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8.刹那の休息

 本部の広場、仰々しい噴水と植えられた花が揺れるエリアまでウルルを連れて行ったイスラは、慣れたようにベンチに座る。その途端に大人しくしていたウルルはベンチに飛び乗り、イスラの膝を枕に寝転がった。すりすりと頬を膝に擦り付ける様は甘え上手の猫のようで、魔女を拷問し殺害してきた猟奇的な戦士には見えない。

 そうして暫く甘え続けたウルルは不意に動きを止め、膝の上からイスラの顔を覗き込む。


「戦ってたら段々理性が働かなくなってきた。途中まではちゃんと拷問できてたし殺してなかったんだけど」

「………そっか」

「今回も空振りで、『指が六本の魔女』の情報はなかったなぁ」

「俺も情報は手に入れてない」

「………早く会いたいなぁ。会って――縊り殺したぁい」


 遠い目。今ではない、いつかを見る目。破滅に向かう、復讐の目。


 ウルルはその昔、ただの子供だったらしい。父親はいなかったが優しい母親がいて、仲睦まじく暮らしていたそうだ。しかし平穏の日々は呆気なく終わりを告げ、彼女は復讐の道に堕ちた。

 『指が六本の魔女』。彼女の平穏を微塵に砕いた存在は、彼女にそう呼ばれている。腕の指が六本あるその魔女は突然ウルルの住んでいた村に現れ、住民たちの魂を生きたまま肉体から引き摺り出して連れ去った。まるで苺狩りのように容易く、「魂の補充が出来た」と満足げに。

 魂を吸われたのは魔女の視界に映った人間だけ。その日のウルルの母親は、ウルルの誕生日を祝うケーキの材料を買いに彼女と共に町に出ていた。ウルルが魂を抜き取られなかったのは、彼女が小さいから視界に入ってなかった――たったそれだけの理由だった。


 目の前で前触れもなく、ウルルに向けた微笑みだけ残してその場で母親は死んだ。

 母親が中心にいる世界に生きていたウルルの心は、壊れた。

 犯人は間違いなく死霊使いだった。生贄を必要とする術は血と生命力が重要なファクター。それを無視して魂だけを引き摺り出すというのは、魂にのみ用のある死霊使い以外に考えられない。ウルルは復讐の為に不要な全てを捨てた。


 人は一度狂気に堕ちると果てしない。不死者に対抗する為に各国が進め、実を結ばず廃れていった計画の一つにウルルは自ら被験者として志願し、自分の腕を切り落として人狼の少女の腕を移植したのだ。結果は、成功と言えば成功で、失敗と言えば失敗。ただ、少なくとも命を捨てて力を求めていたウルルにとっては成功だったのだろう。

 こうして人狼の力を得たウルルは、僅か12歳という異例の若さで零戦部隊入隊し、最年少で指定席まで上り詰めた。全ては『指が六本の魔女』を見つける為。呆気なく奪われた母親の魂の自由を得るため。人間と言えなくなった醜い体になってまで追い求めた目的の為に、ウルルは魔女を狩って殺して拷問し続けた。


 少しずつ、少しずつ、拒絶反応という大義名分の下に大切なものを削りながら。


「人狼の腕の浸食、また進んだな」

「前にイスラと会ったときは、まだ右の鎖骨までだったかな。もう過ぎちゃった」

「敵と味方の区別はちゃんとついてるよな?」

「殺していいのと殺しちゃ駄目なのは。でも殺すべきと殺してもいいの境が最近は駄目になった」


 ウルルは人間だが、右腕と力は人狼だ。人狼は亜人種の中では吸血鬼に並ぶほどの能力を持っている。そんな人外の力を無理やり体に結び付けておいて、異常が起きない筈がない。ウルルの体はもう手遅れなまでにずたぼろだった。


 食事の味が分からなくなり、代わりに人肉に涎が垂れる。

 人狼の力を使っている間、判断能力や理性が低下し、狂暴になっていく。

 右腕と肩の間の拒絶反応で体内を虫が食い荒らすような神経痛が襲う。


 それは決して肉体だけの話ではない。魂を視認出来るイスラには、彼女の魂が異物と混じり、端から壊死していくのがはっきりと確認できる。人狼の残留思念とも毒とも言い得ない力によって、彼女は加速度的に死に近づいている。その死期を、彼女も悟っている。


「イスラは私より先に死んじゃイヤだよ」


 それは、彼女の口癖だった。

 イスラはそれに対して何も言えない。止めろとも言えなかった。自分も同類のどうしようもない屑なのだ。ウルルとの違いは精々、手段が違っただけだ。きっとその時が来れば、イスラはウルルよりも呆気なくこの世を去るだろう。だから、イスラはいつも決まった返事を返す。


「約束はできないな」


 イスラは零戦部隊だ。同じ零に近づく者同士、ウルルとの違いは限界に明瞭な根拠があるかどうか。一般人にとっては全く違うものに聞こえるかもしれないが、そもそもに於いてイスラたちの命の価値は明日に消し飛んでも何ら不思議ではない。

 むしろウルルならば寿命までは高確率で生きられるという根拠がある。イスラにそれはない。明日にでも不死者の類に殴られれば枝のように折れて果てるのだ。


 でも、命の灯を燃やし尽くそうと足搔く彼女が甘えてくるのを許すくらいは、命がある限りは続けてやろうと思う。見上げるウルルの前髪を流すように額を指で撫でると、ウルルは目を細めて心地好さそうに笑った。

 限りなく死に近い生の中で、命を削る静かな時間だけが過ぎていく。




 ◆ ◆




 ウルシュメール・ジュマは決して頭が良くはない人間だ。

 自ら取り込んだ人狼の力に肉体を浸食され、遠くない未来に魂を腐らせて死ぬだろう。肉体が強靭でも、魂がそれに釣り合わなければ命は朽ちていく。それはイスラから教えてもらった事だ。イスラの綺麗な目は、何でもお見通しだ。


 イスラは人の探し方を教えてくれた。

 イスラは手加減の仕方を教えてくれた。

 イスラは一緒に戦う事を教えてくれた。


 親を失い復讐しか考えられなかったウルシュメールにウルルという仇名をつけたのも彼だ。それまでウルルは自分が女だということをすっかり忘れていたので、可愛らしい渾名で呼ばれてとても嬉しかった。人狼になってから怪我の心配をされたのもイスラが初めてだった。魂の事を教えてもらったのもその時だったか。人狼の再生能力に頼れば頼るほど魂が腐っていっているそうだ。


 人狼は肉弾戦最強の化け物だ。筋力はもちろん再生能力も吸血鬼の近似値で、何よりも圧倒的な魔術耐性によってひたすらに魔法が通じにくい。ウルルはこの特性を最大限に活かした暴力を用いて邪魔する存在を全て潰してきた。人狼に存在するいくつかの弱点も、人間と混じったことで効力は薄まっている。だから、自分の身を守るという発想はイスラに言われなければ思いつきもしなかっただろう。


 イスラはいい人だ。そういうとやめろと言われたので、それからは好きな人と呼ぶことにした。すると恥ずかしいからやめろと言われたから、今は心の中だけで言っている。最初から好きだったわけじゃないけれど。

 

 初めての一緒の任務の時、確かイスラは子供を一人で行かせるのが不安だと勝手について来た。まだウルルもイスラも席を得る前の話だ。子供扱いされるのも嫌だったし、大人は足手纏いで邪魔だと思っていた。だからイスラが着いてこられないように全速力で走って任務に向かった。

 任務先にイスラはいた。どうやって追い越したのか聞くと、足で間に合いそうにないから教会の人に転移術で送ってもらったという。子供なウルルにその発想はなくて、かなり悔しかった。だから今度は楽したイスラに任務での先導を任せた。


 イスラは魔眼を持っていて、魔女の不意打ちも罠も全部看破して進んだ。ウルルはその頃になってようやくイスラが自分の知っている木っ端零戦部隊員ではないことに気付いた。彼の背中は何というか、格好良かったのだ。

 それから暫くウルルはイスラと共に行動し、冷静なものの考え方というものを教えてくれた。覚えがいいと頭を撫でてくれて、柔らかい指の感触が心地よかった。人狼になったことで鋭敏になった鼻が、イスラの匂いを嗅ぎ取るだけで心安らかにさせた。


 魂の腐敗は加速度的に進んでいる。食べ物の味は分からなくなってきたし、人間を無性に食べたくなるし、人狼の力を使うと手の付け根が私に「嫌いだ」と叫んで激しく抵抗する。最近は理性が危なくなってきて、記憶も時々抜け落ちる。戦いの後に喉が破れる程に激しく咳き込むこともある。


 混ざって腐って汚れてしまった体。

 第十七席となった今では、近寄れば誰もが逃げていく。

 イスラはウルルに残された最後の安らぎで、人間らしさだ。


 イスラは、自分は長生きしないとよく言う。病気でなくて、きっと戦いの中で命を落とすという確信があるという。もし明日イスラがいなくなったら、ウルルの人間らしい感情は復讐だけになる。復讐しか考えられ無くなれば体を酷使し、魂が腐り、ぱたりと死ぬだろう。

 目的を達成して死ねればいい。そうでなかったら最悪だ。寒くて寂しい死の呼び声に抵抗も出来ずに引きずり込まれる。無為な死は一番怖い。自分の全てが否定される。


 でも、ウルルは時々思う。こうしてイスラの体温と匂いと感触を味わいながら、そのまま眠るように死ぬことが出来たら、それはそれで幸せな死だと。きっと優しいイスラは石碑を立てて魂を弔い、六本の指の魔女への復讐を代行してくれる。それを平然と選ぶ男だ。

 だから、イスラは看取る側でいて欲しい。何一つ希望をなくしたウルルの希望でいて欲しい。きっとこの世界に残した唯一の乙女らしさになる初恋の人に、最期は寄り添うように死にたい。復讐以外に残った唯一の人間の感情だ。


「イスラは私より先に死んじゃイヤだよ」

「約束はできないな」


 いつも通りの連れない返事。でもウルルには分かっている。イスラは自分の生き方は曲げないけれど、ウルルの我儘を無碍にしたことは一度だってないのだから。


 イスラの優しい指が額をなぜる。こうされるたび、もう少し、もう少しと時間が惜しくなる。

 限りなく死に近い生の中で、底の割れた器に決して溢れない暖かさが注がれていく。

今回の更新はここまで。

前にも書いたかもしれませんが、半年置きくらいの更新になるかと思います。

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