第9話~響音と月希1~
響音の過去編に入ります。
カンナが学園に来る前の響音のお話です。
─3年前─
茶髪のアップポニー。紫色のゴスロリ風の丈の短い着物。黒いニーハイソックス。腰にはキラキラとしたネイルチップの飾られた以外は何の変哲もない柳葉刀。そんな出で立ちの多綺響音は浪臥村から学園へ颯爽と風を切りながら馬を駆けさせていた。
浪臥村での問題事はすぐに学園に伝えられる事になっている。昼間は村で狼煙を上げ、夜はランプが使われ光の明滅で合図する。それを確認した学園は響音を派遣する。村で問題の内容を聞いた響音はすぐに学園に戻り割天風に報告する。それが学園序列5位の響音の役割だった。大抵村人が不正をしたとか喧嘩したとか酒に酔って暴れているとかそういう話が多かった。そんな事なら村の自警団だけで十分だが、響音はそんな些細な事でさえいちいち動き、村と学園の調和を図っていた。
学園に到着した響音は割天風に報告に向かった。
学園総帥である割天風の居室は学園の中央に堂々と構えられている校舎の2階にある。重厚な造りの室内は緊張感が漂っていた。
「総帥。浪臥村から戻りました。報告致します」
部屋の奥には机に向かい椅子に腰掛けた老人がいた。
禿頭だが後頭部の髪は白髪混じりで長く、顔には深い皺が刻まれていて口の周りには長い髭が蓄えられている。目は開いているのか閉じているのか分からないほど細いが鋭い視線を感じた。
割天風の斜め後ろには、刀を持っている女が立っていた。茜リリア、学園序列10位で割天風の秘書をしている女だ。割天風といる時はいつも自分の刀を2本と割天風の刀を1本持っている。それなりに闘えるだろうが、響音から見たら大した事はなかった。
割天風は髭で隠れて見えない口を静かに開いた。
「ご苦労じゃったのお。響音。今回はどういった内容じゃ」
割天風の声は見た目ほど老いてはおらず、しっかりとしたものだった。
「漁をしに海へ出た村人の情報によると、近くに不審な中型船を3艘目撃したとのことです。恐らくは海賊ではないかとのことでした」
「人数は分かるのか?」
「1艘に10人程が乗っていたとのことですので、30人程かと思われます」
「なるほど、この島にこの学園ありと知らぬ余所者じゃろう。その人数なら通常の2人体制で問題ないのお。明日が村当番の交代日か。リリア、明日からの担当は誰じゃ?」
割天風は背後のリリアを見もせずに尋ねる。
「序列28位、桜崎マリアと序列11位、榊樹月希です」
榊樹月希と聞いて響音は表情を変えた。
月希は響音が学園で1番可愛がっている生徒である。
月に1度、学園の生徒は2人組で浪臥村の治安維持という名目で村に派遣され滞在する。その人選は学園の師範達7人で決められるが、必ず学園序列30位以上の生徒から選ばれる仕組みだった。
「総帥、恐れながらお願いがあります」
「良かろう、響音。申してみよ」
「明日からの村当番、桜崎マリアと私を交代して頂けないでしょうか?」
後ろに立っていたリリアは目を丸くして響音の方を見た。
割天風は眉毛をピクリと動かしただけである。
「響音さん、あなたは伝令役の仕事があるじゃないですか?そんな事認められるわけ」
割天風はリリアの言葉を手で遮った。
「儂が特別に許可を出した場合、村当番は別の者が出動出来る。聞かせてもらおうか。村へ行きたい理由を」
響音は静かに息を吐いた。
「今回の不審船。嫌な予感がします。序列20位以下の生徒が出動して、もしものことがあったら大変です。せめて15位以上を出した方が確実です。それに私が行ったほうが村と学園の情報伝達も早い」
響音は通常馬で2時間の道のりを1時間足らずで駆けさせることができた。もちろん、馬の質も良いが響音の才能も秀でていた。故に学園の伝令役に選ばれたのだ。もっとも、響音は特殊な歩行術により1時間も掛からずに村との往復が出来る。伝令役に響音以上に適した者はいないのだ。
「予感でものを言われても困るのお。まあ良い。序列5位以上の者の特権じゃ。その交代認めてやろう。勿論、伝令役の任もしっかりとこなしてもらうぞ? 出来るな?」
「はい。ありがとうございます」
この学園の序列5位以上の生徒は様々な『特権』が認められている。村当番の交代申請も特権が認められる。
割天風はリリアに担当の交代手続きをさせた。
手続きが終わると「もう行け」と言われ、響音は部屋を出た。
嫌な予感がした。こんな島に海賊が来るなどあり得なかった。千人程の村と学園しかない小さな島だ。わざわざ上陸するとしたら略奪だけが目的ではない筈だ。
考えても仕方がない。響音は月希のもとへ向かった。
♢
月希は剣特寮のロビーにある、休憩用の机の所に学園序列8位の畦地まりかと一緒にいた。
響音が来た事に気付き、月希は笑顔で手を振り、隣の椅子をペシペシと叩いた。
「響音さん! お帰りなさい! ここに座ってください!」
響音は月希の隣に腰を下ろした。
月希は金髪の長い髪を左の耳の後ろの辺りで団子に纏めて少し髪を垂らすような髪型をしている。サイドの髪はカールしており、とてもオシャレに気を使っている。髪を適当に縛っただけの響音とは大違いだ。そして、胸は白いブラウスがはち切れんばかりのボリュームがあり、こちらもほとんどまな板の響音とは大違いだ。
瞳は澄んだ水色で、その美しさに時々我を忘れて魅入ってしまう事があり、その度に月希に心配される。とにかく月希は、容姿が完璧だった。
机にはいつも月希が腰に付けているサイドポーチが置いてあり、その中身のネイルの道具が机の半分を埋める勢いで綺麗に並べられている。
「今ね、まりかさんの爪を磨いてあげてたんですよ! そしたらほらすごく綺麗になりました!」
月希は楽しそうにまりかの爪を響音に見せてきた。確かに綺麗に整えられて光沢がある。
「でも月希ちゃんは1番響音さんの爪の形が好きなんだって、私にも見せてよ、響音さん」
まりかに言われて響音は両手を机の上に置いた。
「本当だ、確かに綺麗。爪というか手も綺麗。指も細くて」
「ですよね! 凄く憧れちゃいます! 私の手あんまり綺麗じゃないし、爪も変な形だし」
自分の手を見ながら月希は拗ねたような感じで呟いた。
月希の爪はピンク色のネイルに星やハートなどの色とりどりの飾りが付けられている。月希が言うほど気になるような事はないが、コンプレックスは自分自身が1番敏感になるものだから仕方ないのかもしれない。
「でも私、響音さんの綺麗な爪を整えている時が1番楽しいです。実は私、ここに来るまではネイリストを目指していまして」
頭を掻きながら月希は赤面してかつての自分の夢を告白した。
「いいじゃない、月希ちゃん得意なんだし。まあこの学園にいるうちはここの生徒達くらいしか相手に出来ないけどね」
「あ、でも響音さんの爪整えられるから全然幸せです!」
月希は笑顔だった。響音も自然に笑っていた。
「月希ちゃんは響音さんのこと本当に好きなのね。何だか嫉妬しちゃうなぁ」
「響音さんの事は大好きですけど、まりかさんの事も大好きですよ? いつも仲良くしてくれるし」
「本当〜? なら、私と響音さん、どっちの方が好き?」
まりかは笑顔で月希と響音の顔を交互に見ながら問う。
「もう! そんな意地悪な質問! どっちも好きですから」
「ちなみに、あたしは月希の方が好きだよ」
響音は月希の肩に手を置き白い八重歯を見せて微笑んだ。
「やったー! 響音さん! 好き〜!」
「あー、はいはい、それは知ってましたよ、響音さん」
「冗談よ、まりか。あなたの事も月希と同じくらい大切に思ってるから」
「本当かなぁ?? ってか、響音さんにそんな事言われるとなんか……気持ち悪いです」
まりかは照れくさそうに顔を赤くして自分の茶色い髪を弄っている。その様子を見て、月希はケラケラと笑っていた。
しばらく3人で話していたが、まりかは用事があると言って先に席を立った。
月希と2人きりになった。
「月希。あんた明日の支度はしたの? 村当番でしょ?」
「もちろん、準備万端ですよ! あ、一緒に行くマリアさんにちゃんと挨拶して来なくちゃ! どうしよう、もうこんな時間……今から行ったら迷惑ですよね?」
月希はとても律儀で礼儀正しい性格だった。序列が下の生徒に対しても自分より年上であれば必ず敬語を使う。響音に対してももちろん敬語だった。敬語はやめろと言った事があったが、尊敬している人に対して敬語を使うのは当たり前だと言ってきかなかった。月希のそういうところも、響音は好きだった。
「挨拶はしなくていいよ、月希。明日は急遽あたしがあんたと一緒に行くことになったのよ」
「え!? 本当!? やったー!!」
月希は飛び跳ねて喜んでいた。大きな胸をゆさゆさと揺らし、短い黒いスカートがヒラヒラと揺れた。
この子を見ていると癒される。きっと響音だけではなく、ほかの人も同じく癒されているのだろう。月希の悪い噂を今まで一度足りとも耳にした事はなかった。むしろ、男女共に人気が高く、他のクラスの生徒達ともよく話をしているようだった。男の生徒とも分け隔てなく仲良くするものだから、気があると勘違いされる事もしばしばある程だ。無理に言い寄ってくる奴や、身体目当てで近付いて来る奴もいたので、その時は毎回響音が追い払った。
「でも何で急に序列5位の響音さんが?」
月希は一頻り喜ぶと、首を傾げて響音に問う。
「ええ、実は浪臥村の近くの海域に不審船がいるらしいの。久しぶりの賊かもしれないから念の為、総帥にお願いしてきたのよ。あんた賊討伐は初めてでしょ?」
「賊か……初めてです。最近はこの島に賊なんか来てなかったのに……。私の為にわざわざありがとうございます」
月希は頭を下げ、それから響音を見て微笑んだ。
「いいのよ、月希。初めてのあたしとの共同任務ね」
言った響音も笑顔だった。
月希との学園生活がこんなにも楽しいのならどんな困難でも乗り越えられる。
月希がいれば他には何もいらない。
響音はそう思った。