全ての終わりとはじまり(前)
その日は旅に出たくなるような快晴だった。雲一つないってやつで、もう何もかも投げ出して一人姿をくらましてやろうかとか不穏なことが脳裏に浮かぶ。
「それは困りますねえ」
「おっと、口に出てたか?」
「いいえ、けどそんな表情でしたわ」
「いやいや、そんなことは考えてないデスヨ?」
「ふふ、けど、全部終わったら……二人で旅に出るのもいいかもね」
「そんなことができるとでも?」
「そうね、そうなったらいいよね」
「まあ、それも今日を生き延びてから、だよな」
フレデリカは笑みを浮かべて頷いた。
正直ガイウスは強い。以前聞いたが、ヴァレンシュタイン伯と戦って勝負がつかなかったほどだという。ちなみに、テムジンですら何とか食い下がっていただけというのだから人外の強さというわけだ。
テムジンはブートキャンプでその才能を開花させた。槍を振るっての騎馬戦となれば、俺も勝てるか怪しい。
まともにやって勝てるかどうかは……時の運だ。
だから少し小細工をすることにした。
いつぞや目くらましに使った粉を懐に潜ませる。後は細い鎖を手首に巻き付けた。
「裁きを統べる賢者よ、汝が叡智、天秤の守護者たる力を顕さん。おお天帝の怒りよ、今こそ神鳴りてその威を示さん!」
呪を紡ぎ、詠唱を終える。こうしておけばあとは呪文の名前を口にするだけで発動させることができる。威力は多少落ちる、それは仕方ない。
「さて、行こうか」
カタナを振るって型を確認する。体の動きに一切のよどみはない。幸か不幸か絶好調だ。
「行きましょうか……ご武運を」
さすがにフレデリカもおちゃらけた様子はない。
俺の脇を無言でついてくる。
「ねえ、アル。いいえ……ヨシノブ。ごめんなさい」
「なんだ? いきなり」
「わたしの都合に巻き込んでしまった。それだけは謝っておかないとってね」
「いまさらだろう?」
「それでも、よ」
「なあ、何の因果か知らんが、俺たちが飛ばされてきた世界も結局のところ戦乱の世だった。そこに意味があるのかは知らない。けどな、あんたが関わらなくても結局俺は巻き込まれてたよ」
「なんでそう思うの?」
「俺がこの世界に来て、最初に会ったのがガイウスだ。あいつはこの世界で何かをなそうとしている。立身出世かもしれんけどな。それ自体は悪いことじゃない」
「そうね。わたしに前世の意識が芽生えたとき、すでに帝室は詰んでいたわ」
「ああ、大まかな流れは知っている。よくある権力争いだよな」
「傍から見ればその通りなんだけども、その当事者になってみなさいよ。冗談抜きで生きた心地がしなかったんだから……」
「はっはっは、まあそりゃそうだよな。帝室といえば聞こえはいいが、権力争いで親兄弟すら殺しあうなんてのはよくある話だ」
「お兄様たちはね。小さい頃は私をそれはかわいがってくれたの。優しかったの。だからね。あんな死に方をするような人たちじゃなかったの」
フレデリカは顔を伏せて、何かに耐えるようにこぶしを握り締めている。
「ああ、そうなんだろうな。彼らを担ぎ上げた貴族どもが諸悪の根源なんだろう。彼らに逆らうには相応の力がいる。個人の資質ではどうしようもない、な」
「そう、ね。だからわたしは外に出た。実はね、門番を引き付けるのと、ペガサスを調達するのはお兄様たちがやってくれたの」
「そうだったのか……、じゃあ、負けられない理由が一つ増えたな」
「ありがとう」
背後に人の気配を感じた。
「ああ、声をかける前に気づかれるとはね。一応気配は消してたんだけどなあ」
「絶好調ってことだ。今なら投げつけられた針ですら撃ち落とせそうな気がする」
フレデリカ皇女に伴われ、決戦の場に出た。場所は練兵場だ。そこに両軍から代表して500名の兵が入る。
俺がここに入った時点で内城の門が開け放たれた。ガイウスを先頭に、皇帝が近衛を率いてこちらに向かったと知らせが来る。
「皆、大儀である」
急遽しつらえられた玉座に座って重々しく皇帝が告げた。兵は歓呼の声を上げる。今回フレデリカが出した条件として、市民の代表者を立会人として参加させた。
食料や物資のバラマキで、彼らはほぼこちらの味方である。申し訳程度の拍手をしていた。
「なれば、代表を出せ」
「騎士、ヨシノブ・アリタ。参る」
「ガイウスだ。皇帝顧問官をしている」
お互い初対面のようなそぶりで向かい合う。ケネスと目線があった。彼は無表情で、それでもこちらに向けて頷いてきた。
「ふむ、押し付けて行った団長の肩書だが、うまくやってくれているようだ」
「押し付けて行ったって自覚はあるのか」
「ああ、まあ、言葉を交わすのはここまでだ。後はこいつで語り合うとしよう」
ガイウスの腰には武骨な拵えの太刀があった。
「なれば、これより代表者による一騎打ちを執り行う。歯医者の陣営は商社の陣営に無条件降伏すること。互いに相違ないな?」
立会人は右腕を吊っているヴァレンシュタイン伯だった。
俺とガイウスは、カタナを抜き、正眼に構えて向き合った。
「きええええええええええええええええい!」
裂帛の気合と共にガイウスが放つは突き。
軌道は一直線でフェイントなどはない。
上体を揺らして躱す。そのまま少し膝をかがめて突き終った状態からの横薙ぎをやり過ごす。
斬撃の型をすべてなぞるような連撃が流れるように繰り出される。
それはすべて見知った軌道で、俺が修めた流派の動きと同じだった。
「ああ、そういうことか。貴様もそうだったか」
俺のつぶやきにガイウスはニヤリと笑みを浮かべ、動きのギアを一段上げてきた。
先ほどの連撃も余裕があったわけではない。早く鋭いが一本調子だったのと、合わせ稽古の型そのままだったので受けることができていた。
金属同士を叩きつける音が鳴り響き、互いの呼吸音すらかき消される。攻撃と防御が一瞬で入れ替わり、天秤は容易に傾かない。
だが、徐々に趨勢が見えてきた。このままでは負ける。
互いに詰将棋のように攻撃を組み合わせ、通る攻撃、防がれる攻撃を見極める。それこそ無限の組み合わせを互いに読み合い、不正では反撃するということを繰り返していたのだ。
互いに強くカタナを打ち付けあって、そのまま後ろに飛び下がった。
全身から汗を噴出させ、荒い呼吸を整えるため深く息を吸う。
その呼吸すら予備動作と見て取って、フェイントを掛け合うような戦いだ。
そうして呼吸を整えた俺は、カタナを鞘に納めた。
周囲の見物人からどよめきが上がる。ガイウスのみ俺の意図を読み取ったのか、同じく納刀する。
そして互いに柄に手をかけ、前傾姿勢を取る。間合いは一歩で切っ先が届く。技量、力、どちらもわずかに相手に及ばない。
しかし、速さだけはわずかに勝っている。それで幾度も窮地をしのいだ。
互いに目をそらさず、しかし意識を深く深く沈めていく。周囲の完成も聞こえなくなっていく。周囲の景色も意識から出ていき、俺の前には宿敵たるガイウスただ一人。
「はっくしゅん!」
誰かのくしゃみで、場の均衡が乱れた。
「ちぇえええええええええええええええええええええええええええい!」
溜めた呼吸を雄たけびに変えて踏み込む。同時に踏み込みカタナを鞘走らせる。極度の集中で間延びした時間の中、俺は自らが詰んでいたことを悟った。
今まで三味線ひいてやがった。このまま降りぬけば、一瞬早く相手のカタナが俺の喉首を斬り裂く。
だから切り札を切った。
「雷よ」
体を動かすのは脳から神経に電気信号が走る。
それを、事前に唱えて置いた雷の呪を発動させ、自らに電流を走らせる。
それにより、体の筋肉を操って、ごくわずか、刹那に満たない速さの差を埋めて見せる。ガイウスは驚きに目を見開きつつも、わずかに手首をひねり、こちらの斬撃に合わせて軌道を変える。
間延びした時間は過ぎ去り、急に現実に引き戻された。
斬撃は空中で噛み合い、跳ね返される。そのまま切りあい移行すると俺は負ける。しびれた体に活を入れ、そのまま踏み込む。
「なっ!?」
驚きの声を上げたのはガイウスだった。
俺はそのまま胴に向けて突きを放つ。無理やりカタナを呼び戻して不完全な態勢で受ける。
高い金属音を残して、絡み合ったまま互いの獲物が弾き飛ばされた。カタナを叩きつけたときの勢いを利用して、鎖を絡ませるたことで、話すことができずに一緒に飛んでいったわけだ。
そして、俺は密着した状態からガイウスの胴に手のひらを添える。
「終わりだ」
ダンッと足を踏み込み、その衝撃を関節を伝わせて加速させる。
そして、密着させていた掌で解放した。
馬にでも跳ね飛ばされたような勢いでごろごろとガイウスが吹っ飛んでいく。俺は自らの獲物を手に倒れたままのガイウスにその切っ先を突き付けた。
最終話だと言ったな……膨らみ過ぎて前後編になっちまった(;'∀')