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大切なこと



 エルザは追い立てられるように、慌てて領地へ戻ることに決めた。

 勇み足で王都へ行き、何も考えずに過ごしていたけれど、今になってそんな自分がとても恥ずかしくなった。


 ルーフェンのことが心配で、気がかりで、会いたくて。そうしてエルザは王都にきた。

 けれど、それもすべて独りよがりだったのだ。彼に来てほしい、と言われた訳でもない。勝手に彼女が、ルーフェンを求めてしまった。


 優しいから口にしないだけで、本当は多忙なルーフェンにとって、負担でしかないのかもしれない。

 事実、エルザに会いに来てくれるけれど、一目会うとすぐに慌ただしく立ち去ってしまう。いつも言ってくれていた『会えて嬉しい』という言葉も、彼に気を使わせているだけだったのだろう。


 だからエルザは王都を後にする。

 そうした沢山の言い訳を口にして、結局彼女が選んだのはただの『逃げ』だった。


 きっとエルザがまず取るべき行動は王都を出ることではなく、ルーフェンに問うことだった。自身のことを、この婚約をどう思っているのか。自分の存在はあなたにとって負担にしかならないのか、と。


 しかし、エルザは彼女にとって忌避すべき現実を恐れ、ルーフェンに問いかけることをしなかった。

 だって、聞きたくない。彼の本心を問い、真意を問い、その心の在り処を問うて、そして、


『ハイディ様のことをどう思っていらっしゃるのですか』


 なんて。

 残酷な想像しか、することができなかった。それを受け入れる覚悟など、今のエルザにはない。


「もう少し、王都にいてくれてもいいじゃないか」


 いつもエルザのことを優しく受け止めてくれるルーフェンが、拗ねたように口にする。

 王都を立つ日の朝、忙しい時間の合間を縫って顔を見せてくれた彼は、まるで名残惜しむようにエルザの両手を自身の両手で包み込んだ。


 そんな風に引き留めるようなことを言ってくれるから、エルザは甘い夢を見たくなる。期待、してしまうのだ。彼女は慌てて自身の思考を戒める。

 その夢に裏切られたら、これほど残酷なことはない。


「……まあ、いいさ。僕もそろそろ時間が取れる。そうしたら、今度は僕から会いに行くよ。君のお父上に相談したいこともあるしね」

「ち、父に……ですか?」


 エルザはさっと血の気が引くのを自覚した。

 今、まことしやかに勇者と王女の関係が噂されている。そんなときに彼が婚約者の父に相談することなど、一つしか考えられなかった。

 婚約を白紙に戻す相談ではないのか、と思ったのだ。


 これが愛し合う婚約者同士なら、そんな想像をしなくても良かったのかもしれない。けれど、エルザにとって二人はあくまでいい友人の距離で、親が決めた婚約者でしかなかった。


「ああ、旅も終わってそろそろいい時期だと思うしね。君のためにも早い方がいいだろう」


 エルザは、次の婚約者を見つけるためには、という意味だと思った。婚約解消後の身の振り方を案じられているのだ、と。


 ルーフェンは殊更エルザを大切にしてくれる。けれどそれは、彼が紳士で優しい人である、というだけの話だった。


 だって彼は、エルザを婚約者をとして認めてくれているけれど、愛を囁くことは一度もない。

 喜びを喜びと、悲しみを悲しみとして素直に表現する彼が口にしないということは、それは存在しないことと同義だろう。


「グラーフェ伯爵には僕から連絡するよ。エルザは安心していてくれ」


 ルーフェンはそう言うけれど、エルザは何を安心すればいいのだろう、と思ってしまう。

 こんなに胸が張り裂けそうなのに、平静でなんていられなかった。


「それじゃあエルザ、またすぐに会いに行くよ」


 いっそ来ないでほしい、とルーフェンに対してエルザは初めてそう思った。



+++



 そして宣言通り、ルーフェンがグラーフェ邸を訪れたのは、エルザが王都を去ってから二十日ばかり経った頃だった。

 手紙で彼の来訪を告げられていたエルザは、ルーフェンと顔を合わせることを恐れた。この二十日間、ずっと覚悟を決めなければ、と思い悩んできたが、どうやっても覚悟なんてできそうになかった。


 悩みに悩み、狼狽えに狼狽えたエルザは結果、卑怯な手を取ることに決めた。


 体調不良を理由に自室に閉じこもったのである。

 グラーフェ邸に来訪し、数日滞在する予定のルーフェンは、何度か気遣わしげに部屋の外から声をかけてくれたが、エルザがそれに応じることはなかった。


 そんな自分の意気地のなさに、ふとハイディの清々しい笑顔を思い出す。きっと彼女ならば、こんな惨めで卑怯なことはしないだろう。そう考えてまた、エルザは深く落ち込んだ。


 一つ、暗澹たる溜息を吐き、自室の椅子に腰掛ける。いつもそばにいてくれる侍女も退室させたので、部屋には一人きりだった。


 自身の不甲斐なさから天を仰ぎ、エルザの視界の端にあの絵画が映り込んだ。ルーフェンが旅立つ前に、二人で並んで描いてもらった絵だ。

 画家が届けてくれた日から、ずっとエルザの自室に飾られ、彼の言っていたようにその絵を見る度ごとにルーフェンのことを考え、想いを募らせていた。


 もしも、エルザの悲しい想像が当たって、婚約が破棄されれば、この絵を飾ることもできなくなるだろう。

 寄り添う絵画などを飾る資格はなくなり、きっと見ていることに自分が耐えられない。


 椅子から立ち上がったエルザは、その絵に手を伸ばした。ひと抱えある絵を、エルザは額縁を掴んで壁から外す。

 今だけでもどこかに隠してしまおうか、と思った。ほんの出来心だ。悪い想像ばかりしてしまう弱い心が、その絵を視界に収めることを恐れた。


 しかし、絵はエルザ一人で抱えるには難儀するほど大きかった。壁から取り外した彼女は体勢を崩し、その場で取り落としてしまいそうになる。


 何とか絵を抱え込んで、けれど自分の体勢を維持することはできず、膝をついてしまう。前のめりに倒れ込みそうになったのだけは、なんとか堪えた。


「危なかった……」


 見るのが苦しいと思いながら、こんなに必死に絵を守ろうとした自分に、エルザは少し笑ってしまう。どんなに苦しくて、目を背けたくなっても、やはりこの絵がエルザにとって大切なものであることには違いなかった。


 腕の中の絵画をひと撫でする。褪せることのないあの日が思い浮かぶようだった。

 何となく、エルザは絵だけではなく、その裏側にも目を向けた。抱え込んだまま裏側を上から覗き込むと、木の板が見える。

 普段飾られている絵画しか見ないので、こんな風になっているのか、と少々興味深かった。


 そのとき気付いた。

 逆さまに覗き込むエルザから見て、左の下部に何かが書かれている。


 画家のサインだろうか、と思った。しかし、依頼を受けて描き上げたものに、果たしてサインを入れるのだろうか。それに、確かサインは裏側ではなく、表に入れるものだと記憶している。


「え……?」


 その文字を視界に収め、エルザは思わず声を漏らした。信じられなくて、声だけでなく身体まで震えてしまう。

 これはルーフェンが依頼して画家が描いたものだ。画家の一存で、裏側とはいえ文字を入れることはまずないだろう。そうなるときっと、ここに描いてある文字はルーフェンが指示をしたもののはずで。


 そう思い至った次の瞬間には、エルザは勢いよく立ち上がった。抱えて動き回れない絵はその場に置いて、足がもつれそうになりながらそのまま部屋を飛び出す。


 エルザはとても大切なことに、今頃になって気付いたのだ。





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