第59話~惜別~
宵闇が広がっていた。
波の音と風の微かな音、そして秋の虫たちの音が不気味に聴こえるだけだった。
「もういいかしら?」
森の入口の所で馬に乗った女が言った。
腰には2本の刀を佩いていた。
畦地まりか。
月明かりに照らされたまりかの顔は不気味に微笑んでいた。
カンナは嫌な予感がした。その場にいた全員がまりかの登場の意味に一抹の不安を抱いただろう。
「畦地さん。どうしてここに?」
ボロボロのカンナは恐る恐るその疑問をぶつけた。
「あら、簡単な事だわ。捕虜殺しの犯人が分かったんですもの」
まりかは笑顔で言いながら馬を下りた。
捕虜殺しという言葉に水音と光希は背筋を凍らせた。
「学園の命により、学園序列20位周防水音と学園序列34位篁光希を粛清致しまーす!!」
「なっ!?」
カンナも蔦浜も声を出して驚いた。
「粛清って……殺すってことか!?この学園の規定では死罪はないはずだろ!?」
「誰に向かって口利いてるのかな?蔦浜君。学園の命令は私達生徒にとっては絶対なの。捕虜殺しは本来大陸側では死罪なんだから別に不思議じゃないわよ。それにその2人のやった事は極めて悪質じゃない?カンナちゃんだって死罪を望むでしょ?」
まりかは終始笑顔で言った。
蔦浜は歯軋りをし拳を握り締めている。
水音と光希は黙ったまままりかを見ていた。
「この2人には死罪ではなく、ちゃんと罪を償わせてください!それが私の望みです!」
「どうして私達を庇うのよ。澄川さん。私達はあなたを殺そうとしたのよ?理解出来ない」
水音は光希に抱き抱えられたまま言った。
「理解しなくていいよ。私はあなた達を恨んでない。拳を交えて分かったよ。やっぱり水音も光希も悪い人じゃなかった」
「ふん……私は澄川さんの事好きになったわけじゃないですからね……負けたのは凄く悔しい」
水音はそう言うと下を向いた。
「ねぇ、茶番は飽きたのよね。カンナちゃんと蔦浜君は帰っていいわよ?用はないから」
そういうとまりかは水音と光希に向かい歩き出した。
「畦地さんお願いです、死罪だけは許してください!あの子達は……」
カンナは言いかけて次の言葉に困った。本来なら弁解の余地などない罪を犯したのだ。それをカンナの私情で止めさせるなど出来るはずがなかった。
まりかはカンナのことは完全に無視して水音と光希の前で止まった。
蔦浜も何も言えずに立ち尽くしている。
まりかが左の腰から刀を抜いた。
水音は覚悟を決めたのか目を閉じた。しかし、光希は抱いていた水音を静かに下ろし立ち上がった。
「水音は殺さないでください。捕虜を殺したのは私1人です。致命傷を与えたのは私の攻撃です。だから私だけ罰を受けます」
「光希!?何言ってるの!?どうしてそんな」
「どうしても殺すというのなら、あなたを殺してここから逃げる。水音は私にとってたった1人の大切な人だから」
光希が私情を口にした。水音は言葉も出ず呆然としていた。
「も、もう少し穏便なやり方があるんじゃないですか?畦地さん!」
蔦浜がまたまりかに口を出した。
するとまりかは動きを止め蔦浜の方を振り返った。
「は?私に逆らうことは学園に逆らうこと。あなたも粛清するわよ?」
まりかの眼は蒼く紋様が浮かび上がっていた。
その威圧感と恐怖に蔦浜は声が出なかった。
カンナも息を飲んだ。
まりかはカンナも蔦浜も黙ったことを確認すると突然光希の腹に膝を入れた。
「ぐっ……」
膝を付いて崩れる光希。
まりかの刀が閃いた。
鮮血が宵闇に舞った。
カンナと蔦浜はその光景に開いた口が塞がらなかった。それよりも光希の方が驚いただろう。
光希を庇うように水音がまりかを押し倒していたのだ。だがまりかの刀は無情にも水音の腹部を貫いていた。
「水音!!?」
光希が叫ぶ。
水音はまりかを押し倒した格好のまま、まりかの両腕を抑え静止していた。まだ息はあるようだ。
「光希……畦地さんは私が抑えておく。だから早く逃げなさい!」
「何言ってるの水音!?あなたを置いて行けないです!」
「言うことを聞きなさい!私の言うことが聞けないの!?」
躊躇う光希に水音は残りの力を振り絞って叫んだ。
「……嫌です」
光希は短く否定の言葉を呟いた。
その様子を見てまりかがニヤリと笑った。
「逃げられると思ってるの?馬鹿な子達」
まりかは水音の腹を貫いている刀を意地悪くぐりぐりと動かした。
「う……!」
水音は呻き声と共に口から血を吐いた。その血はまりかの顔に掛かった。
鮮血に染まったまりかの顔は不快感で歪むどころかまだにやにやと笑っていた。
「いいわよね。苦痛に歪む顔って。とても美しいわ。あとどれ位したらあなたは死んでしまうのかしら?でもごめんなさい。あなたがゆっくり死んでゆくのを見ていたいのだけど、あのツインテールちゃんも殺らなきゃならないのよね」
そう言うとまりかは水音の腹に刺した刀をスッと引き抜いた。
その傷口からは大量の血が溢れた。
水音はそのまままりかに覆い被さるように倒れた。
しかしまりかは水音の身体と自分の身体との間に脚を入れて乱暴に蹴り飛ばした。
「邪魔よ」
仰向けに倒れた水音は口や腹から大量に血を流して今にも力尽きそうなほどぐったりとしていた。
「あ……す、澄川さん……」
呼ばれたカンナは水音に駆け寄った。そして頭を起こしてやった。水音の手を傷口にあてがって止血を試みた。
「何?水音?」
カンナは必死に水音の言葉を聴こうとした。その間もドクドクと血は腹から溢れ出ている。布、止血出来るもの。カンナは自分の髪を結っていた青いリボンを水音の腹の傷口にあてがい直した。
「澄川さん……やめて……血で汚れちゃう……」
「いいから!」
水音はリボンで止血しようと必死に抑えているカンナの手に自分の手を重ねた。
「都合がいい女だと思うかもしれませんが……光希を……光希を」
水音は呼吸もまともに出来ず血を口から吹き出しながら何かを伝えようとしていた。
水音を抱き起こしているカンナの背後にまりかがゆっくりと近付いてきた。
「光希を守って……」
カンナは大きく頷いた。
最期の言葉だった。
水音はそのまま目を開けたまま死んだ。
もう動かなかった。
「いや……水音……」
光希の震える声が聴こえた。
カンナの背後のまりかは膝に手を当て水音の死に顔を覗き込んだ。
「おお!死にましたな!」
カンナは歯を食いしばり不謹慎な態度のまりかを睨み付けた。それと同時に光希が悲鳴を上げながらまりかに殴り掛かっていた。
────しまった!!────
カンナが自らの判断の遅さを呪った時、光希はいつの間にかそこに現れたローブを纏った何者かに首を捕まれ、まりかから離されていた。
「誰!?」
カンナが声を上げその者を見上げた。
刀を背負った背の高いガッシリとした男がいた。フードを被っており顔が良く見えない。
「この娘は貰っていくぞ。畦地まりか。総帥にはそう伝えろ」
男は光希の首を掴み高く掲げたまままりかに言い放った。
光希は何が起きたか分からず一瞬言葉を失っていたが、水音の遺体と離されそうになったことでまた叫び出した。
「嫌ぁぁぁぁぁぁ!!!水音ぉぉ!!水音ぉぉ!!」
「どういう事ですか?ていうか、あなたは?」
まりかに笑顔はなく、いつになく冷静な口調で喋っていた。決してその男に手を出そうとせず、ただ様子を窺っているようだ。
カンナもその男から発せられる氣を感じずにはいられなかった。この男の氣は学園で感じたことの無いほどの強大なものだ。強いて言うなら序列1位の神髪瞬花の氣の大きさに近いかもしれない。とにかくかなり強い氣だ。
光希はその男の手から抜け出そうと手足をばたつかせ必死に暴れていた。
「放せ!放せ!くそぉ!」
すると、光希の手が男のフードに触れ顔から外れた。
その顔には痛々しい傷があった。
カンナはそれを見て一人の男の名を思い出した。
刀を背負い、顔に傷のある男。
「孟秦……?」
カンナの呟きに僅かに男は反応した。
男は光希の腹に拳を入れ気を失わせた。
そしてカンナを一瞥しただけで男は光希を肩に担ぎ直し海へ向かい歩き出した。
「ちょっと!?待ちなさいよ!?その子をどこへ連れて行くの!?」
まりかは悠然と歩き去る男に声を掛けた。
その声に男は崖のギリギリで立ち止まり振り向いた。
「青幻様のもとへ連れて行く。邪魔するなら殺すぞ。これは今は亡き解寧の遺言だ」
まりかはそれを聞くと何も言わずに刀を鞘に収めた。
カンナには意味が分からなかった。
恐らくこの男は久壽居が言っていた孟秦という男に間違いないだろう。しかし、解寧という名は初めて聞いた。その解寧の遺言とは何なのか。そしてまりかが潔く刀を収めたことにはどんな意味があるのだろうか。
「ちょっと待って!あなた、青幻の部下なの!?どうしてこの島にいるの!?」
カンナは堪らず男に話し掛けた。
「お前に答える必要はない。俺は与えられた仕事をしているだけだ」
男は短く答えたが聞きたいことには答えなかった。
「あなた、孟秦じゃないですか?」
カンナがその名を出すと男はカンナを睨んだ。だが一度目を閉じ、そして口を開いた。
「そうだ。俺は孟秦。大方、久壽居辺りに聞いたのだろう。まあ、俺の名を知ったところで特に意味などないがな」
「光希を返して!!」
カンナが孟秦へ向かい走り出すと、男は光希を担いだまま崖の上から海へと飛び降りた。
「え!?ちょっと!?」
その場にいた全員が飛び降りた孟秦を追いかけ崖の下を覗き込んだ。暗い海の上に一艘の小舟があり、そこに孟秦は光希を下ろしていた。そして部下に指示を出しその場から離れて行った。
小舟はすぐに暗い海の彼方へと消えてしまった。
カンナが隣を見ると崖の下を覗き込んでいたまりかと目が合った。
まりかはにこりと微笑んだ。
そして何も言わずに水音の遺体の所へ戻り、遺体を担ぎあげたと思うと自分が乗ってきた馬に乗せ始めた。
「畦地さん、水音をどこへ連れて行くんですか?」
「あら?カンナちゃん。あなたこの死体欲しいの?悪趣味ね。もちろん死体なんだから葬るのよ。いくら犯罪者だからと言って死体を野晒しにしておくほど私は酷くないわよ?」
まりかはさぞ当たり前かのような口ぶりで説明すると自分も馬に跨った。
「畦地さん。あなた、学園の命令だからと言って同じ学園の仲間を殺して何とも思わないんですか?」
「仲間?仲間って?そんなもの私にはいないわ。だから何とも思わないわよ?」
まりかは人差し指を唇に当てながら首を傾げた。
カンナはその仕草と言葉に苛立った。
「私は総帥の所に行きます!どうして水音と光希が学園の規則で裁かれなかったのか。それを聞きに行きます」
「俺も一緒に行くよ!カンナちゃん」
まりかはカンナと蔦浜の言葉を聞いて笑顔が消え、何か可哀想なものでも見るような目で馬上から見下した。
「ああそう。好きにすればいいわ。私は知らないわ。ただ、総帥の機嫌を損ねてしまわないように気を付けなさい」
「勝手にしますよ。それと、水音は返してください。私が葬ります」
「手間が省けて助かるわ」
まりかは後ろに乗せた水音の遺体を左手で適当に馬から払い落とした。
「なんて乱暴なことを!!」
カンナが地面に落ちた水音の遺体に駆け寄り抱き起こすとまりかを睨み付けた。
「無様な駒は何も知らずにただ目の前の楽園で生きていればいいのよ」
そう言うとまりかは馬の腹を蹴り、暗い森の方へと駆け去った。
馬蹄が聴こえなくなり、また静かな波の音と虫の音が聴こえてきた。辺りは月明かりのみで仄暗い。
カンナは月明かりに照らされた水音の遺体を静かに地面に寝かせた。
まだ目が開いたままだったので、静かに閉じさせてやった。
さっきまで生きていたのに。さっきまでカンナに暴言を浴びせていたのに。気まずかったけど嫌いではなかった。カンナは最期まで水音に嫌われていたことを悔しく思った。
「水音、ごめん。光希連れて行かれちゃった。また私のこと嫌いになっちゃうよね。でもね、私絶対、光希を取り戻してみせるから。そしたら……そしたら……ここで3人で仲良くやろ?」
カンナは水音に語りかけながら大粒の涙を溢れさせていた。
ずっとそばに居た蔦浜は優しくカンナの肩に手を置いた。
最期まで嫌われたままだった。最期の願いも果たせなかった。そう思ってももう戻って来ない。カンナは両親以外にまたかけがえのない存在を失った。




