第33話~後醍院茉里~
綺麗なピアノの音色が聴こえてきた。
心安らぐとても心地よいメロディーだ。
鎮魂歌だろうか。目を閉じるとその曲の世界に吸い込まれてしまいそうなそんな感じさえした。弾き手も相当な腕前なのだろう。素人のカンナの感覚からしてもかなり難しい曲だと思えた。
誰が弾いているのだろう。
弓特寮の入り口でそのピアノの音色に聴き入っていたカンナはこの曲の弾き手に強い関心を持った。
「弾いてる弾いてる!さ、カンナちゃん。行こっか」
舞冬に先導されて、カンナは寮の階段を上って行った。
玄関のところの表札に後醍院茉里と書いてある部屋があった。もう1人の名前も書いてあるが知らない名だった。
カンナは舞冬がその部屋を素通りして更に上の階に行こうとしている事に気が付いた。
「え?柊さん、ここじゃないんですか?」
「そこにはいないよ。こっちこっち」
そう言うと舞冬は階段を上り寮の最上階に進んで行った。カンナは疑問に思いながらも舞冬の後をついて行った。寮の最上階は決まって寮長の部屋しかないはずだ。つまり美濃口鏡子の部屋があるということだ。
舞冬は最上階の唯一の部屋の前に立ち扉をノックした。
やはりその部屋の表札には鏡子の名前が記されていた。
カンナはピアノの音がこの部屋から聴こえていることに気が付いた。一応多少の防音加工されているようだ。寮の入り口でメロディーが聴こえていたのは窓が開いていたからだろう。
舞冬がもう1度扉をノックするとピアノの音がピタリと止んだ。
「こんにちはー!舞冬だよー!」
舞冬が声をかけると扉がゆっくりと開いた。
中からは紫の長い髪の綺麗な女の子が出て来た。鏡子ではない。
「あら、舞冬さん。こんにちは。あなた怪我して療養中だと聞いていましたのに、何故ここに?」
その女の子はとても丁寧な喋り方で育ちの良いお嬢様の風格もあった。紫色の腰までのロングヘアで毛先辺りを赤いリボンで纏めてある。前髪は上品に揃えられており瞳が紅い。そしてとにかく肌が白い。
「怪我はもう治ったよ!えっとね、茉里ちゃんに会いたいって子を連れて来たのよ」
舞冬がそう言うとカンナの方を見た。
「初めまして。澄川カンナです」
カンナは緊張しながら挨拶をした。
「後醍院茉里です。わたくしに会いたい方というのは貴女かしら? 実はわたくし》、あなたに会うの始めてではないのですよ? この前の影清さんの仕合、観戦させて頂きましたの」
「あ、そうなんだ! 珍しいね、茉里ちゃんが仕合観戦するなんて!」
舞冬はいつものおしゃべりが抑えきれないのかすぐにカンナと茉里の会話に割り込んできた。
「鏡子さんが澄川さんの仕合を観ると仰るからご一緒させて頂いたんです」
「なるほどね! それなら納得!」
舞冬が頷いた。
「あの、あなたがさっきピアノを弾いていたんですか?」
カンナは何故か緊張して関係の無い話を振った。
「ええ。わたくしが作った曲ですわ。私はたまに鏡子さんのお部屋をお借りしてピアノを弾かせて頂いているんです。私のお部屋は2人部屋で狭いしルームメイトに迷惑になるのでピアノが置けないのですわ」
「そうだったんですね。とても素敵な曲でした」
カンナの中で色々と疑問が募っていく。本当に茉里は皆から恐れられている生徒なのだろうか?
「ま、見ての通り、茉里ちゃんは後醍院家のお嬢様なのよ! 言葉遣いも趣味もお嬢様でしょ?」
舞冬が面白そうに解説を始めた。
カンナは苦笑しながら頷いた。
「えっと……澄川さん。あなたがわたくしを訪ねて来たということは村当番の件かしら?」
茉里はカンナが本題を切り出す前に言い当てた。
「あ、はい。そうなんです。先に挨拶をと思いまして。それに私今回が始めての村当番なので色々とご迷惑掛けてしまうかも知れませんがよろしくお願いします」
カンナは深々と頭を下げた。
すると茉里はくすりと笑った。
「あ、ごめんなさい。本当に榊樹さんに似てるなぁと思いまして。澄川さん、あなての方がわたくしより序列は上なのだから頭なんて下げないでください」
「す、すみません。でもこの学園では私の方が後に入学したので後輩になりますし……」
「もー! カンナちゃん! 茉里ちゃんがいいって言ってんだからさー、もう少しフランクになりなよ! ね! ま、仲良くなれそうで良かった良かった!」
カンナは拍子抜けして茫然としてしまった。破壊衝動がどうのというのは只の噂だったのか。目の前の茉里からはそんなものは全く感じない。氣 も至って穏やかなものだ。悪意が全く感じないのだ。
カンナはほっと胸を撫で下ろした。
「わざわざご挨拶ありがとうございます。こちらこそ宜しくお願い致します。そうだ、確か今回はもう1人メンバーがいらっしゃるんでしたわね」
「あ、はい。剣特の祝さんです」
カンナが答えた。
「そう、それでは3人で仲良くやりましょうね。澄川さん」
茉里は笑顔で言った。
「はい!」
カンナも笑顔を作って答えた。
「よし! それじゃあ私は帰るね! カンナちゃん!」
舞冬はそう言うと1人で階段を降り始めた。
「ちょっと!? 柊さん!? 待ってください! どこいくんですか?」
カンナは慌てて舞冬を呼び止めた。
「え? だから、帰るのよ。用は済んだでしょ?」
「私はあなたを医務室に連れて帰らないといけないんですから、一緒に帰りますよ!」
「えー、大丈夫だよー! 1人で帰れるって!」
「駄目ですよ! 私が御影先生に怒られちゃいます」
舞冬は少し考える素振りを見せると突然走りだした。
カンナはその行動に驚いてすぐに舞冬を追いかけようとしたが、一旦立ち止まり、じっと様子を見ていた茉里の方を振り返った。
「あ、すみません、後醍院さん。柊さんを追いかけなきゃいけないので失礼します」
深々とお辞儀をするとすぐに舞冬の後を追った。
茉里は小さく手を振っていた。
そんな茉里を横目にカンナは逃げて行った舞冬を追い掛けた。
舞冬が軽やかに走って寮の敷地から出ようとする姿を視界に捉えた。しかしとても追いつけそうにない。なんて速さだ。
すると走り去る舞冬の前に1人の女性がふらりと現れた。
「すみません! 柊さんを捕まえてください!」
カンナはダメ元でその女性に叫んだ。舞冬より序列が低い生徒だと止められないだろうと思ったが、その女性は舞冬を簡単に止めてしまった。というより、全く触れてすらいないのに舞冬が自ら止まったという感じに見えた。
カンナは舞冬とその女性に近付いた。
近くでその女性を見たカンナは納得した。医務室の御影だった。
「あ、ありがとうございます」
カンナは息を切らせながら礼を述べた。
「やっぱりね。舞冬ちゃんはカンナちゃんを巻いてでも逃げ出そうとすると思ったのよ」
「ちぇっ」
舞冬は舌打ちをし、頬を膨らませていた。
「ごめんなさい、御影先生。ちゃんと連れて帰るって約束したのに」
「悪いのは舞冬ちゃんなんだから、カンナちゃんは謝る必要ないわ。さ、舞冬ちゃん。あなたは学園の伝令役も仰せつかってるんだから、早く治さなくちゃいけないのよ?」
御影は子供を説得するように言った。
「え~嫌だよ~。私は自由にやりたいの~」
舞冬は子供のようにぐずった。
カンナはその2人のやり取りを見てクスリと笑ってしまった。
「ちょっとカンナちゃん!? 今笑った!? 何で笑ったの!?」
舞冬が不満そうに言った。
「いえ、笑ってません。早く治してまた一緒にご飯食べましょ!」
カンナはにやにやしながら言った。
「だーかーらー! 私はもう治ってるの! 見たでしょ? 私の俊足の走りを!」
御影ははいはいと言いながら舞冬の腕を引いて歩き始めた。
舞冬は何か言っているようだが離れて行くにつれ何も聴き取れなくなった。
カンナはその様子を見送っていた。
「村当番って誰が決めているか知っているかしら?」
カンナは突然の背後からの声に咄嗟に身構え距離を取った。
「あら、ごめんなさい。驚かせてしまって」
先程別れた筈の後醍院茉里がカンナの背後に音もなく立っていた。
先程は気にならなかったが寮の入口に出てきたことで陽の光を浴び肌の白さが際立った。そしてどこか不気味であった。
「後醍院さん……何か……?」
カンナは恐る恐る茉里に問い掛けた。
「あなたはご存知かなと思いまして。村当番の人選は学園の理事会で決めているんです」
「理事会?」
「やはりご存知なかったのですね。理事会というのは割天風総帥を筆頭に7人の師範と序列5位以上の生徒達による合議体ですわ。以前は師範の方々のみで決めていたのですけれど、つい最近、生徒も参加することになりましたの。今はその理事会が毎月の村当番の組み合わせを決定しているのですけれど、わたくしは何故今回が3人制でそしてわたくしと貴あなたと祝さんなのか……そのことについて、あなたに会ったことでとても興味が湧いてしまいましたわ……」
茉里は話しながらカンナとの距離を徐々に詰めてきた。
「ねぇ? あなたのこと、もっと教えてくださらない? わたくしのお部屋で。今部屋にはわたくしだけだから。ね?」
茉里はカンナの顔を覗き込んできた。その瞳は紅く深い色をしていて、闇の様にも見えた。
「え……っと、あの……」
カンナは恐怖を感じた。以前畦地まりかに感じたものとは別の恐怖。言葉に困った。
「茉里。やめなさい。カンナが困ってるじゃない」
カンナの背後から声が聴こえた。すると吐息を感じるまでに迫っていた茉里の顔がすっと離れた。
「鏡子さん。失礼致しました」
カンナが振り向くといつの間にか美濃口鏡子が立っていた。
「私に謝るのではないわ。茉里。カンナに謝りなさい」
「ごめんなさい。澄川さん」
「あ……いや、私は別に……」
カンナは鏡子の登場により出会った当初のように落ち着きを取り戻した茉里に戸惑いを隠せなかった。
「早く帰りなさい。カンナ」
鏡子は冷たく言った。
カンナは小さく頷き足早に寮から出ようとした。
「澄川さん。村当番が楽しみですわね」
カンナがその言葉に振り返った。
茉里は無表情だったがにやりと微笑みそして小さく手を振っていた。
カンナは弓特寮を後にした。
怖い、怖い、怖い、怖い!!
あの子と2人でいちゃ駄目だ。
本能がそう訴えている。
カンナは弓特寮を出ると駆け足で体特寮の自分の部屋に向かった。




