第35話~詩歩の心境~
浪臥村は以前来た時と同じく活気があった。
村人達は早朝といえど忙しなく働いていた。
カンナ、詩歩、茉里の3人は学園が特別に部屋を無料で借りている宿にやって来た。
玄関には先月の村当番だった茜リリアと斑鳩爽が腰掛けて待っていた。
斑鳩は序列7位の体特の2番手の男で、序列3位の久壽居朱雀がいない体特の実質トップである。学園1の美男で女子生徒達からの人気も高い。体特内ではカンナのすぐ上の先輩に当たり、何度も話した事はあった。カンナ自身も唯一好意を持てる男性の1人である。
リリアと斑鳩はカンナ達が宿に到着すると立ち上がった。
カンナ達3人は挨拶を交わした。
「よう! 皆おはよう! 今回は1人多いな。もしかして、例の一件が関係してるのかな?」
斑鳩が腰に手を当てながら言った。
声も話し方もとても色っぽい。大人の男の魅力がヒシヒシと伝わってきた。
「青幻と我羅道邪の抗争ね」
リリアが言った。
カンナは我羅道邪という名前を聞く度に胸が暑くなった。
「その二大勢力が浪臥村にも来るかもしれないってことですよね?」
カンナが真剣な眼差しで聞いた。
斑鳩がそうだと頷いた。
「ま、俺達がいた間はその情報が流れてきただけで、後は何も無かったけどな 」
斑鳩は続けて言った。
「そうですか……」
カンナが俯いて呟いた。
「ん?カンナどうしたの? それに詩歩も。浮かない顔しちゃって」
カンナは隣りにいた詩歩の顔を見た。
詩歩は今にも泣きそうな顔をしていた。
「リリアさん……ちょっとだけ、いいですか?」
詩歩が声を震わせながら言った。
「どうしたの? 何かあったの?」
リリアは詩歩を連れて宿の外に出た。
カンナはリリアと詩歩が出て行くのを横目で見送った。
「どうした? 澄川。お前もリリアに用があるのか?」
カンナの寂しそうな顔を見て斑鳩が聞いた。
「え……いや、ないです」
カンナは小さな声で答えると俯いた。
茉里はニヤリと笑うとカンナの隣に寄り添ってきた。
「澄川さん、心配しないでください。初の村当番で不安なのでしょう? 私、澄川さんの体術の腕前はかなりのものだと思いますの。それに私が付いてますし、恐れることはないですわ」
カンナは茉里の言い方に引っ掛かった。自信家なのだろうということもそうだが、何よりカンナと茉里の2人がいれば問題ない。そういう言い方に聴こえたのだ。詩歩の事は一切触れなかった。嫌な予感がする。
リリアと宿の外に出た詩歩はすぐ横の路地に入った。
「こんなところで……もしかして、茉里ちゃんのこと?」
リリアが心配そうに詩歩に聞いた。
「リリアさん……私、今回の任務無理……!! 嫌だ!!」
詩歩は声を震わせながら涙を流し始めた。
「詩歩……思ってることを話して」
リリアは自分に抱きついて泣きじゃくっている詩歩に優しく問い掛けた。
「後醍院さんと1ヶ月間も一緒に過ごすなんて絶対無理……!! 任務なんて出来ないよぉ……」
「やっぱりそういうことよね。茉里ちゃんとは初めてだもんね。本当はいつも舞冬さんと一緒になる筈なのに、今回は舞冬さんが復帰して間もないからあなた達が任命されたのね……でも、詩歩?カンナも一緒じゃない? カンナと一緒なら大丈夫じゃ」
「私はカンナも好きじゃないの!!!!」
「え!?」
詩歩の心からの叫びにリリアは絶句した。
それもそのはずだ。詩歩とカンナは最初のうちは仲が良いとは言えなかっただろう
影清の制裁仕合で共に闘ったことから少なくとも関係は向上したと思っていた。
それが今の発言で覆ったのだ。
「どうして……? カンナが詩歩に何かしたの? 何か言われた?」
リリアは詩歩の肩に触れながら聞いた。
詩歩は首を振った。
「じゃあどうして?」
詩歩は答えない。
カンナが詩歩に嫌われる要素などないはずだった。リリアにとってカンナは詩歩や燈同様に妹のような存在なのである。カンナが入学した時からずっと仲良くしてきたのだ。カンナが詩歩に何かするとはとても思えない。
「詩歩? 何も言わないんじゃ分からないわ。あなたがカンナを理由もなく嫌う訳ないでしょ?」
詩歩は涙が溢れる目でリリアを見つめた。
「私の義理の両親は、カンナのお父さんのせいでおかしくなったの。だから今私はここにいるの」
「どういうこと? 話が良く分からないわ? もっと詳しく教えて」
詩歩は呼吸を整えた。そして静かに口を開いた。
「カンナのお父さん、澄川孝顕は”銃火器等完全撤廃条約”の締結に尽力した男でしょ? その男のせいで条約が締結され、私の義理のお父さんの会社は倒産した。そしてお義父さんはだんだんおかしくなって、私を外国に売り飛ばそうとしたの」
初めて聞いた詩歩の過去。この学園の生徒は皆辛い過去を背負って入学してくる。リリアもその1人だ。学園の生徒はお互いに過去は詮索しないようにしていた。だから詩歩の過去も知らなかった。
「そうだったの……」
「私は仕方なく両親を殺して逃げ出した。住む家もない。だから今この学園にいるの」
「それは……辛かったわね。でも、それはカンナを嫌いになる理由にはならないわよ」
詩歩はリリアの胸に顔を埋めた。
「分かってる!! 分かってるけど、あの子を見てると……澄川の娘だということをどうしても拭い切れないの……!! 私の人生を狂わせたのはあの子の父親!! 澄川がいなければ私は辛い思いをしなくて済んだ! 両親が本当の親じゃないってことも知らなくて済んだ!! もう私の中にはあの子の存在が……辛い過去を思い出させるだけの存在になっているの」
詩歩は一気に心の中の思いを吐き出すとそのままずっと号泣した。
『本当の親じゃないことを知らずに済んだ』という言葉にも驚きを隠せなかったが今は触れないことにした。
リリアはそっと詩歩を抱き締めた。
「あなたは分かっているんでしょ? カンナが悪いわけじゃないってこと。ならカンナとは絶対に仲良くなれないなんてことないわよ。響音さんもそうだったでしょ? 詩歩はカンナと仲良くなりたいの?」
「……なりたい」
詩歩はリリアの胸に顔を埋めたまま答えた。
リリアはニコリと微笑んだ。
「なら必ず分かり合えるわ。まずはあなたが、カンナに話し掛けなさい。カンナからは話し掛けてくるんでしょ? カンナが今まであなたにしてくれたこと、全部思い出してみて? そしたら出来るはずよ。詩歩にとって、辛いことが今2つ同時に襲い掛かってるかもしれない。だから今全てが嫌になって泣いているのよ? 1つ1つを見なさい。1つを解決出来たらもう1つが大したことのないものだと思えるわ。今回の場合、茉里ちゃんの事はきっと皆嫌よ。でも、カンナと仲良くなれればきっと力になってくれるわ。あの子は強い子よ。だから、負けないで! 詩歩!!」
詩歩はリリアの言葉を聴き終わると落ち着いた様子でリリアの顔を見上げた。
「ありがとうございます。リリアさん。私、頑張ります!」
詩歩の顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃだった。リリアはまたニコリ微笑み、ハンカチで詩歩の顔を拭ってやった。
「遅いですわね……何やってるのかしら? 茜さんと祝さん」
茉里が玄関に腰を下ろして不服そうに言った。
「これじゃあ斑鳩さんが帰れないじゃないですか」
「俺は別に構わないよ。どうせ帰るだけだしな」
茉里の気遣いに斑鳩は笑顔で答えた。
カンナは茉里と斑鳩が話しているので1人で天井の梁を眺めていた。
すると玄関の扉が開いた。
「リリアさん! 祝さん!」
カンナは真っ先に立ち上がり2人の所へ駆け寄った。
「ごめんね、待たせちゃって。もう大丈夫よ」
「お待たせしました」
リリアが言うと詩歩も軽く頭を下げて言った。
詩歩の目が赤かった。
泣いたのだろう。このタイミングで泣くようなことと言ったら茉里のことだろう。
だとしたら詩歩も茉里と一緒が嫌だったのか。
「カンナ、詩歩をお願いね」
リリアはカンナの耳元で優しく囁いた。
「はい。もちろんです」
カンナが詩歩を見ると詩歩は顔を背けた。やはり詩歩はリリアに泣き付いたのだ。その気持ちは痛いほど分かる。カンナ自身も今リリアに頼りたいのだ。しかしそれは出来ない。不安な詩歩をカンナがリードしなければならないのだ。やるしかない。
ずっと視線を感じていた。確認しなくても分かる。茉里の視線だ。
カンナは敢えて茉里の方は見なかった。あまり関わらず、穏便に過ごせればそれが一番である。
「よし! それじゃあ行くかな。後は頼んだぞ。お前達」
斑鳩が立ち上がり村当番に残る3人を見回して言った。
「何かあったらすぐ狼煙を上げてね。皆頑張って!」
リリアが笑顔で言った。
カンナ、詩歩、茉里の3人が見送りに出ると斑鳩とリリアは馬に跨り学園への帰路に着いた。
その2人の後ろ姿をカンナと詩歩はいつまでも見つめていた。
2人の姿が見えなくなると詩歩がカンナに近付いてきた。キョロキョロとしていて挙動不審である。
「カンナ……今日から……宜しくね」
カンカン帽を深く被り、帽子のつばで顔を隠していて目が見えなかったので表情は分からない。
すると、帽子を少し持ち上げ詩歩の目がカンナの目を見つめてきた。
「こ、こちらこそ、宜しくね。祝さん」
カンナは照れながら答えた。
詩歩はすぐに帽子を深く被ると1人で宿の方へ歩いて行った。
茉里の前を通り過ぎた詩歩を見ながら茉里はカンナに言った。
「あの子、いるかしら? 序列20位以下とか使い物になりませんわよ? いない方がマシだと思いますの。ねぇ澄川さん? どう思います?」
詩歩にも聴こえるような声で茉里は言った。
詩歩は立ち止まっていた。聴こえているのだ。
カンナは茉里を睨み付けた。
「必要です。私は未熟者なので、この村当番の経験者である祝さんは任務にも私にも必要です。後醍院さんはもう1人でも充分闘える強さをお持ちかと思いますが、私は未熟なのでサポートが必要だと思います。祝さんは以前からの知り合いなので私と連携も取りやすいと思います」
茉里はニヤリと笑い、道の端に積まれている木箱のところに歩いて行った。
「面白くないわ。とても不愉快。澄川さんは私と仲良くしてくれると思ったのに、どうして……? どうして私を睨むのよ!!! どうして私を悪者扱いするのよ!!!」
茉里は突然木箱を蹴り飛ばし何度も何度も踏み潰した。
バキッ、バキッ、バキッ!!
木箱は無残にも破壊され原型を留めていない。
その変貌ぶりをカンナと詩歩は見ている事しか出来ず、ただ呆然と立ち尽くしていた。
我に返ったカンナが茉里を止めに掛かった。
「やめてください!! 村の物を壊さないでください!!」
カンナに両腕を掴まれると、急に茉里は大人しくなった。
「澄川さん、私は後醍院家の娘よ? 欲しいものは手に入いる。気に入らなければ壊していいの」
カンナは茉里のそのとち狂った理屈を聞いた瞬間、この人はヤバ過ぎると思わざるを得なかった。
茉里はカンナの引きつった顔を見てニヤリと笑い、1人宿の方へ歩いて行き中へ消えた。
詩歩はその場で固まったまま動けずにいた。
カンナが近付くと詩歩は涙を流していた。
「怖かったね。あれが本性なのかな、皆が言っていた『破壊衝動』ってやつかな。ほら、もう大丈夫だから。泣かないで」
「あいつが怖くて泣いてるんじゃないよ」
「え? じゃあどうして……」
「何でもない」
詩歩は涙を袖で拭うと宿へ歩き出した。
「行こ。カンナ」
「う、うん」
詩歩に言われ、カンナと詩歩も宿に入った。
今日から1ヶ月間、一体どのような生活になるのか。カンナも不安は拭えなかった。




