第77話~地獄から蘇った怪僧~
不気味な呪文が唱え続けられていた。かれこれ1時間近く青幻は光希の前で唱え続けている。
光希は呪文を唱え始めてから数分で意識を失いその後董韓世が置いた箱から黒い煙のようなものが溢れてきて光希の鼻と口から入っていった。それからは何も変化はなくただひたすら青幻が呪文を唱えているだけだ。
孟秦と董韓世は青幻の様子を見ながら侵入者が来ないかずっと戸の近くで見張っていた。
孟秦は刀を使うが董韓世は武芸十八般に精通する達人である。
青幻が各地から集めた武人の中で優れている者を”幹部”と呼び、その幹部も”上位”、”中位”、”下位”の3階級に分けられる。牙牛、阿顔、魏宜、公孫莉などは中位幹部であり、孟秦も中位幹部だ。董韓世は孟秦より位が高く上位幹部の1人である。
孟秦はその階級には特に不満はなかった。むしろ階級というものには全く興味がない。ただ戦えればいい。戦がしたい。銃がなくなった世界で己の武術のみで戦い抜きたい。それこそが孟秦の生きる糧だった。
青幻についていけば必ずそれが出来る。
「1人近付いてくる」
董韓世が気配だけ感じ取ったのかボソリと呟いた。
戸の外には何も見えないが確かに1人の気配を感じる。
青幻は呪文を唱え続けているのでその事に関しては何も言わなかった。この儀式が終わるまで侵入者を近付けなければばいいと言われていた。
孟秦と董韓世は2人で本殿から出た。
朝靄の中に1つの影が浮かび上がった。馬で近付いてくる。
「あいつか」
孟秦は呟いた。
カンナは響華を疾駆させた。
間違いなく目の前に見える建物が慈縛殿だろう。カンナは掛け声を上げて開いたままの門を突破した。
本殿らしき所に2つの影が見えた。
「響華、私が跳んだら安全な場所に隠れてて」
カンナは響華に言った。
男の内の1人は忘れもしない光希を連れ去った男、孟秦だ。やはりこの中からか微かだが光希の氣を感じる。
目の前の男2人はこちらに歩いてきた。そして構えた。
カンナはそのまま突っ込んだ。
交差。
孟秦は背中の刀を抜きカンナに振り下ろした。カンナはその瞬間に響華の上で飛び上がり空中で一回転。孟秦の後ろに着地。すぐにもう1人の男が蹴りを放ってきたがそれも上手くすり抜けてそのまま本殿の戸を蹴り破り中に入った。
響華はカンナの言う通り自分で安全な所まで離れていた。
「なんだあの女。俺の蹴りを躱したぞ?」
「あいつが澄川カンナです。董韓世殿」
背後で2人の男の会話が聴こえたがカンナは目の前の光景に目を疑った。
青い髪の男が背を向けて床に座っており、その前には大きな柱に縛り付けられた光希がぐったりとして俯いていた。
「光希!!?」
カンナの呼びかけに光希は反応しない。
すると男がゆっくりと立ち上がった。
「孟秦と董韓世の2人の間を抜けてくるとは、あなたなかなかの腕をお持ちですね」
男がカンナの方を見た。その眼差しは凍える程に冷たく、人間の温かさを一切感じない恐ろしいものだった。
「あなたが、青幻?」
「そうです。初めまして。おや? あなた、どこかでお会いしましたか? お名前は?」
「私は学園序列10位澄川カンナ。あなたと会うのは初めてです」
青幻は何かに気付いたような表情をして軽く頷いた。
「澄川、なるほど、あなたが蜂須賀を倒した篝気功掌の使い手の澄川カンナさんですか。それにしても牙牛達には会いませんでしたか?」
「斧を持った大男と槍を持った長髪の男なら死にました。それより、光希に何をしたんですか?」
光希は先程からピクリとも動かない。微かに呼吸はしているようだ。
「澄川さん。牙牛達を倒した事は見事です。ですが、あなた少し到着が遅かったですよ。もうお目覚めですか? 解寧老師」
青幻の言葉に光希は突然目を見開いた。
「え……!? 解寧!?」
どういう事か、理解したくはなかったが理解出来てしまった。光希が解寧の依代にされてしまったということだろう。
カンナは光希の目を見つめて最初の言葉を待った。光希の目が辺りを一通り見回すと静かに口を開いた。
「青幻。ご苦労だった。縄を解け」
光希の口調は明らかに本来のものではなかった。
青幻は言われるままに光希を縛っている縄を解いた。光希はゆっくりと立ち上がった。
「ご気分は如何です? 解寧老師」
「うむ、悪くはない。些か背が低くて動きづらいな。まさかこんな小娘の身体しか器がないとは。もう少し前の身体の時に布教活動をしておくべきだったな」
光希の中には完全に解寧が入っているようだ。手の指を動かしたり肩を回したりと身体の機能を試していた。
「光希はもういないの? 一体、光希はどうなってしまったの!?」
カンナが光希の身体の解寧に問いかけると解寧は不思議そうな顔でカンナを見た。
「篁光希は儂の代わりに死んだ。それより誰だお主は?」
「澄川カンナです、解寧老師。この者は篁光希を助けるために割天風の学園からはるばるこの慈縛殿へ仲間と共に来ました。まぁ、間に合いませんでしたがね」
「くそぉ!! 光希を返せ!!!」
カンナは逆上し解寧に殴り掛かった。
「青幻、手を出すな。力を試したい」
解寧は光希の身体で巧みにカンナの拳を捌いていった。カンナの放つ蹴りも上手く躱された。そして解寧はカンナの拳を掴んだ。
「ほぉ。この娘、いい腕をしているな。澄川か……なるほど、澄川孝謙の娘か。つまりこの体術は篝気功掌。何故氣を使わない?」
解寧はカンナとの拳のやり取りですぐにカンナの使う体術を見破った。
「その身体は光希のもの。下手に壊したくないの」
「その甘さが命取りになるぞ? 愚かだな」
解寧はカンナの腕を取り関節を締め上げた。しかし間髪入れずに解寧の後頭部に肘を入れる。解寧はカンナの手を離したのでその隙に距離を取った。
解寧はカンナに打たれた後頭部を手で抑えた。
「ふむ。やはりまだこの身体には慣れんわ。おい、青幻。儂はひとまずお主の城へ帰るぞ。この女は適当に始末しておけ」
「畏まりました」
青幻は孟秦と董韓世に合図をした。
孟秦と董韓世は頷きカンナの方へ近付いてくる。
「では、解寧老師。ご案内致します」
青幻は解寧を伴い本殿から出ようとカンナがぶち破った戸の方へ歩き出した。
「待って!! 光希を返して!!」
カンナが叫び解寧に飛びかかろうとすると董韓世が立ちはだかり回転しながら掌打を放った。まともに食らったカンナは本殿の柱に叩き付けられた。
「あとは頼みましたよ。その娘はしっかりと生きたまま連れて来てくださいね。私と解寧老師は先に行きます」
カンナがまた飛びかかろうとしたその時、青幻は持っていた神々しい黄色い刀を抜いた。その刀で何かを受け止めたようだ。
「探したわよ、青幻。ようやく会えたわね」
「ああ、多綺響音さん。お久しぶりです。探したとは一体私に何か用ですか?」
いつの間にか現れた響音が青幻に斬りかかっていた。
孟秦と董韓世は響音をまったく視認出来ず気配も感じなかったようで響音の登場に驚いた様子だった。
「響音さん!」
カンナは響音に声を掛けた。しかし響音はカンナの方を見もせずに返事もしない。
「何か用かですって? あたしの月華とその黄龍心機を返しなさいよ!」
黄龍心機。青幻の持っているあの異様な氣を放っている刀が響音が取り戻したかった榊樹月希の刀ということか。
青幻は笑っていた。
「そんな事のためにわざわざこんな所にまでやって来たのですか?随分と暇なんですね。月華とはこの刀を手に入れた時に私が共に連れ帰った馬の事ですか? あの馬ならもうこの世にはいませんよ」
青幻の言葉に響音は絶句した。
青幻は響音を刀で弾き飛ばした。
「あの馬はね、かなりの良馬だったのですが、誰1人乗りこなすことができませんでした。この私でさえ、乗ろうとすると大暴れ。近付くだけで負傷者が出る始末。不要なので始末しました」
青幻の非情な言葉に響音の顔はみるみる赤黒くなり歯をむきだしにしてまた青幻に飛びかかった。
青幻は黄龍心機を振り響音をあしらう。
「撤収します。時間の無駄です。澄川カンナを早く捕まえなさい」
「この野郎!!」
響音は叫ぶとその場から姿を消した。カンナが以前響音と闘った時に見た技”神歩”だ。そしてすぐに青幻の背後を取り刀を振った。
しかしその攻撃すらも黄龍心機に防がれた。
「馬鹿な!? あたしの神歩を防がれただと!?」
「黄龍心機の能力をご存知ないのですか?」
青幻は響音を蹴り飛ばした。吹き飛ばされた響音はすぐに受身を取り着地した。
「黄龍心機の能力?」
「そう。この黄龍心機は”危機”を報せるのです。持ち主に危機が迫った時、持ち主にこの刀はどこから危機が迫るかという事を教えてくれる。ま、持ち主がその危機に対応出来る反応速度でないと使いこなせないのですがね。つまり、前の持ち主の榊樹月希……でしたか? 彼女では完全に宝の持ち腐れだったのですよ。分かります? 多綺響音さん」
響音もその黄龍心機の能力を知らなかったのか、驚いたような表情をしている。
「もういいか? 青幻。行くぞ」
解寧が痺れを切らし口を挟んだ。
青幻は響音を一瞥してそのまま本殿の出口へまた歩き出した。
逃がすものか。
カンナは氣をめいいっぱい練った。そして構え、青幻と解寧に掌を向けた。
「篝気功掌・正天掌!!」
空を割く物凄い圧力の氣が背を向けた青幻と解寧へ放たれた。
青幻はすぐに反応して黄龍心機でその放たれた氣を切り裂いた。
やはり通用しないか。カンナがそう思ったその時。空を割くもう一つの何かが青幻へ飛んで行った。
しかし青幻はそれすらも黄龍心機で払ってしまった。
地に払い落とされたのは1本の矢だった。
「逃がしませんわよ」
「カンナ! 死んでないわよね!!」
慈縛殿の門の所から茉里が馬に乗り弓を構えていた。隣には騎乗したつかさと燈もいた。
「おい! 青幻! 観念しろ! もうじきこの山には帝都軍が押し寄せてくるぞ!」
燈は青幻達に聴こえるように大声で言った。
「なるほど、あなた達全員がここに来たということは牙牛達中位幹部では力不足だったという事ですね」
「やれやれ、青幻よ、詰めが甘いな」
解寧が溜息をついた。
しかし、青幻も孟秦も董韓世もまったく動じた様子を見せない。
不思議に思いカンナは広範囲に氣を放った。するとわずか1キロ圏内にかなりの人数の氣が迫って来ていた。
「大変! 響音さん! 敵の軍勢が迫っている! 数はかなりの規模」
響音はそれを聴いて我を取り戻したのかようやくカンナの方を見た。
「蔡王と瀋王が兵を出したなら軽く1万はいるでしょうね。帝都軍はあなた達の屍を回収する仕事しかなさそうですね」
青幻は淡々と言った。
その時、解寧がふらついた。僅かだが確かにふらついた。カンナはそれを見逃さなかった。そしてそれは青幻も気付いたようだ。
「どうされました? 解寧老師」
「ああ。ちと不味いことになった。転生の術を妨害する者が現れた」
カンナも響音も青幻達の様子を窺うだけで動けなかった。




