14.鉄屑の行方 壱
人間でなくなった者は、死に方も死に場所も選べなくなるし、選ばせてももらえなくなる。
何故なら、人間ではないから。
たったそれだけの理由で、人間は人間以外の存在に対してどこまでも残酷になれる。
宗教屋曰く、動物への慈悲は善行で、聖書に書かれていない存在への慈悲には特に意味がないらしい。イスラが人生で初めて聖職者という人種にした質問の答えを簡潔に要約したものだ。この答えの意味を、イスラは左程長くない人生の中で嫌という程に思い知らされてきた。
ダレットと自分を追尾する存在がいた事には気付いていた。しかし、早い段階で迎撃すれば後続が現れてダレット自身が時間切れになる可能性があったから、ここで迎撃する道を選び、その為の準備もした。
しかし、本来ならこんな妨害など必要ないのだ。ただ、ダレットがダレットになる以前の想いを貫くというそれだけが済めば、本来ならば戦いなど最初からする必要のなかった事なのだ。
勝手な宗教屋の、しかも戦争屋が余計な教義がどうだと騒ぎ立てなければ、あと少しで丸く収まったのだ。そんな簡単な事さえ教義という都合の為に捻じ曲げ、目の前で苦しんでいる存在を害悪としか見ることのできない、この世界で一番にイスラが嫌う存在。
何故、貴様らはこうも死に無関心でいられる。
何故、貴様らはこうも認めるという行為をしない。
「余命幾何もないダレットを――何故殺したッ!!」
怨嗟さえ籠ったイスラの怒声と共に魔鎌が一閃。瞬間、鎌の先端が輝き、虚空に空間指定された分裂斬撃が地面ごと空間を無数に切り裂く。瞬間同時的に発生した死の刃にしかし、セントは顔色一つ変えずに『祓剣』を振り抜く。瞬間、剣から発された波動のような光が爆発的に増大し、発射された無数の斬撃を飲み込んだ。虚空から無数の刃がねじ切れるような異音が響き渡り、放った波動が真正面から一閃されてイスラがセントに肉薄した。
「答えろ戦争屋ぁッ!!」
「唾棄すべき穢れを排除し、聖シャイアナ様の知ろしめす世に憚る邪悪を祓う剣!それが騎士であり、このセント・スーである!我の前にはただ一つの邪も許さぬッ!」
振るわれる大鎌はしかし、セントも同時に『祓剣』を振るってそれを受け止める。衝突と同時に周囲の大気が歪み、セントの足元が陥没した。蒼白く纏わりつくような魔力と全てを塗り潰す極光が武具と共にせめぎ合い、日の沈んだ暗闇を鮮やかに染め上げる。
この男はたった今、救いのない道を歩き続けた一人の少年の悲劇を路傍の石ころを蹴飛ばすように否定した。人格でも境遇でもない、ただ教義とやらと照らし合わせた結果として邪悪だったから、と。
しかしそれは創造者側の罪の話でしかなく、創造された側であるダレットの意志どころか存在そのものが介在しない解釈だ。一つの悲劇が生んだ連鎖的な悪意、その狭間で救いを求めた声から目を逸らして正義を掲げる欺瞞が、どうして真実を見つけられようか。
「都合の悪い事実に目を閉じ、耳を塞ぎ、そこにある意志を踏み潰すのが神の意向ならば、そんな神など俺はいらないッ!!神がやらねば俺が手を伸ばすッ!!貴様らはそれさえも邪魔するかッ!?」
「その傲慢と欺瞞に歪んだ思想こそが邪悪だというのだッ!!聖騎士団が教団の力として甦った今、薄汚い『零』がいつまで聖シャイアナ様の御膝下にのさばるかッ!!」
「シャイアナなど知った事かぁッ!!」
剣と鎌が弾かれ、イスラが弾かれる形で両者の距離が離れる――その短い滞空期間の間に、セントの周囲の空間が歪んで無数の光が収束する。そのすべてが、セントの持つ『祓剣』と同一の物だった。『祓剣』とは本来、莫大な神秘と同時に強固なる信仰心があって初めて発動させられるもの。それを一度に複数発生させるという事実そのものが、セントの異常なまでの信仰心の深さを現していた。
「貴様ぁ……その暴言、万死に値するッ!!我が信仰の下に罰されよ、零ォッ!!」
全く同時に全ての『祓剣』が弾丸を超える速度で射出され、稲妻のように不規則な軌道を描きながらイスラに殺到する。先程イスラが防ぎきれずにダレットを絶命させたそれと同等の力を以てして神罰を代行せんと神秘の刃が迫る。しかし、いつ、どの時代も殺人が正当化される時代など来る事はない。
神よ神よと拝んでいれば自分の罪科も神の名の下に赦されると驕った宗教屋など、神に罪と思想を擦り付けて戦争を起こした連中とどの程度違うというのか。騎士団の真実など、唯の言い訳――それこそが欺瞞だ。
「人のやることを神のせいにするな戦争屋ッ!!」
鎌を持った手を突き出し、空いた手を添えて魔力を注ぎ込む。瞬間、鎌がイスラの手を離れて超高速回転を始めて周囲に烈風が巻き起こる。イスラの魔力を大量に吸った魔風が竜巻のように舞い、『祓剣』を巻き込んで動きを一瞬鈍化させる。
瞬間、回転する鎌の刃先から円形の斬撃が円盤型の魔の刃となって無数に発射。空中で二つの閃光が衝突して爆散し、夜空を彩っていく。魔力の風を纏って高所から難なく着地するイスラの目の前に、今度はセントの刺突が迫った。
二人が同時に動き、その影が交差する。互いに互いを殺害する気で振るわれた刃は、互いの刃が衝突することでその本分を遂げる事を妨げ、二人は再び睨み合った。
神の為、人の為と言いながら、教義と照らし合わせて守る義務がないと見るや否や傲慢な振舞いを繰り返す。助ける義務がないというだけで、あらゆる存在を塵と見なす。それがシャイアナ教の姿だというのなら、もはやシャイアナ教など人間には必要ない。
「お前らはいつもそうだ!神の御為とのたまいながら富を吸い上げ、虚構と欲望で人を戦争に人を駆り立て、都合の悪い存在は誰であっても平気で踏み散らすッ!!」
「それは真のシャイアナ教徒に非ずッ!!過去の過ちは甘んじて受けるが、我らをそれと同列に語ることは許さぬッ!!我らは神の代行者として、人の尊厳を穢す悍ましき研究をその成果ごとこの世から消し去ろうとした迄ッ!!むしろあのような吐き気を催す研究の痕跡を持ち去ろうとした貴様こそが欲に塗れた異常者であるッ!!」
セントが嵐のような斬撃を放ち、イスラはそれを鎌で捌き続ける。本来鎌という武器は槍としても斧としても扱いづらい代物であるにも関わらず、イスラは凄まじい体捌きでセントの一撃必殺の斬撃を全く受付けない。しかし、セントの実直で隙がない剣の猛攻には、反撃の機会も同時に存在しない。
「ほざけ、途中まで呑気に尾行していた卑怯者がッ!!あの子には人間としての自我が残っていたと知った上で殺したのかッ!?肉体が凌辱されればもう魂などお構いなしかッ!?目の前で苦しむ存在に手を差し伸べる事はいけませんと、聖書にでも書いてあったというのかよッ!!」
「最早あれは死んでいる!!壊したのだッ!!」
「言い訳をするなァッ!!」
イスラにとって、それは聞き飽きたような責任逃れにしか聞こえなかった。怒りで更に激しさが増す刃に、セントも言葉なしに応酬。二つの嵐の余波が周囲の大地を抉り飛ばし、斬り飛ばし、武具が衝突するたびに巻き起こる衝撃波が周囲を強かに揺るがし、地面に無数の罅を走らせた。
聖騎士団の生き残り達は、イスラの容赦した攻撃で『四肢のどれかがもげただけで済んでいる』生き残りをかき集めて余波に巻き込まれないよう避難している。しかし二人の行動の一つでも切っ先がずれれば、離れていても殺されるのではないかという不安が隠し切れない。二人の戦闘はそれほどに苛烈だった。
「セニアちゃんを巻き込んだのもシャイアナの意志だと言うつもりかッ!!彼女はこの場に居合わせた、何も知らない一般人だったのだぞッ!!そうやって弱き者を切り捨てていくのが聖騎士団かッ!?」
「邪物に気を許していた者など、例え子供であっても信徒に非ずッ!!邪に染まりし者は周辺の信徒をも邪に染める毒であるッ!!そんな毒を蔓延らせるから、戦後のシャイアナ教団はあそこまで落ちぶれたのだッ!!」
「何が毒だ偉そうにッ!!いつからシャイアナ教は人間の思考を支配する権利を得た!?お前らは手柄が欲しかったか、領土内の不祥事を一刻も早く揉み消したかっただけだろうがッ!!面倒だから見捨てたんだよ!!捨てる選択しかできない、その程度の存在だッ!!」
「聖シャイアナのご意思の神髄も理解出来ぬ無知の輩は、無知故に加減も際限も知らぬッ!他の信徒の身の安全と清らかさを守る為に危険を排除するのは、知恵を持たぬ犯罪者を狩るのと同じことだ!それの……何が可笑しいかッ!!」
「ちゃんちゃら可笑しいねッ!!」
感情の爆発に合わせるようにセントの『祓剣』が剣の軌道に合わせるように分裂し、至近距離でイスラに殺到する。一撃で人を死に至らしめる刃が一度に二十近く迫ることは、通常絶対に覆せない死を意味する。それを平然と放つことの出来るセントは確かに化け物だ。
しかし、そのセントの刃をここまで防ぎ切り、通常は魔女しか扱えぬ魔力を魔眼によって運用し、世界を感じ取る感覚を有するイスラという男もまた、十二分に化け物の領域に足を踏み入れていた。
「そのシャイアナの教義も、それを執行する貴様らも!結局は切り捨て、踏みつける事でしか今を維持できない!俺が戦っているのは、貴様らが見捨てた人々を導くためだろッ!!」
どうしてこんな簡単な、霊魂や不死者とされてこちらを彷徨う存在を静かに導くというだけの事に、宗教屋は理解を示せない――そんな悲哀にも似た問いかけと共に黒いコートの中から蛇のような何かが6つ這い出し、魔力を纏って虚空を縦横無尽に切り裂く。蒼と白の閃光が眩く散る中、必殺の『祓剣』を斬り払ったのはイスラがコートの中に仕込んでいた『鎖振子鎌』――イスラはそれを魔力によって六つ同時に動かす――長らく使用していなかった武器だった。
ペンデュラムはそのまま蛇の如くうねりセントの下に殺到するが、眉一つ動かさないセントの剣が煌めくと同時に全ての刃が弾かれ、刃は再びコートの中に舞い戻った。その刃がいつ、どこから、何本出るのかを隠し通すコートによってセントの警戒心が増し、必然的に二人の距離が開く。
度重なる言葉の応酬で更に険のある面構えに変わったセントが、不意に呟いた。
「貴様……成程、最初の『祓剣』を祓い損ねた姿を見て我も油断していたという事か。他にいくつ武器を隠し持っている?」
「数えるのが面倒だから教えてやらねぇよ――そうそう、思い出した。お前、剣聖セント・スーだな?」
「如何にも。そして我も一つ思い出した事がある……そう、確か零戦部隊で本件を担当している男の名は、イスラ・ミスラだったな。だからといって何、という訳でもないが」
「俺は意味あるぜ。あんたがくたばった後に石碑を立てる時に名前がないと困る。『人殺しセント、ここに眠る』ってな」
「己も金の為に人を殺してきた俗物であろう?人々が笑顔で暮らせる秩序を維持するために敢えて手を血で染めた我らとでは意義も重みも覚悟も違う」
「金の為に殺しをしたことなど、ない。俺はいつも身勝手な力に翻弄されて苦しむ存在の為に刃を振るってきた。その感情、お前には一生理解出来まいが」
絶対的な、美学とも言える生き様と価値観の差。
この短期間に少なくない言葉で語らって、二人はその差を同時に感じ取っていた。
育った環境、掲げる主義、手を指し伸ばす相手――そして排除する対象。
どのような現実に突き当たろうとも自分を貫かんとする存在――ある種での同類であることにも。そして皮肉にも、二人の出した結論も同じだった。
「――冥府に佇む零涙の乙女よ、我を溢した滂沱の滴を哀れみ、魂の今際を見届け賜え」
「――我が信仰は聖シャイアナ様の為にッ!!我が懸想、無限にして無尽なりッ!!」
イスラの魔力とセントの神秘、二つの力が全く同時に高まり、大気を震わせる。
言葉で解決できないのならば、暴力に頼り、相手が死ぬまで己を貫き通すしかない。
セントの前進を包む光が、一度も抜かなかった彼の腰の剣に収束されていく。それは『祓剣』の光さえ霞む膨大な光の奔流。しかしイスラが手を添える大鎌の刃にも、これまでの魔力とは比べ物にならない程に濃密で激しい紫炎の奔流が渦巻いていた。
狙いは一瞬、放てる渾身の一撃を以てして完全に勝敗を決する。
余りにも膨大過ぎるエネルギーを放つが故、森はまるで地上に太陽があるかのような光に包まれ、イスラとセントの間を綺麗に別つように衝突した魔力と神秘が、ミシミシと大気を圧し潰すような異音を巻き散らす。
次の一撃にて、全てが決まる――。
「そこまでですッ!!この場は教皇様の勅命を受けた異端審問会が預かるッ!!」
まさに最後の一撃を放とうという刹那、その凛とした声が場に響き渡った。
転移術で駆け付けたのだろう、冷静沈着な普段の姿からすれば珍しく息を切らした様子で、見覚えのある異端審問官が書状を突き出して二人の間に割って入り、二人は咄嗟にかき集めた力を霧散させた。
「あんたは、俺の担当の――」
「聖騎士団第三師団長セント・スー及び零戦部隊第十八席イスラ・ミスラは現時点を以てその活動を終了し、以降はこちらの指示に従ってもらいます」
「卿がその手に持った書状……確かに正式な書類であるとお見受けした。そうか、猊下は耳がお早い……諒解した。事ここに至っては、続けるわけにもいくまい……」
こうして――二人の身命を賭した戦いは呆気なく終わりを告げた。
イスラとセント、二人の間に隔たる絶対的な価値観の差という確執を残したまま。




