第26話~壁~
午前中の乗馬の授業が終わるとカンナは首に掛けたタオルで汗を拭いながら食堂に向かった。
「おーい、カンナちゃん! ちょっと付き合ってー!」
手を振りながら笑顔の柊舞冬が声を掛けてきた。
「食事ですか? いいですよ」
「その前にー、ちょっと弓道場に行くんだ!」
「弓道場? 何しに行くんですか?」
「来ればわかるよ!」
舞冬は詳しい説明などしないで半ば強引にカンナの手を引いて行った。
弓特寮の隣に大きな弓道場がある。
カンナは舞冬に連れられて弓道場の入口の前に立った。この学園に来て初めて訪れた場所である。
カンナには弓特の知り合いが一人もおらず、弓特寮にさえ行ったことがなかった。
「ここが弓道場……凄く立派な建物ね」
カンナは荘厳な佇まいの弓道場を見上げて息を呑んだ。
「そのクラスのトップの序列が高いとその分道場も立派になるのよ! 弓特のトップは序列2位だからね、こんな凄い道場になるわけよ。ま、うちの槍特の道場の方が数倍凄いけどね! なんせうちのトップは序列1位の瞬花ちゃんだからね!!」
舞冬はいつものように聞いていないことまで喋り出した。
弓道場の中からは破裂音のような音が何度も聴こえてきた。
舞冬が道場の中に入っていったのでカンナも就いて行った。
舞冬は道場に足を踏み入れる前に一礼した。さすがに武人。礼儀作法は弁えているようだ。カンナも一礼して道場に入った。
射場には1人、袴姿の美しい髪を揺らめかせ弓を引いている女がいた。
弦を限界まで引いていて今にも放とうとしていた。
放った。
矢は真っ直ぐ風を切りながら的の真ん中に当たった。良く見るとその的には既にたくさんの矢が真ん中にハリネズミの針ように刺さっていた。
カンナがその様子に見とれていると弓を持った女はこちらを見ずに話し掛けてきた。
「柊舞冬と……澄川カンナだったかな」
こちらを一切見ていないはずなのにその女は名前を言い当てた。もしかしたらこの人も『氣』を使うのだろうか。
「さすがですね~鏡子さん」
鏡子と呼ばれたその女はようやく振り返った。そして、舞冬とカンナを見ると無表情のまま言った。
「何か用かしら? お2人さん」
弓特の鏡子と言ったら例の序列2位の美濃口鏡子ではないか。カンナは突然の大物との遭遇に背筋がぴんと伸びた。
影清とは違う何かを感じた。
「初めまして、学園序列10位、体術特待クラス、澄川カンナと申します」
「知ってるわよ。あなた有名人よ?」
ガチガチに緊張しているカンナを見ながら鏡子はくすくすと笑った。
「単刀直入に言いますね! 鏡子さん。影清さんの神技について教えてください!」
舞冬が突然切り出したのでカンナは舞冬の方に顔を向けた。それを聞くためにここに来たのか。確かに鏡子なら影清の神技について知っているのだろう。
カンナも興味が湧いてきた。
「闘うのはあなた達じゃないでしょ? 剣特のリリアと燈でしょ? 聞きに来るなら本人達が来るのが礼儀というものじゃない? 私は礼儀を重んじない人間は嫌いよ。それにあなた達。他のクラスの揉め事に首を突っ込むべきではないわ」
鏡子は礼儀を重んじる厳格な人間のようだ。簡単に教えてくれるつもりはないらしい。そもそも舞冬とは真逆の性格のようでとても舞冬が鏡子を説得出来るとは思えない。
「いいえ鏡子さん。私とカンナも闘います。私は他のクラスの揉め事であろうと困っている仲間がいたら助けたいんです」
普段の舞冬のおちゃらけた感じとは違い完全に空気が礼儀作法を重んじる武人だった。
「あなた達の身を滅ぼすことになるかもしれないのよ? 他のクラスの人間を助ける義務はあなた達にはない。放っておけば良かったと後悔することになるかもしれないわよ?」
それを聞いてカンナが1歩前へ出た。
「でも、助けてはいけないという決まりもないじゃないですか? 私は仲間を助けずに後悔するくらいなら、助けてからその後のことを考えたいです!」
カンナは自然に自分の気持ちを喋っていた。真っ直ぐな瞳で鏡子を見つめた。
喋る機会を持っていかれた舞冬は頭を掻いていた。
「なるほど。確かにあなた、月希にそっくりね。外見とかじゃなくて、中身がね」
月希と似てる。以前も同じことを言われた事があった。鏡子もカンナと響音との仕合を見ていたのだろう。
「私は他のクラスの揉め事に干渉するつもりはないわ」
鏡子はもっていた弓を弓立に置き、手首を解すような仕草をしながら口を開いた。
舞冬もカンナも直立したままそれを見ていた。
「『神斬』。影清と闘う時は決して刃を交えてはいけない。影清の振った刃の直線上に立ってはいけない。私が教えてあげられるのはそれだけよ」
鏡子はカンナと舞冬を見つめて言った。
「『神斬』……」
カンナが呟くと、舞冬は顎に指を当てて何か考えていた。
「影清に有効なのは『弓』なのよ。でも先に言っておくわね。私達弓特の生徒は他のクラスの揉め事には一切干渉しない。そう言い聞かせてあるの。うちの生徒達を巻込むような真似は絶対にしないでね」
「充分です! ありがとうございます、鏡子さん」
カンナが答える前に舞冬が元気良く挨拶した。
カンナも深く頭を下げ挨拶した。
鏡子は何も言わずまた弓を取り的に向かった。
カンナと舞冬は一礼して道場を後にした。
「柊さん、美濃口さんとは知り合いだったんですか?」
カンナが疑問に思ったことを聞いた。
「もちろん、私はこの学園の生徒から師範、食堂の料理人、医療担当者などなど全員知ってるわよ!」
「確かに、柊さん色んな人と仲良さそうですもんね……」
「そうね! ま、一方的に知ってるだけで向こうは知らないかも知れないけどね。鏡子さんとはいつかの仕合観戦の時に知り合って少しお話したのよ。影清さんに序列仕合を挑まれたことがあって返り討ちにしたって話をちらっと聞いたことがあったから今日訪ねてみたのよ! 予想通りいい情報が手に入ったわね! 聞き出せたのにはにカンナちゃんの言葉が効いたみたいだったけどね」
カンナは自分のお陰という部分は否定したが、舞冬が計画的に行動している事に少し驚いていた。
「さ、次は影清さんのところに行くわよ」
「え!? 今からですか!? 授業終わってからでも」
「善は急げよ! カンナちゃん! 思い立ったが吉日よ! カンナちゃん!」
カンナは舞冬の勢いに押され影清を探しに校舎へ向かった。
その日の全ての授業に詩歩は姿を見せなかった。
リリアは頭を抱えていた。もしかしてもう学園にいないのではないか。すでに反逆の罪で追放されてしまったのではないか。
授業にはまりかも現れなかった。やはりまりかと詩歩は一緒にいるのではないか。
教室で燈と2人で座っていると視線を感じた。
その視線の元を辿ると外園伽灼がこちらを見つめていた。
燈がそれに気付き、いつもの癖で立ち上がり睨みつけた。
「お前達、そんなに制裁仕合が嫌なのか? 自業自得なんだから素直に受け入れてぶちのめされて来いよ」
「ちげーよ!! あたし達は詩歩が帰ってこないことを心配してんだよ!」
燈が喧嘩腰で答えた。
やめさせようとリリアが立ち上がった。
「詩歩? あぁ、そういや来てないな。まりかもいなかったからあいつといるんじゃないの?」
「外園! お前は関係ないんだな!? 隠してたら許さねーぞ!!」
「燈、お願いだからやめて!」
リリアの制止に一瞬燈の動きが止まったが伽灼は燈に近付いてきた。そして燈の前に立ち、背の低い燈を見下すように立った。
その行動に燈はまた火がつき机に片足を乗せ、伽灼の胸ぐらを掴み顔を見合わせた。
リリアが2人を止めようとするが意に介さない。
「燈、さっさと仕合申し込んでこいよ。私はいつでも受けるって言ってんだろ? 私は制裁仕合の特権使えねーから下位のお前が序列仕合を申し込んでこないとやり合えないんだからさ。まぁ勝てる自身がないんだろ? どうせ影清さんにボコボコにされるんだから、場合によってはもう二度と私と闘えなくなるかもしれないけどな」
「なんだとてめー!! 影清さんの仕合が終わったら覚えてろよ!!」
言った燈は隣で啜り泣く声を聞いて振り向いた。伽灼も燈の視線の先を見た。
リリアが泣いていた。
「どうして……どうして燈はこんな時にそんなことするの? 今は詩歩がどこに行っちゃったのか、それが先でしょ? 少し冷静になってよ」
「ご、ごめん、悪かったよ。気を付けるよ。泣くなよ、分かったからさ」
燈が戸惑いあたふたしていた。
伽灼はその様子を表情を変えずに見ていた。
「あら~3人が一緒にいるなんて珍しいわね~!! リリア? どうして泣いてるの?」
突然教室にまりかがその空気を壊すように入ってきた。
3人がまりかの方を見た。
リリアと燈は目を疑った。
まりかの後ろに詩歩がいるのだ。
「おい、いたぞ、詩歩」
伽灼が無神経に詩歩を指指したが、リリアも燈も意識は詩歩に向いていて相手にしなかった。
やはり詩歩はまりかと一緒にいたのだ。恐らく昨日もまりかの部屋にいたのだ。
まりかの後ろの詩歩は俯いていて視線を合わそうとしない。一方のまりかは満面の笑みだ。こういう表情の時はかなり怒っている。長い付き合いだが、リリアは最近ようやく分かるようになってきた。
「その驚いた顔、いいわね。そうよ、詩歩ちゃんはずっと私と一緒にいたのよ。勘違いしないでね? 私が無理やり連れ回してる訳じゃないのよ? 詩歩ちゃんが行く所がないからって言うもんだから私の部屋にいさせてあげてるのよ」
リリアと燈はその言葉に絶望した。詩歩の意思でまりかと一緒にいる。
「嘘だ!! おい詩歩!! お前畦地さんに脅されてんだろ!? だったらあたし達が助けてやるよ! そんなところいないでこっちに来い!」
燈が叫んだ。
リリアもまりかに脅されているだけだと信じたい。
「詩歩……! こっちに来て! あなたの居場所はこっちでしょ!?」
リリアは必死に説得しようとした。
「あなた達は、私を騙そうとしたんでしょ!? 下位序列の私を利用してあなた達だけ助かろうとしたんでしょ!?」
詩歩が泣きながら反論してきた。
「は!? ちょっと待て詩歩? お前何言ってるんだ!? なんであたし達がお前を騙すんだよ!? そんなことしたってあたし達に何の得もないだろ?」
燈も必死に説得を試みたが詩歩は怒りの形相でこちらを睨み付けている。
詩歩の他人を信じられないという心の隙間にまりかは上手く入り込んだのだろう。
「言い争いはやめてちょーだい。それより、大事な大事なお話があるの」
まりかは手を3度叩くと腰に手を当てた。
「柊舞冬と澄川カンナの2名が影清さんのところに乗り込んであなた達2人の制裁仕合をやめろと言ってきたわ」
「そ、そんな事したらあの2人まで」
言いかけたリリアははっとした。
「そうよ、影清さんに逆らった者は他のクラスの生徒であろうと制裁仕合の対象にされるわ。よって、追加で舞冬もカンナもお仕置きになりました~」
嬉しそうに拍手するまりか。
その拍手が5人しかいない教室に虚しく響いた。
「あの……馬鹿……」
燈が腰を落とした。
伽灼は黙って話を聞いていた。
これがカンナと舞冬が言っていた4人で闘う方法だったのか。だとしたら、自らの地位まで賭けてくれたことになる。そこまでして自分達を救うというのか。
「影清さんね、4人まとめて制裁するとか言い出したからさ、私がやめさせたの。確かに4人まとめてでも負けないと思うけど、もしこれがリリア、あなた達の作戦だったらそれにみすみす嵌るのは嫌だからね」
駄目だ。と思った。この女は勘が良過ぎる。この女が相手である限り緻密な作戦をいくら立てたところで成功しない。
リリアはちらりとまりかの目を見た。その目は綺麗な蒼い色をしていて不気味な紋様が浮かび上がっていた。
『神眼』。それを使っている目を初めて目撃した。隣でそれに気付いた燈も言葉をなくしている。心を読まれたのだと、そう思った。
「図星みたいね。慌てふためくあなた達の表情。とてもそそるわぁ。制裁仕合の日程変更はないわ。明日の放課後。ただ、1人ずつ、制裁してくれることになったから楽しみにしてなさい。それと、詩歩ちゃんはもうあなた達の所へは帰らないから。よろしくね! 詩歩ちゃんがあなた達に会いたくないって言うから一緒にいること隠してたんだけど、またあなた達がやらかしてくれたから本当のこと教えてショック受けてもらおうと思って連れてきたのよ! ふふ、それじゃあね」
まりかはそれだけ言うと詩歩を連れ、教室を出て行った。詩歩はもう振り向かなかった。
椅子に座り脱力するリリアと燈。
ずっと話を聞いていた伽灼も教室を出ようとしたが扉の前で立ち止まった。
「『神眼』は心を読む事までは出来ない」
そう背を向けたまま呟くと、伽灼は教室から出て行った。
リリアと燈は目を丸くしたまま伽灼の言葉の意味を考えた。
「外園の奴……何が言いたかったんだ?」
「そ、それより、カンナと舞冬さん……それに詩歩……一体どうしたらいいのよ」
「悔しいけど、詩歩の安否が分かったんだから詩歩は後回しだ。まずはカンナと柊さんと合流しよう」
狼狽えるリリアを今度は燈が慰めた。




