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6.蒙昧の罪科

 人の命を救う。それはとても耳に心地よく、素晴らしい事に聞こえる。


 だが、救う事と手助けすることは似ているようで全く違う事であり、男のそれは手助けに当たるものでしかないことを、イスラは知っている。


「おなかへったの。おなかへった。おなか、へって……」

「……そうだ、一緒にお食事をしましょう!同じ食べ物を食べる人間だと理解できれば、きっと退魔師様も分かってくれ――」


 何かを突き破るようなばりっ、という亀裂音と、強い水分を含んだ繊維質が千切れるぐちっ、という音。その音の先は、ルーシーと呼ばれた少女と母親の方から聞こえていた。


「るー、しぃ………?」

「おいちぃ……あったかくて、とってもいい匂い」


 母親の手首の肉が千切れていた。その肉の行き先は、母親が抱いていた子供の口だ。


 むちゃ、むちゃ、と生々しい音を立てて母親の肉を咀嚼する子供の表情は恍惚としており、現実に理解が追い付かずに茫然としている母親の様子にも全く意識が向いていないようだった。ルーシーは口から母親の血を垂れ流し、それを指で拭い、ちゅぱっ、と口の中に入れて舐めとった。

 

 遅れて、母親の布を割くような悲鳴が響き渡った。


「あ、ああ、あああああああああああああああああああああああああああああッ!!?んん、くぅうううう……くはっ、はっ……!?い、痛い……なんで、腕、何でッ!?」

「――もっと、もっと。いっぱい食べさせて!」

 

 ルーシーの、年齢に反比例するように以上に発達した八重歯が再び母親の肉に食い込み、皮膚を突く破って噛み千切った。ばたたた、と傷跡から夥しい血液が垂れ流れる。子が親を喰らう――それはどこまでも猟奇的で、狂気的で、そして悲痛だった。


「アグぁッ!?ああ、ああああああーーー!!やめて、やめてルーシー!?痛い、痛い痛いぃ!!こんなの、どうしてママを噛むの!!駄目、駄目駄目駄目……ギィアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」

「ごはん、ごはん食べたいの。ママが作ってくれるけど足りないの。もっと鉄の臭いがして濃ゆくてしょっぱい、お肉とスープが食べたいの!」

「イヤァ、イヤぁぁぁぁーーー!!先生!先生、娘がおかしいんです!!お願い、助けて……助けてくださ……ッ!!」

「あ…………え?なん……わた、私の処置は……」

「やれ、そんな事だろうとは思っていたがな――これだから医者もどきってのは」


 娘に腕を齧られて半狂乱になって喚きながら床でもがいている母親を助けるため、魔眼を起動して空間を見、母を喰らう娘の魂をあやすように一撫でする。魔術的な防壁も魂の強度もない魂をあやすのは簡単だ。これが100年以上戦いの中で生きたような不死者であればこうも上手くはいかない。

 肉体に寄り添う魂が微かにずれ、少女はかくんと意識を失って母親の血だまりに顔を落とした。べしゃり、と水音が響き、少女の顔の半分が血糊に染まる。それでも少女は本能的に、その赤く染まった舌を浅ましくも血溜まりに伸ばしていた。

 同時に母親の腕の魂にも干渉し、流れを停滞させることでひとまずの出血を抑えた。これで多少は恐慌状態も収まるだろうが、これから先の治療は専門外だ。多少の擦り傷は癒せるが、肉が抉り取られ欠損するとなるとまったく別次元の治療が必要になる。


 その治療の術を持つ存在――背後で転移術が発動して付き合いの長い異端審問官が現れた。

 俺はそれを一瞥し、鼻を鳴らして流し見した。少々来るのが遅いのではないか、と。


「悪いけど母親の方の治療お願いね。子供はとりあえず眠らせてある」

「母親への説明も含めお任せを。貴方は例の男を」

「分かっているよ」

「あぁぁああああッ!ウッ、ギぃぃぃいいいいッ!?」


 涙と鼻水と血でぐしゃぐしゃに顔を濡らしながら痛みに床を転げまわる母親に異端審問官が駆け寄っていくのを確認し、イスラは改めて男を見た。


 白衣を着た姿は医者に見えなくもなく、顔も30代前半といった感じで清潔感がある。だが、目の前で起きた光景の原因を本気で理解していないようなら、度し難いにも程のある無知な男だろう。肌が異様に白いのは、太陽光に焼かれた皮膚をも再生する驚異的な代謝に加え、単に目の前の光景に青ざめているのもあるだろう。

 一歩、わざと大きな音を立てて近づくと、そこで男はやっとイスラが自身を見ていることに気付いたのか後ずさりした。


「な、なにが……私の施術に問題はなかった筈……」

「あのさぁ。問題があるかないかで言えば、あったから俺が派遣されてることに気付けないかなぁ?」

「だって、あの子は、昨日だって私と一緒に遊んだり、母親を慕って家事の手伝いをしたり……普通、普通だったんだ!!」

「だから何?昨日までそうでも、今日があれじゃあ施術は成功してないんだよ」


 少女があんな風に母親を忘れるほど食欲に取りつかれた理由を、イスラは知っている。

 もし目の前の男がまっとうな人間派の不死者であったならば、こんな初歩的な過ちは絶対に犯さなかった筈だ。それを、根無し草を気取ってふらふらとうろつく半端者のままでいるからこういった事態が発生する。


「あんた、随分この家には長く居座ったな?何故だ?」

「それは、彼女が――ルーシーの母が私に恩を少しでも返させてくれと。だから好意に甘えて――」

「ま、いいか。話を変えよう。何故俺があんたを追ってきたか分かる?あんたが行く先々で今日のこれと同じ光景が何度も起きていたからさ。今まで一つの場所に長く居座ったことが一度でもあったら自分の不手際にも気付けたろうにな」

「わ、訳の分からないことばかり言って私を煙に巻く気か!?……そうか、分かったぞ!あの子に細工をしたのはお前だな!!私に無実の罪を着せる為に、先程の術のようにルーシーに手をかけたのだろう!!」


 男は頭に血が上り、真っ赤な顔でこちらに見当違いな責任転嫁をしてきた。

 イスラは、こういった無知故に何でも言える人間を見ると無性に腹が立ってくる。それはイスラの過去に関係することであり、現在であり、恐らくはそう長くない未来にも関係することでもある。しかし、今は目の前の男の愚行を教えてやらなければいけない。

 罪は自覚してこそ罪になる。既に教会によって彼の罪科は決定しているが、せめて自分の罪を自分で考える暇ぐらいは、権利として持っていてもいいだろう。


「お前さん、第三世代の不死者か?」

「第三、世代……?」

「そこからか………いいか、第三世代の不死者というのは、施術時の術式設定によって不死者としての機能を制限され、人間に近い能力と寿命にまで力を落とされた存在だ。術式を書き換えて制限をカットすれば第二世代の不死者――つまり強力な人食い衝動を持ち、高い戦闘能力と再生力を持つ存在に逆戻りする」

「な、ならば私は第三世代だ。食人衝動など月に一度、その辺の獣の血を啜れば収まる。要は人間でなくとも赤い血を持つ生物の血であれば満足は出来るものだからな」


 第一世代の不死者とは吸血鬼の特性を取り込む以前の旧式のこと。第二世代はそこから吸血鬼の特性を取り込んだもので、第三世代は第二世代を基に様々な制限をかけることで相対的に人間に近づけた存在だ。厳密には第三世代とは第二世代に施術を施すことで生まれた存在であり、最新鋭のものでは生身の人間に不死者特性を非常に限定的に設定する第四世代が存在する。ここまでくると既に不死者特性はなくなったも同然であり、これを最終世代として不死者扱いを辞めるべきという議論も為されている。


 しかし、これではっきりした。何故この男がこれほどまでに自分の愚かしさに気付けないのかが。無知は罪とはよく言ったものだ、とイスラは苦い顔をした。善意で行われたその施術が導いた先は、あの肉を噛み千切られた母親と同じ光景の量産だった。


「自分が第三世代であることさえ知らないから、あの子に第二世代の施術を施していることに気付かなかった訳だな?これまでの患者も全員………知らないからという理由だけで、人食いに変えてきたわけだ……」

「ち、違う……私は不死者化の技術が人の治療に役立つ事を知らしめる為に施術をして……せ、施術後数日は異常がないか観察してきた!だから私の施術は……私が、お前の第二世代と呼ぶ不死者化技術を基に独自に作り出した施術を受けた人間は第三世代になるのだ!!」

「なっていない。より正確には、そういった試みが無駄に終わってただの第二世代不死者しか生まれていないんだよ」


 イスラの背後では、簡易的な治癒を終えた母親が苦しい息遣いでぐったりとしている。肉だけでなく多量の出血があったのだ。暫くは安静にしなければいけないだろう。その母親の耳はしかし、イスラと自称医師の会話を克明に聞き取っていた。


「先生、貴方は……貴方は、不確かな知識で私の娘を化け物にしたのですか……?」

「違う!うう、違う違う……信じないぞ!!私の理論は問題ないんだ!!」

「でもルーシーは私の腕を噛み千切りました!そんな顎の力が小さなルーシーに宿る訳がない!貴方しかいない……どうしてこんな酷いことをするんです!?私は娘を助けてほしとは言ったけれど、人食いの化け物にしろなんて言わなかったのに!!返して、返してよぉ!!私の可愛いルーシーを……ルーシーを戻してッ!!」


 もう、母親の自称医師を見る目に優しさや気遣いなどない。あるのは激しい憤怒、止めどない悲痛、そして理解できない化け物を見るときの恐怖心――そういった激しい感情がごちゃまぜになって、一つの言葉で言い表せなくなった感情が迸る言葉に、男はまた一歩、現実から後ずさる。


 怒っているのは、苦しんでいるのはなにもこの母親だけではない。

 勝手な根拠の基に行われた治療は、既に取り返しのつかない段階まで被害が進行している。

 この男はただ、悲劇という名の時限爆弾を無差別にばらまいただけの無差別殺人者だ。


「お前があの子の前に治療した老婆は、看病する息子の脳梁を喰らったそうだ。そして我に返り、自分のしたことを認識すると同時に全身に油をかけて自分を焼き殺した。不死者化したせいで簡単に死ねなくなった体をゆっくりと焼かれながら、息子に狂ったように謝り続けて」

「出鱈目を……あの仲の良い家族がそんな悲劇に見舞われるものか!私が、幸せにしたんだ!!私以外の誰かの陰謀だ!!」

「その前は女性だったか。婚約者の男性に頼まれて施術したんだろう?結婚式の当日に新郎が迎えにいった花嫁は、ウエディングドレスを真っ赤に染めて自分の両親の肉を喰らっていたそうだ。施術が半端なせいで当人は自分の両親を殺したのが自分自身だとも気づかないまま、地元の憲兵にあらんかぎりの鉛球を叩きこまれて射殺されたよ。残された新郎はお前さんをどう思って縄で首を括ったんだろうな」

「感謝していたさ、きっとありったけ!以前にそうしたように!!花嫁を狂わせた真犯人が悪いのだ!!幸福を血で汚させた!!」

「黙れ、クソ野郎」


 それ以上男の声を聴くのが嫌で嫌で仕方なくなったイスラは、男の鳩尾にその常人より長い脚を叩きこんで壁際まで吹き飛ばした。ごばっ、と不快な吐息を吐きだして咽る男の顔面を一度蹴り上げて、髪を掴んで面をもう一度拝む。


「兄弟家族、友達から関係のない人まで、随分巻き込んでくれたな。お前の口車に乗せられて人食いになった不死者28名、うち23名は死亡済み。そしてその哀れな被害者たちの暴走に巻き込まれた更に哀れな人々は84名、うち死者79名だ。脳みそがあるんなら、意味は分かるな」

「私は、認めない……無実だ……幸せを、与える為に――」

「お前が他人に与えられるのは、不幸せの導火線につける種火だけだ」


 イスラはそのまま男を床に叩きつけ、その腕に教会の使用する捕縛術式の組み込まれた縄をかけた。

 これでもう、男は決して教会から逃れられない。この場にいる異端審問官とイスラを退けたとしても、縄は決して解けず、教会は縄から発される術を頼りに地の果てまで罪人を追いかける。もう二度と、この男の手で悲劇が繰り返されることはないのだ。


「許せないんだよ……無責任に不死者を作り出す奴らは。不死者にされた人間とその周囲の人間がどんな思いを抱くのかなど一顧だにせず、勝手な理屈で不要な力を押し付ける。お前は医者でも善人でもなく、人に仇名す……唯の『呪い』だ」


 絶対に逃げられない罪科の証を受けてなお納得がいかないという面をした救いようのない愚か者に、イスラは普段の姿からは想像もできない程に冷酷な声で彼の善意の正体を暴いた。



 この日、一人の無派閥不死者が教会によって拘束された。


 男は小手先の技術で作り出した不完全な不死者化技術を悪用し、数多の罪なき人々を意図的に死に追い込んだ罪で投獄された。彼は今でも檻の中で自らの無実を主張しているが、彼に施術を受けた人やその関係者たちは口をそろえて一刻も早い死刑執行を求め、誰一人として味方する者はいなかったという。


 彼の主張と罪の正確性がどうであれ、彼を牢屋に叩きこんで死刑を執行するだけの正当性が存在するという事実は決して変わらない。


「どうして人の痛みを分かってやれないんだ。いい加減分かれよ……でないと、いつまでもこんなことが繰り返されるだけなんだぞ……」


 彼に関して書かれた教会の資料をコーヒー片手に眺めながら、イスラは誰に言うでもなくぽつりと呟いた。その言葉は、コーヒーの中に落ちた角砂糖のように、空間に融けて消えていった。

イスラは自覚のない理想主義者で、それゆえの危うさを持っています。

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