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19.集結する災禍

 首都教会には『出入り口のない部屋』が存在するという噂がある。

 構造上そこに部屋がある筈なのに、四方が壁に囲われて中を確認することの出来ない場所――それは歴史の古い建物にはありがちな法螺であり、新人にまことしやかにささやいて驚かせるのが年長者の娯楽の一つとなっている。


 部屋の中身は様々だ。かつて要職に就きながら破門された聖職者の怨念が渦巻いているとか、女神シャイアナにまつわる秘中の秘が隠されているとか、或いは教会の隠し財産が入っているとか、根も葉もないような噂は様々なバリエーションを持っている。中には教皇専用の『特殊な趣味の部屋』などと行き過ぎたことを吹き込んで、それが理由で出世の道を絶たれた愚か者もいるらしい。


 教会の者の多くは馬鹿馬鹿しい話だと一笑に付す。

 だが、一部の者は同じく笑いながらも、内心では事実を知らぬ者たちを嘲笑している。


 『出入り口のない部屋』――その正体は、教皇の命によってのみ解放される零戦部隊の合議室。

 指定席リザーヴドの任命、緊急時の最優先指令の発表、内部粛清の決定。

 零戦部隊において必須の決定は、すべてこの部屋にて教皇に決められる。


 その合議室は、半月型の大きなテーブルと十八の上質な席、そして教皇の為の一段高く豪奢な席が用意されている。

 なお、この部屋の内部では「室内での戦闘行為、およびそれに準ずる行為」を行った者は、その狂刃が振るわれる前に教皇の権限で部屋から転移で弾き出される。女神が教皇たる人間に授けるという『祭儀特権』の一つだと説明されているが、女神に関心の薄いイスラにはさして興味がない。

 ただ、『女神は地上に非ざるどこかに存在自体はする』ことを、魔術刻眼によって知識として知った。教皇へ流れ込む力は、幽界ではないどこからか来ている。

それだけだ。実在する癖をしてたった一人を特別扱いとは、随分とちっぽけな器の神だ。


 ともあれ現在、この十八の席のうち三分の一以上が現在埋まっている。


「いやぁ~、何事ですかなぁ教皇様。まさか『指定席リザーヴド』に緊急招集をかけておいて「迷子の子猫を探せ」などとは申しますまい!第二席殿もそう思われませんかぁ?……ヒヒッ」


 不遜な態度を崩さない豪奢な装飾の男。零戦部隊第三席、『劫火』のアグラ。


「……………」


 フードを深くかぶり無言を貫く男。零戦部隊第二席、『雷鳴』のガルバラエル。


「相変わらず無口さんねぇ、ガルバラちゃんは。教皇様の前でフードも取らずに、一体何様なのかしら。案外エラい人かもねぇ、ご尊顔を拝みたいわぁ♪ま、無口といえばもう一人……」


 ふしだらに肌を露出した妙齢の女。零戦部隊第十三席、『咒霊』のゼラニウム。


「おい『咒霊』の。ウチのは術で操ってもなけりゃ暗示もかけてねぇ。コソコソ術式を横取りしようとしても無を取得するだけだ。あまりしつこいと呪詛返しも吝かじゃない」

「……………」


 静かに鋭い眼光で牽制する男。零戦部隊第七席、『御影』のトレック。

 その隣で刀に無言で指を添える女。零戦部隊第四席、『口無』のギルティーネ。


「いやだなぁ、皆さん。久しぶりの会合なのですから今だけぐらい仲良くしましょうよ。それにほら、教皇も剣呑な空気に眉をひそめてらっしゃいます。ね?ね?イスラもそう思いますよね?」


 道化師のような服を纏った仮面の男、零戦部隊第十五席、『魅魔』のサリーサ。


「名案がある。教皇特権でアグラと年増を放り出せ。これですべて解決だ」


 退屈そうにテーブルに肘をつく、自分。零戦部隊第十八席、『石碑』のイスラ。


「かまびすしい連中だ。蟋蟀こおろぎの方がまだ節度がある」


 そして、同じく退屈そうに腕を組む男、零戦部隊第十席、『檮餮とうてつ』のラゴウ。


 指定席リサーヴドがこうも一堂に会す事は、新たな指定席の就任の際にも召集を除けば稀有なことだ。就任式も出席率は良くて五割であることを考えると、八名は多い方だ。恐らくその日の招集に応じる人間だけでなく、時期が合えば応じてくれる人間にも声をかけて都合をつけたからこその会合だろう。それだけで、今回の議題が大きな緊急性を孕んでいることが創造できる。

 何よりも、この場に第二席ガルバラエル第三席アグラ、そして十三席ゼラニウム十八席イスラを並べたという事態が、事の重大さを示している。


 アグラはとある理由からガルバラエルに機会あらば私闘を仕掛けようとするし、何よりもイスラ・ミスラにとってゼラニウムという女は「殺してやりたい」と思う程度には不快感を覚える人物だった。それを承知で教皇が呼んだ意は汲むが、一分一秒たりともこの空間をゼラニウムと共有したくはない。


「もう、ラゴウさんまで!どうしてこの人たちは無駄口と無駄な行動で段取りを拗らせるんですか……」

「失礼失礼、なにせ自分は孤児でありますから育ちが悪ぅございます!」

「お前教会の孤児院出身だろうが。問題は育ち以外にある」

「果たしてそうかしら?人格の形成は環境にあってよ、イスラちゃん?アグラちゃんは悪くないわぁ♪」

「俺に話しかけるなゼラニウム。虫唾が走る」

「あらあらそんなに怖い顔しちゃって、威嚇する子犬みたいで可愛いわねぇ♪」

「煽るな。喋るな。見えないところで牽制の呪いだのを打ち合うな。暇人のお前らと違って俺とギルティーネは忙しいんだ。教皇の言葉に傾聴しろ」

「はいはい、黙りますよー!うふふ……」


 大仰に肩をすくめたゼラニウムは自分の指で斜め十字を組み、自分の唇に当てる。男に媚びる方法を熟知している女のやることだ、とイスラは思った。美しい容姿に見る者の目を引く桜色の髪がひどく目障りで、ふざけた動作が余計に苛つくが、顔に出す程度で収める事にした。

 ようやく場が静まった事を確認した教皇が重い口を開く。


「指令を下す前に、まずは今回の件と深く関わりのある物品について説明すべきだろう。第七席よ、報告を」

「御意に。では全員、こいつを見ろ」


 予めなんらかの形で関わっていたのか、トレックが鞄から一冊の本を取り出す。

 存在するだけで不快感と悪寒、嫌悪感を感じるその本を、この場にいる全員が見つめた。


「魔導書の類……いや禁書か。装丁だけでなくページの一枚一枚まで人間の皮を加工して作ってる」

「流石はイスラ、お前がいると話が早い」

「人間の皮をその量……?グロぉ……」


 もろに嫌そうな声を出すサリーサに、イスラが呆れた顔をする。


「仮にも悪魔の血を継いでるお前が真っ先に根を上げるな」

「そんなこと言いましても、私の父は生贄もなしに召喚できる低位の木端悪魔ですし……」

「……嫌でも今回何度も見ることになるんだ。慣れろ」


 サリーサは零戦部隊でも極めて珍しい、悪魔の血を色濃く持った人間だ。対魔女のスペシャリストとして全く教会と関係ない地域で名を挙げ、スカウトされて今に至る。低位悪魔と本人は言うが、人間と悪魔の混血は基本的に常人を超えた力と成長性を得る。それに悪魔を忌み嫌う者たちの嫌がらせや妨害が横行する環境を鼻歌交じりにすり抜けるこの男は、環境適応能力が高い。

 俺が教会に最も信用されているとすれば、恐らく最も信用されていないのはサリーサだ。

 危険因子だからではなく、ただ単に種族が悪魔との混血だからという下らない理由で。

 性格はあまり戦闘向きではい彼だが、やるときはやるので本当にそのうち慣れるだろう。


「本のタイトルには螺諏蟸らすり伝本と書いてある。内容を検めたが、間違いない。こいつはシャイアナ教圏内では『ラシェル断章』と呼ばれている禁書……その劣化模造品だ」

「ラシェル断章って言やぁ第一種異端禁書の一つだろ?持ってりゃ一族郎党火炙り、内容を覚えてたら交友関係のある奴もろとも火炙り、その内容を他人に教えてたら教えられた相手の一族郎党もろとも火炙りの愉快なパーティーアイテムだぜ」


 アグラが愉快そうに本を眺める。大好きな馬鹿騒ぎの気配を本から感じ取っているようだ。

 イスラもその本の名と内容に関する話には覚えがある。


「ラシェル断章……写本とはいえとんだビッグネームが出てきたな」


 イスラにとって仕事柄魔導書を見ることもそう珍しくはないが、第一種異端禁書ともなると写本でさえも滅多にお目にかかることはない。何故なら第一種異端禁書はシャイアナ教会が『人類にとって害悪である』と認定した十の書物を指し示し、アグラが言うように徹底的な焚書と弾圧によって存在を潰され続けているからだ。

 これが数百年前に市民の不満のはけ口として続けられていた魔女狩りのように全く関係のない人間を巻き込んで焼き殺しているのなら、イスラはその行いに異を唱える。だが、異端禁書のような魔導書が絡むのならばその限りではない。

 魔導書の脅威を封じ込めるには、それだけの過激さが求められる。

 トレックは、悪魔の癖に呪術に疎いサリーサに呆れながら説明を付け加える。


「知らない奴もいるようだからさわりだけ説明する。ラシェル断章のラシェルというのは邪神の名前だとされている。本の記述によると、六千年だか七千年だか前に俺たちのいる大地のどこかに降り立ったとされる『知恵溢るる者』の、クソみたいに長い名前の頭の部分だけ取ってるそうだ」


 降り立った、とはいうものの、実際のところ異界からやってきたのかそれとも物理的に天上とやらから降臨したのかははっきりと書かれていない。姿も不明だ。ただ、本によると今もこの大地かも海かも知れないどこかで眠っているらしい。


「ラシェル断章には、現在の魔術等では再現できない法則不明の現象の起こし方、夢の中でラシェルと繋がることで契約をする術、呪文、そしてラシェルの精神をぐちゃぐちゃに書き殴った意味を為さない文字の羅列が古代文字でびっしり書かれている。人の血の混ざったインクでな。それだけなら眉唾物のオカルティックな本で済むが……禁書クラスの本になると話は違う」


 そもそも、魔導書も十分に危険だ。安易に他人に内容を検められないよう魔女による十重二十重の呪いのプロテクトが仕掛けられているので、何も知らずに本を開くとそのまま目を焼かれたり、最悪の場合は内部に作られた異界の門に取り込まれて二度とこちら側に戻れなくなるなんてものもある。

 だが、それは望まぬ者が内容を見ないようにという攻撃的なセキュリティだ。

 そしてラシェル断章のような禁書が持つ危険性とは、それとはまったく趣が異なる。


「禁書は、そこに込められた魔性、怨讐、狂気によって人間の精神を狂わせ、時には支配する。本に操られるんじゃない、本に書かれた内容が心の奥に浸食することで、その情報に憑りつかれる。思想ミームの汚染だ。感受性が強すぎると一ページを偶然垣間見ただけでラシェルの英知とやらに深く脳をやられることもある。伝染病みたいなものだから、関わった人間を全員殺さないと頭のどこかに狂気がこびり付いて後で何が起きるか分かったものじゃない。指定席だろうと長く読み続ければ危険だ。俺は平気だがな」


 人の皮、人の血で形作られ、人に書き記された書物。

 それが邪神という異物の思考と混ざることで、人を狂わせる呪具と化す。

 そしてそれは、今の魔術や神秘の理論で再現することの出来ない儀式を引き起こし、成否の如何に関わらず周囲を巻き込んだ災厄を引き起こす。身を滅ぼすだけでは飽き足らない破滅が撒き散らされるのだ。言わずもがな、それがオリジナルの写しの更に写しであろうが、薄まるだけで込められた魔性は変わらない。


「で、その本の何がどう問題なんだよ優等生クン?勿体ぶらずに教えてくれよ」

「……ラゴウがこいつと一緒に持ち帰った数枚の書類を調べた所、こいつは坐教圏の連中が書かせたものだ。元々ラシェル断章の原本はあっちで執筆されたもんだからな。しかし……こんなもん一冊でも作れば作った奴の精神がイカレるんだが、どうも南に住む連中を奴隷化して無理やり作らせたらしいな。そういうわけで、こいつは一冊どころじゃない数が作られている。書類が正しければ、その数二百五十冊」

「にひゃ……」


 サリーサが絶句する。イスラも思わず顔を顰めた。

 あの本一冊の写しを作るのに必要な人皮を得るには相応の人数が必要な筈だ。そして写しを行った人間は高確率で精神を汚染され廃人か自殺の二択の結末を迎えるだろう。剥いだ皮を再生させるなんて金のかかることを奴隷にしたとは思えない以上、この禁書を作成するに当たってゆうに千人を超える奴隷の命が無駄に散らされたと考えるべきだ。

 奴隷制度という醜悪な社会システムにも、それを押し通す傲慢な権力者にも、虫唾が走る。

 と、ゼラニウムが手を挙げる。


「はいはいしつもーん!そんなに作って何に使うの?そんなもの自分たちの国にばら撒いたら自滅一直線だしぃ、腕のいい魔女や呪術師なら強力な媒体として使役することも出来るけど、ぶっちゃけそんなこと出来るの一握りでしょ?そう、この私みたいに♪」

「自慢話は小物のすることだ。だが質問には答えよう。これを計画した連中は、ラシェル断章をシャイアナ教圏に存在する不穏分子にばら撒くつもりだ」

「おーおーそりゃ面白ぇじゃねえの!二百五十の火種で俺らを内から炙ろうってか!そういうスケールのデカイ馬鹿騒ぎは嫌いじゃねえなぁ!!」

「喜んでる場合か。俺らはその二百五十を徹底的に潰さなければならんのだぞ、面倒な」

「燃やせばいいだろぉ?今まで偉大なりしかな聖シャイアナ様の威光をしろしめすために教会がずうっとやってきたようによぉ。如何ですかな、教皇様?」


 にたぁ、と嫌らしい笑みを浮かべてアグラが痛烈な皮肉を口にする。

 しかし、これは本当に笑い事ではない。ラシェル断章に記された儀式を行った場所で町一つを滅ぼす程の災厄が発生したという記録も複数残っているし、それを武器に教会に反旗を翻した異端者討伐では、毎度夥しい数の犠牲者が出ていた。

 今ならば零戦部隊という荒事専門の狩人たちがいるため十分な対策を練れば犠牲は減るだろうが、零戦部隊百二十名に対して本は二百五十冊だ。すべてがすべて本をコントロールできる人間の手に渡る訳ではないだろうが、そもそも書物に記された儀式は実行するのに術の素養が必要ない。邪神に魅入られた連中が一斉に事を起こせば現在のシャイアナ教の戦力を総動員しても事態を収束できない。


 皮肉にも、事態の収束を図るにはアグラの言う通り『全て』燃やすのが有効だった。

 それがたとえ、戦争の傷に比する程の壮絶な痛みを伴い、シャイアナ教圏から敵と戦う力も平和に暮らす環境も一切合切を消し去る最悪の選択であるとしても――実行しなければこの国は確実に滅ぶ。

 しかして、教皇は首を横に振る。


「如何に坐教の連中とはいえ、短期間にシャイアナ教圏に存在する不穏分子に禁書を渡すには手間と時間が掛かる。国境や国内を監視する目がある以上、この二百五十の魔導書はいくつかの塊に分散されて国内に潜入した坐教派の隠れ家に運び込まれ、そこから更にばら撒く必要がある。よって、命令を下す」


 席から立った教皇は、指定席を見渡して厳かに命を下す。


「この場の全員は敵の隠れ家を一斉に炙り出し、禁書『螺諏蟸らすり伝本』を抹消せよ。禁書が既にばら撒かれた後であればその行方を探り、一冊残らず抹消せよ。民を脅かす悪しき本と、悪しき者たちの一木一草そのことごとくを現世から葬り去れ」


 教皇は返答など聞いてはいない。この場にいるというただそれだけを以てして、指定席に拒否権など存在しない。指定席が、零戦部隊が考えることはその命令をどう実行するかであり、命令を果たした先にどれほどの見返りが得られるかという事だ。


 それを端的に形容するならば、血肉に餓えた番犬たち。

 この日、シャイアナ教圏という広大な社会を蚕食せしめんとする禁書を狩り尽くす、歴史上最も危険な焚書が幕を切った。

螺諏蟸らすり伝本は言わずもがな、架空の書物です。

人皮装丁の呪いの書物……連想するものがある人も多いかもしれません。


ちなみにラシェルのフルネームはラシェルルリエ・エナエ・ロフルギンガンブ・バリナフュルリリア・メフィラマミズス・ドゥル・マエディリバレア・ロウギュストス……(以下六百文字続く)

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