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君たちのすべてが愛おしい!

作者: 昆布お化け

人前で発表するとき、皆の顔が見れなくなってしまえばいいと思っている。人の目がこちらに向いているのが怖い。関心がこちらに集まっていると強制的に実感させられる。普段は教室の隅で静かに、平穏に潜んで暮らしているというのに、授業という厄介な魔物はいつも人の都合など考えずにズカズカと踏み込んでくる。


 仲のいい友達でも、三人以上集まるとどうにも口を閉ざしてしまう。自分の話を聞いてほしい気持ちはあるのに、話す対象が多いと恥ずかしい気持ちが募って聞き役に徹する。


 自分のこの性格を何度呪ったかわからない。

 もっと人見知りしない性格だったら、羞恥心など感じない性格だったら、社交性があれば、誰に対しても話し上手であれば……、いろいろ考えるが、結局ないものねだりで、どれも自分からは遠く離れた、真逆の要素だ。


 「俺は多分、将来は引きこもって生きているんだと思う」

 「え、ニートってこと?」

 「理想は……。でもただの金食い虫になる勇気もない……。その罪悪感に耐えうるだけの精神力はない……」

 「じゃあニート無理やん。普通に働けよ。普通に働いて、普通に暮らして、目立ちたくないお前には普通の暮らしが一番おすすめやな」

 「でも人と接したくないぃぃい……」

 「そもそもなぁ、誰もお前なんか気にしてないって。みんな基本的に自分のことしか考えてないから、親しくもない他人のことなんか気にしてないって」

 「わかってるけどさ、やっぱ気にしちゃうんだって」

 「モモは気にしいやなぁ」

 「……あーあ、みんなが猫だったらよかったのに」

 「俺は人間がいいわ。猫アレルギーだし」



 そう、そんなことを友達と話していた。あったらいいなそんなこと、ぐらいの、暇つぶし程度に語る夢物語だ。たらればの世は自分に酷く優しい。もちろん、こんなことは現実に起こりはしないはずだ。だって所詮は夢物語だから。

 就寝しようとベッドに潜り、今日もうまく話せなかった。自分は人と暮らしていくのはもはや不可能なのではないか、これからの未来、絶望しかない……。そう思い、暗い気持ちで眠りについた。

 

 朝、携帯のアラームを止めずに寝入っている自分を起こしに来たのは猫だった。

 エプロンを着た三毛猫だ。

 人間のように二足歩行をし、丸い手で器用にお玉を握っている。


 「あんたまた夜更かししたんでしょ。さっさと起きて朝ごはん食べちゃって!片付けらんなくて困るんだから」

 なんということだ。猫の口から母の声がする。

 「えっ、……かあさん?」

 「なに、あんた顔真っ青じゃない。……もしかして具合悪いの?やだ、体温計持ってくるからちょっと寝てなさい」

 そう言うと目の前の母(仮)はしっぽを揺らしながら自分の部屋を出て行った。くたびれたジーパンに鯛の絵がプリントされたTシャツ。確か一昨日も着ていたから覚えている。いつも通りの母の格好である。着ていたのは猫であるが。

 呆然と、扉の向こう側に消えていた姿を見送ったが、何一つ頭が働かなかった。真っ白な頭で、携帯のアプリゲームを起動する。ログインボーナスを欠かさず貰うため、起きてすぐゲームを起動するのは身体に染み付いた習慣だった。

 ゲーム画面はいつもと変わらず、ログインによって得た報酬をプレゼントボックスから取り出す。ふと、お知らせと称して新たな情報が更新されていることに気づく。なるほど、新しいキャラクターが実装されるらしい。そのキャラクターの名前の下には声優の名前が書かれていたが、聞いたことはあっても顔が思い出せない。少し気になってその名前を検索してみる。画像で検索した。

 ……出てきたのはキジ柄の猫だった。

 「……?」

 調べたのは声優の名前であったはずだが、知らずのうちに猫の種類でも検索したのか、検索結果はキジ柄の猫が服を着て、様々なポーズをとっている画像のみが並んでいる。仕方なしに名前の横に声優という単語を付け足して再度検索したが、画像のバリエーションが変わっただけで、猫の画像が並んでいることに違いはなかった。

 「…………?」

 そういえば母(仮)も猫だった。

 ……いやな予感が体全身を駆け巡る。

 震える手でリモコンを掴み、テレビをつける。いつもならお色気キャスターとして国民的人気を誇る山田ちゃんが今日の星座を艶めかしい声で読み上げている時間帯だ。

 

 「今日のアンラッキーさんはぁ、ごめんなさい!かに座の方です!」

 ぼくかにざ

 画面の中はにゃんこワールドだった。白い猫がピンクのブラウスと短いスカートを着て今日の占いを読み上げている横、眼鏡をかけた黒い猫がスーツを着て相槌を打っている。後ろにはこれまたぶち柄の猫がニットを着て目を細め口元を抑えている。肉球が見えて可愛い。……ちがうそうじゃない。なんだこれは。


 「体温計持ってきたわよ……ってちょっと、ほんとに具合悪そうじゃない!真っ青通り越して真っ白!夏風邪かしら……。お母さん学校に電話してくるから、今日は病院行って休みましょう」

 ……母を自称している。

 「エアコンの設定温度低くしすぎたのかしら、それとも最近猛暑だったから、身体が疲れていたのかしら……」

 猫姿の母はそう呟きながらおろおろしている。口元に右手を当て、もう片方の手は腰に当てて首を左右にゆるく振る。その仕草は困惑した母がよく取る行動であり、真実この猫が自分の母であることを示している。

 「か…かあさん?」

 「そんなにか細い声になっちゃって……。喉も痛いのね。生姜湯を入れるからうがいだけでもしてらっしゃい。」

 「あの、でも、母さん、ね……ねこ……」

 「え?猫が何?……あ、また猫が飼いたいとか言うんでしょ。だめだめ。我が家はペット禁止だから。風邪で弱ってるからって言うこと聞かないわよ。」

 「いや、違うって……」

 「じゃぁ何?どうしたの」

 「……母さん、今日鏡見た?」

 「何か顔についてる?」

 「……なんていうか、なんか、いつもと違わない?」

 「えぇ、ちょっとやめてよ。いつも通り美しい母さんだったわよ。パパだって今日も可愛いねって言ってくれたし」

 おかしい……、本当にいつも通りだ。母さんが好きすぎる父さんなら、猫になっても変わらず愛し続けるだろうが、猫になったね、位の言葉があってもおかしくないだろう。しかしその父さんから、いつも通りと言われたのならいつも通りなのだろう。

 となれば、人類が猫であったという常識にすり替わったのか、自分のみ皆が猫にみえるのか、このどちらかだろう。いや、確か先程母は猫のことをペットだと認識していた。

 「……俺のこと猫にみえる?」

 「……行くのは内科じゃなくて精神科のほうがよさそうね……」

 「…………なんと」

 どうやら猫にみえるのは自分だけらしい。

 


 ●


 母が不安そうな顔で自分を見つめる。

 「本当に大丈夫?顔色は戻ったみたいだけど、おかしなこと言ってたし、やっぱり休んで病院行った方が……」

 「大丈夫!ちょっと夢見が悪かっただけだから。さっきのは……忘れて」

 何度も問題ないということを念押しはしたが、母が自分を見る目に不安の色は消えない。携帯を片手に持って、今にも学校に欠席の旨を伝えそうであったので、いまだ引き留め続ける母を無視して無理やり玄関に向かう。

 「気にしないでね!本当に何ともないから!じゃあいってきます」

 


 外は七月ということもあって、室内よりいくらか暑い。最近は猛暑が続いていたが、今日の様にたまに涼しい日もある。

 自分が通う学校は徒歩三分の駅から五つ先、登校時間にして30分という素晴らしい立地だ。駅に向かう途中、ふと、制服のポケットに入れていた携帯が震えたのに気付き、画面を確認する。友達の内藤からメッセージがきていた。

 内藤は高校からの友達だが、最寄り駅が同じということもあってよく一緒に登下校する。人見知りの自分が遠慮せずに話せるほど、内藤は人当たりが良く、またなかなか顔面偏差値が高いので、モテの要素が備わっている。しかしその性格ゆえに非常に騙されやすく、クラスでは残念なイケメンというのが共通の認識としてある。


 『まだ駅にいたら一緒にいこー』

 今日も例にもれず、登校のお誘いだった。

 『いいともー』と返事を打って、再びポッケにしまう。


 それにしても、視界が物凄いことになっている。

 スーツを着たサラリーマンの、猫。

 県で一番かわいいと評判のセーラー服を着た、猫。

 自転車に乗って急ぎ気味の、猫。

 誰もかれも猫だ。猫しかいない。


 いつもよりきょろきょろと、辺りをせわしなく眺めながら歩き続けると、駅が見えてきた。朝の通勤ラッシュの時間ということもあり、毎朝多くの人混みに紛れながら電車に乗るのだが、今日はその人混みもただの天国だ。大好きな猫しかいないのだから。

 駅構内にある自販機の隣に立って、内藤を待ちながら早足に通り過ぎる人の流れを観察する。人間観察など趣味ではなかったが、相手が猫なら話は変わる。

 今朝、起きてすぐ状況がつかめなかったときは思わず恐怖を抱いてしまったが、駅に来る途中にすっかりこの状況、自分以外の人間が猫にみえてしまうという現象を受け入れてしまった。人の顔などめったなことがなければ見ようと思わないが、猫にみえる今ならなんだってできそうな自信すらわいてくる。

 自然と口元が上がり、心も穏やかになっているのを感じた。

 「おっは。あれ、今日めっちゃ機嫌いいじゃん。駅とか苦手だからっていつも俯いてんのに」

 視界の外から内藤の声が聞こえ、「あぁ、おはよう。実はさぁ、」と言おうとしたが言葉にできなかった。驚きすぎて頭が真っ白になったからだ。

 いや、母だって、ここに来る途中に見た通行人だって猫に見えていたのだから、内藤だってそうだと考えるべきだったのだ。すっかり失念していた。内藤もしっかり猫だった。

 髪の色素が薄い内藤らしく、猫姿でも毛は茶色だった。茶トラだ。目は少し緑がかっており、二重で大きな目はそのまま生かされているのか、くりくりしていた。中身は内藤ということを除けば、抱き着いて撫でまわしたい衝動に駆られるほど好みの猫だ。

 「……おい、大丈夫か?そんなに目ぇかっぴらいて。瞬きしてねぇから充血してんぞ」

 「あ……あぁ。ちょっとぼーっとしてただけだよ。うん、大丈夫。いこっか」

 「お、おう」

 内藤と話しながら、必要以上に顔、身体、仕草、そのほかもろもろを目に焼き付ける。変に思われるのは避けたいが、好みの猫を見たい気持ちには勝てなかった。

 「……なんか今日やけに見てくるな。俺なんか変?寝癖とかついてる?」

 「全然変じゃない。いつも通りイケメンだって」

 ぶっちゃけ猫にみえるから寝癖とかみじんもわからない。猫に寝癖とかあるのか、猫姿の内藤は短毛だから癖がつくとは考えられない。

 「じゃあなんでそんなに見てくんだよ。そわそわするわ」

 「え、悪い。……何となくだから、本当気にしないで」

 「えぇ……、めっちゃ気になるわ」

 「はははは」

 笑ってごまかしたが、内藤はまだ気になる様子だ。なんとなく、猫にみえることは言わない方がいい気がした。気を使って話さなくてもいい相手だが、万が一ということもある。高校一年の夏、まだ内藤とは親しくなって数か月だ。先ほどは言いそうになってしまったが、いきなり「人間が猫にみえるんだ」といっても頭がおかしいんじゃないかと遠巻きに見られてしまっては困る。ボッチは嫌だ。

 「あー、今日は終業式だけだよな?」

 話を逸らそうと、話題を変える。今日は終業式。明日からは夏休みだ。

 「そうだな!あ、今日うちこないか?夏休みの課題やろうぜ」

 「やるの早くない?内藤って夏休み終わる間際になってから焦るタイプだと思ってた」

 「あってる。毎回後悔すんだよなぁ。だから今回こそ早めに終わらそうと思って。お前頭いいし、二人でやれば早いだろ」

 「写すだけとか無しだからな」

 「わかってるってー」

 怪しいと思ったが、猫の内藤にお願いされたらなんでも許してしまいそうな気がする。頭をかく内藤の手、ちらりと覗く肉球は鮮やかなピンク色だった。




 ●


 教室に入ると、やはりみんな猫だった。

 挨拶をいつも通り返し、席について荷物の整理をする。ここにきてある一つの問題点が明らかになった。学校は皆同じ制服だ。多少着こなしに差異はあるが、基本的には一緒だし、校則があるから不良でもない限り、明らかに改造した制服を切る生徒はそうそういない。

つまりだ、誰が誰なのかわからない。

 内藤はまだ向こうから話しかけてきたというのと、声を覚えていたからわかった。しかし、俺はこのクラスに親しいのは内藤のほかには椎名という野球部のやつしかいないのだ。人見知りをこじらせた結果、知り合いをたくさん作る絶好の機会である四月に怠慢を犯し、内藤と椎名しか友達ができなかった。自分は浅く広くといった交友関係よりも狭く深い交友関係をとるのだといって強がってみたものの、不意に訪れるグループワークで何度か泣きを見た。

 二人以外のクラスメイトとは、顔を見て話すことはしなかったので顔と声が一致しない。しかし声と名前は一致する。声さえ聞ければなんとかなるかもしれない。……そもそもどの猫が誰かなど分かったところで話さないのだからわからなくてもいいような気がしてきた。

 うん。内藤と椎名だけわかっていればいいか。そう結論付け、椎名は果たしてどんな猫だと、椎名の席を見やる。


 黒猫がいた。毛は短毛、金色の目は垂れ下がっており、眠そうな雰囲気を醸し出している。視線を向けたとき、丁度あくびをして口を大きく開けていた。野球部は毎日朝練で疲れているのだろう。可愛くて悶えそうになった。中身は椎名だけど。

 椎名は猫アレルギーのため、猫が苦手だ。そんな本人が今猫になっているという状況がおかしく、にやけそうになったが慌てて机に突っ伏する。気づいたことだが、猫になっても人間の時と共通の特徴があるらしい。髪の色は毛の色に、目つきや仕草などは人間の時と変わらないので、よく知っている人ならわからないことはなさそうだ。


 顔を上げると、担任の先生が教室に入ってきていた。先生は五十代の神経質そうなおじさんだが、白猫になっていた。少しカールした、やや長めの体毛に、なんと眼鏡をかけている。どうやってかけているのかは謎であるが、上手いこと固定しているようでずり落ちる気配はない。……眼鏡をかけた猫とか正直めっちゃ可愛い。


 先生はこの間行われた中間テストの成績表を返却するようで、出席番号順で取りに来るよう言っている。一番の赤坂から順々に取りに行っているが、皆見事に猫で、すごく可愛い。この高校は男子が学ラン、女子がブレザーだが、様々な猫が制服を着て動いている光景は魅力的過ぎてどうにかなりそうだ。

 先生の白い丸々とした手から成績表が直接渡された。ちらりと除く肉球の色はピンクだった。どうにか受け取る際に触れないものかと画策したが何も浮かばなかったのでおとなしく成績表を受け取り、席に着く。テストの結果は上々だった。


 「今回のテストは皆にとって高校に入ってからの初めてのテストということもあり、勉強した人が多かったのか平均点は高めでした。これからも勉学に励んでください。また、今日の終業式ですが、校長に急用が入ったそうなので、無しになりました。そのため要点をまとめたプリントを配りますが、しっかり読んで節度ある夏休みを過ごしてください」


 ……終業式がなくなるほどの急用、何だったんだろう。




 ●


 「うっし、俺んちいこーぜ」

 「おー。……あ、そだ。内藤んちって今誰かいんの?」

 「んー、多分いない」

 「多分かよ」

 「いや、俺双子の妹居るんだけど、あいつも確か今日終業式でさ、午前で学校終わるらしくって、寄り道しなかったらそのうち帰ってくると思う」

 「……そっかぁ。内藤に似てる?」

 「どうだろ。二卵性だからなぁ。あんまにてないかも。まぁ、俺の部屋にいれば会うこともないから大丈夫だって!ほんとに人見知りだなぁ」

 「大目に見てくれ」

 



 ●


 内藤の部屋、課題を進めて一時間。そろそろお昼の時間である。意外にも内藤はおとなしく課題を進めており、数学の問題を唸りながら解いていた。

 茶トラの、自分好みの猫が一生懸命問題を解いている、その賢明な姿に、課題で少し疲れたのかつい、言葉が漏れてしまった。

 「……かわいい」

 「え?」

 「しまった」

 「今誰のこと言った?」

 「……えーっと」

 なんとか言い訳を考えようと頭をひねる。なんて言おう。猫の内藤が真っ直ぐこちらを見ている。めちゃくちゃ可愛い……。ちがうちがう!言い訳を考えないと!どうする、どうする。手がじっとりと湿って、頬にも汗が伝っているのが分かった。誰かが階段を上っているような、どんどんという音が自分の心臓と重なっている気がする。

 もうこうなったら素直に言ってしまった方がいいかもしれない。腹をくくろう!



 「……俺、お前が猫にみえるんだ」

 「兄ちゃんただいまー……え、ネコ?」

 「……え」

 


 内藤に悩みを打ち明けた瞬間、部屋のドアから猫が入ってきた。セーラー服を着て、内藤を兄ちゃんと呼んでいたことから、例の妹だということが分かった。内藤と同じ茶トラで、瞳も同じ緑色だ。内藤の猫姿と非常によく似ている。毛のツヤが非常に良く、内藤より若干毛並みが良い。女子力がここに換算されているのかもしれない。



 「今……ネコって……」

 「ちがう!」

 「うわ、びっくりした」

 内藤の妹が呆然とつぶやいた言葉を内藤が力強く否定した。あまりの声の大きさに驚いた。

 「違わないでしょ……。兄ちゃん、ネコにみえるって、言われてたじゃん」

 「違うから!お前が思ってるのとは違うから!もうお前出てって!」

 「え、無理。まって、ねぇ、ネコってどういうこと」

 内藤の妹が、狩りで獲物を狙うような、ひどく鋭い顔でこちらを見てきた。入ってきた直後は可愛い瞳だったのに、面影が一切ない。

 「ネコってなに」

 鋭いナイフのような視線が珍しくて無言でいると、追及が入った。猫の姿だったから臆することはなかったが、これが人間のままであれば失神してしまっただろうな。猫でよかった。

 「言葉通りなんだけど、内藤が猫にみえるっていう……」

 「ネコ!兄ちゃんがネコ!」

 妹はそう叫ぶと兄である内藤の顔とこちらの顔を交互に見やり、「アリ!全然アリ!」や、「兄ちゃんはそっちかー!」などと言って嬉々としている。内藤は両手で顔を覆って「もうこいつやだぁ……」と嘆いている。


 「恥ずかしくて言わなかったけど……、俺の妹、ちょっとおかしいんだ……。男同士の恋愛にめちゃくちゃ興奮するし、それをこっちにも押し付けてくるんだよ。前までこんなんじゃなかったのに。高校に入ってから一気に変になっちゃて……」

 「苦労してるんだなぁ……。それで、今はどういう状態なの?なんであんなに盛り上がってんの?」

 猫というところに強い興味を示していたが、それでこんなにも興奮するものなのだろうか。

 「それは」

 「教えてあげるわ!兄ちゃんの恋人!」

 内藤の言葉を遮り、効果音が付きそうなほどキレのある動作でこちらを指さした妹は、こちらを馬鹿にしたように鼻を鳴らした。瞳孔が完全に開き、鼻息荒くこちらににじり寄ってきた妹は、顔の角度を少し変えれば鼻がくっついてしまいそうなほど接近してきた。パーソナルスペースを知らないのか、四つん這いでこちらに向かってきた姿に中身も猫なのではないかと疑った。

 「ネコっていうのはね!要するにウケのことよ!」

 「う……うけ?」

 「あぁ嘆かわしい!そんなこともわからないのね!いいわ、教えてあげる!安心して、才能はあるわ。なんたって兄ちゃんの恋人なんだもの!あなたは知識が足りないだけだわ!」

 「いや、恋人じゃないから」

 「……あぁ!そうね、禁断の恋だものね!わかった。そういうことにしておいてあげる。そうね、まずはネコとタチの説明からかしらね」


 妹の説明を受け流していると、ふと何かが床を叩く音に気づいた。音は一定間隔で鳴っており、心なしかだんだん大きくなっている。音の出所を探すと、それは内藤の方から聞こえた。


 内藤はしっぽで床を叩いていた。

 ……しってる!猫がイライラしてる時にやる仕草だ!

 どうやら妹の話に内心穏やかではないらしい。話が進み、勝手に妄想が繰り広げられていることに大層ご立腹な様子だ。

 しっぽが上下する様に、ある欲望がむくむくと湧き上がった。我が家では猫が飼えないため、猫の成分を補給しようとして動画や写真をよくあさる。そうすると猫の様々な顔が見られるのだが、その中でも一押しの動画がふと、頭に流れた。

 その動画の飼い主は、飼い猫のある場所を優しくポンポンしていた。すると猫は非常に恍惚とした表情で横になり、もっと、とねだるように飼い主を見上げるのである。飼い主は少し意地悪をし、ポンポンをやめたのだが、猫はそんな飼い主に向かってひどく甘い声で催促の鳴き声を上げ、真ん丸の瞳で飼い主を見上げていた。 もちろん飼い主はすぐ陥落した。その動画は飼い主が再びポンポンを始めたところで終わっていたが、ひどく羨ましい思いで見ていたのを思い出した。

 もう一度内藤のしっぽを見る。変わらず床を叩いている。

 「内藤、ちょっといいか」

 「あぁ、わかるぞ。このクソみたいな妹を部屋から出せっていうんだろ。まかせろ」

 「ちがう」

 そう言いうと俺は内藤のしっぽの付け根辺りに手を伸ばした。

 動画の猫も、ここを叩かれていた。

 優しく、強くならないように加減をし、一叩き。


 「ひぁっ!!!!」


 「あれ、」

 内藤は顔に火が付いたみたいに真っ赤になっている。自分が出した声に戸惑い、瞳を大きく開いて固まっていた。口が半開きになっており、フレーメン反応のようだと感心した。

 「え、ちょっと何今の声」

 妹の興味の対象が変わった。こちらに説明するのを中断し、身体の向きを自身の兄の方に向きなおした。四つん這いのまま、「なに、ねぇ、なになに。今のって明らかに感じてたよね?」とものすごい勢いで畳みかけている。胡坐をかいた内藤を四つん這いの妹が上目遣いで迫っているという、悩ましい状況なのに内容が内容だ。そして猫だ。


 加えて、なんと妹が内藤の方に向くと、丁度目の前に妹のお尻が見える。

 妹のお尻、スカートの中からはしっぽが覗き、ふりふりと緩く揺れている。

 ここで再び出来心。妹の腰、しっぽの付け根を叩いた。

 「ひゃん!」

 妹の腰が大きくはねた。内藤兄妹は、恐る恐るこちらに視線をよこす。


 「…………、」




 ●


 右手に内藤、左手に妹。二人同時にしっぽの付け根を優しくトントンと叩いて刺激を送る。叩くたびに高く上げた腰が動き、二人の口からは気持ちよさそうな声が漏れる。内藤はやや恥ずかしげに、妹はもう恥ずかしさを乗り越えたのか、素直に享受している。

 ……猫の姿だったからよかったものの、これが人間だったら地獄絵図だろうという気持ちがないこともなかったが、自分の視界には猫にしか見えないので、素直に割り切れた。声は非常に艶めかしく、目をつぶるとまるでいけない遊びをしている感じがあったので、彼らの声は脳内で猫の鳴き声に変換した。

 内藤はズボンだったから気にはならないが、妹の方はしっぽが制服のスカートをたくし上げて伸びているので、パンツが丸見えである。白い肌触りの良さそうな布に青色のレースがあしらわれた可愛いパンツだ。正直人間にみえていたら手を出さざるを得なかっただろうが、今は猫。何も感じなかった。猫のパンツである。


 さすがに疲れてきたので手を止めると、二人そろってこちらを見上げてきた。その少しうるんだ瞳には言わなくても伝わる、「もっと」という感情がありありと込められていた。

 「……ちょっと、やめるんじゃないわよ」

 「ごめん、もうちょっとやってくんないか……。」

 妹はふてぶてしく、兄は恥じらいながらも。

 しょうがないので再度叩き始めると、再び彼らはうにゃんうにゃんと鳴き始めた。

 内藤の肉球を触った時は、普通の手のひらを触っているときと変わらなかった。今だって視覚的には猫のしっぽの付け根を触っているが、実際の感触は腰辺りを叩いているだけだ。普通に考えて、人間はそこを叩かれても気持ちよくないだろう。猫は気持ちよいだろうが、自分から猫にみえるだけで彼らは実際人間だ。

 どういった仕組みかはわからないが、この分だと頭や首の下を撫でても同じ反応が返ってきそうだ。

 


 ふと、左手の方、内藤の妹を見やる。高くつき上げた腰は、刺激によって砕けたのか、体制が崩れてすっかり横になっている。それでもなお、さらなる刺激を求めて催促を忘れない。今日が初対面であったが、言葉の端々から高慢な性格がうかがえた。きっと人間の姿のまま会っていれば委縮して話すことはおろか顔も見れなかったであろう。猫の姿であったから物おじせずに話すことができた。

 そういえば、今日は駅の人混みに気持ち悪くならなかったし、前の席の人に紙を渡されても顔を見てしっかり受け取ることができた。感謝の言葉だって、声を震わすことなく言えた。

 となると、人間が猫の姿にみえる、この現象がひどく素晴らしく、この世界が天国に変わった気がしてきた。その喜びは徐々に体を満たし、あふれ出そうになる。今すぐ誰かに伝えたい!


 「内藤!俺、これから人見知りとは無縁な暮らしが送れる気がする!」

 「っ!えっ……!ちょ、ちょっと……っ、ちから、つ、つよい……ってぇ……!」

 「あっ!なっ……なに、これぇ……っ!どうなっ……ってんの……ぉ!」

 あふれ出る気持ちが無意識に彼らを叩く強さを大きくしてしまったようだが、喜びを伝えるのに精いっぱいだった自分は、いきなり強い刺激を与えられて、身体が理解不能の快楽に溺れ混乱している彼らに気づくことできなかった。

 

 「本当はいろんな人と話してみたかったんだ!他人の気持ちを深読みしすぎちゃって、皆俺のこと嫌いなんだって脅迫概念に駆られていたけど、みんな可愛い猫なんだし!猫に嫌われても逆に可愛いからご褒美として捉えることができるし!猫ってだけでもう何でもありだよ!!」

 自然と、彼らを叩く動作は、机を両手で叩いているような、そんな既視感に襲われた。

 『も……もうダメ……っ!』


 「明日から夏休みだけど、駅前のファミレスとかで宿題進めようぜ!いろんな猫を見ながら勉強したいな。あぁ、本当にうれしいよ。俺だけ常に猫カフェにいるようなもんだ!」

 「なぁ内藤!」そう言って同意を得ようと声を掛けたら、ぐったりと横たわった内藤が目に入った。

 「……あれ、なんか満身創痍だな?顔も赤いし、……息荒いな、風邪か?あ、妹もだ。流石双子だな、風邪ひくタイミングも揃っちゃうんだ」

 二人は体調を崩してしまったようである。話しかけても返事ができないほど酷そうであったので、掛け布団をかけておいた。




 ●


 「内藤のおかげで前向きになれたよ。ありがとう。ゆっくり養生してくれ。またな。」

 内藤家を後にし、ゆっくりと帰宅する。世界のすべてが素晴らしい。自分の好きなものしかない世界は二次元の話だと思っていたが、そんな考えとは今日でサヨナラだ。視界には愛らしい、様々な猫がいる。


 おそらく小学生であろう、小さな子猫が自身の半分ほどの大きさもあるランドセルを背負って歩いている。帽子を手に持って、顔に風を送ろうと団扇のように仰いでいる。頭部には小さな耳が小気味良く動いており、触りたい欲求をうまくついてくる。

 ……そうだ、今度はしっぽの付け根に加えて頭も撫で繰り回してやろう。内藤、どんな反応するかなぁ。なるほど、女子が男子に比べてスキンシップが多い理由が分かった気がする。反応がいいからなのだろう。


 「ふふっ」

昨日まではあんなに沈んでいたのに、視界一つで変わってしまうなんて。生きていればいいことがあるもんだなあ!あぁ、人間(猫)だーいすき!


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― 新着の感想 ―
[良い点] よく、発表会の場で緊張したら舞台の上から見える人間を全員カボチャと思え、という話はありますが……全員が猫に見えてしまうとは! しかも、見た目が猫なだけではなく、一部は本物のネコ的要素を備え…
2019/07/26 19:09 退会済み
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