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2.焔の記憶

 あれから幾度太陽と月が入れ替わったかも定かではない、色褪せた記憶の断片が蘇る。


『も、もう無理だ! 降伏しよう! 俺たちは騎士でも兵士でもねぇんだ! 降伏すれば……殺されるよりはマシな筈だろ!?』

『お願いよぉ!! もう子供たちに食べさせるものがないの!! 配給だって最近は言い訳ばかりして出してくれなかったじゃない!!』

『団長! もはや我々の戦力では市民を守り切れません!市民を安全圏へ逃がすための馬車は、団長殿の指示で全て前線にあり……恐らくは破壊されたか奪取されたものと……』

『きっ、貴様ぁ!! 私の指示が間違っていたとでも言うつもりか、ええっ!! 私は! 騎士団長で! 貴様らの、上司で、誇り高きシャイアナ教会の信者なのだ!!』


 無駄に装飾の多い鎧を着た男が、別の騎士を殴り、地面に叩き伏せ、何度も何度も足で蹴る。騎士は呻き声を挙げながら許しを請うが、鎧の男は何一つ聞いていない。大声をあげて聞こえないふりをするように、幼稚な激情に身を任せ。


『逃げられんなら死力を尽くして戦争に殉ぜよ!! 我らが聖域に土足で踏み込んできた野蛮人に下るなど、そのような誉なき行為に走るぐらいならば聖シャイアナ様の為に戦に身を捧げて盾になれ!! 信仰心の足らぬ貴様らのような凡俗に出来る信仰とはそういうものだ!!』

『………もう無理だ! お前なんか騎士でもなんでもねぇ!! こんな奴に付き合いきれるか!! 俺たち村人は時間がかかっても徒歩で避難する!!』

『団長殿――失礼ながら、貴方にはほとほと愛想が尽きました。副長殿! もはやこの男に構う暇はありませぬ!!』

『聖シャイアナ様も、貴殿のような命の価値を下さぬ者に祈りを捧げられている事実にはさぞ悲しむことでしょう。では失礼――おい、避難民の誘導をするぞ!! 残った馬車から邪魔なものを放り出して体の弱い者を優先的に乗せよ!!』

『ま、待て貴様ら!! 我は騎士団長なるぞ!! 聖戦を勝利へ導く……こ、こんな真似をしてどうなるか!!』

『団長殿は殉教なさるのでしょう? 本国には貴方は騎士に準じたと報告しておきます。ご不満でしたら天国に登った折、聖シャイアナ様に直訴でもなされるがよろしい』


 愚かな男を見捨て、たとえ過酷でも助かる為の道を選べたのだ。

 なのに、なのにあれは――。


『馬鹿な、何故こちらにまで火が回っている!? 敵は未だ東方に陣を構えていたのでは……!?』

『か、囲まれてるぞ!! 崖より外に離れられない!!』

『ママぁ、熱い……熱いよぉ……!!』

『耐えて、お願い! 私たちには神様の加護が……正しい行いをした人のための加護がきっとある筈だから!!』

『弓兵構え!! 我らが聖シャイアナ様に仇名す不届きものを一人残らずこの世から消し去れ!!』


 聞いた。聞こえてしまった。

 その声を、醜いエゴに塗れた声を聞いたのだ。

 奴は、己の欲望のままに我らの希望を絶ちに来たのだ。


『し、しかし団長!! この炎の先にいるのは……ほ、本当に敵であるのですか!?』

『女子供の声が……!! もしやこの先にいるのは、命令違反でこの場を去った副官殿と民間人では――』

『邪教徒が民間人を捕らえて崖から突き落しているに違いない!! 速く矢を放て!! それが正義なのだ!! それとも貴様、本国に戻った折に士道不覚悟の烙印を押されたいかぁ!?』

『う……うわぁぁぁぁぁーーーー!!!』


 降り注ぐ火矢。逃げ場もなく、火に炙られ、誰も彼もが次々に、墜ちていく。


『ぎゃあああああ!! 痛い、痛い!!』

『子供だけは!! 子供だけは――ぎゃッ』

『もう、もう無理だ……もう嫌だぁぁぁぁ!!』

『待て、そっちは奈落だぞ!!』

『女神様、万歳! 万ざーーーーーーい……!』


 助けを呼ぶ声は届かず、失意と灼熱と絶望がごちゃまぜになった感情の坩堝。

 そして、そして――。


『団長殿!! 背後から敵軍の奇襲で――だ、団長殿はいずこか!? いずこにおられる!?』

『いない、いないぞ!! まさかあの男、自分だけ転移術で逃げおおせたか!?』

『て、撤退!! 撤退を……駄目だ!! 団長の指示で放った火が退路を塞いで!!』

『あ、あの男……! 全部、全部自分の失態を隠すために!! そんなに手柄が欲しいか、そんなに自分の命が欲しいか!? 何故あんな男が俺たちの――くそぉぉぉぉーーーーーッ!!』



 憎い――憎い――あの男が憎い。あの辺境を守護していた騎士団長のせいで、すべてが終わった。あんな下らない、性根の腐った屑のせいで、老いも若いもすべてが絶たれた。


「あの石碑はその憎い男が事実を歪曲して建立したものだ。嘗ての悲劇を忘れないという名目のものと、自分の浅ましい失態を覆い隠すための……そして責任は全て敵国に押し付け、悲劇の舞台から奇跡的に生還した風を装って本人は出世……っと、そこまでは知らなかったか? ともかく、俺が調べた限りではそういうこった」

『ア……ア゛ィ、ア……ユル、セナ……アノオト……グオアアアアアアアアアアアアッ!!』


 許せない。あの男は許せない。あの男が建てた石碑が許せない。その石碑を信じ、男を疑わない崖の上の人間たちが許せない。自分を犠牲にしておいて尚も何事もなかったかのように進み続ける時間の流れが許せない。許せない。許せない、許せない、許せない許せない許せない許せない許せない。


「――という訳で、感動のご対面ってのはどうかな? ほら、あそこ見える?」


 男が指さした先にいたのは――間違いない、あの記憶よりは老けているし私腹を肥やしたことが見て取れる垂れ下がった贅肉があるが、それは間違いなく自分たちを――未来を願った自分たちを殺すよう差し向けた男だった。

 縄で縛られて崖から吊り下げられた男はしきりに唾を飛ばしながら喚きたてる。


「馬鹿な、違う!! 違うぞ、異端審問官殿!! 私は女神に誓ってかような残虐な――そう、そうだ!! 石碑を読めば分かるであろう!? あれをやったのは坐教などという野蛮な信仰を持つ蛮人共であり、私は決してそのような事はしていない!!」


 人気にそれを見上げる男は肩をすくめて大仰にため息を吐いた。


「あの男の悪事はねぇ、ものの見事に世間に露呈するだろうよ。君たちを殺した罪以外にも、蓄えに蓄えたりだ。賄賂はもちろんあの現場の前の現場でも似たことをやらかしてたし、出世した後も村娘を強引に妾にして子供を孕ませるだの、偽装証拠で仲間の騎士を絞首台に送っただの、どこまでも他人の尊厳を踏み躙らないと生きていけない……どうしようもない屑らしい」

『コロス! コロスコロスコロスコロスッ!!コロス、アノオトコダケハァァァァァァーーーー!!』

「……お好きにどーぞ。死因は何でもいいってのは、異端審問官殿のお墨付きだ。君たちは神に許された正当な復讐の権利を得たんだよ。石碑も書き換えられて『信仰を誤った愚か者のせいで犠牲になった尊き命を祀る碑』になるだろうな」


 霊魂は途中から黒ずくめの男の声など聞こえていなかった。

 殺したくて殺したくて仕方のなかった存在を女神の名のもとに殺してよいという、それだけが余りにも鮮明に響いて聞こえた。

 汚濁しきった意識の塊となった自分たちに、好きにせよと言うたのだ。百年より長く感じたすべての苦痛を味わわせる機会逃してなるものか。


『アァ……ァ……!! マチ、コガレタァァァァァアッ!!』


 喰らえ、むしゃぶり尽くせ。骨の髄まで凌辱し尽くし、愛でるように弄び尽くせ。

 尽くして手折って果てるまで、甘美なる復讐の果実を、甘い甘い逆襲を。




 ◆ ◆




「は、入ってくるな!! 近づくな!! くそぉ、くそぉ!! 貴様らの為に慰霊碑を建てたのだぞ!! 貴様らが祟りなどしなければ私はいずれ元老院にさえその手を届かせる筈だったのだ!! 私程に有能で信心深い信徒が失われる事が向こう何百年分の損失になるか分かっているのか!? やめ、やめっ……グッガァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!?!?」


 まるで豚が屠殺されるような耳障りな悲鳴を上げる男を見下ろしながら、イスラは少しだけ胸が痛んだ。異端審問官の男は、それを気にする風でもなく相変わらず表情を仮面に隠したまま告げる。


「あの男の罪は全て異端審問官の魔道尋問で暴かれました。表向きは政治犯及び凶悪犯の行先たる『獄門塔』へ送られたことになります。本来ならば一族郎党が罪に問われる所ですが、貴方の口添えと、彼の妻子や部下も被害者たりうるという判断により恩赦が下りました」

「面倒かけてすまんね。経歴の洗い出しから出資金の出どころ、挙句尋問まで任せちゃって」

「いえ……もとより黒い噂のあった男です。我々もマークしていた。貴方の口添えでその処分を少々早めただけに過ぎません」


 シャイアナ教会の異端審問官は元々内部調査のプロだ。シャイアナの猟犬の別名を持つ彼らの目を誤魔化すことは出来なかったらしい。しばしの沈黙。霊魂に全身を蝕まれ、大量の虫がひしめくような不快な音が聞こえる中、不意に異端審問官がイスラに顔を向けた。


「後悔しているのですか? このような手段を取ったことを」

「……あそこまで濁り切った霊魂だと、未練を少しでも多く絶つにはこれしか思いつかなかった。復讐が生み出す物はなくとも、果たすことで浮かぶ瀬もあるさ」

「貴方は人ではなく霊魂を哀れみ、悼むのですね。貴方ほどの実力者ならば最初から崖の下の霊魂を切り裂くこともできたでしょうに」

「俺は聖人君子じゃないからさ。自分の為に大勢の命を吸う存在は、零の方がいいだろう。そういう努力があってもいい」

「……」


 やがて、吊るされた男が断末魔を絞り出しながら、ぶちぶちと繊維の千切れる音立てて膨張していく。醜い肉風船となっても尚意識があるーーいや、意識を消させてもらえない男が未だ喚いている。


「異端審問官かっ……殿ォ!! お救いをォッ! 助け……嫌だァ!! わ、たしの財産の半分を譲っ………ォがアァァァァァァアッ!?」

「助けてあげないの?」

「あの男は既に破門宣告を受けていますし、財も既に接収と民へ還元に充てられると決定しています。同じ信者を手にかけた外道に手を貸せとは、シャイアナ法典には記述されていない。そういう貴方は?」

「とっくに手遅れだよ、あれは」

「異端審問官殿ォォォォォッ!! 審問も……あビュッ」


 次の瞬間、男のすべての肉が弾け飛んだ。ずたずたに引き裂かれた内臓や筋肉、血管や神経が骨に沿って糞尿交じりにずるずると崖の下に落ちてゆく。

 残されたのは男の骨格のみ。それも足元から紫色に偏食し、腐るようにぼとぼとと落下した。汚らわしい肉片と血液たちは、果たしてどの程度の弔いになるのだろう。


 男の体から抜け出した霊魂は、二回りほど小さくなりながらも依然として濁った色のままだった。恐らく男が死んだことで未練をなくした魂が消え、より純粋な怨嗟と悪意が残ったのだろう。これ以上の浄化は望めないと思ったイスラは、背中の大鎌を抜いて刃を指でなぞった。


「――冥府に佇む零涙の乙女よ、我を溢した滂沱の滴を哀れみ、魂の今際を見届け賜え」


 深い意味も信心もない詠唱が刃に魔を絶つ力を与えていく。まるで月光のように輝いた刃を携えたイスラは、その鎌を目にも止まらぬ速さで崖の下に向けて一閃した。刃先から飛来した蒼い刃は霊魂に命中し、霧散し、消えた。

 浄化の秘術により、幽界と現世のリンクを断ち切られたのだ。

 もう二度と、彼らはこちら側に戻っては来れない。

 こんなやり方でしか彼らを苦しみから解放できなかった自分を憐れみつつ、振り向く。


「これでいいかい?」

『――』


 慰霊碑の隣にいた、掠れそうなほど薄まった霊魂の少女は頷き、そして微笑んだ。


「じゃあ君の番だ。大丈夫、苦しまないよう送ってあげる。俺が珍しく他の人に自慢できることだよ」

『――』

「眠るように、沈むように……おやすみなさい」


 しゃりん、と、一閃。

 少女は微かに口を動かしながら、笑顔で虚空へと消えていった。

 その口は気のせいか、ア・リ・ガ・ト・ウ、と動いていた気がした。


「安らかにね……さて、今回の報酬はあの石碑の作り替えと、まぁ一応、あの死んだ男の家族が財産を没収された時に生活に困らない程度に分けといてくれ。それでも残ったら……まぁ異端審問官殿のご自由にってなことで」

「……イスラ・ミスラ殿」

「何だい? もう次の任務?」

「貴方はこの仕事をするには、余りにも敬虔すぎる」


 異端審問官はそれだけを言い残し、転移術で去っていった。

 私情のようなことを言うのは珍しいな、と思いつつ、首を傾げる。


「俺が敬虔……あの肉風船の死に様をぼうっと眺めてるような人間に、それはないと思うがね」


 大義があろうがなかろうが、殺した時点で芥の類だ。

 そこに一切の差も例外もない。

 イスラ・ミスラは零戦部隊。

 どんなに善人面した所で、零は零だ。


 月光は、今日も変わらずイスラを照らす。

 労うように、或いは、嘲笑うかのように。


 翌日より、崖際の事故の発生件数は限りなく零になった。

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