1.残留の未練
零戦部隊とは、世界各地で人に害を与える不死者・幽体・怪異・魔女といった闇寄りの存在を殲滅することに特化した120人の人間で構成された非公式の戦闘集団である。
その役割は、世界最大宗派とされるシャイアナ教会の汚れ仕事の請負だ。
シャイアナ教会は以前から長い歴史と強大な権力を持つ宗教団体だった。しかし、先々代とその後の教皇が勢力拡大に目が眩んで数々の戦争を起こし、戦線を拡大しすぎた事が祟って大規模な宗教戦争に発展。戦争に勝ちはしたが、疲弊しきって獲得した領土を統治する力を失った教会はその求心力を大きく失っていくことになる。
そして、戦争のツケは余りにも大きく、清算すべき歪みは多岐にわたる。
戦争のために無理やり捻じ曲げられた教義の矯正。
戦争にかこつけて賄賂などで私服を肥やした不穏因子の粛清。
大幅に離れた民心と、戦争に付き合わされて深く傷ついた者たちへの無償の施し、海外宗教勢力との非戦協定、戦争の過程で立て直し不能なまでに減少した正教騎士団の再編成……教会の権威と戦力が失墜した現状で、それらは身を削ってでも成さねば教会そのものの存続に関わる大事だった。
しかして、教会が自らの立て直しに躍起になることは、教会が抑えてきた存在に対処しきれなくなる事に他ならない。それまで時折発生しては教会が収めてきた死者の霊魂による被害は人心の荒廃と戦禍のせいで激増。異端施術を施された不死者の取り締まりは首が回らなくなり、異界の存在による怪異発生に加えて異端として弾圧されていた魔女勢力は反撃を開始。
こうして、いよいよを以て体制が危うくなった教会が苦肉の策として結成したのが零戦部隊だった。
零戦部隊は実際には傭兵の寄せ集めのようなものであり、教会の魔術的な契約をのむことを条件に通常は禁止されている魔術、武器の提供と使用を認められるばかりか、任務成功に際して戦後の時勢に於いては驚くほど高額な報酬を受けられるなどの特権が与えられる。
また、その超法規的な活動内容ゆえに教会の補助を全面的に受けられる事は何よりも大きく、場合によっては教会の人間として部隊員の親族を保護して貰えるなどの「大切な存在の安全」を確保することもできる。
だが、零戦部隊の仕事は言ってしまえば化け物退治と人殺しだ。
それは常に死と精神汚濁の可能性を孕む命懸けで非倫理的な活動に他ならない。
仕事の重要性ゆえに報酬は出すが、代わりに教会は公には絶対に部隊の存在を認めない。
教会の為に働いている分には問題ないが、契約違反を行った者は容赦なく切り捨てられる。
そんな零戦部隊の中にあって特に教会より厚遇を受ける存在が、他の追随を許さぬ圧倒的な戦闘能力――或いはそれに類する何らかの技能を持った存在。それらは優秀な働きぶりが教会に認められるたびに第一席、第二席と上から順に番号付きの席を与えられる。
現在は十八席までが埋まっており、これを纏めて『指定席』と呼ぶ。
イスラ・ミスラはその十八席目、指定席の中では新参者に当たる。
その日もイスラは汽車や車を乗り継いで教会に指定された場所に仕事をしに来ていた。
「町はずれの崖で事故多発。死者20名突破。調査せよ………ねぇ?」
脳に直接送り込まれた仕事内容を反芻しながら呟く。
他の状況から鑑みて、霊魂の仕業である可能性が高いだろう。
『十八席』に与えられた特権の一つとして、優先的に高額な仕事を回してもらえるというものがある。イスラは金には興味はないが、特に面倒だと言われている悪霊や不死者関連の仕事は優先的に回してもらっている。理由は、言うまでもなく死にきれない存在の心を解放するためだ。
零戦部隊の中でそんな偽善者染みた事を本気で考えている人間はほぼいないだろう、とイスラは思う。皆が皆、何かの為に戦いを求めている。金の為ならばまだましだが、人によっては弱者を屠る悦楽に溺れたり、人外の存在に対する異常な憎しみを晴らすためなどという存在もいる。
しかし、何のために戦うにせよ結果は見えている。
何故ならイスラ達は零戦部隊なのだ。
零より始まったものは零に戻る。
いずれ、必ず――。
◆ ◆
目的地である崖は――戦争後にできた道が横を走る、それなりに深い崖だった。
周辺の住民に聞き取りを行ってみると、この崖は前回の宗教戦争時に他国に攻め込まれ、多くの民間人が敵国に殺された場所だという。その殺しぶりたるや徹底しており、火で逃げ道を包囲された人々は崖にまで追い詰められ、老若男女問わず、赤子までもが徹底して崖に突き落とされたのだという。
そレから1年後、戦争終結後の復興計画がやっと立ち、大動脈たる道が完成してから、事故は発生しだした。現在のところ、事故の生存者はいない。まるで戦時中に行われた虐殺の生存者が一人もいなかったことと同じように。
日が傾きだした頃、イスラは事故の多発するという現場を見て回るうちに慰霊碑を発見した。
それなりに金のかかった立派な慰霊碑だ。供え物も真新しいものがちらほら見受けられる。
「戦禍の犠牲になった尊き命を祀る碑……なるほど、祟るかもとは思っていたから道路建設と同時に立ててはいたわけだ」
墓とは基本的に生きる人間が死者と決別するために存在するものだが、霊魂の中には自分が生きた証を世界に残したいが故に留まっている存在もいる。そういった存在を慰めるという意味では、慰霊碑というのは霊魂を鎮めるだけの効果を持っている筈だ。
しかし、手入れも綺麗にされているにも拘らず、この崖では霊魂のものと思われる事故が止まらない。戦争の恨みで慰霊碑程度では気が収まらないのかとも思うが、それにしては道を作る工事中に祟りが起きなかったことがどうにも気にかかる。
そして――。
『――』
何かを悲しむような、何かを懇願するような、そんな神に届かぬ願いを求めるような少女が、何を言うでもなく、影すらなく佇んでる。その悲しみは少なくとも、ただ犠牲になった慰霊碑に眠る人を悼んでいるだけには見えない。
少女の口がゆっくりと開く。
――ト・メ・テ。
それが精一杯であるかのように、少女は涙を零してその場で霧散した。
しばしの黙考の末、イスラは一つの推論を立てる。
「――確かめるか」
イスラは踵を返し、ある場所へと向かった。それはもちろん、被害者たちの霊魂がいるであろう崖の下――ではない。魔眼を媒介して転移術を発動したイスラは、その場から光となって消え失せた。
◆ ◆
憎い――憎い――止めどなく無限に湧き出る呪詛と憤怒。
あの戦争さえ起きなければ、あの時敵国に攻め込まれなければ。
そうしたら、そうしたら。
そんなにも憎悪に身を焦がしてまで人を殺め続ける事はなかっただろうに。
憎い――憎い――あの道が憎い。あの道沿いにある慰霊碑が憎い。
あの崖の上で暮らすすべての人間の無知蒙昧が、憎い。
その憎悪はいつしか自分と他者の境を曖昧にし、複数であった筈の霊魂は全ての意識を飲み込んだ一つの塊となって夜の闇に蠢いていた。
日が沈み、宵が訪れるとき。
それは幽界の存在と現世の境界が最も曖昧になる刻限。
幾度の月夜に照らされようが、この恨み、癒される事は決してなし。
憎い――憎い――いつしか自らの浴びる月光を上の連中も浴びているという事実さえが憎く思え、狂いそうなほどの激情が自我を覆い、個を崩して更に混沌とした存在へと変貌してゆく。いいや、もしかすれば、とっくの昔に壊れているのだ。壊れて尚、許す事など想像すら出来ないのだ。
「憎い、憎い……憎くて当然だわなぁ。あの石碑、あれは酷いものだ」
その時になって――霊魂はようやく、自らの這い出る谷の底に生きた人間がいることに気付く。全身黒ずくめで眼球が淡い蒼色を放つその男は、足場のない空中に立ち、背に大鎌を背負う、まるで死神の如き奇怪なる男
男は世間話でもするかのように、しかし心底同情するように、霊魂に向かって仰々しく礼をする。
「俺の名前はイスラ・ミスラ。貴方がたの無念を晴らす、そのお手伝いをしに来た」
『ヴォ……ナ、ニ……キサマ、ワカル……ワレラ、ノ、ムネン……ノ、ナニ……ガ』
人間性を失いつつある霊魂が、継ぎ接ぎだらけの人間の記憶を繋ぎ合わせて言葉を発する。最早あと数日も経てば言葉を聞く能力さえ失われるであろうそれは、聞くものが耳を塞ぎたくなるほどに温度がなく、そして異音が無理やり人間の声の体裁を取っているように歪だった。
しかし、男は気にした様子もなく続ける。
「おかしいなーとは思ったんだ。何で生存者が零なのに石碑には詳細に大量虐殺の詳細が書かれてるんだって。この周辺の人って戦争後に移り住んだ人が殆どだから、過去の話の当事者ってのもいなさそうだし」
『……ニ、ガ……イイタ、イ……』
「で、さ。あの慰霊碑って誰が立てたのかなぁと思って教会で調べて貰ったら……出てきたわけよ、虐殺事件の唯一の生存者が。多分君たちが憎くて憎くて、一番憎くてしょうがない男がさ」
瞬間、霊魂の濁った知性の中に突如として鮮明な光景が映し出された。
それはこの場にいるほぼすべての霊魂にとっての絶望であり、怨嗟の源。
混濁しきっていながらも、全員が忘れられなかったその光景を。
こんな姿になっても尚、忘れようと思うにも忘れることの出来ない、熱い、あつい、焔の記憶。