第55話~狡猾な女~
朝陽が窓から射し込んでいた。
鳥のさえずりが聴こえる。
「澄川さん、澄川さん」
誰かが身体を揺すっている。
水音の声だ。
カンナはゆっくりと目を擦りながら起き上がった。
「良かった、おはようございます。朝稽古の準備しなくて大丈夫ですか?」
その言葉にカンナは完全に覚醒した。
「おはよう!起こしてくれてありがとう!ちょっとシャワー浴びてくる!」
カンナは昨日酒を飲みそのまま寝てしまったことを思い出した。
水音が起こしてくれなかったら寝過ごしていただろうと思った。
カンナは脱衣所で鏡を見た。
一瞬で違和感に気が付いた。
────リボンをしていない────
酔ってそのまま寝てしまったのなら付けているはずだ。
カンナは身体中のポケットを探した。
ない。
「どうして……」
カンナは辺りを探し始めた。
昨日部屋に戻るまでは確かに付けていたはずだ。そして酒を水音と光希と3人で飲んだ時もしていた。その後外れてどこかに落ちているならこの部屋にあるはずだ。
「水音、光希。私のリボン知らない? いつも付けてる青いやつ」
「さぁ? 見てないですよ? 知ってる? 光希ー」
「知りません」
「そう……」
カンナはとてつもない不安に襲われた。母の形見として肌身離さず大切に使っていたリボン。カンナの宝物だ。
「探しておいてあげますよ! 澄川さん急いでるんですよね? 先にシャワー浴びて来てください」
水音が親切に言ってくれたのでカンナは頷き礼を言いシャワーを浴びることにした。
カンナがシャワーを浴び終わると水音も光希も一生懸命に部屋中を探し回っていた。
持つべきものは友達だ。カンナはそう思った。
「ありがとう、朝早くから……どう? 見つかった?」
「ないですねー部屋の隅々まで探したんですがどこにもないです」
「澄川さんの棚の引き出しだけは開けちゃ悪いと思って開けてませんけど」
光希がカンナがいつも小物などを入れている棚を指差して言った。
カンナはその棚の引き出しを開けてみた。
カンナは目を疑った。
「何……これ?」
カンナの引き出しからは青いリボンこそ見つからなかったが、代わりに見たこともない錆びた鍵が入っていた。
カンナはおそるおそるその鍵を引き出しから出し顔の前に持って来てよく見た。
「リボンじゃないですね? 鍵?」
水音が近付いてきて鍵を覗き込んだ。
「どうして私の引き出しにこんな鍵が入ってるの……」
「澄川さんのじゃないんですか?」
水音はカンナの目を見て言った。
「違う。見たこともない」
カンナは首を振り否定した。
「そういえば、牢番の鵜籠さん。捕虜の牢の鍵を誰かに取られたまま見つかってないって言ってたような」
光希がリボンを探しながら独り言のように呟いた。
カンナは背筋が凍る感覚を感じた。
「えー? もしかして、その鍵……牢屋の鍵だったりして~」
水音は笑顔で言った。
「や、やめてよ。それがここにあったら……私が蜂須賀を殺した犯人みたいじゃない」
カンナは冷や汗をかいていた。
「ですよね~。まさか澄川さんが牢屋の鍵を持ってるはずないですよね~! じゃあ何の鍵ですか? それ」
水音はしつこくカンナに聞いてきた。
「だから知らないよ」
「だったらその鍵、学園に返しましょう。誰の所有物か分からない物は学園の所有物になりますから」
「う、うん」
「私が返しといてあげますよ! 澄川さん急いでるんだから」
水音はそういうとカンナが持っていた鍵を取り上げた。
カンナは釈然としないまま引き出しの中をさらに探したがリボンは出てこなかった。
「ない……」
「残念ですね、確かお母さんの形見でとても大事な物でしたよねー?」
水音はカンナに同情してか残念そうな表情でカンナを見た。
光希は背を向けたままだ。
「澄川さん、時間大丈夫ですか?」
水音が心配して聞いた。
もう出ないと間に合わない。
カンナはしぶしぶ髪を結わないで部屋を出ることにした。
「澄川さん」
水音が部屋を出ようとするカンナを呼び止めた。
「リボン見つかるといいですね」
言った水音の顔が一瞬嗤ったように見えた。
カンナはまた背筋が凍る感覚を覚え恐ろしくなり扉を閉めた。
考えたくはない。考えたくはないけれど、疑わないことの方が不自然だ。
───リボンは水音と光希が隠したのではないか───
カンナは頭を抱え走って部屋から離れた。
昨日仲直りしたのも自分を嵌めるため? ではあの鍵は本当に地下牢の鍵で自分に蜂須賀殺害の罪を着せる為に2人が仕組んだ罠なのではないか?
カンナは頭に浮かぶ恐ろしい想像をかき消すかのように重黒木と稽古をする訓練場へと無我夢中で走った。
この日もカンナは重黒木に一発当てるという課題を与えられたがまた一発も当てられず逆に打ちのめされただけだった。
カンナは重黒木に打たれた腕を抑えながら授業の行われる教室へ向かった。
カンナがいつものように一番後ろの端の席に座ると他の生徒達がカンナをじろじろと見てきた。
カンナは表情を変えずに机に顔を伏せた。
いつも付けているリボンを付けていないから皆違和感を感じているのだろう。
「カンナちゃん! おはよう! 今日はなんだか雰囲気違うな!」
ぽんと肩を叩き蔦浜の元気な挨拶が耳に入った。
カンナは身体を机に伏せたまま顔だけ蔦浜の方に向けた。
「カンナ……ちゃん? 泣いてる……のか?」
蔦浜の言葉でカンナは初めて涙を流していることに気が付いた。
蔦浜はカンナの隣りに座り真剣な目でカンナを見た。
「どうしたんだよ? 1人で悩むなよ。もう君は1人じゃないだろ? つかささんだってリリアさんだって皆カンナちゃんの味方だろ? もちろん、俺で良ければ話も聞くし」
カンナは何も言わず蔦浜の顔を見つめた。
「な、なんだよ? あ、あぁ、俺じゃ頼りにならないよな。悪かった」
「蔦浜君、ありがと」
カンナは蔦浜に微笑み掛けた。
カンナの微笑みを見た蔦浜はカンナを見つめていることが出来ず目を逸らした。
「カンナちゃん……天使過ぎて……」
「え?」
カンナは蔦浜が何か呟いた言葉を聴き取れなかった。
「蔦浜君、……次の休憩時間……時間ある?」
「もちろん!」
カンナの誘いに蔦浜は即答した。
しばらくして水音と光希が教室に入って来た。
2人ともカンナの方を一瞥しただけでカンナから離れた席に座った。
そして斑鳩も教室に入ってきた。斑鳩はいつもと変わらずクールだった。諜報活動はどうなっているのだろうか。斑鳩はカンナの方をちらりと見て右手を上げて軽く挨拶するといつも通り前方の席に座った。
カンナは斑鳩に不器用な作り笑顔をしてまた机に伏せた。
1限目の授業が終わると水音と光希は割天風の執務室に向かった。
水音は上機嫌で鼻歌を口ずさんでいた。人差し指に地下牢の鍵のリングをはめてクルクルと回している。
光希は相変わらず感情をあまり表には出さず無表情で水音の隣を歩いていた。
「ああー! あの女を虐めるの凄く気持ちいい! ちょー快感!!
こうやって全て私の計画が上手くいってるのも気分がいいわ! ねー光希」
「ふふ、水音ドS過ぎ」
「そういう光希だってあの女の引き出しからこの鍵が出てきた時の顔想像してぞくぞくしたくせにー」
「はいはい、私も水音も似たもの同士ですもんね」
「やっぱり、あの女が虐められてるのを傍観するより、自分で虐めてあげる方がより快感を感じるわね! 響音さんの時も初めは見ててぞくぞくしたけど、結局あの女と仲良くなっちゃうんだからさ。つまらないわよ」
水音はカンナをいたぶる妄想をしながら1人で興奮していた。
「それで、これからその鍵を総帥に提出。澄川さんが蜂須賀を殺したことにして学園から追放させる。さらに大切なリボンを目の前でボロボロにして燃やす」
「そう! あぁ! 堪らない! この学園から追放されちゃえばもう殺しても誰も文句言わないしね! どうせ悲しむ人なんていないんだし」
光希が計画のおさらいをするように言うと水音は両腕で自分の身体を抱き締め恍惚とした表情をしていた。
「なるほど。信じられないほど陰湿だな。ゴミクズども」
水音と光希はどこからともなく聴こえてきた声に身構えた。
刹那。水音は身体から指先にかけて突然の寒気に襲われた。
「え?」
水音の手にあるはずの地下牢の鍵がなくなっていた。
水音と光希は辺りを見回した。
目の前には銀髪で紅い眼の女が立っていた。
「外園さん……!?」
外園伽灼の登場に水音も光希も言葉を失った。
聴かれたのか。
伽灼はニヤリと笑い水音と光希に1歩また1歩と近付いてきた。
「捕虜殺しに興味があってね。1人で調べてたんだよ。体術使いの女の子の犯行って事までは分かったから体特を張ってたんだよな」
「ほ、外園さん……さっきの話……聴いてたんですか!?」
「あぁ。お前の常軌を逸した性癖の暴露もな」
伽灼は水音の目の前まで来て止まった。そして水音を見下すように睨みを効かせた。
「あ、あはははは……外園さん……見逃してくれませんかね……」
水音は滝のような汗をかきながら伽灼の紅い眼を見上げた。
光希は顔すら合わせられずずっと下を向いたままだ。
「私は捕虜殺しの真相を知れれば良かったんだ。お前達が殺した。それで終われば別にどうこうするつもりはなかった。でもさ、人に罪を擦り付けようとしてるんだろ? 私はそういうの好きじゃないんだよ」
「わ、分かりました。それは……やめます。だから……」
「は? 待てよ。それだけじゃない。お前達、カンナのリボンパクったって言ってたろ? 私そういう姑息なのも大っ嫌いなんだよなー」
水音は拳を握り締めた。
伽灼は水音から奪った地下牢の鍵をいつの間にか抜いていたサーベルのような剣の切先に引っ掛かっていてクルクルと回していた。
「ま、いいや。私がカンナの為に全て解決してやる義理はないからな。この鍵だけお前達から没収しとけば十分だろ」
水音は舌打ちをした。
その舌打ちが聴こえたのか伽灼は突然水音の胸ぐらを掴み片手で持ち上げた。そして持っていたサーベルを水音の首筋に突き付けた。
「下位序列のうじ虫が。今この場でぶち殺されたいのか? まさか、まりかより根性腐った奴がいるとはなぁ」
伽灼は乱暴に水音の胸ぐらを掴んでいた手を離した。
水音は真っ青な顔をして地面に座り込んだ。
伽灼は鍵を剣先から宙に放ると左手でキャッチしサーベルを鞘に収めもう何も言わずに立ち去ってしまった。
光希は立ち尽くしたまま去りゆく伽灼の後ろ姿を見ていた。その光希の脚は恐怖で震えていた。
「殺されるかと思った」
水音はいつの間にか荒くなっていた呼吸を調えながら呟いた。
「あ、あの人、一体何なのよ…澄川さんの味方なの!?」
光希が震える膝に手を当てて言った。
「あの人は誰の味方でもないよ。いつも1人だからね。あぁ、クソッ! このままだと私達が学園から消されかねない。あ、そうだ」
水音は何か思いついたかのようにニヤリと笑った。
「光希、このリボン、もう少し上手く使おうか」
水音はニヤニヤと不気味な笑みを浮かべならがらポケットから青いリボンを出しヒラヒラと靡かせ光希に見せた。
光希は水音の考えてることが分からなかった。




