20.錯綜する使命
零戦部隊は諸刃の剣だ。
指定席の殆どが危険人物である以上、それはもはや必定だろう。
故に零戦部隊の中でも『指定席』を動かすとき、特に危険な人物には異端審問官の手に余るためかお目付け役として別の『指定席』をつけることで均衡を図ることがある。毒を以て毒を制すということだ。
今回集まった面々の中で最も野放しが危険なのは零戦部隊第十三席、『咒霊』のゼラニウムだ。
彼女は魔女である。それも生粋の、自己中心で自己陶酔で自分本位で自分以外の一切を真理から遠き愚昧な俗人と内心で嘲る、魔女である。同時に男を誑かし堕落させるという意味でも、彼女は魔女だ。その過程でどのような精神干渉魔法を使うことも厭わないし、飽きた男にどのような術を施そうが罪の意識を覚えることはない。術を施された男が全身の肉から蛆虫を噴き出して眼球から茸を生やし、六本になった足で町を彷徨って民の脳を啜っていようが、ゼラニウムは気にしない。
そして行使する力の関係上、彼女は『無用な犠牲を好む』。
アグラも任務の途中で不要な犠牲は出すが、ゼラニウムの出す犠牲の量に比べれば可愛いものだ。嘗て彼女を単独行動で任務に当たらせたいくつかの事件において、彼女は数千人にも及ぶ夥しい民間犠牲者を出している。
その責を問われても、事故だったとのたまうこともあれば、監視に就いた異端審問官を篭絡したこともあった。対策としてイスラが彼女のお目付けをしたこともあったが、結果は二人の殺し合いに発展するという目も当てられない惨状だった。
この件はゼラニウムとイスラの間にあった軋轢――或いはそれは、イスラが一方的に生み出しているものだが――を決定的なものとした。そして前回の反省を踏まえた結果、ゼラニウムに就くお目付け役としてある男に白羽の矢が立った。
「……という訳で、ぼかぁゼラニウムさんについていきます。ぼくこれでも魔女の天敵ですし、念のためにヴァルトシュタイン・チルドレンを借りてきています」
「頼んだ、って言うのも変だが……少しでも妙な真似をしたら迷いなく殺せよ」
「相変わらずイスラは彼女のことになると急に野蛮人みたいなこと言いますね……」
げんなりした顔で呟くのは、零戦部隊第十五席『魅魔』のサリーサ。
道化師のような恰好をしておいて、この男はいつも常識人のような事を言う。
彼が零戦部隊の中では人並みの良識を持った存在であることをイスラは否定しない。
しかし、常識人であることは断固として否定する。
嘗てとある事件を手伝ってもらった際に要求された報酬には耳を疑ったものだ。
「お前、あの『報酬』を悪用してないだろうな?」
「まさか!世の為人の為にしか使いませんよ。ひどいなぁイスラ、疑ってるんですか?」
「疑いたくもなる。お前が純粋な悪魔か呪術師だったら断固として断っていたぞ、あんなもの」
なんの躊躇いも恥じらいもなく、あんなものを要求してくるとは想像だにしていなかった。出すことが難しいものでも膨大な金のかかるものでもなかったが、あれを他人に要求する神経は常識人にはまず持ちえない。
その時のやり取りを知らないマタイが「いったい何を要求されたのですか?」と問うたので、イスラは馬鹿正直に答えようとしたサリーサの爪先を強かに踏みつけて「聞いて損する程度のものだ」と代弁した。
「ひ、痛い……わかった、わかったよ。何ら違法性のあるものじゃないから気にしないでおくれ、異端審問官のレディ。あっと、そろそろ出発しないとゼラニウムさんを見失っちゃうよ。じゃあね?」
道化師の恰好に似合った大仰なお辞儀をして、軽やかな足取りでサリーサが去っていく。
その後ろ姿を見つめながら、マタイがぽつりと呟く。
「あの男、性別を……」
「気付くだろうな、あいつなら。あれについては隠匿し通す方が無理な話だ」
それがあったからこそ、荒事が好きでもないのに零戦部隊の中で指定席に居座っている。
「あいつなら確かにゼラニウムに対するいい抑止力になる。それにヴァルト翁の作品が護衛につくなら尚更な」
「それも少し気になっていました。ヴァルトシュタインとは、あのヴェルト・ヴァン・ヴァルトシュタインですか?」
「ああ、そのヴァルトシュタインだ。サリーサの親はヴァルト翁と繋がりがあったそうだ」
ヴェルト・ヴァン・ヴァルトシュタイン。それは正教圏では知る人ぞ知る有名人だ。
人形師の祭典、人形絢覧祭で30年連続優勝を飾りながらも顔どころか所在すら不明な幻の人形師は、男性であることと名前以外に何の情報も存在しない。しかし人形絢覧祭が開かれるとどこからともなく人形が届き、その余りの美しさと精緻さに審査員や職人たちは度肝を抜かれる。その人形は、もはや人間を代わりに置いたのではないかと思えるほどに人間に近しいのだ。
イスラも未だお目にかかったことのないこの人形師は、話によるとサリーサの父と親しい間柄にあったそうだ。そしてどんな呪術を使っているのか、ヴァルトシュタインの作った人形は固有の『魂』を有している。人間より強く、そして人間とは魂の構造が違うために精神干渉されにくい。
「ヴァルトシュタイン・チルドレンってのは、ヴァルト翁の作った『生きた人形』だ。俺も数度しか見たことがないが、サリーサはそいつを護衛に数人譲り受けている。見た目は綺麗なもんだが、戦闘能力は折り紙付きだ」
「……個人がそのような戦力を持つとは恐ろしいことです」
「そりゃどっちに対してだ?」
「どちらもです。とはいえ、深入りする気はありません」
「へぇ、何故だ?秩序を守る教会としては、あまり快い話とは思えんが」
「へそを曲げられて人形絢覧祭に作品が出展されなくなったら、哀しいので」
どうやら彼の人形師のファンだったようだ。僅かに空気が和んだ。
「さて、それじゃ仕事に移るか。転移室に行くぞ」
「了解しました」
前回の事件以来、すっかり二人で行動する事に慣れてしまったな、と何とはなしに思いながら、イスラは禁書狩りへと繰り出した。自分たちは後発組だ。既にアグラ辺りはとっくの昔に派手に暴れ始めているだろう。
◆ ◆
正教圏北東に、険しい渓谷がある。
古くから入り組んだ構造や洞窟が多いことから宝の隠し場所としてよく冗談めかして語られたその場所には、その地に住まう民族がいくつか存在する。彼らは自然を愛し、自然と共存しながら慎ましく暮らし、戦略的価値がなかったために戦禍に巻き込まれることもなく平和な時間を過ごしていた――筈だった。
『交易をしましょう』
何年前になるだろう。見たこともない異国の人物はそう言って、村に不思議な道具を持ち込みだした。
最初は余所者の異物感から周囲は異人に耳を貸さなかったが、やがて好奇心に負けた若者が彼らの持つ道具を扱い始め、驚いた。
彼らの所有する道具はこの渓谷で静かに暮らす人間では決して思いつかないほど高度で便利なものだった。鉄の農具、美しい紙、食器、見たこともないほど色鮮やかな調度品。やがて人々はこれらの優れた文明を受け入れ、自分達の生活に反映し始めた。
異人はそれを喜び、代わりにこの地でしか採れない薬草や鉱物と交換する形となった。
周辺民族にこれまでなかった外部との関係、交易の始まりである。
やがてそれらは道具だけでなく作るための技術や思想までをも持ち込み、それによって民族は加速度的に近代化していった。
その発展の影に、これまでのつつましやかな生き方を下敷きにして。
いつから人は山の精霊の声を忘れたのか。利益を求める余り山を荒らすようになったのか。
そうしてこれまで得、そして維持してきたものを削ることで発展という名の熱に浮かされる。
嘗て山の遣いと敬った獣たちを殺して肉を食らい、毛皮はもちろん骨の髄まで売り払う。
我こそが最も豊かにならんと山の草花を新芽まで刈り取る。
敬意、謙虚、感謝、互助、戒律までをも古きしきたりと軽んじる。
少女――ミネアは、これを『病』だと感じている。
人の体はそのままに、心を冒す病だ。
目先の価値あるものにしか目を向けられず、真に価値あるものを見失う。
父は防人としての仕事を辞めて貨幣なるものを夢中で集める。
母親は食事前には欠かさなかった食事のしきたりをしなくなる。
家に古来よりあった伝統の品が売り払われ、服までもが異国のモノに浸食される。
ミネアにとって、故郷が、文化が、世界が塗り替えられていく様は苦痛だった。だから文化汚染という病に耐えかねた老人たちが村を去ると決めたとき、ミネアはそれに付いていった。いつか両親の悪い病気が治り、目を覚まして自分の下へ戻ってくると信じて。
その日が、本当に実現する可能性かあったどうかは分からない。
ただ一つ言えるのは、ミネアが村より立ち上る夥しいまでの黒炎を見つけたときには、病は既に病原菌諸共焼き払われていたということだった。
ミネアは走った。駆け抜け慣れた渓谷を、頼まれて採っていた山菜を投げて駆けた。
近づくにつれて立ち上る煙は小さくなっていき、しかしはっきりと立ち上る真っ赤な炎とその熱は加速度的に増大していく。脳裏にまだ病に罹る前の両親の顔、友達、近隣の人々の顔がよぎり、それが永遠に手の届かない所へ行ってしまったような予感が胸中を渦巻く。
村に辿り着いたミネアを待っていたもの。
それは、一切有情を呑み込む荼毘の獄炎に焼き尽くされた、村の残骸だった。
足元に白い何かがある。骨だった。何も考えられずに咄嗟に手で触れると、骨すら灰となって散る。近代化した町並みも古き町並みも同時に墨や灰と化し、生活の営みも、人の活気も、何もかもが炎に焼き尽くされていた。もはや両親と共に住んでいた家がどこにあるのかさえはっきり判別できないほどになったこの村には、何も残っていなかった。
何一つ、残っていなかった。
「ひ、ひひひ、ヒャハハハハハハハハハハハ!!天におわします主よ!いと尊き我等の母よ!!この聖なる焔をご照覧あれぇッ!!」
狂ったような声。絶対に正気で善良な人間ではありえない邪悪な声。
「この村の不届きものは例外なく、差別なく、区別なくみな神の下平等に裁きを受けましたぞ!!ふくっ、主の遺した使命と教えを遵守し……くひっ、間抜けな顔をした民たちは狂ったように恐怖と怨嗟、絶望の旋律を口々に奏でながらぁ、は、はひひっ……あー駄目だ!!もう笑うわ!!ヒャハハハハハハハッ!!」
見たこともない文明の刺青と装飾をした大男が、町の中心にいた。芝居がかった言葉を言っては途中で自分の言葉が余りにも可笑しいとばかりに噴き出し、とうとう自分で始めた芝居を自分で投げ出していた。これまで見てきた余所者の中でも一際理解不能だった。
「愛しき聖エレミアよ!お前の教えを世界一守ってる連中が、まぁた力に任せて大量虐殺おっぱじめてるぜェ!?アンタ本当スゲーよ!!秩序だ平和だとか聖書に書き残してるくせに、こんな暴力集団を正義にしちまってるんだぜ!!おいなんか言えよ!!助けを求めて天を仰いでる汗と涙に塗れた異教徒連中をどんな面して見てたか感想100文字以内で発表しろよッ!!教会連中喜び過ぎて失禁しちまうぜぇ、アッヒャヒャヒャヒャァァァーーーッ!!」
狂ったように嘲笑する男の姿を追おうと前に踏み出し、ミネアの膝が崩れ落ちる。
余りにも異常な状況故、ミネアは自分が疲労困憊になるほど走っていたことも、この村が燃えるものさえないのに未だ燃え続けていることも忘れていた。たった今、その負荷を体と頭が思い出し、体から力を奪っていった。
男の姿が炎に遮られ、陽炎の中に消えてゆく。
倒れ伏したミネアは、朦朧とする意識の中で思う。
この炎は、この虐殺はエレミアが望んだものだと男は言った。
エレミア、と口に出す。
その名が、キョウカイという連中が称えるそれが、ミネアの家族を奪った存在。
「……る、さなぃ」
ほかの何を忘れようと、それだけは忘れまい。
病に踊らされても、彼らは確かに人間だった。
自然を敬わなくなったけど、だからといって皆殺しにされる道理はなかった。
摂理を、倫理を、平和を捻じ曲げる存在。
ミネアの心の中にその日、復讐の焔が宿った。
「――螺諏蟸伝本三十冊、確かに焚書を確認した」
「おうおう仕事熱心だねぇ。んで?何かな、その不満気なツラはぁ?こちとら教皇殿に頼まれて仕方な~くテメェらエレミア教の尻ぬぐいやらされてんだけど?」
露骨なまでの挑発に、不快感を隠そうともしない異端審問官の刺々しい声が浴びせられる。
「巫山戯るな快楽殺人者が。ここは確かにエレミア教圏でありながら坐教が蔓延っていたが、民の殆どはそんなこととは関係なく生きていた筈だ。まして、なぜ老人ばかりの隣村まで滅ぼした」
「アレ、知らねえの?こういう時は疑わしきを全部サッパリ滅ぼすのが裏方仕事の基本だぜ?はーあ、いつから異端審問会はそんなにヌルい事言う集団になっちまったんだか。先達として嘆かわしいねぇ……ヒヒッ」
「そんな過激思想は異端審問会からはなくなった。貴様の炎が余りに多くを焼き払い過ぎたからだ」
「『再発』はなかったろォ?たったの一回もよォ?」
ぎりり、と異端審問官は歯ぎしりした。
アグラ・ヴァーダルスタインは異端審問会が裏方で大事を行っていた時代の最後の世代だ。建前上は立派な名目があったが、なりふり構わず人を殺してきた事実はある。そしてアグラを最後に過激な行動が抑制されて以来、国内の不穏分子の活動は活発化の一途を辿っている。
この男の言っていることは、間違ってはいない。
それでも容認することは決して出来なかった。
「ところで、そこの炎の先で一人の可愛らしいお嬢ちゃんがまだ生きてるんだが、異端審問官殿としてはどうなさるんで?」
「――何も知らない子供一人、目零ししたとて結果は変わらぬ」
「あっそ」
自分は、この男のようにはならない。
異端審問官は自分に言い聞かせるように、生き残りの子供を見逃した。
(コイツ、異端審問官続けてたら自業自得で早死にするな)
アグラはつまらなそうに、そう思った。
更新はここまでです。
ちょっとこの作品についてスランプ気味なので、気が向いたら続きを書くと思います。




