番外編 ユリエルはいろいろと苦労している
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おかげさまで、一時期ですが異世界恋愛日間ランキングで6位になっておりました。皆様が評価してくださったおかげです!
さて、今回もユリエル殿下のお話。
視点は彼、ユリエル殿下。
彼も大変よね。そんなお話です。
次回の番外編は、カトリーナ嬢視点となります。
※何度か『覚えず』→『思わず』ではないのかと誤字報告して頂いているのですが、『覚えず』は『思わず・無意識に』という意味があるので、敢えて『覚えず』を使用しております。
「ユリエル。あなたいい加減になさい」
訪れた私に、母上は開口一番そう仰った。
忙しいなか時間を作って呼び出しに応じたというのに、なぜ私は叱責されているんだ?
「何です、藪から棒に」
母上の小言を聞く時間があるなら、一時でも愛しいエメラインに会いに戻りたいのだが。
不機嫌に答える私を冷ややかに一瞥する母上は、私に正すべきことがあると決めつけている様子だ。政務に追われる忙しい時期だというのに、まったく、無駄足じゃないか。
戻ったら、上がっていた穀倉地帯の嘆願書に目を通さなくては。森林整備や治水の上申書も上がっていたな。商業関連の請願書もあったし、総務部からの意見書もか。優先順位を決めて早々に取り掛かる必要がある。特に穀倉と治山治水事業は急ぐべきだ。嘆願書や上申書が上がっている時点で、次の降雨時季に入れば河川が氾濫する可能性が高い。穀倉も、以前から土壌流出が問題になっている。対策を取らず放置したままでいれば、いずれ大規模な砂漠化を引き起こしかねない。そうなれば供給量が激減し、飢饉が発生する。飢饉が起これば疫病も蔓延するだろう。連鎖を招く前に食い止めなくては。
故に、母上の小言など聞いている場合では断じてないのだが。
なぜ私がこれほどまでに多忙なのか。それは偏に陛下の仕業だ。陛下は、卒業したら容赦なく大量の仕事を回してくるようになった。王太子として以前からかなりの仕事量をこなしてきたが、今はちょっとやさぐれた気分になってしまう。
学生だった頃はそれなりの自由時間は確保出来ていたと思う。視察で街を訪れる以外は、大抵は王宮で過ごしていたからだ。私室で趣味の読書を楽しむ分にはそれで十分だったし、視察のたびにカトリーナ・ダニング男爵令嬢と遭遇してしまうので、気味が悪くて出掛ける気にもなれなかった。彼女とお忍びで会っているなどと、エメラインに誤解されたくなかったという理由もある。自分のための余暇が少なくても、当時はさほど困らなかった。
だが今は、更に増えた仕事量に辟易してしまっている。必要性と緊急性は嫌というほど理解しているが、これだけは言わせてほしい。
エメラインを愛し尽くす時間が足りないのだ。
そう、エメラインを味わい尽くす至福の時が!
「ようやく初恋叶って舞い上がっているのは分かりますが、あなたいつまであの子を閉じ込めておくつもりなのです」
「何ですって?」
エメラインの、戸惑いながらも頑張って応えようとしている姿はいじらしくて堪らない。絡め取る私の舌に拙く返す様も、肌をなぞれば可愛らしく身を震わせるしどけなさも、許容値を超えた羞恥に耐えきれず涙を溜める妖艶さも、すべてが私を魅了してやまない。
おずおずと見上げてくる上目遣いは反則だろう。ああもう何であんなに可愛いんだ!と、暫し明後日の方へと意識が向いていた私は、母上の口から発せられた言葉に過剰反応してしまった。
「閉じ込めるとは人聞きの悪い」
「実際閉じ込めているようなものでしょう。ユリエル。エメラインをアークライト公爵家へ帰しなさい」
「これは異なことを仰る。エメラインは私の婚約者。来年には妻となる女性です。宰相には婚約期間も含めて帰さないと伝えてあります。絶対に公爵家へは帰しませんよ」
「執着の強い子だとは思っていましたが、まさかここまでとは……」
それの何が悪い。正妃候補である婚約者ただ一人を望んでいる私は、寧ろ健全だと思う。そのたった一人の唯一を一旦手離せとはどういう了見だ。
余計なお世話とばかりに怪訝な視線を返すと、母上の柳の眉が跳ねた。
「そう。あなたがそのつもりなら、わたくしも婉曲に伝えるのは止めましょう。いいですか、ユリエル。自重できないのならばアークライト公爵家へ帰しなさい。それがエメラインの為です」
「面白くない冗談ですね。どういう意味ですか」
「そのままの意味です。婚姻まであと一年。その前にエメラインが懐妊してしまったらどうするのです」
「それこそ国の慶事でしょう。何も問題などありませんが」
「大有りです。婚前交渉のうえ婚前妊娠など、貴族令嬢にとって十分過ぎる醜聞です。たとえ相手が王太子であるあなたであっても、世間体は決してよろしくありません。エメラインは身持ちの悪い女性だと揶揄されてしまうのですよ。そもそも」
段々とヒートアップしてきた母上の、両手で握りしめた扇子がミシッと不穏な音を立てている。
「懐妊は、女にとって大きな変化と負担を強いるものです。初期は悪阻で食事もまともに摂れず、抗い難い強い眠気で日常生活もままならない。婚姻まで一年あるのは、何も慣習や準備期間だけの話ではありません。王子妃となる者が次代を育む心構えをする、大事な期間でもあるのです」
「それは……」
「それだけではありませんわ。一年かけて仕上げるウェディングドレスのサイズ維持は、殿方が考えているよりずっと過酷なものです。ミリ単位でのスタイル維持に、女性がどれほどの努力を重ねていると思うのですか。あなたは自身の欲を押しつけて、エメラインのこれまでの努力を踏みにじっているのですよ」
耳の痛い話だが、さすがにそれは言い過ぎでは?
「避妊はしております」
「避妊具は確率を下げるだけで、完全に防げるわけではありませんよ」
「その通りですが、……母上。私はエメラインとの夜の営みについて、母上と意見を交わすつもりはありません」
「まあ。わたくしが言わずして、いったい誰が意見できると言うの」
確かに王太子である私に、婚約者とのあれやこれやに口出しできる者は両陛下以外におられないだろう。特にエメラインの体については、父上とて口にすることは憚られる。同じ女性である母上にしか言えないことだろうな。それに対して私がどう思うかはまた別問題ではあるが。
「エメラインを思いやって、帰すつもりはないのね?」
「ありません」
「ならばせめてあの子専用の部屋を用意なさい」
「別々に眠る選択肢もありません」
「あなたね……それじゃ、同衾して我慢できるの?」
「出来ませんね」
「何一つ妥協策がないじゃない!」
バキッと折れる音が部屋に響いた。とうとう握り締めていた扇子を壊してしまったようだ。
破壊された扇子をささっと回収し、新しい別の扇子を母上に差し出す女官長の、実に無駄のない動き。伊達に母上が輿入れした頃から仕えていないということか。
いつもは泰然とされた方なのだが、たまに母上はヒステリーを起こされる。まあ大抵が私に対してなのだが。
昔からエメラインのことでよく叱られたものだ。幼い頃、厳しい王妃教育に耐えかねて泣いていたエメラインを自室に招き、僅かな時間だったが二人きりで過ごしたことをお知りになった母上は、それはもう耳に胼胝が出来るほどくどくどくどくどと説教した。それでも大人たちの目を盗み、度々エメラインを部屋へ招き入れていた。
いや、母上の仰ることは尤もなのだ。
幼いとはいえ、未婚の男女が密室に二人きりというのは大変外聞が悪い。特に貴族令嬢であるエメラインが、ふしだらだと批難されてしまう。せめて扉を開けておくか、侍女を伴っているべきだったのだ。
立てなくていい悪評をエメラインに立てていたかもしれない。当時の私は浅はか過ぎた。
「……………」
現在は、まさにそれを実践してしまっている状況だった。二週間ずっと同衾共枕し、悪意ある噂も立った。
そうか、と嘆息する。
やはり母上が正しい、か。
「――わかりました。実家へは帰せませんが、ご忠告通り自重することにします」
「そうして頂戴。わたくしは一人息子であるあなたに疎まれてでも、あなたにとって唯一であるエメラインを守ります。不本意でしょうけど、聞き分けてくれて良かったわ」
女性の体については、当然ながら男である私などより同性である母上の方がずっとずっとお詳しい。その母上が私の尽きない情欲からエメラインを守ると仰るのだから、面白くなくとも従うべきだろう。不満しかないが、こればかりは仕方ない。
ただ抱きしめて眠るだけでも幸せなのだ。それで良しとしよう。エメラインを苦しめないためにも、私は我慢を覚える必要がありそうだ。
以前は触れることすら叶わなかったというのに、私は随分と欲深くなったものだ。
「それから、あなたの都合で公爵家に帰さないのなら、それ相応の誠意を示しなさい」
「誠意? 誰にです?」
「アークライト公爵夫人に決まっているでしょう。今まで大切に育ててきた最愛の娘を、卒業パーティーに送り出した時にはその日のうちに戻ってくるものと疑ってすらおられなかったはず。それが行ったきり戻らないのです。半月も!」
ああ、以前エメラインが言っていた「無事な姿をお見せしたい」とはこういうことか。
一人納得していると、本日二本目の扇子がミシリと悲鳴を上げた。
「王宮へご招待して、エメラインとお茶の時間くらいセッティングしても罰は当たらないわ。エメラインはあなたの唯一無二で最愛でしょうけれど、それはアークライト公爵夫人にとってもそうなのですよ。母親にとって我が子がどれほど大切か。その狭すぎる視野を広げてよく考えなさい」
私も母上のただ一人の息子であるはずだが、いつも辛辣なのは気のせいだと思っておこう。
◇◇◇
「あの……ユリエル様……?」
「ん……? どうした、エメライン?」
母上に注意されたその日の夜、エメラインを胸に抱き込んで微睡んでいると、彼女が戸惑いと僅かな不安を滲ませて遠慮がちに話しかけてきた。
ああ、それにしてもエメラインはどこもかしこも柔らかいな。甘い花の香りとしっとり吸い付くような肌は、最高級の絹や天鵞絨などより余程上質で心地好い。一度触れてしまえばもう戻れない。まるでドラッグのように中毒性があり、それが何とも言えない幸福感で満たしてくれる。
「あ、あの……今日は……その……」
顔を真っ赤にして、私の胸にコツンと額を預ける。
……なんだこの可愛い生き物は。今日はしないのかと、私を誘っている? 自重すると決めた私を誘惑するのか? あのエメラインが? 私を? 今夜も欲しい、と?
これは……たまらない。
「―――――エメライン」
「あっ。あの、いえ、違うんです! ずっと殿下の夜のお相手はわたくしだったので、今夜は違うのだと確認を! あの、わたくしが申し上げたかったことはそういうことではなくて! 今夜お相手された方のもとでお休みにならなくてよろしいのかと!」
「―――――は?」
いや、なんだって? エメライン以外の女と同衾共枕してきたのではないのかと、今そう言われたのか、私は?
「殿方はそのようにされるものだと学んでおりますので、わたくしに義理立てされてお戻りなのだとしたら申し訳なくて。あの、ご無理などなさらず、どうぞその方とお休みになってください」
「ちょっと待とうか、エメライン。貴女は誰のことを言っている?」
「え? 殿下のことですが?」
「私が、貴女以外の女を抱いていると? 半月もずっと貴女と同衾しているのに?」
「あっ、いいえ、違います。ここ半月の間の話ではなく、それ以前からの」
「待って。取り敢えず待って」
キョトンと不思議そうに小首を傾げている。くっ、この小悪魔めっっ。
「私はエメラインが初めての相手だったのだが」
「え?」
「半月前に貴女を抱いたのが私の初めてで、それからもずっと貴女だけしか抱いていない。〝別の誰か〟など存在していないのだけど、貴女はどうしてそのような勘違いをしている?」
「え? でも、殿方は一人の女性では満足できないのでしょう?」
「は?」
「衰えない欲を一人では受け止めきれないから、他のお相手も必要になるのだと」
「は?」
エメラインが理解できないといった戸惑いの色を見せる。私も理解できない。何だその極論は。
「エメライン。それを貴女に教えたのは誰?」
「あ、はい。閨の作法を教えてくださったターナー夫人です」
「ターナー夫人……侍従長の奥方か」
覚えず舌打ちした。ビクッと肩の跳ねたエメラインの背を撫で宥めながら、余計なことを言ってくれたものだと渋面になる。
侍従長の入れ知恵だろう。エメラインにそのように認識させ、側妃を入れやすくするためか。
今上陛下は側妃を持たなかったため、生まれた王子は私だけだ。後宮の在り方としては落第点なのだろう。直系血族が少ないことは、王家の存続に関わる一大事だ。侍従長の危機感も尤もだった。だがやり方が気に入らない。そして私がそんな浮気男だとあっさり受け入れているエメラインも気に入らない。
「私は以前貴女に告げたはずだ。正妃は貴女で、側妃はいらないと。私の妃は貴女ただ一人で、側妃も愛人も必要ない。私にはエメラインさえ居ればそれでいい」
「えっ……あ、あの、でも閨は」
「エメラインが頑張ってくれ」
「えっ?」
「王子をたくさん産んでほしい。王女も。王家血統の存続は、貴女ひとりに懸かっている」
「わたくし、ひとりに」
「今夜は貴女の負担を考えて我慢していたが、私に浮気を勧めるなんて酷いことを言うね?」
「え!? あの、えっ!?」
おろおろと慌てるエメラインを組み敷いて、まだうっすらと残る所有痕に重ねて吸い付いた。途端上がる甘い声に腰が疼く。
母上。エメラインが相手だと、私に自重など無理なようです。
でも今回は私は悪くない。断じて私のせいじゃない。
ユリエル殿下視点のお話はこれで終わりです。
如何だったでしょうか?
彼がヤンデレ拗らせるのも仕方ないかもしれない、そんなお話でした。
エメラインは、もっといろいろと思い知るといいと思います(←)
有り難くもたくさんのご要望を頂きまして、本当にありがとうございました。:+((*´艸`))+:。
時間はかかると思いますが、僭越ながら2部の執筆をさせていただこうかと思います。
待つと仰ってくださった皆様へ、心からの感謝を!




