7.暴餓の人狼
魔女――科学とは異なる神秘の理、魔道を追求する存在。オカルティックでありながらも古くはシャーマニズムの流れを汲み、学者でありながらある種の神学者としての側面を持つ、俗人の及ばぬ領域を探究する者。魔とは有から有を存続させる法則、すなわち子を為すことのできる女性にのみ行使出来る力。
嘗て、シャイアナ教会は魔道と自らが使役する神秘術を別のものとして隔て、魔道を邪道に挿げ替えたことがある。宗教圏内で発生した流行り病とほぼ同時期に行われたこの弾圧は、村を焼き、本を焼き、人を焼いた。魔女も焼かれたが、それ以上に魔女とされた関係のない人間も数多焼かれた。
それはやがて無謀な宗教戦争に繋がる教会の歪みであり、現在では魔女の定義は異なっている。嘗ては「可能性」という曖昧な言語でぼやかされたそれは、「魔術の使役によって世に対する叛意を行う者のみを裁くべき魔女とする」という明確な区分を得て、今では教会に属する正の魔女も存在する。
しかし、それはごく少数でしかなく、大部分の魔女は教会と敵対、或いは世俗との交流を断っている。
当然だ。「可能性」を掲げて無辜の民ごと同胞を焼かれて平気な顔を出来るものがどれほどいようか。彼女たちは心底憎んでいるか、或いは心底うんざりしているのだ。或いはそのどちらにも興味はなく、魔法という理外の力に酔いしれて思うが儘に事を為す。
結局、戦争を終えて科学が人を豊かにし始めた今でも、魔女と教会の戦いは未練たらしく続いている。もしかすれば、どちらかが完全に滅ぶまで終わらないのかもしれない。騒ぎを起こす魔女というのはどこか世間というものを理解しきれておらず、力を持つ者が力づくで理を敷くことに何ら恥じることがない。
故に教会は正義を名乗り罰を下す。しかして、神の存在も正義の所在も魔女からすれば下らない紙切れに等しいもの。だからこそ自分の正義を押し付けて力を振り回す教会を認められない。力を持つ者に力で対抗する事を辞さない。
イスラ個人は、魔女という存在に対して特別な思いはない。
話の分かる魔女ならば説得するなりの方法は取るし、邪魔者は死んで当然とばかりに災厄を振りまく魔女は害悪故に刈り取る。人と同じだ。魔女は不死者とは違って人だ。精霊や神霊への憑依を基とした技術体系であるが故に異物を身に交じらせることが出来ない。
ただ、魔女の中にも例外的に、人魂を使役する「死霊使い」という魔女が存在する。嘗てはネクロマンシーやブードゥーと呼ばれた、彷徨う霊魂を強制的に封じ込める方法。降霊術と違って正規の手順を踏まず、本当に無理矢理人魂を奴隷とする魔女を、イスラは心底許すことが出来ない。
個人的な理由――魔女や一般人からすれば理解できない、魂の在り方、死者の尊厳。
イスラ・ミスラはそれに偏執的な拘りを持っている。
そして、零戦部隊には同じように、特定の分野に偏執的な思想を抱えている存在もいる。
「彼女――第十七席が暴走しました。説得をお願いできますか?」
いつも自分と行動する異端審問官とはまた違った審問官の頼みに、イスラは首元を掻いた。
「あのわんぱく娘、またか……いいよ、分かった。今は急ぎの任務はないからな」
既に十数回は繰り返されたやり取りに少しばかり辟易するが、イスラは第十七席に座る存在の事を良く知っている。面倒を見るのもこれが初めてではないし、珍しく『指定席』の中では共に仕事に当たることもある程度には付き合いのある人物だった。
席持ちは基本的に慣れ合わない。共に行動している者など知っていて精々が第四席「口無」ドーラットと第七席の「御影」レトリックぐらいのもので、中には顔を合わせれば殺し合いに発展しかねないほど関係の悪い者さえいる。
中でも第十七席の暴走癖は有名なものだが、不思議と彼女はイスラの言葉にはよく耳を貸してくれる。
「場所はどこだ?」
「北部の山村地帯です。降伏する魔女をもしつこく追い詰めて、捕まえた端から殺害、もしくは拷問にかけています」
「『あれ』か。ま、あの子が暴走する理由なんて他にないわな」
彼女は純粋に過ぎるのだ。だから気が付けば過激な手段に訴えている。それだけ余裕がないのであり、そこにしか目が向かない。何もかもが刹那的で、その在り方は破滅的。明日を迎えられる保証がない零戦部隊に於いて、彼女の在り方は一際『死』に近かった。
何故なら、彼女に残された時間はそれほど永くないのだから――。
◆ ◆
ごろり、ごろり、鉄臭いたんぱく質とカルシウムの集合体。
広がる人肉の香りが胃を刺激する。喰え、貪れと本能が耳元で囁く。しかしその一切を無視する。動物の三大欲求とされる食欲さえ超越した盲目の叫びが脳裏に木霊する。獣のように毛深く変貌した醜い腕を伸ばし、今しがた殺した魔女の姿を見て震える幼い魔女の首を掴み上げる。
「ねぇ」
「ぐぁ………ぎっ……か、は、っ……!?」
「聞いてるの?ふざけてるの?潰してほしいの?ああ、私が首を掴んでるから喋れないのか。まぁいいや。人の話聞けよ」
「あ゛あ゛ッ……ごゲッ」
ぺきり、と小気味のよい音がして、泡を吹いた魔女は白目を剥いて動かなくなった。顔が充血している。力の加減を間違えてしまった。まぁいい、と思う自分と、良くないと思う自分が混濁し、喧嘩し、どうでもいいと上塗りされる。丁度もう一人いるし、ここで間違えなければ問題ないだろう、と投げやりに動かなくなった魔女を放り捨てた。
さっきの女は力加減を間違えた。その前の女は襲ってきたから適当に爪で引っ掻いたらばらばらになった。何故魔女はこんなにも脆いのか。不死者ならば一撃二撃程度は平気な顔で耐えるのに、同じ滅ぶべき存在の魔女は触れてしまうと余りにも脆くて、その不甲斐なさに腹が立つ。
残された10歳ほどの女は刺激臭のする液体を股間から漏らしながら、歯をかちかち鳴らしてこちらを見上げている。小便を漏らすのも汚いし、寒くもないのに歯を鳴らしている。意味が分からないので腹が立つ。しかし聞くことは聞かなければ、情報も得られない。私の中の理知的な私に従い、とりあえず逃げられないように女の足を踏み砕いた。陶器のように白い魔女の膝が逆方向に折れ曲がる。
「いっギぁ!?あがぁぁぁあああああああああああッ!?」
「煩いな。あ、力加減間違えた。まぁいっか、暫くは死なないし」
踏みつけた力が強すぎたせいで魔女の膝は筋肉や骨ごとぺちゃんこに潰れ、膝から先がごろりと床に転がる。やりすぎたな、と思うが、別に死んでもいいか、とも思う。私の中の一貫性のない私が代わりの魔女はまだいると囁いている。甘えた私はそれを肯定した。そんなことより確認だ。
「『指が六本の魔女』を知らない?」
「ああああああアアアアアッ!?ぎぃあ、はッ……!は、あぅうううううう……ッ!?」
「知らないかって聞いてんだろ。答えろ」
脳みそを残したくせに質問に答えない。腹が立つ。もう一本の足も折ってみようかと足を振り上げると、女はやっと喋り出した。
「じっ、知らな゛い!!あ、あだじ知らな゛いのぉ!!もう止べでぇッ!殺ざないでぇッ!!」
「声が醜い。煩い。指図するな。しかも知らない?ムカツク」
ここまで手間をかけさせておいて知らないとほざく。知を探究する魔女の端くれの分際で無知を晒す姿が腹立たしく、喰ってしまいたくなる。苛立ちのままに足を振り下ろした。魔女の膝が逆方向に曲がり、また豚のように醜い悲鳴が木霊する。やって、しまったと思った。煩いのを止めるのならば頭を潰すのが確実だ。私はやっぱり頭が悪い。思い立ったままに足を振り上げ、鼻水と涙と涎で汚物のように醜くなった魔女の顔面に狙いを定め――。
「やめなさいっての」
振り上げた足が突然動かなくなり、体がそのまま地面に横倒しになった。
この声は知っている。聞くと心がじんわりする、耳に優しい音色だ。
ややあって足音が近づき、匂いも来た。この匂いを嗅ぐと不思議と心が休まる気がする。
やがて私を見下ろす呆れ顔が視界に入り、私は破願した。
「イスラだぁ。久しぶりだね」
「久しぶりだね、じゃないよまったく……抵抗してない相手まで殺しちゃ駄目だって言ってるだろ?」
「そうだね。忘れてた。限界が近いのかも」
「俺の匂いを覚えてるうちは当分大丈夫だと思うがな」
「イスラの匂いは忘れないよ。いい匂いだもの」
イスラ。零戦部隊第一八席、『石碑』のイスラ・ミスラ。
いくら忘れっぽくても決して忘れない、私の中の全ての私が好きな、終の人。
◆ ◆
共に来た異端審問官が神妙な顔つきで魔女の足の治癒を試みる中、イスラは彼女にかけた干渉術を解く。束縛されていたことに怒りもせずに自力で起き上がろうとする少女に、手を差し伸べた。
「ほれ、起きろウルル」
「イスラ、いい匂いって言われて照れてる?」
「うっさいわ。こちとら休日返上して迎えに来てんだぞ?そういう事言うんならもう帰る」
「ゴメン。でも嬉しいな」
少女は邪気のない笑みでにへっと笑い、どこか嬉しそうに手を掴む。
ノースリーブで灰色を基調とした民族的な服装は、動きやすさばかりが重視され、戦闘服とは思えないほど背中が露出している。アッシュグレイの滑らかなストレートヘアの下にある顔はまだ幼さを残していて、とても戦いを生業にしているようには見えない。
しかしその判断は顔立ちだけであり、全身を見れば成程、どうしようもなく日陰者だ。
彼女の右腕は爪が鋭く伸び、獣のような毛が生え揃い、人間のそれとは呼べない異形を見せる。
華奢な体躯も右腕を中心に獣人化し、顔に至っては半分が人間と獣の境を彷徨うかの如く歪だった。
零戦部隊第一七席、ウルシュメール・ジュマ。
僅か14歳の少女に与えられし二つ名は「半狼」。
彼女は、世界に存在する化け物の中でも『人狼』と呼ばれる存在の力を扱う。
彼女は人狼ではなく人間だ。千切れた右腕の代わりに人狼の腕を移植されただけの、彼女は化け物でも人狼でもなく人間なのだ。少なくとも、イスラはこれから長く続かないであろう人生の全てにおいてそれを断言するだろう。
手を借りて起き上がったウルシュメール――イスラはウルルと呼んでいる――はそのままぽすりとイスラの胸の飛び込み、胸板に頬ずりをした。何がそんなにお気に入りなのか、ウルルはイスラと会うと一度は必ずこうして甘えるように胸に飛び込んでくる。
ざわざわと揺れる獣人特有の白銀の毛は次第に皮膚の中に吸い込まれ、左右の腕の形が違うだけの普通の人間の姿になっていく。呻く魔女を治療する異端審問官が振り向いた。
「感謝します。私の声では止まってくれなかったので」
「もう慣れた。悪いが転移術で先に本部に送ってくれんか?」
審問官はそれに頷き、一応の応急処置を終えた魔女を抱えて転移術で本部に飛んだ。
今日の仕事はどうやらウルルの子守だけで終了しそうだ。そう内心で自嘲しつつも、その子守を途中で放り出す気が起きない自分にイスラは呆れた。