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4.不可視の魔手

 零戦部隊の『指定席リサーヴド』になる条件は大よそ二つと言われている。


 一つ、教会の通常戦力では極めて解決困難な問題を迅速かつ確実に解決出来る「専門性」のある部隊員。これは幽世からの干渉や魔女によって引き起こされる怪異に対抗するのが主な活動であり、そこいらの悪霊を追い払うのとは次元の違う高度な処理を求められる。


 そしてもう一つ、それは極めてシンプルで『指定席』に教会が最も求めている能力。すなわち、「戦闘力」。教会の基本的な解釈によれば、これに該当する十八席の条件は『個人で旅団規模の戦力を滅ぼせる戦闘力を持っていること』となっている。理由はもちろん強大な力を持った魔の存在や不死者に対抗する為だ。


 イスラはどちらかと言えば前者に当たり、アグラは間違いなく後者に当たる。酒を買うと先ほど離れていった大きな背中を思い出しながら、奴ほど分かりやすい戦闘力はないな、と下らない事を考えた。


 首都教会の裏門を潜り、イスラは近くの壁に向かって直進する。道も装飾もないそこに速度を緩めず突っ込んだイスラは、そのまま何の抵抗もなく壁をすり抜けてその奥へと続く深い深い階段を歩いた。

 これは教会の秘術によって作り出された隠し通路だ。認められたものだけが素通りできるが、そうでない者にとっては本当に唯の壁で、崩しても奥にスペースはない。


 現世よりも下、しかし幽界よりは上。

 根本的にずれた位相、限りなく現実に近い場。

 まさに実体のない零戦部隊という存在に相応しい場所だ。


 時間の感覚が曖昧になる、何もない下り階段を抜けると、明るく開けた場所に出る。


 そこは、魔術で形成された偽りの光が照らす、煉瓦に囲まれた地下の町。


 嘗てより教会は人目に出すことを憚られる禁書を此処にて焚書とした。

 嘗てより教会は決して外に漏らせない情報を此処にてやり取りした。

 嘗てより教会は不穏因子を此処に連れ込み、広場にて絞首刑に処した。


 シャイアナ教会の教義に記されぬ裏の顔、存在を悟られざるべき存在の行きつく先。

 此処、『石窟街』は裏の存在が住まう、そういう場所だ。


 いつ来ても息苦しい場所だ、とイスラは喉元のシャツのボタンを一つ外す。

 石窟街の名の通り、ここは街と呼んで差し支えない広さを誇る円形街だ。

 しかし、ここを管理するのも使用するのも殆どは教会の人間である為、建物の殆どが伝統的な教会式建築になっており、通行人もほぼいない。露店のような生活感を感じさせる活気がなく、広がるのは静謐の静けさと一種の宗教的な荘厳さだけだ。


 石窟街とはその実、教会の隠れ家にして倉庫だ。戦争の為の武器や重要な記録の写本の保管、万が一補給ルートを絶たれた場合を想定して町の淵には畑まで存在し、魔剣に代表される危険な道具の封印場所としても機能している。万が一教会本部が破壊された時の臨時本部としても使える此処は、ある意味で教会の力の集大成と言えよう。


 尤も、その素晴らしい技術とやらは教会の一部の人間しか恩恵に預かれないのだろうが。

 街の中心部に近づくにつれ、少しずつ周囲に人間が増えてくる。石碑を抱えた変わり者に降り注ぐ視線は、好奇よりも妬み嫉みが混ざり合う。視線を浴びせてくるのは、いつも決まって同じ零戦部隊の人間と相場が決まっていた。


「おい、あれ見ろよ。第十八席様のお通りだぜ」

「チッ、教会に尻尾を振る偽善者が……さぞ楽な仕事で甘い汁吸ってんだろうなぁ」

「やめとけよ……本人に聞かれたらお前の石碑が建つぜ」


 化けて出るようならそうしてあげよう、と思いつつ、耳にした言葉を無視して石窟街の中心へ歩みを進める。十八席の特権とは他の零戦部隊員からすれば随分羨望を抱くものらしく、羨望には裏返せば嫉妬の文字が張り付いている。あの手の陰口には慣れているし、イスラは別に自分が『指定席』から外されても石碑を運び続ける。


 世間からも異端、零戦部隊内でも異端。別段、それでも構わない。

 誰かに理解されようと思っての行動でもないし、自分が世界に貢献しているなんて烏滸がましい事を考えた記憶もない。平穏だとか恋人だとか、そういった人間が当たり前に求めるであろうものへの興味を失った世捨て人となってまで、確かめたい事があった。


 イスラの態度が「意にも介す気はない」と嘲笑うかのように見えたのか、陰口を叩いた40代ほどの厳めしい男が苛立ち半分挑発半分の笑みを浮かべて大股に近寄る。周囲はその行動を止めもせず、見物とばかりに足を止めてこちらを見た。


「これはこれは『石碑』のイスラ様ぁ。今日も下々の部隊員を見下してマイペースにお散歩と石ころ運びですかい?いやぁ~、流石は教会に働きを認められたお方は立ち振る舞いに『余裕』がおありだ!!」


 余裕、の部分をやけに強調したのは、零戦部隊員の過酷な労働環境に起因することだろう。『指定席』には仕事を選ぶだけの余裕があるが、下っ端に当たる部隊員たちは常に安い仕事の奪い合いだ。人並み以上に何度も死線を潜り抜けてやっと教会に一定の評価がなされるが、それも後の仕事具合であっさり見切りをつけられる。

 そんな不安定な立場に立つ部隊員からすれば、まだ20に満たない若造が『指定席』に座っているのは気に入らないのだろう。イスラがよく叩かれる陰口の中に、教会に媚びて席を用意してもらったというものがある。イスラ自身はむしろ教会の勝手な態度に冷めた言葉を投げつけることも少なくないのだが、言った所で疑心に囚われた者は誰も信用しないものだ。


「ご参考までに、どんな落とし文句を覚えりゃ席を貰えるのか若輩者にご教授願いたいもんですなぁ!」


 イスラはその言葉にしばし首を傾げ、やがてこう答えた。


「部隊辞めて聖職者になれば?たぶん今より生活安定するよ?」


 びきり、と血管が浮き出る音が聞こえる。

 周囲から小さな失笑と、それとは別に怒気を孕んだ吐息が聞こえた。


「……そりゃ何ですかい?俺には零戦部隊で上には行けねぇと?」

「そんなの俺は知らないよ。ただ教会に働きを認められたいんなら、零戦部隊なんか辞めて教会の人間になればよーく見てもらえるんじゃない?」


 はっきり言ってしまえば、零戦部隊なんていう所は碌でもない。いつ切り捨てられるか分からないし、いくらでも代価の効く消耗品を低リスクで運用する為に作られたような酷い部隊だ。下位部隊員ともなれば装備を揃えるだけでも一苦労だろう。そんな真似をしてまで上に登って儲ける夢を見らずとも、改心して真面目に働いた方が最終的には結果に見合った報酬を受け取れる。


 それは紛れもないイスラの本音だったが、男にはそうは聞こえないだろうとも内心思っていた。

 零戦部隊は、ほんの一握りの成功者になりさえすれば受けられる報酬も跳ね上がる。戦いに明け暮れすぎた傭兵、元兵士、元犯罪者にとって零戦部隊とはそんな夢のある場所なのだ。


「ナメ腐った台詞をよう……虫けらでも見るような目で吐いてくれるじゃねえか……!生意気なんだよ、戦争も知らねぇ若造がぁッ!!」


 周囲が息を呑み、或いは口笛を吹く音がした。

 激高した男が懐から拳銃を取り出してイスラに銃口を向けたのだ。

 前の戦争で開発された、人類の新たな武器。より離れた場所から安易に人を殺害し、膨大なまでの迷える霊魂を生み出した、魔法を介さぬ呪われた武器。それを持っているということは、きっと彼は戦争に従軍した傭兵か何かなのだろう。


 迷惑な男だとは思っていたが、もう一つ迷惑な部分を発見してしまった。


「あんたみたいに考えなしに殺しを正当化した連中のせいで、俺の仕事は湧いて出た霊魂たちの見送りが主になった。戦争を知ってるってんなら後の世代に尻拭いさせず、奉仕の精神で積極的に仕事を片付けたらどうなのかね?」

「何が尻拭いだ!!俺たちの世代が教会の為に戦ってやったから戦争には勝ったろ!飢えもせずにおまんま食えたろ!?お前みてぇな若造の未来を作ってやったのは俺なんだよッ!!」

「………本気でそう思ってるんなら、アンタ救えないな」


 戦争――この仕事をする中で、必ずと言っていいほど強大な霊魂はそれへの未練に縛られていた。虚しく、理不尽で、反吐が出るほどに胸糞悪い前時代的な暴力の応酬。あんなものを起こして、戦禍を拡大させて数多の霊魂を彷徨わせたのは、目の前の男のような人種も一枚噛んでいる。


 ここにきて、イスラは心底苛ついた。

 この類の人種が減らないから、人はまた世界に縛られる。


「する必要のない戦争で戦禍を拡大させた責任の正当化。これだから戦争屋どもは……席云々以前に道徳ってヤツを一から学び直して出直してこい、ハイエナが」

「きッ、貴様ぁぁぁーーーーッ!!」


 最初は単なる脅しのつもりで突き付けていたであろう拳銃の引金にかかった指に力が籠る。

 イスラは男の愚かしさにため息を吐き、人差し指を指して、虚空に落書きでもするように視界から見える男の手を指でなぞった。

 瞬間――男の拳銃が、からん、と音を立てて地面に落ちた。


「え……あ、な、何で……?」


 目の前の光景が心底信じられないかのように、男は心底混乱した様子で落ちた拳銃を拾おうとする。

 しかし、拾えない。手を伸ばしているのに、指が動かない。手がぶつかって更に銃が更に転がる。ぶつかった感触は、手にはなかった。


 ぞくり――と、男の背筋を得体の知れない悪寒が這いずる。

 『何かされた』――。そう、自分では理解できない何かをされている。

 だってそうでなければ、この手は今にも拳銃を掴んでいる筈なのだ。自分で自分の手を触っても、抓っても捻っても何の感覚もなく、小指の一本すら動くことはなかった。


「何で……何で!!何で手が動かねぇ!!あ、握力を感じねぇ……暑さも痛みも!!何を!?何をしたんだよッ!!」


 夥しい脂汗を浮かべて息切れする男を無視して、イスラはそのまま歩みを進めた。


「さあ。あんたが席を貰えるぐらい実力があったら、何されたのかぐらい理解出来るはずなんだけどね……」

「ふざけんなぁッ!!これは!!呪いか!?いつまで動かない!?教えてくれよぉ!!」

「やだね。俺、急いでるから」

「な………お、おい待てよ……治るんだよな、この手は?そうだろ。そうなんだろ!?教えろよ、それだけでも教えろよぉぉぉぉーーーーーッ!!」

「……………」


 得体の知れない術に嵌った恐怖で顔面を蒼白にしながら男が叫ぶ。戦士にとって片手が使えないというのは余りにも致命的だ。そんな致命的な欠損を、少しばかり身の程知らずな挑発をしたばかりに失うことへの悔恨と恐怖で、男の心は塗り潰されていた。

 そんな男に対し、イスラは嘆息しながらまた人差し指を出し、虚空を指でなぞった。


「ぁがッ」


 瞬間、男が白目を剥いて無言で痙攣し、動かなくなった。

 周囲が、今度こそ完全に無言になった。彼らもまた、イスラが何をしたのか理解できていなかった。ただ、自分たちが虎の尾を踏んだばかりに第十八席を怒らせたという、力への畏怖だけが残った。静かな空間に嫌に響く囁き声がイスラの耳に届く。


「これが第十八席の……冗談だろ、指だけで……?」

「くそっ、何席であろうと化け物は化け物ってことかよ……!」

「そんなことよりアイツ生きてるのか?死んだんだとしたら自業自得だがな……席持ちに逆らったらああもなるさ」

「俺らの命もゴミ扱い。見下すだけはあるってことなのか……」 


 見当違いな発言をする彼らに「殺しちゃいない」と言い残そうかと口を開き、しかし面倒になり、イスラはそのまま踵を返して目的地に進んだ。


「……………」


 死者の霊魂を救う事は簡単だが、欲望に忠実で愚かしい生きた人間というのは人の話を聞いてくれない。これだから生きた人間に付き合うのは面倒なのだ――そう口に出しかけ、噤む。


 イスラも人間だ。愚かしい人間の同類だ。

 いくら人間と違った力を持っていたところで、人間を辞めることなど出来はしない。




 ◆ ◆




「見た目に反して相変わらずえげつない真似するなぁ、あいつ」


 無様に転げた男に慌てて駆け寄る部隊員を酒瓶片手に眺めながら、アグラは嗤う。

 別段追いかける気もなかったが、適当な寄り道をしたついでに零戦部隊本部へ行こうとしたら、存外面白い見世物が見れた。


 先ほどのあれは、イスラの持つ魔術刻眼の力を応用した術だ。人工的に魔眼化させた彼の眼球は、現世と幽界の狭間をより深く認識する力がある。イスラはそれによってあの男の魂を視覚化し、認識の力による魔術有効領域の拡大を用いて魂を縛ったのだ。


 人間はもちろん、魂だけの存在である霊魂にとっては致命的なまでの天敵。

 更に、その能力を応用するイスラの攻撃は通常の魔術や武術とは一線を画す効果がある。


 確かに十八席の中でイスラは若い方だが、その能力と幽界を認識するセンスは凄まじい。先ほどは指先一つで行っていた術も、本来ならば然るべき準備と手順を踏み、万全の集中力がなければ失敗する程に高度な術だ。魔女が今の光景を見れば、その技能への嫉妬に怒り狂うだろう。


「殺しの業だよなぁ。人を殺す業だ。今は霊魂や不死者に向いてるが、人間に向けられたら席持ちでも危ねぇかもなぁ………へへっ」


 アグラには、イスラが何故第十八席に就くことになったかが分かる。

 基本的に教会に従順で極めて高い殺傷能力を持つイスラは、言うならば『指定席殺し』、つまり他の席が万が一教会を完全に裏切った際の切り札なのだ。当人も教会好きではないにもしろ、みすみす犠牲を出すような真似を好まない程度の倫理観はある。当人も承知の上ではあるだろう。


 故に、アグラはそれが面白い。

 面白くて、面白くて、ついつい期待してしまう。


「もし俺が教会に楯突いたら、お前殺しに来てくれるか?ああ、いいなぁ……燃えるなぁ、それ………あヒ、ヒヒッ。――ああでも、お前が教会を見限って最初の反逆者になることもあるか?それもいいなぁ……」


 異端審問会を追われたことには感謝すらしている。

 禁欲から解き放たれ、様々な欲望を満たしてきた。

 それでも一つだけ、解き放たれたが故に満たせなくなった欲もある。


「その時は肩を並べてぇなぁ。あいつと一緒に教会を劫火で包むのもサイッコーだ。それでゴミ共を殺して殺して殺し尽くして……」


 アグラ・ヴァーダルスタインがこの世の何よりも本当に求めているもの。

 それは、燃やすことでも燃えさせることでもなく――。


「最期に二人で殺し合うってものイイ、イイなぁ……クヒヒッ」


 それは、楽しいことだろう。とてもとても、楽しいことに違いない。

 一度『そう』だと思えば、イスラは手加減や手心といったことは『考えることもしなくなる』だろう。木から零れ落ちた林檎が地に落つるが如く、或いは、振り下ろされた斬首の刃の如く。辿り着く場所など一つしかなく、そこへ赴くのに躊躇いもないのだから。


「だがイスラぁ、やっぱりお前は優しいぜ。俺ならまぁ、こうなるからな」


 彼のいた石畳の上にある人型の焦げ跡と、『生の人間がその場で灼けたような吐き気を催す悪臭』を残して、アグラは心底愉快な顔を張り付けて町の陰へと消えていった。

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