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12.屑鉄の行方 参

 夕闇に照らされてどこまで果て無く続くような、緩やかな坂。

 足を運んで大地を踏み締めるたびに関節がきしきしと音を立て、一歩が半歩に、半歩が更に短くなていく。不思議に思っていたが、気付く。この体はもはやいつ死んでもおかしくないのだ。同じ力を込めているつもりでも、体が言う事を聞かなくなってきているのだ。試しに更に力を込めてみると、歩幅は少し元に戻った。

 死神さんはこちらに歩調を合わせて歩いてくれる。歩くたびに何かが抜け落ちていくような虚脱感と共に、自分の親を思い出した。父さんは物心ついた頃にはいなかったが、母さんは少なくとも、僕や妹に歩調を合わせてくれることはなかった。距離が離れている事に気付いたら、「早く来なさい」と素っ気なく言うだけだった。


 自分の肉体がそうではないような感覚。憧憬、回顧。己が身がまだ人間だった頃。

 小さな掌、握りて歩く。果て無く伸びる影を揺らし、体温を感じ合いながら。

 泣きじゃくったとき、大人に暴力を振るわれたとき、辛いときはいつだってこの道を二人で歩いた。


 この子には僕しかいない。僕が守ってあげなければ、この小さな肩は今という時間と現実にいつか圧し潰されてしまう。僕が守らなきゃ、僕が盾にならなきゃ――いつだってそう言いながら、本当は僕は辛さを分かち合う誰かが欲しかったのかもしれない。


『お父さんが戦争で死んでから、お母さんは変わっちゃった。街も変わった。体に傷があって目がぎらぎらした大人と、罵声と暴力が増えていった。子供が二人でいるには、あの町は恐ろしく、怖すぎた。それでも他に行き場所が与えられなかったんだ』

「………最大の激戦地だったからね。戦争の時だけ駆り出され、戦争が終わると棄てるように街に取り残された『聖戦』の残骸たちが集まるあの町は、今は多少はマシといった程度の治安だった。成程確かに、子供と一緒に住む場所じゃない」

『だから僕たちは、僕たちしか来ない、僕たちだけの場所が欲しかったんだ』


 不思議だ。思考がぐちゃぐちゃで纏まらなかった頭に、過去の情景が次々に映し出されていく。どうしてこんなにも過去の事が思い出されるのだろう。今ならば、自分の本当の名前さえ思い出せそうだ。


「俗に走馬灯、と呼ばれるものだね。死の危機に瀕した脳が見せる過去の記憶……こういった言い方は残酷かもしれないが、君が死に近づいている証拠だ……皮肉だね」

『死神さん、物知り。でも思い出せないまま死ぬ方が怖いかな』

「ああ、そうだね。真実が永遠に失われたままってのは……辛いもんさ」


 死神さんは、少し辛そうにコートをぎゅっと手で握りしめながら、昔を思い出すような遠い目でそう答えた。死神さんにも、辛いことがある。そう思うと、きっと苦しかったのは僕たちだけじゃなかったんだろう、と漠然と感じる。

 皆が心のどこかに、辛い気持ちを持っている。でも、誰もがその辛さを分かち合えないから、世界は弱い人に冷たいままなのかもしれない。僕はこの変わり果てた姿で、また妹と痛みを分かち合う事が出来るのだろうか。僕がこの世から去ったあと、妹は誰と痛みを分かち合うのだろうか。


「シャイアナ教会の本部近くに――」


 不意に、死神さんが呟く。


「孤児院がある。少々宗教臭いが、経営してる人は悪い人じゃない。もし今のまま妹を母親の元に置いておくのが心配なら俺が話をしてみるけど、余計な気遣いかな?」

『あの子がそれを望むなら………ううん。あの子はイヤなんて言えない子だから、死神さんに任せていい?』

「出来る限り、やるよ。こういう仕事をしていると機会も多くてね………さぁ、着いた」

『セニア、僕だって判ってもらえなかったらどうしよう。また化物って言われるのかな』

「こればっかりは死神さんにも分からないね。だから君が自分で語り掛けなさい」


 化物と呼ばれたとき、体を締め付ける痛みより遥かに鋭い痛みが体のどこかを駆け巡った。

 心のどこかでセニアなら僕のことを判ってくれると無責任に信じていた。

 セニア、確かにお兄ちゃんはもう化物かもしれない。体の半分以上、お兄ちゃんじゃなくなっているかもしれない。大人の勝手な都合で何者にもなれなくなった僕は、長生きしたところで社会に受け入れられることはないのだろう。

 不意に、道端の溜まりに自分の顔が映った。月光に照らされる、鉄とコードと筋線維で構成された、この世の存在とは思えないほどに恐ろしい自分の顔。今も心のどこかで、これが自分ではないと思いたい。だから、駄目だったとしたら僕はそれも受け入れる。その時になったら受け入れきれないかもしれないけれど、受け入れる。


 覚悟を足に重ね、命を振り絞るほどの力を籠めなければ動かなくなった四肢を動かして。


『セニア、僕だよ。約束が守りたくて、こんな姿になってもここまで来ちゃった』


 さいごのよるに、きみとふたりで。




 ◆ ◆




 会話の結末を見終えるより前に、イスラは踵を返した。

 ダレットは覚悟を決め、向かった。

 終の場所へ、自分の消失点へ。

 そこにどんな残酷な真実が待っていたとしても、選んだ。

 だからイスラはその意志を、どこまでも尊重する義務がある。


「さて………無粋な客人にはご退却願うかね」


 地面に触れ、魔眼を媒体に術式を発動。それを認識できる人間にしか気づけない魔力のラインがダレットの向かう丘を音もなく囲い、キィン、と音を立てて区切った。結界とも異界化とも呼ばれる、こちらとあちらの中間に疑似的な空間を滑り込ませる技術。

 それを用いる理由は一つ――邪魔者を遠ざける為だ。


 先ほどから首筋に刺さるような敵意と恣意を浴びせる輩、それも集団。まず間違いなく彼を攫うか、或いは壊す事しか考えていないであろう、命を道具のようにしか見ることが出来ない連中特有の気配が纏わりついている。

 視覚情報では誰もいない背後を向き、イスラは肺を膨らませ、怒声にも似た荒い声をあげた。


「一応忠告しておく!お前らがどんなに上手く神秘術を用いて気配や姿を隠匿したところで、俺の魔術刻眼を誤魔化せる道理など存在せん!今ここでこの場を立ち去るのならば、お前らがご立派な立場か唯の下種かも問わん!――この俺、零戦部隊第十八席のイスラ・ミスラと戦うことの意味が解ってる奴だけ、とっとと掛かってこいッ!!」


 瞬間、何もない筈の暗闇より無数の極光が煌く。

 そのすべてが反応する間もない速度でイスラに殺到し、地面を抉り飛ばすように爆ぜた。

 轟音、閃光、舞い上がる土の塊と高く立ち上る煙。それらはイスラの背後の丘だけを避けるように立ち上り――不意に、その煙が袈裟懸けに引き裂かれた。大地が巨大な匙で幾度となく抉ったような荒々しい断面を晒す中、それだけは不気味なまでに空間に浮き上がる。


 煙の内側から、ゆるりと歩み出る黒ずくめの姿。

 微かな怒りと諦観を内包した青白く光る両眼を隠そうともせず。

 その手に握った大鎌から光を弾いた煙を立ち上らせて。


「……簡潔かつ明快な意思表示、大変理解が早いようで。それじゃあ、何されても文句は言えないことは理解したな?」


 イスラ・ミスラという男は人並みの善意や命の価値に理解を示す輩だが――同時に命に理解を示さない輩に対して、それ相応の態度を見せる二面性を持つ。それこそが彼自身が自分を形容する屑、或いは零になる存在という言葉の根拠であり、彼の頑なまでの理想の追求の在り方だった。


 もう一度無数の閃光が空を裂き飛来するが、今度はそれが接触する前にイスラの鎌が紫炎のような魔力と共に一閃され、その視界に映る全ての光が同時に四散した。

 振るわれた斬撃は一つだけ。されと魔術によって巻き起こった現象は無数に分裂し、イスラの認識する全ての術を切り裂いていた。更に、その刃は術の他にもう一つ、あるものを引き裂いていた。


 ぼとり、と地面に生々しい音を立てて何かが落ち、遅れてぱたた、と地面の草に何かが降り注ぐ。


 虚空が裂けるように歪み、そこから一人の男の姿が現れる。純白の鎧を身に着け、金色のロッドを掲げていたであろうフルフェイスの騎士――誰の目から見ても、それは明らかにシャイアナ教会直属の騎士が身に着けるそれだった。ただしその姿にはもう一つ、誰の目から見ても不自然な部分があった。それは――神秘術で最大限に祝福され、馬に撥ねられる程の衝撃さえ無効化する鎧の左腕部が、綺麗に切断されている事だ。

 心臓の鼓動に合わせるようにどぐり、どぐりと溢れ出る出血と鈍痛に震えながら呻くような声を上げる。


「馬鹿な、何故、私を、あの距離で――?」

「お前らがシャイアナ教会の人間であることにはとっくに気付いていた。随分高度な神秘術を使ってるじゃあないか。俺は正直、任務の邪魔をするなら殺すことも吝かではなかったんだが、異端審問会の面子を立てて隊長格の腕一本でまずは出方を伺ってやることにしたんだよ」

「――隊長、治療を」

「そんな暇は、ない……ッ。速度超過術式を重ねがけした『聖槌』を、一撃。しかも、『空法衣』がまるで意味を成していない相手だぞ……ッ!」


 騎士たちは、事ここに至って自分たちの評価が見当外れだったことを思い知らされる。

 彼らは、零戦部隊など少々の特権を与えられた非正規のごろつきの集まりでしかないと考えていた。その頂点に立つ席持ちも、所詮お山の大将でしかないと信じていた。先程の神秘術『聖槌』も、本来ならば込められた力、数、速度共に一人の人間に叩きこむには過剰な威力。使い方によっては一撃で民家を吹き飛ばす威力を、複数の騎士が一斉に発射したのだ。


 それを、煩わしい蠅を払うかの如く片手間で、何の傷も追わずに振り払い、更には不可視の筈の人間の中から司令塔を割り出して腕一本を切り裂く。つまり、目の前の大鎌を背負う男は、その気になれば術者全員の首を跳ね飛ばして殺害することが出来たということ。


 圧倒的を通り越して『位階』の違う実力の差。今この瞬間、小隊規模で投入されて『殺してもよし』と命ぜられた騎士たちの首筋には、既に死を齎す刃が添えられている。


「馬鹿な――これでは、本物の死神ではないかッ!!」

「さあ、もう一度選ばせてやる。引くか、死ぬか、どちらか一つだ。簡単な選択だと思うが、如何に?」


 墓石より尚も冷たい殺意が、暮れなずむ森を包み込んだ。

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