第71話~刀と弓~
犀は止められなかった。
どんなものでも斬れる”戒紅灼”でも犀の脚の皮膚に傷を付けただけで殺すことは出来なかった。
燈はカンナの方へ馬を駆けさせたが目の前の男達諸共地面が踏み潰されたので反転し逆方向へ駆けざるを得なかった。
ふと隣を見ると茉里も反転して燈と同じ方向へ駆けていた。
茉里も燈に気が付いた。
「ピヨちゃんがいれば必ず合流出来ますわ。私達はとりあえずここから離脱致しましょう。悔しいですけれど、あの犀さん達には勝てませんわ」
茉里は冷静だった。
燈は頷いた。
男達は燈と茉里を追おうとしたが太鼓の音が消えたので上手く統率が取れず混乱していた。そして結局追ってくることはなかった。
犀も土煙も見えない場所まで来た。
燈も茉里も馬を下りて水筒の水を夢中で飲んだ。
「澄川さん、ご無事でしょうか……斉宮さんの姿も見えませんでしたが……」
「下位序列のあたし達が、上位序列のあの2人を心配するなよ。カンナはお前も認めた奴だろ? つかさだってあたし達よりも序列が上なんだ。短気だけど、実力は本物だしな」
「あなたが人の事を短気と言うんですね」
茉里は口に手を添えくすくすと笑った。
燈はイラッとしたが無理やり笑って見せた。
茉里の馬に目をやると、大きな鷹が鞍に停まっていた。その下には矢を入れておく筒が何本も吊るされていた。茉里自身も矢筒を2本腰に付けている。しかし腰に付けた矢筒の矢は先程の戦闘で大分減っており、残っているのは数本だけだった。
燈の視線に気付き茉里は馬に吊るしてあった矢筒から矢を補充し始めた。
「御堂筋弓術は最小限の矢数で敵を仕留める武術ですの。ですから本来敵の数が多い戦などには向かない武術でもあるんです。でも鏡子さんはたったの1本で何十人も殺すことが出来ますのよ」
茉里は聞いていないのに美濃口鏡子の自慢話を始めた。
「ああ、だからお前は弓以外の武術もそれなりに出来るってわけか」
茉里は微笑みながら頷いた。
その時、何かが空を切る音が聴こえた。
燈は咄嗟に音のする方へ戒紅灼を振った。
手応えがあった。何かを斬った。
カラッと音がした方を見ると1本の矢が真っ二つになって落ちていた。
敵か。燈と茉里は同時に矢が飛んできた方を見た。
木々の奥から馬に乗った人影が2つ、ゆっくりと近づいて来る。
「戒紅灼を確認」
「弓を持ってるあの子かな。後醍院茉里は」
2人の話し声。男と女。
燈と茉里は構えた。
空気が今までとは違う。
「誰だ、お前ら? 青幻の仲間か?」
燈が近づいて来た2人に言った。
女の方がにこりと微笑んだ。
「私は公孫莉。青幻様の部下。こっちは魏宜。後醍院茉里はあなたね? 私達はあなたと戒紅灼に用があるの」
綺麗な女だったが目元が恐ろしい狂気を放っていた。手には短弓を持っていた。矢を射たのはこの女だろう。
もう1人の男の方は何も喋る気がないのか黙りこくっている。腰には刀を佩いていた。剣士なのだろう。
「やっぱりお前ら戒紅灼を取り返しに来たのか? だけどこの剣はもうあたしのもんだ! 欲しいんなら今度はあたしから奪ってみろよ!」
燈は戒紅灼を公孫莉と魏宜に向けた。
「勘違いしないでね? 戒紅灼を取り戻しに来たのはついで。後醍院茉里を連れ帰るのもついで。本当の目的は、あなた達4人を慈縛殿へ行かせないこと」
公孫莉は不敵な笑みを浮かべた。
「私を連れ帰るとはどういった理由なのでしょう?」
黙って聴いていた茉里は口を開いた。
「あなたの使う御堂筋弓術は弓術界最強の武術。青幻様は武術国家を建国なさる上で世界中のありとあらゆる武術使いを傘下に置きたいと考えておられるわ。もちろん、篝気功掌使いの澄川カンナもね」
カンナの名に燈も茉里も反応した。
「何でもいいけどさ、あたし達はお前らをぶっ潰せばいいんだろ?」
「澄川さんには指一本触れさせませんわ」
茉里は矢を番えた。
公孫莉も矢を番えた。公孫莉の矢は短めで暗殺に適した長さだった。
「身の程知らず。魏宜、戒紅灼の回収は任せたわよ」
「分かった」
魏宜は腰の刀をすらりと抜くと地面へ向け構えながら騎乗したまま燈目掛けて突っ込んで来た。
「援護はいらないぞ後醍院。この戒紅灼であんな奴の刀なんか叩き斬ってやるよ!」
燈は魏宜が刀を振り上げたと同時に戒紅灼で魏宜の刀を叩いた。
高い金属音が響き薄暗い木々の中で火花を散らし一瞬辺りを明るくした。
────斬れない────
魏宜は表情を変えずそのまま燈とすれ違い、また反転して燈に向かって来た。
魏宜はすれ違いざまにまた刀を振った。燈はそれを戒紅灼で受ける。また金属音が鳴り、火花が散った。魏宜はまた反転して駆けてくる。
燈はすれ違いざまの攻撃しかしてこない魏宜に苛立ち始め、馬から叩き落としてやろうと思った。
魏宜が駆けて来る。
交差。
しかし今度はすれ違わずその場で馬を止め、燈へ刀を3度振った。
「うあっ!!?」
燈は一太刀目だけは防いだが2度目の斬り上げで顔と髪を、3度目の斬り下しで胸を斬られた。
燈は咄嗟に地面を転がり魏宜から離れた。
「魏宜を騎乗させたまま倒そうなんて無謀ね、あの子。それに戒紅灼の力を過信してあのざま。死ぬわね」
燈と魏宜の対峙を眺めていた公孫莉が茉里に言った。
「どういう事ですの?」
茉里は緊張を解かずに訊いた。
「魏宜は青幻様の部下の中でも馬術の達人なのよ。人馬一体の彼を止められる人間なんてそうはいないわ」
公孫莉は冷静に燈の闘い方を分析して言った。その手には短弓がしっかりと握り締められており、番えられた矢を隙あらば放とうとしているようだった。
この女はやばい。茉里は感覚でそれを感じた。
「あなたも馬に乗ったまま闘うのですか?」
茉里は馬から下りない公孫莉に訊いた。
「ええ。その必要がないもの。学園の生徒で私に弓で勝てる可能性があるのは美濃口鏡子ちゃんくらいかな?あ、神々廻先生はお元気?」
「お知り合いですか?」
「私は神々廻先生の生徒だったのよ。短弓を教えてくださったのは神々廻先生。短弓による暗殺術をそれはもう丁寧に教えていただいたわ」
公孫莉は涼しい顔で茉里の問に答えた。
「そうでしたか。神々廻先生はお元気ですわよ」
「それは良かった。あ、そろそろ私達も始めましょうか?暗くなっては弓合戦が出来ないもの」
公孫莉は言い終わると同時に矢を放った。
茉里は横に飛んで矢を躱し、地面を転がり公孫莉へ矢を放った。
しかし公孫莉はその矢を右手で軽々と掴んで止めてしまった。
茉里が驚いて目を見開いた。
矢を素手で止められたのは初めてである。
公孫莉はすぐに茉里の放った矢を自分の短弓に番え直し射返した。
「隙あり」
矢は茉里の脇腹を掠った。服が裂け、肉が抉れ血が滲み出た。
「休んでる暇はないわよ」
公孫莉は冷ややかな表情のまま茉里へ矢を何本も何本も連続で放ってきた。
茉里は左手に弓を持ったまま右太ももに仕込んであったナイフを抜き、公孫莉の放った矢を打ち落とした。
公孫莉は感心したような表情をした。
公孫莉の矢を取り番え、放つまでの早さは尋常ではなくナイフで打ち落とすのがやっとだった。少しでも気を抜いたら矢が身体に突き刺さるだろう。
反撃の機を見付けなければ体力が尽きいずれ射殺されるだろう。
「いつまでもつのかしらね」
公孫莉の皮肉に茉里は答える余裕はなかった。
そして────
「ぐあっ!!」
茉里の呻き声と共に身体に鋭い痛みが走った。
太ももに矢が付き立っていた。太ももからは血がぽたぽたと地面を流れていく。
「あら、もう終わりなのね。残念。大丈夫よ。あなたは殺さないからね。青幻様の元へ生きたまま連れて行かなくちゃ」
公孫莉は馬を下りた。
茉里の太ももに刺さった矢は後ろに突き抜けていた。とても立ち上がれない。
公孫莉はまだ涼しい顔をしたまま茉里に近づいて来る。短弓に矢を番えたまま近づいて来る。決して油断はしないようだ。
「私は……絶対に……負けませんわよ」
「誰も負けたくはないわよ。でもね、これは経験の差。良く考えてみてよ。あなた達学園の生徒は、あの狭い学園の中で毎日同じ人間達と武術ごっこをして遊んでるだけなの。それに比べて私達は青幻様の元で幾多の死線を超えてきたの。ね? 分かるでしょ? あなたはアマチュアにもなれないお子様で私達はプロ。負けるのは必然よ。でもあなたは運が良いわ。青幻様の目に留まったということはまだ強くなれる可能性があるということよ?さ、一緒に行きましょう? 強くなりたいでしょ? 茉里ちゃん」
公孫莉は笑顔を見せた。
茉里の目には公孫莉の笑顔が闇の中で輝いて見えた。




