしの訴える視線にお気づきになったお二人は、交互にユリエル様とわたくしを幾度も見返して、最終的には諦観したような、爽やかな笑みを浮かべて揃って首を左右に振られました。
「諦めてください」
「重石は必要です」
「重石」
唖然と鸚鵡返しで呟いてしまいました。
重石扱いはさすがに酷いのでは。
ユリエル様は猛獣ではありません。どんな場面であろうと理性的な判断をされる尊敬すべき御方ですのに。
エメライン――と名をお呼びになるユリエル様の表情がとても真剣だったので、覚えずわたくしも居住まいを正します。
下ろしてくださる気になったのかしら。
形の良い薄い唇が近くて、目の遣り場に困りますわ。
「貴女と私の婚約に関して、意見する者達がこれから増えるかもしれない」
「それは、ハウリンド公爵家から、と解釈してもよろしいですか」
「その通り。察しがいいね」
物覚えの良い生徒を褒めるように、柔らかな表情で頬を撫でてくださいます。
あの、耳の輪郭をなぞるのは止めてください。ぞわりとして、はしたなくも肩が跳ねてしまいましたわ。
「ではお兄様の結婚式で、ハウリンド公爵家の門閥だと名乗ったあの方が言っておられた『お迎えすることになったお嬢様』とは、カトリーナ様のことなのですね。すでに確約された縁組なのですか」
「いや、今のところ申請書は提出されていない。ダニング男爵に受けるなと釘を刺しているからね、表立っては動いていないようだ」
「表立っては、ということは、水面下では動いておりますのね」
「そういうことだね」
カトリーナ様は大丈夫でしょうか。
想い人が他にいるのだと仰っていましたが、その方とのご縁に陰りなどなければよいのですが……。




