番外編 ユリエルの執着
「待たせてすまないな」
清新溌剌とした様子で応接室に現れたユリエル・アイヴィー・ヴェスタース王太子殿下は、面会を申し入れたシルヴィア・アン・エントウィッスル公爵令嬢と、セラフィーナ・シフ・フェアファクス侯爵令嬢に挨拶はいいと断ってから、座るよう促した。
メイドのいれた紅茶を優雅に頂くユリエルを、シルヴィアとセラフィーナが怪訝に見つめている。
「それで、何の用件だろうか」
「殿下。わたくしとセラフィーナ様は、最近とある方にお会いできておりませんの」
「ほう?」
「卒業パーティーでお会いしてから二週間です。シルヴィア様もわたくしも、ご機嫌伺いのお手紙を何度か家人に届けさせましたが、一度もお返事を頂けておりません」
「届けた家人が言うには、その方は卒業パーティー以来一度もご帰宅されていらっしゃらないとか」
「殿下。これは由々しき問題ですわ」
「未婚のご令嬢を外泊させただけでなく、二週間もご自宅へお帰りではないなんて」
「婚約者といえど、これはあまりにも身勝手。外聞を憚るべきではありませんか」
「つまり?」
「「エメライン様はどちらです!?」」
そう、あの卒業パーティー以来、エメライン・エラ・アークライト公爵令嬢は姿を消していた。
様々な憶測が噂されており、中には耳を疑うような荒唐無稽な話もあった。そのうちの一つが、拐かされ売られたのだという大変不名誉な内容だ。身分社会において、令嬢のそのような噂は致命的だった。
これらの悪意ある噂話は、アークライト公爵家を貶めたい者の流言蜚語であり、エメラインを王太子婚約者の地位から引きずり下ろしたい者の極悪非道な所業の結果だ。
「エメラインならば、私の寝室でぐっすり眠っている」
完璧な淑女教育を受けてきた彼女たちには珍しく、あんぐりと呆けた顔で固まった。なかなかに面白いと眺めていると、いち早く立ち直ったらしいシルヴィアが頬を赤らめながら抗議の声を上げる。
「もう正午を過ぎておりますのに、規則正しい生活を実践されてきたあのエメライン様が起きられないほどの無体を強いられましたの!?」
「落ち着いてください、シルヴィア様。論点がずれております」
「ですがセラフィーナ様! 二週間ですのよ!? 二週間も……! きっ、鬼畜ですわ、殿下!」
「ははは。鬼畜とは手厳しいね。まあ強ち間違ってはいない」
「開き直らないでくださいまし!」
「シルヴィア様。どうか気をお静めください。重要なのはそこではないです。いえ、わたくしも思うところは山程ありますが、いまお伝えしなければならないことは他にあります。エメライン様の一生が懸かっておりますのよ」
「そ、そうですわね。わたくしったら、動揺のあまり取り乱してしまいましたわ。よくお止めくださいました。冷静なセラフィーナ様がご一緒で助かりましたわ」
ふう、とため息をひとつ溢して、シルヴィアはユリエルにご無礼致しましたと謝罪する。
「穏やかじゃないね。エメラインに関することならば私も知っておきたい。どういうことだ?」
「ではわたくし、セラフィーナ・シフ・フェアファクスがご説明させていただきます」
現在貴族の間で実しやかに噂されている流言の一つ一つを語って聞かせた。
醜聞と言える数々の流言蜚語に、ユリエルの整った連山の眉が次第に中央へと寄せられていく。一目で不愉快極まりないとありありと分かる形相になった。
「――なるほど。貴女方が心配するはずだ」
「一度広まった流言は消せません。エメライン様のお立場は危ういものとなりましょう」
「そうかな? 彼女はずっと私と共に過ごし、王族の居住区に勤める者たちもそれは承知している。エメラインの世話をしている侍女たち然り、彼女の護衛を担当している近衛騎士たちも然り。両陛下も夕食の席で毎日顔を合わせているし、エメラインが私の部屋で寝起きしていることも皆知っている。当然アークライト公爵にも許可を貰っているし、彼女がここ二週間、ずっと王族の居住区から出ていないことはたくさんの使用人たちが知っている。何より私が証人だというのに、よくもまあエメラインを貶める言葉を吐けたものだ」
凄絶な笑みを浮かべるユリエルに、シルヴィアとセラフィーナは背筋にひやりとした本能的な恐怖を感じた。
「……殿下。どうなさるおつもりですか?」
「そうだね。まずは影を動かして、噂の出所を突き止めようか。私の婚約者を辱しめた罪は、きちんと償ってもらわないとね」
くつくつと喉の奥で嗤う。
エメラインが関わるとここまで恐ろしく変貌するのかと、シルヴィアとセラフィーナはユリエルの認識を改めた。頼もしい反面、若干不安を煽るユリエルの悪役顔にふるりと肩を震わせ、これから独占欲という名の苦労をするであろうエメラインを憐れんだ。
それから四日後。ある侯爵一家に沙汰が下った。
あらぬ噂話をでっち上げ、故意に広め王太子婚約者を貶めた罪。
流言を盾に取り、王太子妃候補の不適合を唱え、自らの娘を新たな婚約者として立てようとした罪。
王太子婚約者の食事に毒を盛ろうとした罪。
王太子に媚薬を盛り、既成事実を作ろうとした罪。
よくもまあこれだけのことを画策していたものだと呆れるほど、叩けば埃が出るわ出るわ。
王族に、特に王太子に薬を盛るなど大罪中の大罪。侯爵家は爵位剥奪のうえ、長男は廃嫡。媚薬を盛ろうとした娘は修道院送りとなり、侯爵家の家財は残らずすべて没収となった。
平民へと格下げされた一家は離散し、鉱山送りとなった父親と長男は脱走を図り投獄され、そこで謎の獄中死。王家の影が動いたとか動いていないとか。
娘は、修道院へ送られていた道中で盗賊に襲われ、馬車ごと谷底へ落ちたらしい。監視官が谷底まで下り、死体を確認している。こちらも王家の影が動いたのではないかとひそかに噂されている。
母親と二男は母親の実家へ身を寄せているそうだが、兄一家は咎人である彼らを疎ましく思い、離れで肩身の狭い思いをしているらしい。
こうして一連の騒動は、エメラインの知らぬ間にすべてが片付いていた。
◇◇◇
「―――――ん……?」
「エメライン。まだ眠っているといい」
「ユリエル、様……いま何時…んっ」
微睡みから覚め、うっすらと瞼を押し上げたエメラインの唇に、ユリエルは甘く食むような優しい口づけを落とす。
「朝の八時だが、起きなくていいよ。誰も咎めはしない」
「ですが……」
「昨晩も随分と無理をさせたからね。午後からはきちんと母上の補佐をしているのだから、ギリギリまでゆっくりしていてもいいんだよ」
昨晩と聞いて、エメラインは火が付いたように真っ赤になった。
「ふふっ。ようやく意識してくれるようになって嬉しいよ。私の際限ない愛をもっと受け入れて」
「えっ? あ、きゃっ」
薄絹の夜衣の上から、ユリエルがゆっくりと双丘を揉んだ。ユリエルの感触を肌が覚えてしまう程にはもう幾度も触れられているのに、恥ずかしさはまったくなくならない。
もたらされる刺激から逃れるように身を捩り、潤んだ目で覆い被さるユリエルを見上げた。
「ゆ、ユリエル様。執務のお時間では?」
「……………。そんな目で私を誘惑しておいて、仕事に行けと?」
「誘惑っ? し、しておりません!」
「無意識? 危険だなぁ」
「何をおっしゃっておられるのかわかりませんが、ユリエル様。わたくし、そろそろ家に戻ろうかと思うのです」
「……………なぜ?」
途端不機嫌になったユリエルをおずおずと見上げつつ、エメラインは心配しているだろう母を思った。
「もう随分と家に戻っておりませんもの。お母様にも無事な姿をお見せしなくては」
「手紙は出しているのだろう?」
「ええ、それは勿論」
「では無事だとご存知なのだから、帰るなどとつれないことを言わないでくれ」
これは困ったと、エメラインは途方に暮れる。
「それに兄君のジャスパー殿が近々式を挙げるそうじゃないか。実家に戻ったとして、貴女も居辛いのでは?」
「それは……」
兄の婚約者とは決して不仲ではないが、互いに遠慮してしまうくらいには確かに居づらい。エメラインの卒業まで婚姻を待ってくれていた兄とその婚約者に、これ以上負担を強いるのは不本意だった。
けれど、一度は母に顔を見せておきたいと思うのも本心なのだ。そしてエメライン自身も、久々に母に会って甘えたかった。
「兄が結婚を控えているからこそ、尚更戻らなくては」
「―――――そう」
「……!?」
ユリエルが再び覆い被さってきた、露の間。首筋に強く吸い付き、チクリと鈍い痛みがもたらされる。
赤くなった痕を指でなぞると、ユリエルがうっそりと笑った。
「貴女が恥ずかしがると思って遠慮していたけど、こうなったら仕方ないよね?」
「え?」
「だって帰るなんて言うのだから。ならば帰れないように、この部屋から出られないように目立つ場所に私の所有痕をたくさん残すしかないよね?」
「え?」
「エメライン。貴女が悪いんだ。こんなにも恋い焦がれている私を置いて、ひとり実家に戻るなんて悲しいことを言うのだから。私と離れ離れになって、貴女は平気なのか? 私は耐えられない。貴女のぬくもりを知ってしまったのに、今さら独りで眠れと言うの? この部屋で、この寝具であんなにも愛し合ったのに、私に貴女のいない夜を過ごせと?」
「え……あの……ユリエル、様?」
「酷いじゃないか、エメライン」
「あ、あの……んっ!」
チクリと、また首筋に吸い付いた。角度を変え、場所を変え、細い項や鎖骨、胸の膨らみにと、ドレスでは隠せない場所に執拗に赤い花を散らしていく。
「んんっ……も、やぁ」
「エメラインが悪いんだよ? 本当はこのまま滅茶苦茶に抱いてしまいたいけど、執務時間が迫っているからね。残念だけど。でも多少は味わってもいいだろう?」
一度は振り払った胸の愛撫に、エメラインはふるりと震えた。
「ま、待って、待ってぇ……!」
「待たない」
宣言通り、ユリエルは時間ギリギリまでエメラインをぐずぐずにして、満足そうに執務へ向かった。
ユリエルに呼ばれた侍女たちは、しどけなく横たわるエメラインの姿に赤面し、雪肌に咲く無数の所有痕にまた赤面したのだった。
こうしてエメラインは、ユリエルの思惑通りその日も帰宅は叶わなかった。
ヤンデレ発動!
回避したはずの軟禁エンド?
不定期にはなりますが、今後も番外編をいくつか書く予定です。
ご要望が多ければ、もしかしたら2部も執筆する、かも???




