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15.鉄屑の行方 零

 あの命懸けの殺し合いから、一日が経過した。


 後から聞いた話だが、聖騎士団はこれを零戦部隊排除の足掛かりにするつもりだったらしい。

 志なき刃はいずれ無秩序になる。それが騎士団の主張だ。必ずしも正しくはないが、間違いと断ずることも出来ない。零戦部隊など、所詮は屑の寄せ集めである事に変わりはない。イスラは期せずして、この教会の内部分裂と呼べる事態を防ぐことに成功した事になる。

 一体誰が為の信仰だったのか、何のための戦いだったのか。イスラにはこの戦いも聖騎士団の主義も、理解することは出来なかった。


 ダレットは、死んだ。もとより長い命ではなかったが、魂を冥府に送ると言ったあの約束をイスラはとうとう守る事が出来なかった。彼の本名がフェローだと知ったのは、森の下にある彼らの街を調査した異端審問官の口から聞いたときだった。亡骸は異端審問官が回収し、完全に形がなくなるまで荼毘に付された。

 ほんの短い、しかし今となっては濃密な、運命に翻弄された少年の最期の夜。どうして苦しみ抜いた存在に限って安らかな死の権利さえ奪われるのか――いや、あれは守り切れなかった自分の弱さもその一因か、とイスラは自戒した。どんな状況でも対象を守る手段。これまで守る為の戦いをしてこなかったイスラに課された課題だ。


 妹のセニアは兄と二度死別したショック、腕を失った事によるダメージ、母親に裏切られ逆上して刺したことによるパニック、そして売られた際に純潔を散らされ拭えないトラウマを受けた事が重なってか、次に目が覚めた時には記憶を失っていた。兄のことは名前は愚か、その存在さえ覚えていない。目覚めて最初に出会った異端審問官を家族だと思い込んだりといった様子も見られ、医者によれば彼女は記憶喪失ではなくパラノイアという精神疾患になった可能性もあるそうだ。

 彼女の腕は、もう二度と元には戻らない。『祓剣』の攻撃は魂を砕く。魂とは情報の世界で、生身と必ず隣り合う。魂がなくなれば、肉体は再生できない。ただ、魔術の知識を用いて義手を作る事は出来る。生身よりも何倍も不便であろう。あの乱戦の中でも彼女に流れ弾が向くことだけはひたすらに避け続けたことで命だけは無事だが、彼女もイスラの未熟が生み出した犠牲者であることには変わりない。


 彼らの母親は刺されはしたものの辛うじて生きていたようだが、その経緯から人身売買の疑いをかけられている。異端審問会の今後の指針によっては、あの街そのものの浄化も有り得るかもしれない。同情する気にはなれなかった。子を売る親の気持ちなど、出来れば一生理解したくない。


「――今回の件で騎士団側に死者は出ませんでしたが、切断された手足の接合が上手くいかずに数名が退団したそうです。あちらも暫くは下手な動きは出来ないでしょう」

「………それで、何しに来たんだい?また任務?」

「いえ、暫くは零戦部隊も派手な動きは控えなければなりません。特に貴方は今回、教団内部で注目を浴び過ぎた。自らの意志で任務に赴くのならば止めはしませんが、その場合は常に私が同行することになります」

「監視の間違いだろ」

「監視であっても、いれば何かしらサポートは可能です」


 八つ当たりのような素っ気ない対応を口に出しても、異端審問官はいつもの様子で返答する。一人でいたいから帰ってくれ――と率直に告げようかと思ったが、それこそ子供の八つ当たりだと思い直し、冷たい石碑を背負って歩く。

 色々とやるべきことを済ませたため、既に日は沈み、周囲の森は暗闇に包まれている。


 時々、イスラは自分を担当するこの異端審問官の事が分からなくなる。常に感情を表に出さず淡々と喋る癖、時々こうして呼んでもないのにやってきてはお節介のような話を聞かせてくる。今回の件も、過激な異端狩りで有名なセント・スーを退かせる為に随分と奔走したのだろう。それは異端審問会全体としての指示でもあったろうが、恐らく今こうして石碑を運ぶイスラに並び歩いている理由はそうではない。


「セニアちゃんは、これからどうなる?」

「教会本部附属の学校兼孤児院で面倒を」

「あそこも大変だ。心に傷を持った子どもばかりが送られてくる」

「院長は喜びますよ。真正の面倒好きですし……どれほど手間がかかろうが、あの人は子供を決して見捨てない」


 異端審問官の言う孤児院は、聖騎士団の二つ前の団長だったエルディーネという女性によって経営されている。シャイアナ教会でもきっての穏健派である彼女は教会の政争を全面的に突っぱね、騎士団が相手でもあくまで孤児院の院長としての立場を貫く気高さがある。イスラから見ても信頼に値する女性だ。

 確か以前の不死者騒動で不死者にされたルーシーや、ウルルが殺しかけた魔女の少女もあそこに預けられたと聞いている。この調子ではいずれパンクするのではないかとも思ったが、最近入ったのはその二人だけだそうだ。


 会話はここで途切れ、イスラと異端審問官は黙々と歩く。その道は獣道から、やがて激しく抉れた痕跡や木々が薙ぎ倒された痕跡の多い場所に進み、森の中の小さな丘に辿り着く。ダレットが力尽きた場所だ。


「これだけ破壊の痕跡に溢れているのに、丘の頂点には殆ど傷がないのですね」

「ここには二人がいた。最初の一撃でダレットくんは死んだが、せめてセニアちゃんをあの正義気取りの戦争屋から死守したかったからな」

「……剣聖相手にそんな余力が?」

「あの野郎も味方が巻き添え喰らわないように意図的に攻撃を逸らしてた。腹立たしい事に、俺とあれは似た者同士らしい」


 散々ぱら相手の冷酷さを叫んだイスラだったが、セントも決して無用な死者を出す事に頓着がない訳ではないのだろう。自分が生きた人間より死者の霊魂を優先するように、そういった価値観がずれていただけで、実はその行動に本質的な違いはないのかもしれない。

 似た者同士ならば考えている事にも想像がつく。あれとはいずれもう一度、今度は本当に決着をつける時が来る。その時の為に、今より更なる高みに至る――考えているのはそんなところだろう。


 しかし、あの男の事は今はいい。

 左程上手という訳でもない錬金術で丘に土台を作り、石碑を乗せて固定する。世の中にはイスラの二つ名から石碑を作る錬金術師だと勘違いしている輩も多くいるそうだ。しかしイスラは、それでは安易な石碑を立てて手間を惜しんでいるようで嫌いだった。


『愚者に翻弄されし少年、ダレット。古き約束の痕跡を此処に残す』


 石碑には、敢えてダレットの名前を使った。フェローの名の墓は既にあるし、これはイスラが個人的に彼を弔うための石碑だ。その意味は、当事者だけが理解できればよい。


「――よろしいのでしょうか」


 ふいに、異端審問官が口を開いた。


「これは聖騎士団にすれば侮辱と、今回の任務の痕跡になります。彼らがこの石碑そのものを認めない可能性もある」

「石碑にまでけちをつけるとは、本当に狭量というか………まぁ、考えてはいるよ。石碑を設置するときに、内部に術式を幾つか仕込ませてもらった。明確な意志を以てこの石碑を破壊しようとする輩に対するトラップだ」

「………致死性のものは外してください」

「ないよ、そんなの。余計な石碑を周囲に乱立させたかぁないもの」

「ならばよいのですが……」


 どこか不安そうな声色を隠せない異端審問官は、俺がどういう人間なのかを間近で見てきた。そのうえで追及をしないのは、もしかすれば、今のイスラを慮っているのかもしれない。


(ダレット。口先ばかりの死神さんでゴメンな。せめてもう一つの約束だけは、この身が砕けるまでずっと………)


 また一人、助けようと伸ばした手から魂が零れ落ちた。

 あと何度こんな事を繰り返せば、目に付くものだけでいいから全てを救えるようになるのだろう。

 ダレットは彼岸にはいないのだろうか。こちら側の対たるあちら側に霊魂は向かうが、そこに死者の彼岸があるのを確認した人間は誰もない。ともすれば、消滅したダレットの魂も、もしかしたら――そんな推論に思いを馳せながら、イスラは祈った。


「願わくば、また月に最期を看取らせることがないように――」


 月灯りに照らされる丘で、イスラとダレットが共にここまでやってきたという事実を証明する石碑が冷たく輝いた。




 ◆ ◆




 月明りに照らされる石碑の前に、数名の男たちが集まる。イスラと異端審問官がいなくなるのを待っていたかのように現れた男たちは、教会の法衣を揺らしながら忌々し気に石碑をねめつけた。


「………零め、偽善者ぶってこのような代物を。身の程というものを弁えぬ」

「研究の痕跡は全て浄化する。ここであった結果もまた、な」


 それが真に信仰心か、或いはイスラがセントにぶつけた保身だったのかは誰にも分からない。ただ、どうあっても彼らはダレットの行動、意志、痕跡、そして存在そのものを断固として認めないつもりである事が伺えた。彼らにとっては、ダレットという存在は魂からして、この世に認識として存在しえないのだ。


「さあ、急ぐぞ。このような石ころ一つにかかずらっていたとあらば、今度こそ剣聖様に顔向けが出来ん」

「……………」

「どうした?」


 男の内の一人が何かを考え込むように俯いた。様子に気付いた男の問いに、彼は答える。


「剣聖様が、我々が出る前に一言言ったのだ。『やめておけ』と」

「………何をだ?」

「分からん。だが、今になって思えば我らのこの行動を指し示しているのではと……」

「……考えすぎだろう。聖シャイアナ様の信仰の為の我らの行動に、咎められる謂れもなし。始めるぞ」


 男たちは同時に虚空に手を翳し、神秘術を発動させる。それが形を成し、槌の形に変わり、ありったけの破壊のエネルギーが込められた刹那――突如として、その場の全員の視界が宵闇より尚も深き深淵に覆われた。



 共に行動を続ける異端審問官と食事の席を共にしながら、イスラはふと顔を上げた。


「――、性懲りもない奴ら」

「イスラ殿?」

「何でもない。それよりあんた、飯の時まで顔を隠してるのか?」

「異端審問官としては当然です」


 一瞬何かを感じ取ったイスラだったが、何事もなく食事を続けた。

 こうなる事は予測できていた。それでも起こった事に微かな悲しみを覚えたのは、僅かな期待が胸中にあったからなのかもしれない。


 神罰などという言葉があるが、そんなものはこの世界に存在しない。

 罪は人が罪と呼んで初めて罪となる。ならば、罰もまた然り。

 罰を下すのは人間である。神はそれを、天上から何一つせずに見下ろすのみ。



 翌日、数名の騎士団員が『戦闘能力の喪失により除隊』となった。

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