あいつは選択を間違えたざまあみろ!という勘違い。
明らかに不幸な死に方だった。
でも後悔はなく、幸せだったと誇らしく思う。
またあなたとー。
そう思います。
正解な道。
それは人それぞれ。
口で言うのは簡単であり、理解は及ばずとも解った風に思える事象。
例え自殺でも。
例え不倫殺人でも。
例え刑務所服役でも。
明らかに不正解な道でも、本人の魂にとってはかけがえのない経験として、魂に刻まれ、次の転生の足場となる。
そしてそれは産まれる前から決まっているのかも知れません。
登山。
死ぬ人はいくら止めても登山するのだそうです。
そして滑落、足の骨を折り、飢えと喉の渇きによって地獄を味わいながら死んでも。
止めた人や、ネットではざまあみろ、と言うでしょう。
しかし。
本人にはその選択しか出来なかったのです。
本人ですら、どうしようもなく、運命の歯車によって動かされ、登山したのです。
登山ではなく、恋人ではどうでしょう?
明らかに遊び慣れた男性に惹かれる。
悪い男性に惹かれる。
そんな男性と結婚し、子供を設け、最終的に裁判離婚し、子供は不良に、両親の痴呆介護、住宅は売りに出し、家賃が家計を圧迫。
男性を探し出し、無理心中。
そんな人でも。
恋人と海外旅行中に強盗、強姦され、夫は殴られ続け、障害者に。
自分は警察に言うと言った瞬間、ナイフで刺され死亡。
そんな人でも。
周りの人から見れば、そんな相棒を持ったから、運命が狂い、因果応報の報いが来たんだと、そう言うでしょう。
しかし、本人達からしてみれば。
他に道はなかったのです。
そして意外な事に。
生まれ変わってもまた同じ人と、と言うのです。
生まれ変わってまた同じ人と、今度こそ、間違わないように生きたいと。
人のせいにしないで、道のせいにするのです。
周りの人間はよく言います。
こっちが正しい道だ!
しかし、当人達は間違いの道に入りました。
その結果当人達が不幸になり、周りの人間はざまあと笑います。
忠告してやったのに無視するからだ!ざまあみろ!
あんな人間と一緒になるからだ!ざまあみろ!
気持ち良い事した報いだ!ざまあみろ!
しかし、当人達に死後、また同じ人と一緒になりたいか?と聞いたとします。
意外に、また一緒になりたいと言っているかも知れません。
不正解。
正解。
ただし。
間違える事がその魂にとっては正解なのかも知れないのです。
私が何が言いたいのか?
あなたにはあなたの正解の道があるという事です。
40歳を過ぎても童貞、処女。
貯金も無し。
不安な老後。
負け犬の人生。
いいえ。
何が正解の道なのかは、死んでからしか分かりません。
その負け犬の人生こそが、あなたにとって、真の正解の道かもしれないのです。
あなたは常にベストの選択をしてきた筈。
今は後悔でも、あの時の自分にはベストの選択だった筈。
では何故こんな人生なのか?
間違えなかったからです。
それで良いのです。
最底辺とは?
皆が勘違いしている事象は、常に最悪と思う事です。
まだまだ下はあるのです。
下には下があるのです。
それを忘れ、常に自分は最底辺だと、自信を持っている事です。
勘違いも甚だしい。
正解の道とは個人によって異なります。
あなたはあなた。
負け犬人生でも、天に恥じない生き方ならば。
正解の道なのです。
好きな人が自分を振って、別な人間と恋をし、殺された。
ざまあみろ!私をとってれば死なずに済んだのに!
死後にインタビューしたら、あの人に殺されて良かったと。
これでカルマが消えたと。
喜んでいるかも知れません。
何が正解の道なのか?
それは想像以上に遥かに超個人主義。
ですから、何も悲観する事はないのです。
因果応報も。
罰も。
全ては個別問題。
あなたには全く関係ない事。
誰と誰が恋をしようが、結婚しようが、全く関係ない事。
あなたはあなたの天に恥じない生き方を。
道を。
そうして、得られるモノが、本来のイベント。
得られないなら、必要がないから。
経験として必要ないから。
魂は既に成熟し、進化し、新たなるステージに行っているから。
羨む必要もない。
嫉妬も要らない。
ただ、ただ、あなたにとっての、正解の道を歩けば、それが必要な経験なのです。
何が正解なのか?
それは死んでからしか解らない。
どうすれば良いのか?
その判断基準は。
天に恥じない生き方かどうか。
この一点だけです。
過去は関係ない。
今。
必要なのは今。
天に恥じない生き方を。
あなたがそう判断し、選んだ生き方で、例え失敗し、不正解な道だったと嘆いても。
それこそが。
必要な経験だった。
イベントだった。
真の正解の道だった。
そしてあなたはこれからも常にベストな選択をしていくでしょう。
他人をざまあみろ!と思う事があったら考えてください。
何が正解なのかは、超個人主義だというこの世界の不思議さを。
End




