第5話~熊退治~
日は沈んでいた。
辺りは闇で包まれ始めている。
詩歩が言っていた畑には、確かに動物に作物が食い荒らされた痕跡があった。
2人は馬を降り辺りの様子を見回す。
「さて、どうやって探すかな。もう暗いし下手に動き回るのは危険だからね」
「近くにいるよ、つかさ」
カンナは目を閉じ辺りの氣を探っていた。
「どうして分かるの?」
つかさは驚いたように今までと雰囲気の違うカンナを見た。
「氣の力。篝気功掌は氣を操る体術。対象から氣が放出されていればそれを感知出来るの」
「氣ね……。授業でチラッと習ったけど、そんなものが本当に存在していたなんて。見付けたら私が始末するわ。素手じゃ危険だもの」
「つかさ、熊退治した事あるの?」
「まあ、この学園のある山には熊なんてたくさんいるからね。しょっちゅう問題を起こすのよ。その処理も私達の仕事だからね。でも、そんなに大きいのはいないから大丈夫よ」
その言葉にカンナは少しほっとした。人間を相手にするのは慣れているが、猛獣を相手にするのは初めての経験である。実際に目の前に現れた時、人間を相手にするように闘えるのだろうかと思っていたのだ。
殺されることはない。そうは思っていたがいざ現場に来ると僅かだが不安が込み上げてきた。
だがその不安も、つかさの言葉で消えた。
「カンナ、熊はこっちに来る?」
「私達には気付いてないみたいだから、身を隠して畑に出て来るのを待とう」
2人は畑のそばの植込みに身を潜めた。つかさの馬は少し離れた村の厩舎に入れてある。
30分程経った頃、動きがあった。小さいがカンナが捕捉していた氣がこちらへ近付いてくる。
「おかしい。氣が小さいけど1頭しか感じない。さっきまでは少し離れていたから重なっていたのかと思ったけど、間違いなく正面から来るのは1頭だけ」
カンナの不安は高まった。他の場所にもう1頭いるのか。
するとカンナの言う通り、畑に1頭の熊が現れた。熊は辺りを警戒している。確かにそれ程大きいというわけではない。あの位なら襲われても逃げられると思った。
つかさが棒を構え立ち上ろうとした。
その時、カンナは大きな気配を背後に感じた。
空を覆い尽くすような黒い物体。
カンナは叫んだ。
「つかさ! 後ろ!」
だがすでにつかさは吹き飛んでいた。
つかさを襲ったのは体長3メートルはあろうかという巨大な熊だった。
熊は腕で払っただけでつかさを吹き飛ばしてしまった。
カンナはすぐに後ろに跳び、その巨大な熊から離れた。
つかさは右肩に怪我をしているようだが受身は取れたようだ。
しかし、つかさのすぐ横には畑に出てきた方の小さい熊がいた。
「つかさ! 小さい熊が近くにいるよ! 気を付けて!」
辺りはすっかり暗く、黒い体毛の熊を目視するのが難しくなっていた。
カンナは熊の個体差の違いに疑問を抱いていた。大きさが全く違う熊が2頭。
親子か。
そう思ったが、その考えが甘かった事にすぐに気付かされた。
「3頭いる……」
カンナは呟いていた。その呟きはつかさにも聴こえていたらしく辺りを警戒していた。
「3頭!? カンナどういうこと?」
「3頭目の氣を感じたの。3頭目もこの巨大な熊と同じくらいの氣を持っているみたい。つまり、この3頭は親子で小さいのが小熊、大きいのが親熊よ」
巨大な熊はを咆哮と共にカンナ目掛けて突進してきた。直撃したら即死だろう。
小熊の方もつかさに襲い掛かろうとしていた。
「ふん、ちょっと驚いたけど、姿が見えて数が分かればこっちのものよ」
つかさは真っ赤な棒を振り回し小熊を威嚇する。
小熊は怖気づいたのかすぐに逃げようとしたがつかさはすぐに追いつき、あっという間に棒で子熊の頭をかち割った。
カンナはその様子を見ていたがすぐに親熊に意識を取られた。
この巨大な熊と闘いながらもう1頭の親熊を感知しなければならない。
巨大な熊はカンナを執拗に追いかけ、右に左に爪を振りかざしてきた。
その時ようやくもう1頭の親熊の場所が分かった。
「つかさ! もう1頭は小熊の死骸の近く!」
言われてそちらを見たつかさは息を飲んだ。
もう1頭の巨大な熊はカンナを追い回している熊よりもさらに1回り大きく4メートル近くあり、小熊の死骸を見て悲痛な鳴き声で鳴いていた。
「こんな大きさ……聞いてないよ」
4メートルの親熊は雄叫びを上げながら小熊を殺したつかさに復讐せんと突進してきた。
その様子を見ている余裕もないカンナは必死に3メートルの親熊の攻撃を避けながら隙を窺っていた。
背後で何かが倒れる音がした。
ちらりと音の方向を見たカンナは熊に押し倒されたつかさを目にした。
熊の攻撃を避けきれず、棒で熊の口を抑え、巧みに左右の爪を躱している。
もはや時間の問題である。あの状態から助かるにはカンナが助けに行くしかない。
しかし、目の前の親熊がそれをさせてくれる筈もない。
「くっ……そ……」
つかさの踏ん張る声が聞こえる。
その時カンナは自分に襲い掛かる熊の一瞬の隙を見付けた。
「ここだ!」
カンナの体内で錬成して氣を纏わせた強烈な右の掌打が熊の顎に炸裂。熊の口からは折れた牙と共に真っ赤な血が溢れ出した。氣の力は打撃の威力も上げる効果があるのだ。
カンナは続けざまに跳躍。
よろけて前のめりになり姿勢の低くなった熊の脳天に氣を込めた肘を入れ、頭の位置をさらに下に落とし、カンナは着地と同時に熊の側頭部に強烈な氣を込めた蹴りを入れる。その衝撃で熊の首の骨はへし折れ、巨大な熊は完全に沈黙し地面に崩れた。
カンナはすぐにつかさの方を見た。
つかさはまだ何百キロもの熊の巨体がのしかかっている状態を必死に耐えていた。しかし、もうもちそうもない。
間にあわない。
カンナは咄嗟につかさの元に駆けつけるのは間に合わないと判断した。
『篝気功掌・地龍泉!!』
両手を地面に付け、全身からめいっぱいの氣を地面に流し込む。
するとつかさを襲っていた熊の巨体が地面から間欠泉が吹き出すかのように突き出してきた目に見えない氣の力に押し上げられ一瞬宙に吹き飛び、つかさの身体は解放された。
つかさはその瞬間を見逃さず横に転がりその場から脱出。すぐに体勢を立て直し、地に落ちた熊に狙いを定めた。熊もすぐに立ち上がり興奮して牙を剥き出しにして涎をまき散らしつかさに突進して来た。つかさは棒を長く持ち華麗に熊の前脚を打ちバランスを崩した。
「よくもやってくれたわね! 覚悟しなさい! 破軍棒術・将星斬首!!」
真っ赤な棒は一瞬鞭の様にしなったように見えた。
そして、巨大な熊の首を跳ねていた。
首は血を飛散させながら宙を舞い、そしてゴトンと音を立てて地に落ち、それに続いて首のない身体もゆっくり倒れた。
辺りは一変、夜の静寂に包まれた。
カンナは氣を一気に使った影響で身体がふらついたが、力を振り絞りつかさのもとへ走った。
「つかさ、大丈夫!? 怪我は!?」
「最初に貰った右肩の傷だけだよ。大した事はないから。それより、カンナは大丈夫なの?」
「私は大丈夫」
「なら良かった。カンナ、今回は助けられちゃったね。ありがとう」
「え……そんな、助けただなんて」
「カンナがいなかったら私かなりやばかったよ。借りが出来ちゃったね」
「借りがあるのは私の方だよ。今ので返せたとは思えないくらいの借りを、私はつかさに作っちゃったから」
つかさはキョトンとした表情でカンナを見た。
「何だか分からないけど、とにかく任務は完了だね! とりあえず、この3頭の熊の死骸を片付けたら一旦村の宿に泊まろう。で、明日の朝、学園に戻ろうか!」
「うん! それにしてもつかさがあんなに力持ちだったとは思わなかったよ。あんな巨体を棒1本で支えちゃうなんて」
「んー? カンナだって素手で熊倒してたよね?」
「ま、まあね」
つかさがくすりと笑った。釣られてカンナも笑った。
2人の笑い声はしばらく夜の闇の中で響いていた。