第66話~動き出した脅威~
狼臥村に到着したのは日没の少し前だった。
澄川カンナ、斉宮つかさ、後醍院茉里、火箸燈の4人はこの日泊まる学園専用の宿にやって来た。馬は宿の厩に入れた。
今回は4人なので、宿の亭主の計らいで普段の2人部屋ではなく、少し広めの部屋を用意してもらった。
今月の村当番の生徒も2名泊まっていた。詳しくは知らないがカンナ達に用意された部屋の隣の部屋らしい。
4人は部屋に荷物を下ろすとすぐに村当番の2人に挨拶をしに行った。
「どうも、お疲れ様です」
カンナが村当番の部屋の戸をゆっくり開けながら挨拶をした。
「ん?澄川さん?でしたっけ?」
「はい、初めまして澄川カンナと申します」
中には若い男が1人肘を枕にして横になっていた。
「俺は和流馮景って言います。なんで村にいるんですか?」
和流と名乗る男は起き上がりながらカンナの来訪に興味を示したように笑顔で問い掛けた。
「今日は別の任務で一晩隣の部屋に泊まるので挨拶を」
カンナは見ず知らずの男に低姿勢で状況を説明した。
「やあ!馮景!お疲れ!」
カンナの後ろからつかさが顔を出し、男に親しげに話し掛けた。
「おお?つかさもいるのか!丁度退屈してたところなんだよ。今回の村当番の相方が瀬木泪でさ。男同士の任務ほどテンションが上がらないものはない。ちなみに、瀬木泪は今見回り行ってくれてるからいないぜ。つかさ、澄川さんとお話したいからちょっと借りていい?」
和流もつかさに対して親しげに話しているのでカンナはつかさに目線で説明を求めた。
つかさが口を開くより前につかさの背後から声が聴こえた。
「この声は和流か。相変わらずお喋りだな」
燈もこの男を知っているようで皮肉を言った。
燈の介入に乗じて茉里も話し掛けるかと思ったが茉里の姿は見えなかった。
「なんだよ、火箸さんもいたんですか!3人もいるなんてどんな任務ですか?」
「カンナ、紹介が遅れたね。馮景は私と同じ槍特の生徒で同い年なんだ。ちなみに序列は14位」
つかさはようやくその男の事を紹介してくれた。
「ちなみに、3人じゃないぞ?もう1人、後醍院もいる」
燈は部屋に顔を出さなかった茉里を引っ張って和流に顔を見せた。
「や、やめてください、火箸さん!私は男の部屋になど入りたくないですわ!穢らわしい!」
茉里は燈の手を振り払いながら一瞬だけ顔を出したがすぐに隣の部屋に逃げて行ってしまった。
「ああ、後醍院さんもいたのか。珍しい。4人の任務なんだな。じゃあその話を詳しく聞かせてくれよ。そうだな。澄川さんだけ残して後は帰ってもらって大丈夫です」
和流はにこりと微笑みながらつかさや燈の怒りを買いそうなことを平然と言った。
「カンナごめんね。馮景はただの女好きな馬鹿だから気にしないで。蔦浜君がむっつりなら馮景はオープンスケベみたいな感じよ」
カンナは苦笑いを浮かべた。
「はあ?つかさ、それは心外だな。蔦浜と同じカテゴリーに入れてくれるなよ。まあ確かに俺は女の子は好きだよ。だけどそれは下心ではなく、純粋に友達として仲良くなりたいだけなんだ。そうさ、俺は純粋なのさ」
和流は腕を組みながら頷いた。
カンナは和流をすぐに苦手な男のカテゴリーに分別した。
「何が下心がないよ。私に初めて会った時の事、忘れたの?」
「分かった。許してくれ、つかさ」
つかさが意地悪く微笑むと和流は突然素直になった。その話は気になったが敢えて今は聞かない事にした。話が長引くと面倒くさそうだ。
つかさが簡単に今回の任務の話を済ませると和流は納得したようだった。
「島外任務か。そんなのに選ばれるなんて凄いな皆さんは。ご武運をお祈りします。澄川さん、任務終わったら1回デートしよう!」
和流はそそくさと部屋から出ようとしていたカンナに笑顔で手を振った。
「え、いや、それは」
「馮景、カンナに手を出したら本気で殺すよ」
困っていたカンナをつかさが庇ってくれた。
和流はつかさの言葉を意に介せず手を振りながらずっと笑顔でカンナを見詰めていた。
「カンナ、ごめんね。気分悪くした?」
「まあ、私はああいう人苦手かな。つかさは仲良いみたいだけど」
「それにしてもカンナって男にも女にもモテるよな」
燈がにやにやしながら言った。
「え?」
カンナは自覚が無く、燈の言葉に首をかしげた。
「蔦浜、和流は確定だろ」
カンナは顔を赤らめて燈から目を逸らした。
「女にもっていうのは?」
つかさが言った。
「後醍院」
「え!!?」
カンナもつかさもその名前に声を出して驚いた。
「はははは、冗談だよ」
燈は笑いながらカンナの背中を叩いた。
「変な冗談はやめてくださいよ火箸さん」
カンナよりもつかさの方が驚いたようで燈に文句を言った。
カンナは茉里が自分に好意を抱いているのは知っていた。しかし、それは友達としてのものだ。
そんな冗談を言いながら3人は自分達の部屋に戻った。
「って、後醍院いねーし!」
最初に戸を開けた燈が言った。
和流に不快感を示し走り去った後てっきり部屋に戻っていると思っていた。
「んだよ、あいつ。逃亡か?」
「後醍院さんはそんな事しないよ、燈」
「どうだかな。ま、とりあえずあたしは暇だから村長の所から鷹借りてくるわ」
燈はそう言うとカンナとつかさの許可も得ず宿の入口へ歩いて行ってしまった。
「つかさ、そういえば、鷹って?」
学園と狼臥村との連絡手段は狼煙と鏡だけのはずだ。鷹で連絡が取れるなど聞いたことがない。
「ああ、村長が飼ってる鷹でね、村長が大陸側と連絡を取る時にいつも使ってる伝書鷹。たまに狼煙が使えない時に借りたことがあるんだよ。鳥だから夜は使えないんだけどね。2羽いるから1羽借りて来いって事だと思う」
カンナはなるほどと頷いた。
するとすぐに宿の入口の方から燈の大きな声がした。
カンナとつかさが急いで駆けていくと入口の所で燈がいなくなったはずの茉里と何か話していた。
「あれ?後醍院さん?」
茉里の腕には鳥籠が抱かれており、その籠の中には大きな鷹が入っていた。
「おお、カンナ!後醍院が鷹を借りて来てくれたみたいだ!お前気が利くじゃないか!」
燈は上機嫌に茉里の肩を叩いた。
「べ、別に私は退屈だったので暇潰しついでに借りて来ただけですわ」
茉里は顔を赤らめて言った。
「ねー、ピヨちゃん」
茉里は抱いていた鳥籠の中の鷹を覗き込みながら聞き慣れない名前でその鷹を呼んだ。
「おい、その鷹は”滝夜叉丸”って名前だぞ?何だよピヨちゃんて」
燈は茉里の勝手な命名に腹を抱えて大笑いした。
「滝夜叉丸なんて可愛くないですわ。何か文句がありますの?」
茉里の眼差しはいきなり破壊衝動を起こす時の目つきに変わった。
カンナはとっさに茉里の隣に立ち、茉里が抱いている鳥籠の中を覗き込んだ。
「ピヨちゃんねー!可愛い名前ですね!いいと思う、うん」
カンナは茉里の意見を尊重し鷹をピヨちゃんと呼んだ。しかし、ピヨちゃんと呼ぶにはその姿はあまりに猛々しかった。
「ありがとうございます、澄川さん!あなたなら分かってくれると思いましたわ」
茉里は嬉しそうに微笑んだ。
燈はそれを苦い顔で何も言わずに見ていた。そしてそっと傍観していたつかさに言った。
「つかさ、お前はどう思うよ?」
つかさは腕を組みながら少し考え、そして口を開いた。
「滝夜叉丸。通称ピヨちゃん。それでいいんじゃない」
燈は鼻で笑った。
「ま、鳥の名前なんて何でもいいや。あたしは先に風呂入らせて貰うからな」
燈はそう言うと1人で部屋の方へ歩いて行った。
「私達も部屋に戻ろっか」
カンナが言うとつかさと茉里も頷き部屋に向かった。
「そうかお風呂か……馮景いるからカンナ覗かれないように気を付けなよ」
「覗かれるかもしれないの!?」
つかさの忠告にカンナは目を丸くして驚いた。
「まあ私が棒持って見張っておいてあげるから大丈夫だけど、露天風呂はやめた方がいいかも」
「私も弓を持って待機致しますわ」
「い、いいよそこまでしなくても」
カンナは青ざめて首を振った。
「冗談だよ!さすがにそんな事はしないでしょ」
つかさが笑うと茉里も口を抑えて上品に笑った。
カンナはからかわれた事に気付き頬を膨らませた。
一方その頃、大陸側の深い森の中を孟秦は歩いていた。
肩にはツインテールの少女を担いでいる。少女は意識がないようでぐったりしていた。
辺りはすっかり暗く、鬱蒼と生い茂る暗緑の木々が闇をより深いものに変えていた。
孟秦の目の前には一際大きな寺が現れた。しかしその寺は荒廃しており人がいる様子はない。灯りの一つもないため真っ暗である。
孟秦は寺の中に入って行き、広い敷地内を歩き本殿の戸を開け中に入った。
肩に担いでいた少女をゆっくり下ろすと部屋の中にある柱に懐に忍ばせていたロープで女の身体をきつく縛り付けた。
その刺激で少女は目を覚ました。
「ここは……」
「お前もよく知っている場所だ」
目を覚ました少女は孟秦を見て全てを思い出し大声を出して暴れ出した。
「お前は誰だ!!このロープを解け!!水音!!水音の所に連れて行け!!」
「命令ばかりだな。小娘が。ロープは解かない。俺の名は孟秦。周防水音は死んだ」
「水音が……死んだ?」
少女は突然大人しくなった。
「そうだ。周防水音が死んだ今。解寧の遺言を実行に移せと青幻様から命令が下った。ここがどこだかは分かるな?篁光希」
光希は辺りを見回し、そして震える口を開いた。
「慈縛殿……」
孟秦は頷いた。
「そしてお前が何故連れてこられたか、分かるな?」
光希の顔は青ざめ、また暴れ出した。
「いやぁぁぁ!!何で私なの!!?殺して!!お願い!!もう私を殺してぇぇぇ!!!」
「ここで叫んでも誰も助けには来ない。生憎、まだ全ての準備が整っていないからな。暫くそこで大人しく待っていろ。明日には青幻様がいらっしゃる。おっと、その間に舌でも噛まれちゃ不味いな」
孟秦は光希の口に懐から取り出した布を口に加えさせ頭の後ろで縛り舌を噛み切れないようにした。
光希は涙を流しながら動けない身体でロープを引きちぎろうと必死の抵抗を続けた。
しかし孟秦は光希に背を向け本殿から出て行った。
背後からは声にならないとても聴いていられないような叫び声が聴こえていた。
虫の音しか聴こえない鬱蒼と生い茂った不気味な木々。
叫び声はその空間に虚しく吸い込まれて消えてしまった。




