5.愚者の善行
誰しも死を恐れ、避けようとする。
数十年に及ぶ人生の中で最後まで死を恐れ続ける者もいれば、齢10年未満で生を諦める者もいる。しかしそのどちらに対しても死そのものは平等に訪れる。死ぬには若すぎるだの死ぬべき人ではないなどといった言葉は人間の勝手な価値観でしかなく、死という事象を観測する上では雑音に等しい言葉だ。
人は死ぬべくして死ぬのだ。その点に関しては決して譲る気はない。
それに抗う事が間違いだなどとは決して言わないが、限度はある。
シャイアナ教会の聖戦と称した戦火拡大より遥かに前、とある小国同士の戦争である技術が投入された。
不死者化――ある一定条件下に於いて死ぬことのない兵士の開発。
元は戦争で負った傷を急速回復させることであたかも不死であるかのように戦えるという技術だった。しかし、実際には再生に莫大な生命力の類を消費するため寿命は極端に短くなる上、脳に損傷を負うと記憶が再生できずに理性を失って暴走する極めて不完全な技術だった。
だが、逆を言えば頭部を守り、かつ生命力の補充が可能ならば不死者化には実用性がある。そこで小国たちが目を付けたのが、「吸血鬼」だ。吸血鬼に関しては様々な特徴を有しているが、彼らが着目したのは「吸血行為によって力を得る」という点だ。
吸血鬼は血を啜ることで力を増すが、血を啜れないと極端に弱体化していき、やがて死ぬ。すなわち吸血鬼の戦闘能力を維持するには血が必要であり、補給できなくなると傷の再生もままならなくなる。この事実確認から得られる仮説は、吸血鬼は人間の血中から何らかの方法でエネルギーを抽出する天然の不死者であるというものだった。
そもそも、血とは全身を巡り生命活動を維持しているため命そのものと言い換えることが出来る。心臓や脳を生命活動の象徴とする考えもあるが、そもそもこれらの臓器が機能するには血液が不可欠。血は根源的に命に近い存在であり、それは魔術的観点から見ても疑いようのない事実だった。
そうして小国はとある一体の吸血鬼を捕獲する。
名は分からない。ただ、人造不死者の祖とされたその吸血鬼が捕獲され、不死者研究の貴重な実験材料として扱われたという記録だけを残し、その吸血鬼の存否は歴史の闇に沈んだ。それに代わって浮上した、人造不死者の陰に隠れて。
こうして不死者技術は本当に不死者と呼べる段階にまで昇華した。
人の生き血や人肉を喰らいさえすれば、強靭な肉体を得られて老いることもない。疑似的な不老不死、加えて吸血鬼技術によって頭部を破壊されてもある程度記憶を復元できるという初期型の弱点の克服。片側の研究資料はすぐさまスパイによって奪取され、結果として両方の国でほぼ同時期に不死兵の投入が行われる。
不死者の国となった二つの小国はしかし、餌となる人間の確保が困難になり、互いに互いの国の民の肉を喰い合い、自国の民さえ喰い合い、やがて血に飢えた不死者だけの戦争は、当事者たちが餌を求めて国外に散開するという最悪の事態にて幕を閉じた。
当時、シャイアナ教会はこの不死者を人理に反する下劣な存在として徹底的に弾圧したが、多くの人間を喰らう不死者ほど強靭で、更に魔術的な素養も底上げされていることもあって苦戦を強いられた。吸血鬼のような分かりやすい弱点は飢え以外にない連中――彼らはやがて社会の闇に少しずつ紛れ込み、溶け込みながら教会の目を掻い潜る強かさを身に着けていった。
さて、現代ではその不死者もいくつかの派閥に分かれている。
一つは人間派。人間の社会で人間のふりをしながら暮らす、人と共に歩む存在だ。彼らは不死者化研究の末に自分たちの不死者機能を改造し、戦闘能力を大幅に失った代わりに少量の血液でも活動出来る肉体を得た。望まずして不死者になった者や追われ続ける人生に疲れた者は、この派閥にたどり着く。
寿命の設定も可能なため、一部では不治の病の治療として非合法的に不死者化が執り行われている。そのため、彼らは不死者化技術を含む技術力に優れ、人間にも伝手がある器用な生き方をしていると言えよう。
二つ目は不死派。これは不死者独自のコミュニティを形成し、不死者の存在とその血肉を喰らう在り方を肯定する派閥だ。これらは人間に迫害された亜人種などと同盟を結成し、今でも人間へと襲撃を仕掛け続けている。
彼らの目的は、恐らくその武力によって人間社会を崩壊させ、自分たちが優位に立つ世界の確立だろう。生身の人間は彼らの家畜として管理され、食われる。そういう狂った社会だ。数は人間派に大きく劣るが、ここには戦争の発端となった小国出身の不死者を多く保有している。数百年間戦いの中に身を置き続けた彼らのテロ行為は苛烈で、常に決して少なくはない損害を叩きだす。
そして、そのどちらの派閥にも属さない無派閥の不死者――。
一見して不死派以外の危険度は低そうに見えるが、実際にはどの派閥も平和ではない。
人間派は勢力が大きい分、上と下のグループで人間の見方に激しい温度差が存在する。戦いを望まないことと安定した暮らしを求めることは似ているようで全く違う。食人行為も全体を見れば消滅してはいない為、やはりシャイアナ教圏でも受け入れられる人間派とそうでない人間派がいる。言わずもがな不死者差別も存在するため、それを苦に派閥を離れたり、復讐に動く者もいる。
不死派はもちろん危険ではあるが、彼らは勢力の小ささゆえに狙い目が分かりやすく、大物狙いを少数精鋭で行う為に事を起こす頻度は低い。人間派との対立もあり、あまり大っぴらに動くことのできない状態が何年も続いているため、一概に最も危険とは言い難い部分がある。
そして、無派閥の不死者――実際には、これが一番厄介な勢力だ。
なにせ彼らはバラバラに行動しており、派閥に当て嵌まらないような特殊な人格を形成している者が多い。人間派よりも不死派よりも、どちらも存在するのだ。それらが連携を取らず、しかし組織に属さない存在特有のフットワークの軽さによってシャイアナ教の追っ手をすり抜けてしまう。
何より、この中には「不死派ですら過激すぎて受けれてくれなかった」類の存在も混ざっている。ほかの派閥が分かりやすい大砲だとしたら、無派閥とは地雷なのだ。一つ一つの被害は小さいが、容易に除去することが出来ない。
霊魂の成仏を専門とするイスラ・ミスラの下にも、時折そうした不死者の討伐依頼が舞い込んでくる。
◆ ◆
何故、自分はこうなってしまっのだろう。
この世に神とやらがいるのならば、自分は胸を張って自分は間違っていないと言えるだろう。
私はただ、救える命を救ってきただけだというのに。
「お待ちください、退魔師様!どうか御慈悲を!その方は娘の命の恩人なのです!」
「………悪いが聞けないな。彼は然るべき裁きを受ける必要がある」
「そんな無慈悲な!!貴方はそれでもシャイアナ教会の人間ですか!?くっ……先生!お逃げください、先生!!」
ほら見ろ、私の行いを肯定してくれる人がいるではないか。救われた命だってある。こうして身を挺してまで私を生かそうとしてくれる人情が嬉しくてしょうがないが、その思いに反して私の足は言うことを聞かない。
「先生、どうして動かないのです!?」
「動かないのではなくて、動けないのだ……私を逃がすつもりは、皆無らしい」
足の感覚がないのは、出会い頭に何かの術を使った目の前の退魔師の仕業なのだろう。黒いコートを羽織った若い男は、無感情な冷たい瞳で私を見下ろしている。
首からシャイアナ教会の退魔師の証たるロザリオを下げたその男のせいで、私は追い詰められ、無様に床を転がっている。今までも幾度か退魔師を見たことはあるが、ここまで人を人とも思わない非道な存在は初めてお目にかかる。
「君は私を悪と断じ、捕らえる気かね?」
「悪かどうかは興味ないな。捕らえることに変わりはないけど」
「教会の権威を笠に着た無知の輩はいつもそうだ。現実を見ていない……君たちの勝手な教義で、救われる者さえ救われぬ世に変貌している」
シャイアナ教会は傲慢だ。自らの教義だけが絶対だと信じ、他の一切を否定し、貶め、そして戦争によって命を奪ってきた。確かに魔女や霊魂には人に害を為す存在も多いが、不死者化は加減を間違えなければ人間の尊厳を守ったまま病魔を退けることの出来るれっきとした医術だ。
「不死者の力がそんなに憎いかね?短すぎる命を長らえようとすることがそれほど間違ったことかね?」
「…………」
「言い返せないか。そうか、そうだろう。神を信ずる者というのは得てして自らの意思というものが薄いものだ」
「話の長いおっさんだな。しかも自分のやった無責任な行為に関しては全部棚上げか?」
「無責任だと?教会の人間は訳の分からないことを言う……私はもぐりでも医者なのだ。医者が患者を助けることに何の問題があるというのかね」
「そ、そうです!私の娘は先生に救われたのです!!重い心臓の病気で余命も幾何と診断された娘が、庭を駆け回る程に回復したのですよ!?」
私の行いを肯定してくれる者が擁護に入る。退魔師を押し返すほどの力はないだろうが、男を必死で押し留める彼女の存在こそが答えと言える。彼女だけではない。今までに足を無くした男、腫瘍で死にかけている女、重傷者、病人、ありとあらゆる未来を失った人々に私は命を提供してきたのだ。
その行いを、一時とはいえ死を退けた者たちの感謝の言葉と笑顔を、一体誰が否定できようか。繰り返すが、女神であっても、その意志を悪と断ずることなどできはしないのだ。
「ママぁ、お腹空いたよぉ」
不意に、この殺伐とした空間に似合わぬ無邪気な子供の声が響いた。つい最近私が治療を施した小さな女の子だ。施術前は小食ですぐに体調を崩してしまう病弱な子だったが、今では廊下を走り回って叱られる程には元気な姿を見せている。
さぁ、見たまえ退魔師よ。これが私の掴んだ未来だ。廊下の角から現れたあどけない少女の姿を、それとも貴様は汚らわしいとでもいうつもりか。そしそんな言葉がまかり通るのならば、私はシャイアナ教会を心底軽蔑しよう。
退魔師は、何も言わずにただじっと女の子を見つめる。その視線を誤解したのか、母親が娘を庇うように抱きしめて退魔師を睨んだ。
「この子は私の娘です。不死者化だか何だか知りませんが、回復したこの子は本当にたくさんご飯を食べてくれるのですよ?今までパン粥みたいな味気ないものばかりを食べさせなければいけなかったのに……それとも、子供を持たない貴方には分かりませんか!!」
「ママ、お顔がこわいよ……この人だぁれ?なんでせんせーは倒れてるの?」
「大丈夫よ、ルーシー!何も心配はいらないわ。黒い服の人は少し誤解しているだけなの……」
愛し気に我が子を抱きしめる母のなんと美しいことか。聖母像などよりよほど神聖で温かい光景だ。
母が子を想うように、私も患者を想う。彼女はこれからすくすく成長し、当たり前に生きていけるだろう。まだ恋も知らない少女を助ける術がありながら死なせるのならば、ああ確かに、私の命に意味などない。
同時に、この母子の得た暖かな姿を否定するものには、存在する価値すらないと断言しよう。
「見たまえ、この幸福な光景を君は踏み躙ろうとしたのだ。自らがどれほど愚かしく、人心を無視した行為を行っているのかが理解出来るだろう?君も退魔師などという業の深い職業をやめて、自分を見直してみたらどうかね?」
「さぁ、次の瞬間の光景を見たあんたの反応如何では考えることにするかね……」
その言葉が終わるや否や、突如として家屋の中に短い悲鳴が響き渡った。